« 2017年9月 | トップページ

2017年10月22日 (日)

歳と共に

あの菊花賞を走る駿馬だって、注目されるのはほんのひと時で、その後は種馬として時を過ごし、やがて馬肉にされてしまう。

実は自分の写った一枚の写真を見て、愕然としたというか、改めて馬齢と言うものを考えた。

Img_0031_2

それは颯爽とした青年然として写って居る筈もないのだが、もう少し凛とした写りでも良かろうと思ったのだ。

だけど考えるまでもなく、70年近く生きてきたのだから、とっくにミンチにされても文句は言えない歳ではある。

Img_0002_2

それでも本人は、精神性にしても体力だってまだまだだと感じていて、とてものこと老いたなんて実感はない。

それに時の蓄積は、背が伸びれば視界が広がる様に、色々なことを教えてくれるものだ。

Img_0013_2

現に人生の味わい深さも面白さも、本当を言えば感じ始めたばかりである。

そして、これからあれもやろう、これも出来ると常に模索しているところだ。

Img_0014

しかるに容貌だけはそれなりの見てくれになるのだから、理不尽と言っては不遜だろうか。

要するに人並みの歳の取り方を心得ていないのであって、よって自分の風貌にも納得がいかないのである。

Img_0018_2

さはさりながら、現実はカメラのレンズの方が正しくとらえているのだろう。

たかが一枚の写真だが、はて自分(の風貌)に似合った生き方とはどんなものかと考えた。

Img_0019_2

当然ながらそれは野性的で精悍な老人であって、風貌も創っていかねばなるまい。

How  can  I  get  it.  実は今、短期間で英会話をものにしようと躍起になっている。

Img_0021_2

確かに覚えたはずのフリーズを翌朝にはすっかり忘れているが、めげずに気張っている。

馬齢を重ねたからと言って、座してミンチにされるのを待つこともあるまい。

Img_0024_2

今朝のニュースで、91歳で三種競技に邁進している方を報じていたが、確かに彼の体は若い。

要は、心意気なんだろうと思う。

Img_0026_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月21日 (土)

久しき時をもてあそぶ

これまでの長い間、随分とあくせくと無我夢中で走り続けてきたものだと思う。

将来への不安一杯で過ごした幼年時代、人には負けまいと必死に気張っていた現役時代、そして今、古希を前に何とも平穏な時を迎えている。

Img_0876

「平穏な」とは、何事も自分の判断とペースで事を運び得ると言う意味で、正に自由な時間を謳歌することだ。

とは言え、私自身退屈が好きな訳ではなく、何かをやりながら自分を無為な状態に置くことが多い。

Img_0880

それは例えばランニングしながらとか、無心でホウレンソウやブドウの世話をしている時だ。

いやさ、こうやってブログを書いている折も、一人自分の心の中を覗いているひと時だ。

Img_0881

「もてあそぶ」とは言っても、TVを観たりパチンコやゲームで時間を潰すなんて愚の骨頂で、

それは自分の時間を消してしまっているだけで、時間を遊ぶとは程遠いのではないか。

Img_0882

一人心を無にして自己と対面してるからと言って、取り立てて何かが生まれる訳じゃない。

だけどそんな静かな時間の中でこそ、人生の味わいみたいなものを感じるのだ。

Img_0885

味わいなんてものは、人に説明出来るものでもないが、マイルドな飴玉を舐めるように、ゆっくりと人生の時間を堪能すれば良いのである。

Img_0887

それで「何と幸せな」と思うのは、まだまだ十分な体力があって、様々な挑戦の余地を残していることだ。

Img_0892

砂漠を走るグレイトレースへの挑戦もさることながら、まだ見ぬ無辺な世界が私の前には広がっている。

これを、我が人生の味わいとしなくて何としよう !!

Img_0910

「まれに木の葉の飛ぶさえや 久しき時をもてあそぶ」(三好達治)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月20日 (金)

日々に楽しまざらんや

毎日のように雨が降り続いて欝々としながら、人生如何に楽しむべきかと考えている。

貝原益軒はその養生訓の中で「長生きすれば、楽しみ多く益多し」だから養生しろと言っている。

Img_0004

「五十に至らず死するは、不幸短命と言うべし」とも言っいて、

さだめし今日なら60過ぎ(定年後)からがその楽しみと益を満喫すべき年頃になるのだろう。

Img_0006

確かに現役時代は必死で生きるのに夢中で、人生の味わいどころか、生きることが楽しみだなんて思いもしなかった。

思えば確かに充実こそしていたが、本当に自分の人生を楽しんできたとは思えないのだ。

Img_0008

人生を楽しむとは、美味いものを食って娯楽三昧をするってことじゃないだろう。

まさに自分の残りの持ち時間を意識しつつ、その時間を十分に燃やし尽くすことだ。

Img_0009

このことを兼好は徒然草の中で「死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」と書いている。

Img_0010

「生きている今この時を愛するなら、来る日ごとにそれを楽しむべきではないか。余計なことにかまけていては、心が満たされないだろう。」と言うのである。

Img_0011

確かにその通りだが、人はとかく世事にかまけて終日(ひねもす)過ごしてしまうのが常だ。

この私とて御多聞に漏れないが、ただ少しばかり「生を愛す」る気持ちが勝っていると思う。

Img_0012

だからこそ仙人の様に山を走り、畑の作物や子供達を愛で、各地のレースにも出掛ける。

何の、その内面は実に弱々しいものだが、それでも俺は今ここに生きてるぞッて気持ちではある。

Img_0017

昨夜も砂漠レースをあれこれ夢想して魘されていたのだが、これもやがて楽観になるのだと思う。

Img_0024

事ほど左様に楽しみを多くし、尚且つ長生きで益多くするのは容易ではないが、そこにこそ生甲斐がある。

なにぶん老いた馬だとは言え、一匹の生身の人生にまだ何が出来るのかを、常に試し続けること、それが人生を楽しむことに繋がりゃしないか。

Img_0025

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月19日 (木)

