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2017年10月10日 (火)

なるべき自分

古希を目前にして、何を今更と言われそうだが、何故自分は自分なのかと考えている。

どん百姓の子供に生まれて、あんまり勉強もせずに育って・・・、だからお前なんだって声がする。

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だけど偉く勉強して立派な大学を出たからと言って、やっぱり俺は俺なんじゃないか。

否むしろ、大企業の組織の狭間に落ち込んで苦しんでいかも知れないし、間違ってもトップになんてなっていやしなかった。

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いやさ仮にトップになったとしても、それはあんまり利口なトップじゃなかったな。

「環境は人を作り、人はその環境を作る。」と言われるが、その環境に育てられたはずの

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その自分の芯子は始めっからのもので、自分は自分でなるべき自分になったのだと思う。

例えばこの十数年の私は黙々と走るのを常としているのだが、何故私は走っているのか?

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何故他の事じゃ駄目なのかって、時々だが考えたりする。

確かに一昨日も60k付近では、「何でお前はこんな苦しいことをやってるんだ?」って声がした。

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そしてその答えが、「お前が、お前だから」なのであった。

「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう。軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう。しかし、彼は彼以外のものにはなれなかった。」と小林秀雄は書いている。

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要するに「お前は、なるべくしてお前になった」んだって言っている。

その人間の性根(魂)ってヤツは、どうやら自分の人生の基調を決めていくんだな。

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だからして当たり前だが、お前はお前の中に巣くっているその魂そのものなんだよ!

今更、後悔も反省も詮無いし、況やをや慢心など出来ゃしない。

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そういう意味で(馬齢に違いないが)古希ってのは、何もかも見えてくるってことかな。

やっぱり私は、人生をやり直したとしても、同じ様な道筋を辿るんじゃないかってね。

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