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2017年10月 3日 (火)

千代とかぎらじ

伊達政宗と仙台について考えている。

仙台に到着して先ず思ったことは、その巨大な駅と人混みであった。

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人口108万人の街だからとは思うが、如何にも一点集中の巨大さを想わせる。

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仙台は言うまでもなく伊達政宗が拓いた街で、1600年関ケ原後にこの地に城を築いた。

仙台城(青葉城)に近づくと豪壮な石垣が聳え、本丸跡からは市内を一望できる。

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その城の下を三陸海岸に向かって東に流れる広瀬川下流一帯が仙台の街だ。

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正宗はもともとは出羽(米沢)の生まれで、若くして南奥州を平定したのだが、時は既に秀吉の時代になっていた。Img_0773

小田原攻めに遅参して100万石を70万石に減らされたのだが、関ケ原での微妙な対応の結果、仙台に城を築くことになったのである。Img_0774

その政宗は独眼竜(幼い時の疱瘡で片目を失っている)として知られるのだが、

仙台城に聳える騎馬像も瑞鳳殿の木像も両眼だ。Img_0775

伊達男で一世一代の英雄とされる伊達政宗だが、意外に繊細だったとみえて、Img_0776

実は「自分の死後、像を造るに当たっては両眼にせよ」と遺言しているのである。

正宗の野心家ぶりを示す象徴的な出来事に、メキシコ・ローマへの支倉常長の派遣(1613)がある。Img_0782

常長は無事ローマ法王と接見もし帰国するのだが、その時には既に鎖国の世の中になっていた。Img_0787

土井晩翠が作詞した荒城の月は、この間の事情を詠っていて頗る興味深い。Img_0788

「春高楼の花の宴・・ 千代の松が枝わけいでし・・ 栄枯は移る世の姿・・ 嗚呼荒城のよはの月」Img_0790

ちなみに晩翠は仙台の出身で、藤村と並んで一世を風靡した詩人である。Img_0781

政宗がこの仙台の地に城を築いた折「「入りそめて 国豊かなる みぎりとや 千代と限らじ 千代の松」と詠んだとされ、この詩が「仙台」の地名となっている。

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ともあれ、じっくりとその地を訪ねなければ、見えてこないものがある。

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