無駄遣い

男は総じて無駄な浪費はしないものだが、私は富みにケチな男である。

そもそも終戦直後の何も無い時代に育って、その後の家計だって決して豊かではなかった。

Img_0916

だからバブル・インフレの時代だって節約に努めたし、ご飯だって残さない(ご飯を粗末にすると目が潰れると言われた)。

そうさなぁ〜、古き良き時代の日本人を自任していたって訳だ。

Img_0917

その男が定年退職を迎え、(細君は知らん顔だし)何か自分に「ご褒美」をと思った。

それであれこれ思案したんだけど、結局は時計しか思い付かず、ネットで二十数万円の腕時計を買った。Img_0918

現役時代に身につけていた時計は、精々高くっても三千円程度のものだから、正に清水の舞台から飛び降りた様なものだった。

次いで購入したのがかなり高価な革靴で、磨くとピカピカ光る勝負靴が欲しかったのである。

Img_0923

しかし時既に遅く、古希を迎える今日、その時計も靴もとんと出番がないのである。

その勝負靴を農作業に使う訳にもいかず、今は靴箱の中でカビが生えているのだ。

Img_0924

事ほど左様に貧乏人は金の使い方を知らないから、金は有ったとしても(実際は無いが)意味がない。

それにたまには贅沢な食事でもと思うのだが、既にあっさりの粗食の方が身に合っている。

Img_0929

酒を飲めばと言う人がいるが、これがビール一本も飲めば、それだけで酩酊してしまう次第。

要するに無駄遣いしたくても使うところがなく、せいぜい孫にお小遣いを与えるくらいか。

Img_0930

昨日「国民健康保険高齢受給者証」なるものが送られてきたが、団塊の世代がこの数年で70の峠を越えていく。

はてさて、日銀は頑張っているが、この国の消費意欲(景気)は盛り上がるんだろうか?

Img_0001

団塊の世代は、無駄遣いなんてできない世代でもあるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月18日 (水)

人生への責任

孔子は論語の中で「60にして耳従う。70にして心の欲する所に従えど、矩を超えず」と言っている。

70歳にもなれば、もう思うままに生きても、人の道を外れることはないと言うのである。

Img_0888

それは70年も生きてくれば、色んな事件にも遭遇しているし、泣いたり笑ったり怒ったり、そりゃぁそれなりの経験をしてきた。

Img_0894

だから、かなりの「大人」になっているだろうと思いきや、全然そんなことは無いのである。

依然として些細なことにカッカしたり、傷付いたり見栄をはったり、うそぶいたり嫉妬したり。

Img_0895

依然として三つ子の魂のままだったりして、・・・それでも案外性強く生きてるわいって感じ。

ただ極端に悲観することもなくなったけど、けっして楽観もせずに、何とかやり抜くって生き方になっている。

Img_0896

これは、孔子の生きた古代の「矩を超えず」ってことに、どこかで通じているのかも知れない。

Img_0898

広津和郎が「生きると言うことは、生きる本人の問題である。だから、自分の人生に対して自分が責任を持つのだ」という意味のことを言っている。

しかし、自分の人生に対して責任を持つとは、一体どの様な生き方なんだろうか。

Img_0900

確かにこれまで色々とやってきたが、それは既に過去のことであって、これからの責任如何である。

Img_0902

毎日山を走り、時に冒険をし、何時もの様に畑を耕している(今日はホウレンソウを播き、極早生のタマネギを植えた)。

ナミビアでの砂漠レースに向けて、押っ取り刀で改めて英会話のレッスンを始めている。

Img_0909

街頭に立って子供達を見送り、少しばかりの本を読んで少しずつ考えることに努めている。

Img_0911

そうやって日々が過ぎていくのだが、これで自分の人生に責任が持てるのかどうか?

要は、何があろうとめげずに、自分の納得できる生き方をすれば良いのだろう。

Img_0914

その納得のためにも、幾つかの冒険は欠かせないと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月17日 (火)

