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2017年11月30日 (木)

It's not a big deal

グレイトレースの事務局から、かなり長い英文のメッセージが届いた。

要は準備の具合はどうか、装備や訓練に手ぬかりはないかと言うことである。

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このメールに大量の写真が貼付されていて、そのほとんどが壮大なスケールの大地を駆けるランナーと、その苦闘や歓喜の場面が延々と続いていた。

興奮するというか、俺もこの中の一人になるのだと思うと、いやが上にも闘志が湧いてくる。

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・・・・とは言え、決して気負っている訳ではない。

人は、仕事でも日々の出来事でも、幾つもの失敗を繰り返しながら生きていくものだ。

大切なのは、完璧を目指して挫折することじゃなく、失敗を受け入れつつアタックすることだ。

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今回の挑戦は確かにハードルが高いけど、出来ることは全てやって、その後は融通無碍で良いと思っている。

高々半年余のアプローチだけど、これはこれでかなりの手ごたえを感じている。

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人間決して若くはないが、それでも本気になって取り組めば、そこそこの事が出来るだろう。

Cheer up.  Never give up. と耳に響いてくるが、同時に「大したこっちゃない」とも思う。 

人生に完璧はないが、それでも常に自分のできる最善を目指して生きてきた。

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その俺はこの程度だと納得できるのか、大自然の中に身を置いて、改めて問うてみたい。

人生のドラマは、自らが創造するものなんだ。

温かな夢を食べて生きられれば、こんなに楽しいことは無いだろう。

そう・・・私が今書き始めている小説の様に変幻自在に。

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2017年11月29日 (水)

脳の錆び

私達の脳は、使わなけりゃどんどん衰えていくもののようだ。

年寄りの物忘れは、新しいことをしなくても生きて行ける・・・つまり、頭を使わなくても生きていけるから、記憶力が衰えるのだそうである。

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確かに、事改めて勉強することもなくなったし、日々の生活も飯を食って畑を耕して寝るの繰り返しで、正に惰性と慣性そのものである。

何かを記憶しようと努力することなど、おやそ絶えて久しいのである。

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臭覚も典型的で、目や舌が代替えしてくれるから、匂いを嗅ぎ分けるってことを忘れてしまって、既にコーヒーと味噌汁すらも鼻では区別できなくなっている。

かくして老人性痴呆症などは進行していくのだろう。

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この二か月挑戦してきた英会話だが、その時には覚えたつもりでも、小一時間もするとHowだったかWhatだったか、はたまたofやwithが判然としなくなっている。

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これが自分かと嘆かわしく思っていたのだが、かれこれ一か月近くこの混沌を繰り返してきた訳だが、最近やっと何となくこれが減ってきた。

ようやくにして、脳細胞がその気になってきているらしいのである。

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どうやら脳と言うやつは、使えば少しは使いもの(機能が高まる)になる器官らしい。

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ならば私達は、意識して脳細胞を使うような行動をとることが必要なんじゃないか。

殊に私の様に錆び付いた頭を再起動するのは容易ではないが、トンカチで打ち付けてでも錆を落とさねば何ともなるまい。

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而して、出来るだけ容易で無い挑戦をしようと決めた次第だが、これが私の意識を少しずつ目覚まし始めている。

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生活感覚が変わったというか、物の見方すらも以前とは変わりつつある様でもある。

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未だ見ぬ世界への畏怖と興奮、そこへ向かう為に勇んで準備する自分の毎日、これは随分なかった昔の記憶なのである。

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これから当分の間、この自分の錆落としに邁進したいと思っている。

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2017年11月28日 (火)

俺は俺の時代だけど

かつて無縁社会なる言葉が流行語になったことがあるが、組織(企業や団体)への帰属が一般化し、地縁や血縁はどんどん希薄になってきた。

歴史的に村には村の強い地縁があって、その繋がりが互助・共助、農業生産にも大きな役割を果たしてきた。

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しかし、今日の脱農化と共に地域の連帯は極めて希薄になり、多くが隣の人は何する人ぞで、隣家の息子の顔も知らなくて済むようになった。

