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2017年10月23日 (月)

感じて候

人の一生を差配するもの、それはその人の感性ではないかと思う。

物の感じ方とか精神性、はたまた無意識の判断と言っても良いだろう。

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「人間は考える葦である」とした先人がいて、私達はみんな考える動物だと思っている。

だけどどうだろうか・・・果たしてあなたは毎日何をどれ程考えているだろうか?

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私も日々考えて生きてきたつもりだが、よくよく振り返ってみると、真剣に考えたことなど一度も無いのではないか。

考えると言うことは中々難しいもので、第一私達はその糸口すら持ってはいない。

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実は私も考えるというよりも、その時々の「感じ」で物事を判断してきた様な気がする。

例えば卑近な例で、昨日の選挙にしても、新党の登場とミラクル合流はアッと耳目を集めた。

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眩しいほどの輝きを以て政界を激震させたのだが、光背が消えるに従って「あれッ」と感じるようになった。

何時でも政権交代可能な政党の存在は政治に緊張をもたらすが、はて政権交代して何をやるのってことになると、これは極めて難しい。

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運動期間が4〜5日だったら、この新党は奇跡的な勝利を収めていたかもしれない。

だけど私達は、どこかで「何だか変だなぁ〜」って感じていたのである。

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選挙はともあれ、私達の感性は子供の頃の育ち方や教育、読書量や交友関係等によって、

つまりは過去の諸々の経験によって創り上げられていく。

信念とか個性などと言っても、所詮自分を構成しているのは過去の経験の総体なんだろう。

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物事の良し悪しの判断は頭で考えても、様々な利害関係もあって中々難しい。

例えは関ケ原の戦いの折の大谷吉継の判断だって、彼は西軍の敗退を予期しながら石田三成に味方した。

三成の(茶席に於ける)信義に殉じたとして知られる故事だ。

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ともあれ、さほどに考えるということは難しい訳で、増して凡才の私などは言うべくもない。

本当は「人間は、感じる葦」なのだと思う次第で、その感性をこそ磨いてしかるべきと思う。

好きなら好き、嫌いなら嫌いで、それで良いのだと思う様になっている。

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