吹き来る風

連日のように秋雨が続いていて、屋外の行動が制約される日々である。

それで専らハウスの中での作業になっていて、今日はホウレンソウの播種床を作った。

Dscn2478

ホウレンソウにも嫌地性があって、同じ土で栽培しようとすると、次第に育たなくなるのだ。

だから播種床を作るには土を何度も洗って、嫌地物質を流し去ってから畝を作るのである。

Img_0845

当然ながら播種までが大変で、後は水やりを怠らなければ、すくすくと成長していく。

ともあれナス科や瓜科などの植物は、新天地でこそ清々と育つのである。

Img_0846

人間にも同様な性質があるらしく、世に偉人と言われるほどの人は、大抵出生の地とは異なった所で苦労しつつ大成した人だ。

正に「艱難汝を玉にす」なのだと思う。

Img_0847

この点私は、素材の粗末さはさておき、生まれてからこの方ぬくぬくと居着きで今日まで来た。

学生時代ですら自宅から通ったのだから、まさに苦労知らずと言っても過言では無い。

Img_0851

そして卒業して直ぐ身近な職場に就職し、そこで盛年期のほとんどを過ごしてきた。

絵に描いた様に安穏な、尚且つ凡庸な生き方ではなかったかと思う。

Img_0860

ハウスで播種床を整え終わって外に出ると、雨まじりの冷たい風が頬を撫ぜていく。

暫しその風に身を晒していると、その吹き来る風が私に「これがお前の生涯さ」と言うのだ。

Img_0871

確かに世間に名を知られることもなく、平々凡々と過ごしてきたのだからムベもない。

それでも内心は、「俺だってさぁ〜、精一杯生きてきたんだ。」って叫びたい気持ちだ。

Img_0875

以て瞑すべきものも見当たらない人生ではあるが、これが私の人生なのである。

「あぁ お前は何をして来たのだと・・・・ 吹き来る風が私に云う」中原中也(帰郷)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月16日 (月)

道聴塗説

近頃思うことは、70年生きてきて、一体全体自分は何を知っているのだろうかと言うことだ。

論語に「汝に、これを知ることを教えんか。・・知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり」とある。

Img_0848

振り返ってみれば、私なぞもこの半生は「知ったかぶり」で通してきたのではないかと反省する。

世は情報化時代であって、目に見え無い情報が無尽蔵に飛び交っている。

Img_0849

みんな誰かが企図して作った情報なのであって、自分が考え出した情報ははなはだ少ない。

所詮情報通などと言われても、その大半は耳かじり聞きかじりなのであって、

Img_0850

仲間通しの会話を聞きながらも、何時の間にかその才人の言葉を疑っている自分がいる。

いやさ自分自身からして、しゃべっている言葉のどこまでが自分の言葉なのかと考える。

Img_0852

大抵はテレビや週刊誌、或は新聞で読んだ情報を、如何にも自分の意見のごとく言っていやしないか。

考えてみると、大抵の人は知らないくせに、知ったかぶりをしているのである。

Img_0854

まぁ大抵は時間つぶしの会話だから、それはそれで平和だとは思うが、如何にも薄っぺらではある。

普段から自分で物事を考える習慣を身につけた人が、この世の中にどれ程存在するのだろうか。

Img_0856

今選挙の真っ最中で、それぞれの候補者が喉を枯らしているのだが、それだってどれだけ彼ら自身が物事を考えているのか疑ってしまう。

それは、如何に一票につながるかは真剣に考えているにしても、その中身や如何となると?

Img_0864

かほどに考えることは難しく、更に自分を創るってことの困難さは推して知るべしだろう。

荀子の言葉に「小人の学は、耳より入れば口より出づ、口耳の間は僅かに四寸のみ」とある。

Img_0869

物事を本当に知るとは、かほどに本当に難しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月15日 (日)

雨の沼津アルプス

朝からシトシトと、本格的な秋雨の一日になった。

今日はその雨の中を、三島・沼津いいとこマラニックに参加してきた。

Img_0003

三島の白滝(湧水)公園に集まったのは、千葉や東京からの方も含めて12名だった。

Img_0005

誰一人、雨だからって止めた人がいないんだから、ランナーは立派なものだと思う。

ともあれ私達は湧水の源兵衛川を下って、更には柿田川のコンコンと湧く水を暫し楽しむ。

Img_0007

そこからは狩野川を渡って香貫山から横山、徳倉山と辿っていくのだが、登りはともかく、

Img_0015

下りに入るととてものこと、つるつると滑って命の危険を感じ、ユルユルと慎重に降りるほかない。

それでかなりの時間を使ってしまい、鷲巣山に至ることなく駿河湾に降りて、御用邸公園に向かう。

Img_0016

御用邸からは海岸沿いに狩野川河口に出て、堤防を遡って沼津Nステにゴールした。

Img_0020

全体の走行距離は20kくらいだが5時間余を要したのである。

Nステで冷えた体を温め、例によって駅近くで完走パーティである。

Img_0022

この雨の一日をたっぷりと楽しんだ訳だが、それにしても雨の沼津アルプスは大変だった。

Img_0023

それにしても、疎水から山々を越え、そして海に出て川を遡ってゴールするこのコースは、

Img_0027

マラニックとしては出来過ぎたコースかも知れない。

Img_0030

今回で4回目になるが、毎回何らかの新発見があって、勿論ワクワクもある。

Img_0032

そう言えば「青春」と対を成している「赤秋」と言う言葉があるが、私なぞ正にその頃で、

Img_0033

それでもこのコースで燃えることが出来るんだから、それなりに生きているって意味で納得している。

Img_0034

今日は、砂漠を走る予定の靴で一日を過ごしたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月14日 (土)