要するに必然性というか、繋がりの必要性がなくなっている訳で、人それぞれにもっと大切な絆があるってことだ。

それが仲間同士の紐帯であったり、企業組織の上下関係であったりする訳だ。

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その絆は極めて経済合理的になっていて、今日の俺は俺の時代になっているってことだろう。

それでも田舎には、かつての地域の縁をつなげてきた習慣が残っている。

それが庚申で、それぞれの村外れに庚申塔が建っていたりして、村を外敵から守っている。

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村々には「お庚申様」と呼ばれる定期的な集まりがあって、酒を飲みながら懇親を深めることになっている。

その昔、お庚申様は村の家々を順番に巡って開かれたものだが、今では公会堂で開かれる。

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先日私の組でも今年度二度目の庚申様があって、久々に村の衆の顔を見てきた。

と言うか、私は庚申様の趣旨に照らして、参集した皆さんの一人一人と話をして回ることにしている。

その為に集まっているのに、唯飲んで帰るのでは庚申にならんのではないかと考えるのだ。

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捲いたりまいたり庚申へ、庚申へ・・・和尚の読経は続くが、要は家内安全と懇親なのだ。

今年の豊作・豊穣を祈念して山盛りの椀が回ってきて、それを一つまみづつ戴く。

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それで同じ釜の飯を食べた仲間と言うことになるのである。

ともあれ、細やかな紐帯だが、あるいはとても大切な縁なのではないかと思っている。

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2017年11月27日 (月)

生命のしるし

先日、とある写真館の前を通りかかって、一枚の写真に目が止まった。

80歳位の夫婦が時代物のドレスとタキシードを着、日傘をさしてにこやかに写っていた。

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近頃の写真屋では、様々な演出をしつつ記念撮影を撮らせるらしいと思いつつ、暫し眺めていた。

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そして、何故この夫婦は時代がかった服装で写真に収まったのかと考えるうちに、

「過ぎ去った生命のしるし」の様なものを、何かに残したかったんじゃないかと思った。

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人生と言うのは、すべからく過ぎ去った時間の集積であって、残っているのは幾ばくかの思い出だけだ。

極論すると、その思い出を作り出すために生きていると言っても良いだろう。

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私の卑近な例を挙げるなら、ナミブ砂漠に向けての6月以来の葛藤と挑戦への取り組みだ。

迷いに迷って9月になってやっと、有謀(無謀じゃない)なる挑戦と腹を決めて具体的に動き出した訳だ。

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そして、様々な装備の準備やら、荷物を背負っての訓練や英会話の特訓もしている。

この先、来年5月の本番まで如何なる展開になるのか、自分でも正直なところ分からない。

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事はほぼ順調に進めているつもりなのだが、写真館の一枚の絵が私にある衝動を起こしたのである。

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この一連の挑戦を実体験を含めたフィクションとして、一篇の作品に創作出来ないかということである。

かつて小説家を目指そうと夢想したことだってある訳だから、生涯に一篇程度の作品を残したって良かろう。

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それにこのビックイベントは、十分な素材になると考えた訳で、そのThemeこそが生命のしるしだ。

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小説の粗筋はある女との邂逅から始まり、往年のウルトラランナーとの出会い、砂漠への挑戦の決意と苦闘、ナミブ砂漠でのドイツ娘との出会い、大会で次々と起こるアクシデント、そして彼女との涙の生還、人間を生きて死ぬことの意味へと続く物語だ。

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事の成否は別として、物事は万事面白くしなければ詰まらなかろう。

物語はあくまでフィクションだが、頭の中ではドンドン現実味を帯びて膨らみつつある。

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2017年11月26日 (日)

五感を呼び覚ませ

視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚が五感で、人間はこのセンサーをフルに使って生き延びてきた。