言葉の不思議

私達が毎日使っている言葉、言葉は累代受け継がれてきたものだけど、思えばどうやって生まれて普遍化してきたのか、不思議だなぁ〜と思う。

全盲で全聾の福島智さんの著作「ぼくの命は言葉と共にある」には、「言葉は世界だ」とかいてあるようだ。

Img_0021

確か聖書にだって「初めに言葉ありき」と書かれていて、勿論キリストだって言葉があったからこそ教えを広めることができた。Img_0020

いやさ、オギャアと生まれた時には言葉は無かったのに、周りの言葉を何時の間にか覚え、

そうやって人は、考えるとことや、或は生きるということを覚えるのだ。

Img_0022

私たちの親もその親たちも、言葉はそうやって受け継がれてきた。

Img_0023

受け継がれてきただけではなく、言葉そのものが私達の人格を育ててきたのではないか。

例えば、誠実と言う言葉を学んで誠実と言うことを知ったし、何時の間にか言葉は精神をもコントロールする様になった。

Img_0024

私達は言葉次第で、喜びもするし、悲しみ、そして怒りもする。

Img_0025

私はかつて挫けそうになると何時も「僕でもできる」と、心の中で繰り返し呟いていた。

今だって「完走」の言葉で全身をコントロールしながら、ウルトラマラソンなどを走っている。

Img_0027

実は今日は、例の人生を学ぶ勉強会があって、「運命をひらく生き方のセオリー」を素材に語り合ったのである。

Img_0028

私は生き方にセオリーなどないと思うのだが、あるとすれば、それは言葉だと思う。

Img_0031

人の一生は、どういう言葉を持つかで決まると思っているからだ。

Img_0035

歩いた道も歩き方もみんな違う先人たちに共通するもの、それはやはり言葉を信じることだ。

Img_0036

そして今日成程と思った言葉(森信三先生?)は「生きることは、燃えること」だった。

Img_0037

そう・・・確かに人間は、何かに対して自分を燃やしながら生きているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月13日 (金)

一見は百聞にしかず

私は臆病だけど好奇心の塊で、まだ見ぬもの(所)を見てみたい。

かつて観た映画、アラビアのロレンスの活躍したあの沙漠を私も走ってみたいと思った。

Img_0837

砂漠を走るウルトラレースは、ゴビ沙漠、タクラマカン砂漠、それにサハラ砂漠がある。

そのサハラレースを覗くと、何人死んだとか、逸れたランナーをヘリで探すとか、兎に角その過酷さが伝わってくる。

Img_0838

それに砂漠レースは、その沙漠を渡る数日間に必要な物資を全て背負って走らねばならない。

当然セキュリティに必要な食料は勿論のこと、コンパスやライト、薬や防寒・防光資材もしかりである。

Img_0839

それでこの数か月間、いろいろと資材を集めつつも、躊躇と準備を重ねて来たのである。

トレランシューズでのマラソン、10k超のリュックを背負っての登山、携行食の試食などだ。

Img_0840

当然ながらグレイトレースのビデオを何度も観て、イメージトレーニング、それに33品目のEQUIPMENT(必須装備品)のチェックもしてきた。

それで遂に本日、サハラレース(ナムビア)にエントリーし、参加費42万円を支払った。

Img_0841

来年の4月末から五月にかけての5日間、アフリカの砂漠250kを走ることになった。

10cm近くも足が潜る砂漠だから、とてものこと尋常な体力では持たないだろうし、

Img_0842

それはそれ、これからのトレーニングで何とかしようと思っている。

Img_0843

この秋、私は昔で言う古希になる訳だが、こんな爺さん(本人は思ってないが)でも走られることを実証して見せたい。

駄目なら撃ちてし止まんだが、なぁ〜に凱旋して見せるだに。

Img_0844

それにしても問題は言葉で、フランス語と英語を使うことになっていて、果たしてどうなることか?

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年10月12日 (木)

僕は少数派

私は小心者だから、何時も左右に目を光らせて、そいつに迎合することが常だった。

それを長い物には巻かれろって表現するんだが、喧嘩は弱いし、負ける喧嘩なんかしたくはないから、俄然そんな具合の処世をしてきた。

Img_0810

時にはワザと悪さをして大勢に迎合したり、真面目と指弾されないために空騒ぎもした。

周りに気にいられるために、かなりの無理をしてきたのである。

Img_0829

多分これは、風潮に流され易い多くの日本人と同じだろうと思う。

だけど、多数派に紛れ込んでワイワイ奇声を上げるのは好きじゃない。

Img_0830

今週末はあちこちで秋祭りが開催されるが、一年で一番嫌いなのがこの祭りだ。

旧来からの祭りにはそれなりの意義もあったろうが、近年の馬鹿騒ぎする祭りは辟易である。

Img_0831

ともあれ、ようやくにして楽隠居(?)の身を得、もう少数派に徹して生きられると安堵している。

もう数の暴力にも、勿論腕力にも屈する必要はないのである。

Img_0832

言うならば、この古希になってようやく、自分一人で生きる自信を得たのである。

誰に何といわれようと、俺は俺であって、頑固でも何でもないそんな自信なのである。

Img_0833

かつて某首長選への出馬を勧誘された折、真っ先に思ったのは「僕は少数派」だった。

今更この歳になって、何で大衆に迎合しなきゃならんのかってことだった。

Img_0834

そう言っては申し訳ないが、大多数の政治家は「計算(打算)」で生きている。

そんな計算の正体が見え見えになったのが今回の衆議院選であって、如何にも見苦しい。

Img_0835

それはともかく、我が道を行く少数派こそが、これからは面白いのではないか。

あれこれと既存の規制や概念を飛び越えて、自分なりの道を歩きたいと思う。

Img_0836

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月11日 (水)

凡庸の必然

世の中には、天賦の才を持って生まれてくる人(天才)がいる。

アインシュタインとか信長、或はモーツアルトやゲーテ、釈迦やキリストだって天才だったんだろう。

Img_0021

そして彼らは、天才であるが故に、正にドラマチックな生涯を送ったのだ。

翻って、私の様な凡人すぎる凡庸の生き様・死に様にだって、それなりのドラマはあるんだ。

Dscn2470

そう思って、高が知れたことだが、精一杯の己が魂を見極めたいと努めている。

いやさ・・・、そう思う様になったのは現役を退いてからのことで、やがて訪れる死を意識し始めたってことかも知れない。

Dscn2471

毎朝、街頭に立って100数十人の子供達の顔を眺めている。

失礼乍ら、天才と思しき顔は分からないが、顔は人それぞれの冴えの違いを教えてくれる。

Dscn2473

自分の子供の頃の写真と比較すると、私は如何にも鈍くさい顔立ちをしている。

鋭敏さは微塵もなく、凡庸をもって徳とするって感じかな。

Dscn2474

それでも、人にはそれぞれの仕事と役割ってものがあるらしく、それを40年近く演じてきた。

そして演じる舞台が無くなって、改めてその凡庸さが露出してきたって訳だ。

Dscn2475

その凡人は良く言えば晴耕雨読、午前中は山を走り、午後はひたすら畑を耕して暮らしている。

Dscn2476

凡人の生き方は、まさに凡人たるゆえであり、またその限界でもある。

Dscn2477

与えられた境遇や仕事はそれぞれだけど、そんなことはどうだっていい。

結局は、凡庸に与えられたそれらを、より善く全うするだけだからね。

Img_0078

とどのつまり、人は一人で生きて一人で死ぬのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月10日 (火)

なるべき自分

古希を目前にして、何を今更と言われそうだが、何故自分は自分なのかと考えている。

どん百姓の子供に生まれて、あんまり勉強もせずに育って・・・、だからお前なんだって声がする。

Img_0025

だけど偉く勉強して立派な大学を出たからと言って、やっぱり俺は俺なんじゃないか。

否むしろ、大企業の組織の狭間に落ち込んで苦しんでいかも知れないし、間違ってもトップになんてなっていやしなかった。

Img_0784

いやさ仮にトップになったとしても、それはあんまり利口なトップじゃなかったな。

「環境は人を作り、人はその環境を作る。」と言われるが、その環境に育てられたはずの

Img_0785

その自分の芯子は始めっからのもので、自分は自分でなるべき自分になったのだと思う。

例えばこの十数年の私は黙々と走るのを常としているのだが、何故私は走っているのか?

Img_0791

何故他の事じゃ駄目なのかって、時々だが考えたりする。

確かに一昨日も60k付近では、「何でお前はこんな苦しいことをやってるんだ?」って声がした。

Img_0009

そしてその答えが、「お前が、お前だから」なのであった。

「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう。軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう。しかし、彼は彼以外のものにはなれなかった。」と小林秀雄は書いている。

Img_0020

要するに「お前は、なるべくしてお前になった」んだって言っている。

その人間の性根(魂)ってヤツは、どうやら自分の人生の基調を決めていくんだな。

Img_0759

だからして当たり前だが、お前はお前の中に巣くっているその魂そのものなんだよ!

今更、後悔も反省も詮無いし、況やをや慢心など出来ゃしない。

Img_0762

そういう意味で(馬齢に違いないが)古希ってのは、何もかも見えてくるってことかな。

やっぱり私は、人生をやり直したとしても、同じ様な道筋を辿るんじゃないかってね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 9日 (月)

湖畔の風景

流石に10月で、浜名湖のぐるり、その湖畔にも秋の気配はそこここに見渡せた。

何と言っても釣り人が暗いうちから出ていて(ハゼ釣りか?)、湖は漁業も含めて、海の幸の宝庫だ。

Img_0023

それに何と言っても、それ自体がレジャーで、竿を何本も並べて、椅子に座りその竿先が揺れるのを待っている。

Img_0013

多分その釣り人達も、私達ランナーと同じで、その刹那には何にも考えていないのだと思う。

ヨットを始めとしたマリンスポーツも健在で、昨日は水上スキーなども見られたのだが、

Img_0014

驚いたのは水上の遊泳で、どういう仕掛けなのか水を噴出する力で、空高く舞っている。

Img_0015

これには流石にロードレーサーにまたがった人達も、あっけに取られて見とれていた。

私達の日常は、そう・・何気ない、何も変わり映えしない時間の連続だけど、時には無性に非日常が必要になる。

Img_0016

それが旅行や映画・音楽などのレジャーだったりする訳だが、スポーツはもっと主体的だ。

Img_0024

湖畔は、そんな人達の恰好の舞台でもある。

Img_0011

長寿化の進展と健康志向が相俟って、中高年の運動が年々活発になっているという。

Img_0012

確かに活発になってはいるが、然り乍ら、まだまだ「一部の人達」の間でのことである。

Img_0017

何も湖畔に別荘を建てる必要はないが、浜名湖をもっと「健康」に役立てる方法があるのではないか。

Img_0025

一日湖畔を巡りながら、毎度のようにそんなことも考えていた。

Img_0019

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 8日 (日)