私達の脳は、このセンサーの情報を総合的に処理することで、機能してきたのである。

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だけど今日、二十一世紀の私達は視覚と聴覚に偏って依存しながら生きている。

TVにPC、スマホが原因で、触覚や臭覚、味覚がどんどん衰えているらしい。

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私の臭覚もこの十年どんどん衰えていて、近頃じゃ美味しい匂いさえ感じなくなっている。

加齢の一現象と思っていたが、どうやらこれは「努力」不足らしいのである。

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匂いを敢えて必要としないで生活してきたことが、その遠因らしいのだ。

視覚や味覚が臭覚の代理機能を果たしていて、匂ったような気分で過ごしていたのである。

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確かに近頃は、鼻や舌、肌や指先の感覚を疎かにしてきた様な気がする。

かく言う私だが、山やラン・畑などと、圧倒的にワイルド・屋外の生活を謳歌している。

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それにも関わらず臭覚が衰えるのは腑に落ちないが、こいつはどうやら意識して訓練しないと駄目らしい。

ともあれ、本来備わっていた機能が衰えるのは、何とも口惜しい。

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せいぜい美味しいものを食べ(嗅ぎ)て、五感を鍛えようと思う次第だ。

それにしても、馬齢を重ねるということは、本来の五感をも損ねるのだからしようもない。

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はて、美味しいものとはどんなものだっけ?(やっぱり味覚よりも、雰囲気が大事だよね)

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2017年11月25日 (土)

明神山に登る

愛知県の北部、蓬莱湖を囲む山稜の一部にその山は聳えている。

標高1200m程の山だが、なかなかどうしてかなりの急峻で、頂上部分は痩せた突起の様に切り立っている。

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三遠南信道の一部開通で、この蓬莱の地域が随分と近くなって、しばしば訪れているのだ。

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今日はS間さんの登山ツアーがあると聞いて、勝手に参加しようと三河川合駅に向かったのである。

しかし、駅には集合時間の7:33になっても誰一人やって来ず、止む無く一人登山となった次第である。

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実は今日の登山はリュックサックを試す意味もあって、水4リッターを含め7kg程を背負っていた。

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流石に重くて腰の当たりにもグイグイと摩擦がかかるのだが、これを調整しながらの登山である。

ともあれ登山口の乳岩の気温は4℃前後だが、折からの好天で駐車場は一杯であった。

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黙々と(CDを聞きながら)登ること二時間半、頂上付近の分岐で三ツ瀬方向に行ってしまって、30分余を戻ることになった。

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一人登山はこれだからいけないと思いつつ、それでも11時前には山頂での食事となった。

だが辺りには霜柱も光っていて、冷たい風に流石に寒くなって、早々に頂上を後にすることにした。

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この山の名物でもある「馬の背」まで降りてくると、後から登ってきたS間さん一行と出会った。

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同行出来なくて残念だったが、私はまっしぐらに下山を急いだ。

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とは言え、登るのは当然大変だが、下るのだって険しい傾斜で、足を置く位置やら何かと気を配らねばならない。

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正にこれは人生と同じで、むしろ下り坂こそ工夫や知恵が必要なんじゃなかろうか。

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さりながら我が健脚は、3時間で登った山を1時間20分で降りてしまった。

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三遠南信道のお蔭とは言え、明神に登って尚且つ時間的に余裕があるんだから有り難い。

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ハイ、今日の訓練はお終い。

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2017年11月24日 (金)

幸せ感覚

長い人生は、喜びと悲しみの連続で、そして幾ばくかの落胆と驕りの繰り返しだと思う。

そして私達は、悲しいことは比較的早く忘れ、そいつを乗り越え、明日に向かって生きる力を持っている。

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物事に鈍感な私だけど、忘れられない心の傷は幾つも持っているし、時々夢の中に再現される。

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幾つかの喜びがそんな傷をマルチして、何となく混沌とした過去になっている気がする。

過去の70年を、これで良かったと全面的に肯定する気持ちにはなれないが、かと言って否定なんかできない。

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色々あるのが人生で、そうして今があると思う他ないのである。

「あなた、今幸せですか?」と問われて、何と答えられるでしょうか?