成し遂げてこそ

今日は、浜名湖100kウルトラマラニックである。

午前零時、月光鮮やかな絶好の天気の下、弁天島海岸を走り出したのは45人位か。

Img_0001

と言っても明かりはヘッドランプが頼りで、それでも路面の微妙なデコボコや突起は見えない。

Img_0002

それで、実は二週間前の遠山郷に続いて、二度も転んでしまったのである。

幸い転び方が巧く(受け身を取る)なったらしく、先日に比べれば負傷は軽傷で済んだ。

Img_0004

ともあれ100kを走り切るのは、容易である筈もなく、50kを過ぎる辺りから「何で、こんなに頑張ってるのかね?」などと、ため口が出る様になる。

Img_0003

「そうだなぁ〜、何事にしろ、きっとやり切ったって言う達成感が欲しいんだよな」などと話していると、

Img_0005

向かい側から三々五々、疲労困憊の態で足を引きずりながら歩いている人達がやってくる。

伺うと、何でも会社の研修で、40時間以内に100kを走破する様命じられているらしい。

Img_0006

若い人が多いが中年もかなり見られて、可哀想な位よたよたと歩いてくる。

Img_0007

要するに彼らは「挑戦しているのではなく、させられている」のであって、そこには喜びは微塵も感じられなかった。

どんな企業なのか知らないが、同じことをやるにしても・・・・も少し工夫が必要だと感じた。

Img_0008

走る私達は、同じ様なことをやっていても、誰もが苦しみつつも喜々としている。

そこには、やり遂げる意志があるし、喜びも歓喜も、そして嬉し涙さえあるのである。

Img_0010

夜が明けて湖が白み始めると、湖岸が幻想的に浮かび上がり、次第に青みをましていく。

Img_0026

その傍らを仲間と共に、黙々とひたすらゴールを目指して進んでいく。

100kの間に、別の仲間が設営する三カ所のエイドステーションがあって、真心のこもった励ましがある。

Img_0022

そんな訳で、今日もたっぷりと浜名湖を楽しんで(14時間53分)きたのである。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年10月 7日 (土)

好奇心を肴に

人生を面白くしたかったら、それは言うまでもなく、好奇心を持ち続けて行動することだろう。

私の場合は、好奇心は申し分ないのだが、その実行力にかける(優柔不断)ところがあって、

Img_0797

この程度の人生(?)に甘んじている訳だが、中年になって走ることを始めてから、それが随分改善されたと思う。

Img_0803

行動も考えることも積極的になったというか、かつてなら「嫌だなぁ〜」と思った事も、「よし、やってやろう」ってな具合に変わったんだ。

そして何時の間にか、この走ることが私の一部のようになって、毎週のように大会に出掛けている。

Img_0808

そこには仲間との出会いがあるし、未知との遭遇や発見にワクワクすることも多い。

Img_0817

因みに今夜は、浜名湖100kの大会に出掛けようとしている。

午前零時、弁天島海岸をスタートして、ぐる〜っと湖岸を縁取るように回ると100kである。

Img_0821

今夜は月明りも頼りにならないから、明日未明まではヘッドライトを頼りに暗い道を走る。

Img_0822

それで目算としては、明日の15時頃には弁天島のスタート地点に帰り着く予定である。

勿論、基本的に一人で黙々と走る訳で、その100kは実に遠く、決して楽な行程じゃない。

Img_0824

知らない人が聞けば呆れる所業かもしれないが、やると決めたらやるのが今の私だ。

Img_0825

そりぁさ、人間だから「大変だなぁ〜」とは思うが、「だかこそ、面白い」って考えている。

そうさなぁ、好奇心は人生の肴、人生を面白くしてくれるし、その好奇心が無くなったら、人生も終わりだろうと思っている。

Img_0826

何もしないで過ぎ去る人生なんて、それは無かったも同じでしょ。

Img_0827

どうせなら、色々とやってみるさぁ〜。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 6日 (金)

老いの坂

もう直ぐ古希を迎えるというのに、その老いの坂とやらの自覚がない。

その坂は、実は階段状に何度も繰り返しやってくるらしいのだが、その節目らしきものがない。

Img_0805

強いて言えば、40代の後半に細かな字が判別出来なくなって驚いたこと位だろう。

老いの坂は下り坂とされるが、私は実は上り坂の方が得意で、下り坂は苦手だ。

Img_0806

先日の復興マラソンだって、橋を登るときにはランナーをどんどん抜きながら登っていく。

降りは楽だろうと思いきや、長距離走で走力を削ぐのは降りの走り方なのである。

Img_0807

それッとばかりに速度を速めると、下りでこそ膝を痛めてしまうから、踵で着地して爪先から離れる・・・そんな地面を撫ぜる様な走りがベターだ。

私の老いの坂も、どうやらそんな具合に順調(快調)に走り下っているのかも知れない。

Img_0812

そろそろ定年退職してから10年になるんだが、そうだなぁ〜時間の流れは年代によって随分変わる。

確かに学生時代までの時間の流れは(夏休みや正月の来るのが)遅かったが、

Img_0813

その後は何故か加速度的にテンポが速まった。

そうして五十からの十年は、時間よちょっと待ってと焦るほど、必死で駆けていたと思う。

Img_0814

それからの十年は、私が走るというよりも、むしろ時間の方が駆け去っていくようになった。

老いの自覚はないと言ったが、今日はスーパーで買い物をし、家に帰ると買ったはずの一品がない。

Img_0816

何のことは無い・・・・レジを通ってからその品を袋に入れ忘れたのである。

これは呆けの始まりかとたじろいだが、なぁ〜に(忘れたことを忘れた訳でなし)何時もの慌て者だからと納得させた。

Img_0818

そんなこんな、どんな時間の流れになるのか、その老いの坂なるものの手応えを、とくと味わってみようと思う。

明日の夜半には、また新たな挑戦に赴くことにしている。

Img_0820

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 5日 (木)

上杉鷹山と蔵王

両者には直接的に何の関係もないのだろうが、熊野岳山頂に立って山形を見下ろしつつ思ったことを書こう。

それはやはり、ケネディやクリントン大統領をして「最も尊敬できる日本人」と言わしめた、あの上杉鷹山公のことである。

Img_0859

鷹山は、僅か2万7千石の日向は高鍋藩から、米沢藩の婿養子に入った。

Img_0865

時は江戸中期で、ようやく貨幣経済が盛んになり、米依存の藩財政は正に逼迫していた。

Img_0868

その藩財政と地域の窮状を救うのが、鷹山公一代の仕事になった。

Img_0870

何事も保守的な江戸時代にあって、古くからの慣行を次々と打破していくのだが、当然ながら既得権益との葛藤が始まる。

Img_0874

一時は藩士からも孤立すらするのだが、一切ぶれることなく、人の心に火を灯し続けるのだ。

Img_0877

家の庭や生垣に実の成る木を植えさせたリ、藩備蓄米の拡充など、飢饉対策も怠りなく、享保の大飢饉にも米沢では餓死者を出さなかった。

Img_0884

何よりも殖産興業(ベニバナや家内工業の振興)に努め、貧しかった米沢を次第に豊かにしていく。

Img_0891

そして彼の口癖が「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」だった。

Img_0897

鷹山のこの言葉、実は私が学生の頃の座右の銘にしていた言葉でもある。

Img_0899

挫けそうになった時、いつもこの言葉を思い出したものだが、多分鷹山も自分に向かって語っていたのではなかろうか。

Img_0901

ともあれ蔵王地蔵尊と対面した時、この地蔵と鷹山は関係があるのではないかと思った。

Img_0904_2

建立は江戸時代のことであり、こんなに大きな地蔵様に見下ろす地域を守ってもらおうなどと、他の誰が考えたというのか?

Img_0905

それに蔵王は1200年前に大噴火を起こして、今なおその荒々しい痕跡を残している。

Img_0908

山を鎮め地域を興すことこそ、鷹山公の生涯の仕事だったはずだしね。

Img_0912

その蔵王は今、紅葉前線を美しく裾野に広げつつある。

Img_0915

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年10月 4日 (水)

俺たちの明日

昨日は特別支援の三歳児、今日は保育園の各年代がやってきた。

春先に挿したサツマイモを掘るのである。

Dscn2470

事前に蔓やマルチを取り除いて、もう掘り出すばかりに準備をして待っていた。

Dscn2472

それでもまぁ子供達はげんきんなもので、大きな芋を掘り出すたびに歓声を上げていた。

Dscn2475

掘り出せない子を手伝ったり、奇想天外な質問に答えたり、その子供も千差万別である。

Dscn2477

ともあれ誠に賑やかなひと時が過ぎると、畝は無くなって畑は真っ平らになっていた。

この畑に再び畝を作り、堆肥を施して白菜とキャベツを植えて、今日一日の仕事を終えた。

Img_0920

ともあれ保育園児のためのサツマイモを作って早や10年目になり、その役目を今年も終えた。

Img_0921

そのボランティアも、この子供達と賑わいの一時が楽しみでやっているのだろう。

Img_0922

そして子供達には、私に比べれば無限とも言える人生の時間がある。

Img_0925

どんな時代を生きるにしろ、それは又、未知の可能性を秘めたものであるだろう。

Img_0927

翻って間もなく古希を迎えんとしている我が身には、出来る冒険とて嵩が知れている。

時には暴飲暴食して、窘める孫どもに「良いんだ。俺達にゃ、明日は無いんだ。」とハードボイルドに意気がってみたいが、その機会すらない。

Img_0928

それも、かつて鋭敏だった五感(見る、聴く、味わう、触る、嗅ぐ)が鈍になっているからだろうか?

せめて食べ物位はと思うものの、それだって脂物は限度があるし、量だって格段に少なくなっている。

Img_0931

馬齢を重ねるとはこう言うことかと思いつつ、まだまだ俺には明日があると思う。

訪れた知人が「悠々自適で、良いですねぇ〜」と言うのだが、その悠々には未だ程遠いのである。

Img_0932

明日は何ができるだろうか? ・・・・って、そればっかりを考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 3日 (火)

千代とかぎらじ

伊達政宗と仙台について考えている。

仙台に到着して先ず思ったことは、その巨大な駅と人混みであった。

Img_0764

人口108万人の街だからとは思うが、如何にも一点集中の巨大さを想わせる。

Img_0768

仙台は言うまでもなく伊達政宗が拓いた街で、1600年関ケ原後にこの地に城を築いた。

仙台城(青葉城)に近づくと豪壮な石垣が聳え、本丸跡からは市内を一望できる。

Img_0769

その城の下を三陸海岸に向かって東に流れる広瀬川下流一帯が仙台の街だ。

Img_0771

正宗はもともとは出羽(米沢)の生まれで、若くして南奥州を平定したのだが、時は既に秀吉の時代になっていた。Img_0773

小田原攻めに遅参して100万石を70万石に減らされたのだが、関ケ原での微妙な対応の結果、仙台に城を築くことになったのである。Img_0774

その政宗は独眼竜(幼い時の疱瘡で片目を失っている)として知られるのだが、

仙台城に聳える騎馬像も瑞鳳殿の木像も両眼だ。Img_0775

伊達男で一世一代の英雄とされる伊達政宗だが、意外に繊細だったとみえて、Img_0776

実は「自分の死後、像を造るに当たっては両眼にせよ」と遺言しているのである。

正宗の野心家ぶりを示す象徴的な出来事に、メキシコ・ローマへの支倉常長の派遣(1613)がある。Img_0782

常長は無事ローマ法王と接見もし帰国するのだが、その時には既に鎖国の世の中になっていた。Img_0787

土井晩翠が作詞した荒城の月は、この間の事情を詠っていて頗る興味深い。Img_0788

「春高楼の花の宴・・ 千代の松が枝わけいでし・・ 栄枯は移る世の姿・・ 嗚呼荒城のよはの月」Img_0790

ちなみに晩翠は仙台の出身で、藤村と並んで一世を風靡した詩人である。Img_0781

政宗がこの仙台の地に城を築いた折「「入りそめて 国豊かなる みぎりとや 千代と限らじ 千代の松」と詠んだとされ、この詩が「仙台」の地名となっている。

Img_0780

ともあれ、じっくりとその地を訪ねなければ、見えてこないものがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 2日 (月)