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そう・・・幸せでも不幸せでもない・・・って答えになるんじゃなかろうか。

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朝の寒風をついて街頭に立ち「お早う。行ってらっしゃい。」と元気を気張っている自分。

畑を見渡せば、白菜や小松菜、キャベツやホウレンソウが晩秋の日差しの中元気に育っている。

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英会話を耳に山を走ること二時間半、ほんのりと汗をかいて午前中のエクササイズが終わる。

そして今日も、元気に育ったホウレンソウを収穫し、次の播き床づくりに汗を流す。

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やがて陽は西に傾き、暫しのひとときをこのパソコンに向かう。

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今やマイペースが当たり前で、人の目なんてトンと気にすることもなくなった。

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ほんの少しの細やかな喜びを積み重ねて、毎日の自分の幸せ感覚を醸し出している。

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全てが自然で、これが私の目指してきたライフスタイルなんだろう。

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PCの前のあなた、そも幸せとは何だと思います?

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2017年11月23日 (木)

これから黄金期

確かに十分馬齢を重ねてきて、既にこの馬は競馬じゃ使いものにはならないだろう。

だからって別にミンチにされる訳じゃなく、そのぉ〜・・種馬(?)としても十分使えるし、

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かつての様に鼻ずらを引き回されることもなく、広い牧場と自由が私にはあるのだ。

多分これまでのどの時代よりも、何倍も有意義に充実して過ごすことが出来るのではないか。

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この30年間のランニングのお蔭で、体調は良好どころか、恐らく40代の体力を維持している。

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知力に関して自信がある訳では無いが、取り敢えず四六時中の英会話レッスンに堪えている。

携帯プレイヤーを買って、走っている時や農作業中にも英会話のレッスンを続けている。

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全ては、これナミブ砂漠へと繋がっているのである。

そして、これからの人生には出会いとトキメキが不可欠だが、これには手ごたえがある。

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60歳を過ぎたあたりから異性と自由に口が利けるようになって、(無害になったってことかな?)

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信頼できる異性の友達も飛躍的に増えているんだ(エヘン)。

さて問題の財力だが、男一匹動き回るのに何の不自由があるものか(?)、要は何とかなる。

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つまりこれからの十数年、やりたい放題のことが出来るのである。

これを「人生は、これから黄金期」と言わずして何と言おうか!!

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自分のできる限りのことに挑戦して、思いっきり泣いて笑って、友と抱き合って、そう言う人生をこれから送りたい。

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私の人生は、これからの為にあったのだと。

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2017年11月22日 (水)

馬齢を重ね来て

今日は24節気で言う「小雪」とかで、今年も残り少なくなったなぁ〜と思う。

毎日その一日が過ぎてしまうのを惜しむかのように、あちこちと走り回っている。

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走り回ってはいても、どうやら時の経つのは一向お構いなしで、そうしてこの節目の年が過ぎ去ろうとしている。

近頃ではマラニックに行っても、時たま「御爺ちゃん」と呼ばれる様になっている。

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気持こそ若いけれど、確かに頭は薄くなったし、顔立ちだって少しずつ老人ぽくなっている。

今朝は街頭に立っていると、同級生が通りかかって、「どうも、足の具合が悪くって・・」と言っていた。

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顔を見れば血圧の高そうな様子で、この人の寿命は俺より短かいななどと、勝手な想像をしていた。

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他人のことはともかく、男の70歳は(健康寿命を考えれば)確かに大きな節目だろう。

そんな気持ちもあってか、少しばかり生き急ごうとしている自分がいる。

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かと言って何が出来る訳でもないが、「いまから帳(エンディングノート)」を書こうとか、

未知の経験(知らない土地を訪れることや新たな挑戦)の機会を窺ったりしている。

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人生と言うものは、過ぎ去ってしまえばそれだけのもので、僅かに記憶が残されるだけだ。

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馬は何を考えて生きるのか知らないが、その馬の生涯だって私達とさして変わらない。

稀に俊足に生まれてダービーを飾る馬もいるが、多くは私の様な駄馬で終わるのである。

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思えばこの70年、失敗に失敗を重ね、その度に立ち直って馬齢を重ねここまで来た。

水を飲もうと首を伸ばし、水面に映る我が姿を見れば、それはそれかなりの老馬である。

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はてさてこれから何処に向かおうかと、初冬の空を見上げてみる。

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2017年11月21日 (火)

島を行く

猿や犬、雉を引き連れて、桃太郎が鬼退治に出向いた島は何処にあるのか?

豊島の近くにそれらしい島があるようだが、この多島美の世界を眺めていれば、そんなものは何処だって良いのだ。

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島には島の、かつての半農半漁の生活が醸し出した独特の雰囲気があって、それはさも別世界を思わせる。

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独特な板塀の村の佇まいや地蔵堂、それに植生や岩肌にだって、少しばかりの旅情を感じてしまう。

何せ少し歩けば直ぐに海岸に出るし、その目前に幾つもの島が浮かんでいるのである。

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直島の宿でwifiはと尋ねると、「島じゃけん、そんなもんありぁせん。ベネッセにゃ、TVもありぁせんのじゃ」とのオヤジの声であった。

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今時離島だからって、TVもネットも無いなんて考えられないが、それもしょんないかと思わせる。

ともあれ、島には島での暮らし方があるのである。

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とは言え、島の暮らしは(直島にはコンビニが一軒あったが)何につけ楽じゃ無い。

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医師にしろ学校にしろ、買い物にだって本土に出掛けることになる。

それに近年の過疎化(高齢化と相俟って)は、かつての村の賑わいを昔話にしてしまう。

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豊島では丁度公民館祭りが開かれていたんだけど、あまり人影は観られなかった。

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島々は昔のままにのどかに静まっているのだけれど、その中身(現実)は大変だ。

その島々を舞台に、ベネッセホールディングスと福武財団が現代アート活動を展開している。

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島の自然を借景に造形の価値を問おうというのだろうか。

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そんなアートを訪ね歩くうちに、効率美に慣らされた感性も徐々にゆったりとしてきて、

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人間の生活って、もっと無駄(?)に溢れていた方が楽しいんじゃないかと思う様になる。

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そもそも、私達の生存にしてからが、そも無駄以外の何物でもないんだしね。

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島を巡りながら、何故か晩唐の詩人「杜牧」の七言絶句「山行(さんこう)」を思いだした。

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 遠上寒山石径斜 (遠く寒山に登れば 石径斜めなり)

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 白雲生処有人家 (白雲生ずるところ 人家あり)

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 停車坐愛楓林晩 (車をとどめてそぞろに愛す 楓林の晩)

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 霜葉紅於二月花 (霜葉は 二月の花よりも紅なり)

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2017年11月20日 (月)

島巡りの心

直島の宿で朝食を済ませ、宮浦港から豊島の家浦港まで高速船で20分余である。

折からの寒波到来で、海面は冷たく波立っていたが、80人乗りの船は満員であった。

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変なパンプキンの芸術の島・中島をたって、10時前に島に着くと、寒風の港で永田夫妻が出迎えて下さった。

永田さんはこの豊島に縁があって、随分以前から半住されているのである。

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そう、和でアットホームで、少しばかり退屈だけど、老後を暮らすにはもってこいだという。

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永田さんに荷物をお願いして、早速私達は豊島半周のマラニックにと出掛けたのである。

直島同様にかつてこの島は公害(産業廃棄物処理)の島として知られ、その後始末が今年の春終わったばかりである。

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そして勿論今日では環境と芸術の島になっているのだが、人口減少と反比例して猪と巨大ネズミの増加に悩まされているらしい。