紅葉の蔵王へ

山形は内陸の地であって、もう10月やはり朝晩はグッと冷える様である。

かつて十数年前に仕事で高畠村を訪れたことはあるが、遊びに来るのは初めてである。

Img_0855

言うまでもなく山形(米沢)は、上杉鷹山公が藩政改革を成し遂げ、地域おこしの原点ともされた所で、何となく親和感を持っている。

Img_0919

その山形の奥座敷が蔵王温泉で、あの有名な樹氷の蔵王連山が鎮座している。

Img_0857

蔵王はこの一帯を指す名称らしく、地蔵山(1736m)熊野岳(1841m)苅田岳(1785m)などからなっている。

Img_0858

今朝は揃いのユニフォームに着替えて朝食を戴き、ホテルのすぐ傍の蔵王山麓駅からロープウエイで7分、

Img_0861

更に樹氷高原駅から10分で地蔵山頂駅に登る。

Img_0863

このロープウエイを降りた所から、約二時間が今回のメインコースだ。

Img_0866

西側の三宝荒神山を臨むと、そこはもう赤や黄の紅葉が一面に広がっていて、

Img_0867

江戸期に建立されたという大きな地蔵尊に、蔵王の蔵王らしさを感じていた。

Img_0870

ともあれ地蔵山を目指して登り始めたのが9時位か、この山は難なく登ることが出來た。

Img_0872

次の熊野岳に登り始めて、ようやく登山らしくなってきて、歩きにくいゴロゴロとした石の道を登る。

Img_0873

この熊野岳の山頂に至ると、その向こうの刈田岳との間にボッカリと口を空ける噴火口が見えた。

Img_0879

そう・・この一帯はそのお釜と呼ばれる火口を取り囲む外輪山なのである。

Img_0883

ともあれ足はそのお釜に向かって下ったのだが、その縁に立ってアッと息をのんだ。

Img_0886

火口の底にはメノウの様な緑色の水が溜っていて、自然の作り出した神秘を凝然と映し出していた.

Img_0889

暫くお釜を見て立ち尽くしていたのだが、お釜の縁を巡るように刈田岳の山頂をきわめ、

Img_0890

今度は地蔵山近くまで戻って、クマザサの生い茂る祓川コースを樹氷高原駅に下った。

Img_0903

その途中は、まさに紅葉の真っ最中で、足元を気にしつつ、この広大な山塊の織り成す美に見とれていたのである。

Img_0906

14時には麓に下ったのだが、仲間と一緒ってこともあって、何だかアッと言う間の山歩きであった。

Img_0907

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年10月 1日 (日)

復興途上を走る

今日は、東北・みやぎ復興マラソンを4時間40分で走ってきた。

最初の大会の上に、ファンランを含めて二万人近い参加者で、アプローチも帰りも大混乱だった。

Img_0794

シャトルバスを降りてから2km余を歩かなければならず、会場に入ってからもどっちに進んでよいのやら、そのうちスタート時間が迫るし、・・

Img_0796

ともあれ4ウェーブスタートで、私達は最初のスタートから25分遅れてのスタートだった。

Img_0798

先ずはかつての震災で大被害を受けて嵩上げされた新品の道路を10kほど走る。

海岸沿いのその道路の海側には、あちこちに命山が造られていて、かつての被害を偲ばせる。

Img_0799

とは言え走路は平坦で、先行のランナーをどんどん(?)抜いていく。

Img_0800

海岸沿いの道路には真新しい堤防と、その傍らには木組みの暴風垣が延々と続いている。

20k近く快調と思われた足だが、先週の遠山で負傷した左足が引きつる様になった。

Img_0801

スピードを落として暫く様子をみると、幸いにも2〜3kで引きつりは収まった。

Img_0802

25kを過ぎると対面走行になって、先行ランナーの顔を見ながらのランになって、これが疲労を忘れさせてくれる。

Img_0804

すると東京のH江さんやO川さんの顔も見れて、やがて残り10kの地点からは、残りを如何に楽しく走るかを考えていた。

その楽しさだが、最もずしりと来たのは被災者たちの熱心なエールで、ありがとう、ありがとうの連続なのである。

Img_0809

そう道路も住宅もかなり新装なっていて、あの当時の面影は確かに少なくなっている。

Img_0811

しかし亡くなった人だって多い訳で、それと裏腹に復興をみんなで祝い、さらにホントの復興に向けて走ろうとの趣旨だ。

Img_0815

それでこの地に2万人もの人々が集まったのである。

Img_0819

帰りのシャトルバスには乗るまでに、何と1時間並んでいて、暗くなるころやっとバスに乗れた。

Img_0821

そこから山形の蔵王温泉まで車を2時間走らせ、そそくさと食事を終えて、硫黄の風呂を出たところである。

Img_0828

明日は、蔵王山に登る。

Img_0853

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年9月 | トップページ