その芸術の代表が豊島美術館で、建物の奇抜さはもとより、展示の中身は融通無碍の水粒である。

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この変幻自在の面白さを理解するにはかなりの感性が必要らしく、私の様な俗物には猫に小判だ。

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という訳で、私はこの周辺の自然を満喫して満足し、永田さんのお宅に向かうことにした。

島の自然はあくまでも喉かで、家島や八栗山などを始め、瀬戸内海の島々がパノラマの様に広がる。

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青い空とそしてまた青い海の間に、沢山の貨物船が浮かび、瀬戸内海は太古の昔からの物流の海なのだった。

巡り行く沿道にはオリーブやミカン園が続き、そしてその上には壁状にそそり立つ岩山が聳えている。

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12:30頃甲生の永田さん宅に着くと、夫妻が昼食の用意をして私達を出迎えてくださった。

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もちろんビールも戴いて旅の疲れ(さして走っていないのだけれど)を癒すことになった。

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茹でたての鳴戸タコやら、特製のカレー、それに島特産のイチゴまで戴いてしまった。

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一杯になったお腹を抱えて3kほど走って家浦港へ、帰りの便は14:00発である。

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ともあれ「芸術とは何だろう?」と語り合いながらの二日間は、アッと言う間もなく終わってしまった。

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確かに中世以降の油絵の時代は去って、私達の生きる三次元空間をどう把握するかになりつつあるようだ。

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私達は毎日すべてを見ている様だが、しかしそれは実は自分の思い込みなのかも知れない。

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だってあなた、水滴の一粒一粒をとくと眺めたことがある?

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その水滴にだって、摩訶不思議な造形の世界が繰り広げられているんだから。

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芸術ってのは、私達の人生も、そういう自然の一部分だってことを知ることじゃなかろうか。

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2017年11月19日 (日)

直島と言うところ

瀬戸内海は香川県の、直島を走ろう(マラニック)とやってきた。

かつて宇高連絡船の港だった宇野港からフェリーで30分余りで、直島の宮浦港に着く。

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12:00、宿に荷物を預けて島一周のランで、おり良く雨も上がって来ていた。

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直島は瀬戸内ビエンナーレの中心的な島で、地中博物館を始め多くの美術館が集まっている。

その幾つかを訪ねながら、島の秋を楽しもうという志向である。

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しかしこの直島は、50年ほど前までは禿げの島として知られていたらしい。

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近郊の銅山から掘削された鉱石集めて、この島に胴の一大精錬所があったからである。

この精錬所からの排ガスで、草木も生えぬ島になったらしいのだ。

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ともあれ時代は変わって、島を作り直すにあたって、安藤忠雄さんなどが一肌脱いで、芸術の島づくりが始まったのである。

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港にはこの島のシンボルの水玉模様の大きなパンプキンがあって、先ずはここを覗くことから始まる。

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島を巡る道中あちこちにアートが点在している訳だが、はてさてこいつを理解するのは中々に難しい。

私なぞは、徐々に晴れてきた瀬戸内海の島々を眺める方が、遥かに芸術だと思ってしまう。

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それでも安藤さんの労作である地中博物館は、凡庸な感性を刺激してくれる何物かがあった。

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しかし、これらの美術館を訪ね歩いている多くの人達が、実は日本人では無く外国人なのだ。

オランダ人や中国・韓国人、黒人の姿も見かけたが、私達が訪ねるのも大変なこの地に、世界各地からやってくるのだから凄い。

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それもその吸引力は、アートなのである。

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人間の作り出す非日常と自然の造形のハーモニー、その成せる業と言ってもいいだろう。

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私達だって、その後の幾つかから何かを感じ様としてやってきたのである。

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公害と精錬所だった島が、いまや世界に知られる独得な島になっているのである。

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余談だが島銭湯(♥の湯)なる風呂があって、これが浮世風呂風で外国人に人気の風呂なんだ。

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少しエロチックに作られていて、これも日本の文化なのかなぁ??

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2017年11月17日 (金)

人生って何じゃろ

天高く風もなく、山を走るには絶好の日よりになって、何時もの様に心地良く汗をかいてきた。

林間を抜けながら、フッと「何時まで、元気で走られるかな?」と思った。

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何時かは何らかの理由(故障)で引退することになるのだろうなぁ〜と思いつつ、

その思いは「何故走る?」から「そもそも、何故生きる?」に発展してしまった。

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この70年、ひとかどの事をして来たんだし、取り敢えずの懸案とてなくなって、己の役割は終わったんじゃなかろうか。

しかるに綿々と生きようとするのは、何故なのか?

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現実に、我が身が明日消え去っても、とりたてて困る人とていないのではないか。

毎朝通学する子供達が「あのおじさん、死んだんだって」と会話するくらいだろうか。

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ともあれ人が長生きしたいのは、普通は楽しいこと(現世的快楽)をしたいからだろう。

いやつまりその、ご馳走を食べたり笑ったり、セックスしたり娯楽があったりってことだろう。

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それは、せっかく生きているなら、人生は楽しいことをした方が良いに決まっている。

だけどそんな快楽はたまにあるから良いんであって、所詮胃の府にも限度があるんだしね。

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つまりさぁ、長生きをしたかったら、その目的が必要だよねってこと。

人の役に立つとか、ライフワークやそれなりの目標を極めるとかね。

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ともかく、のんべんだらりんと長生きしても性がないなぁ〜って思った次第である。

さはさりながら、身体健全にして頭脳明晰(?)取り立てて言うことは無いから、向後10 年は生きるのではないか。

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農作業はエンドレスで続くから良いとしても、やはり他なる目標が何本かは必要である。

案外、長生きするってのも大変だなぁ〜って思う。

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2017年11月16日 (木)

期せざるも

人間長いこと生きていれば、それは思いがけず色々なことに遭遇して当たり前。

事件・事故や災害はもとより、四苦(生老病死)八苦は付きものである。

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それに先のことを知って生きている訳では無いのに、あれこれ詮索しそれを恐れて生活している。

先のことなんてどうでも良いのに、交通事故に遇うんじゃないかとか、癌になるかも・

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呆けるかもなどと、折角のこの今の安寧(幸せ)を取り逃がしているのである。

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そうさなぁ〜、事故で明日死ぬかもしれないし、人間常に先のことは分からないものだ。

今日の葬儀も、元気な人が体調不良で医者に行って3週間、急性白血病とかで急逝した。

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そう言う意味では正にピンピンコロリだが、人間の命の儚さを考えてしまう。

「いや、俺は絶対死なない」と思っている私だって、何時かそれなりの時を迎えるのだろう。

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それも残された時間は、決して多くはない訳だから、うろうろしてる暇は無い。

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それが仮に生き急ぎだとしても、もう既に遅くはないのである。

行く先々をおもんばかって、慎重に慎重な人生を歩いてきた私だけど、もう制約はいらない。

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出来れば破天荒な(無理だろうな)生き方が出来れば、面白いのではないかとも思う。

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何の波乱もなく生きて死ぬのも一生、波乱万丈涙と汗と笑いの一生だってそれはそれ。

さっき旅立った故人は、破天荒な女房を支え続けて終えた、幸せな方だった。

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人間には人それぞれの生き方がある訳だが、それは必ずしも予期されたものじゃない。

生きたその時代や共に歩む人に影響されつつも、やはりそこに自分の人生を活かしたい。

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弱冠70歳、さてこそこれから何処に向かおうか?

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2017年11月15日 (水)

人生サバイバル

先日ご一緒したIさんが、「結局、俺だけが生き残ったよ」と述懐していた。

学生時代のワンダーフォーゲルを始め、登山や事故・病気で次々と仲間が亡くなったという。

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その皆から「お前が、一番先に死ぬ」と言われていたIさんが、何故か生き残ったのである。

彼は73歳になるが、今も世界各地で開催されるグレイトレースの常連でもある。

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私達はともすれば、生まれてから死ぬまでヌクヌクと無事に何事もなく過ごして、それが人生だと思いがちだ。

だけどどうだろう、人間も動物の一種で、鳥や獣達がヌクヌク生きるなんて出来る訳がない。

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それは壮絶な生存競争を生き抜いて、やっとのこと子孫を残しているのではないか。

私達も様々な試練を経て今日に至るのだが、自然界に照らすと、楽して送ろうという人生観こそ不自然だろう。

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安楽な日々を過ごして、そのまんま焼き場に運ばれて骨になるなんてんじゃ、人生の意味がないんじゃないか。

実は今日は親戚お通夜の帰りで、殊の外ひとり人間の死なるものを思っている。

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人は誰もが何時かは死ななければならないのだけれど、それまでの間にどう生きたかが肝心ってこと。

人生に苦労は付きものだけど、楽して生きた人生には中味がないってことだ。

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かく言う私にしても、これまでどれ程の困難に直面したかと考えても、案外時代の流れに助けられて楽ちんに生きてきたのかも知れない。

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「より善く生きる」とは、中々にして難しいことなのだ。

ともあれ、私もこの古希の歳まで生き残った訳だが、残りのこの命を如何すべきか?

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月日の流れは無常なものと知りつつ、明日の葬儀に参列して、とくと考えてみようと思っている。

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2017年11月14日 (火)

楽しく苦しみて後笑う

どうやら人間と言うものは、苦しかったり大変だったことは、早々に忘れてしまうものらしい。

その代わりに楽しかったことは何時までも覚えていて、ともかく不思議な生き物なんだ。

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それで、完走の感激、仲間との楽しかったひと時が積み重なっていくから、直ぐに苦しかろう次の大会にエントリーしてしまう。

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そんな次第で私なぞは、年がら年中あちこちの大会に出張っている訳だ。

先日の南伊豆みちくさマラソン75kも、村々が競い合ってのエイドやユニークな案山子、

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岩肌を洗う荒波や勇壮な景観などの一方、これでもかこれでもかとアップダウンが続く。

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それに今回のような嵐に遭遇することだってある。

それでも困難を押してやり遂げれば、それに倍増する喜びが待っているのである。

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大会のコース表示は矢印で十分なのだが、この大会はいちいち案山子を立てていて、

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その服装や表情も個性的で楽しめるし、工夫して食材を出して下さるエイドの皆さんとのやり取りも、一瞬のことながら心温まる。

50kを過ぎて心身ともに疲労が重なってくるが、共に走るランナーとの会話がその疲労を軽くしてくれる。

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それも走友との会話は、体の真底から出てくるやり取りだから、互いに素直なものだ。

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その苦しいレースが終われば風呂に入って、まさに楽しい懇親の場が待っているんだ。

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老夫婦の旅では決して味わうことのできない、心の開放がそこにはある。

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もちろん話題はその日のレースだが、思いっ切り笑って、その一日の苦しかったことを吹き飛ばしてしまう。

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ホンに、人生苦もありぁ楽しみもあるってなもんですねェ。

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2017年11月13日 (月)

また秋を送る

既に11月も半ば、立冬(7日)すら過ぎたのだから、もう今年の秋もそろそろ終わりである。

何故か一年で最も物憂い時期でもあって、夜長をすごすうちに、ついついあれこれと考えてしまう。

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その最大のテーマが、我が秋を如何に過ごすかなのだが、やはり冒険だなとの結論になる。

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それは、そろそろゴールが見え始める頃合いだろう・・・との思いと相俟っている。

何歳まで生きるのかは別として、精一杯動き回れるのは80歳程度だろうから、

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出来る冒険は、今の内に何を置いてもせずはなるまいと決意している。

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異なった環境下に身を置けば、これまで思いもしなかった様な感慨を得るかも知れないし、

それは困ったは困ったで、これまでの人生だって、幾つもの谷川越えてきたのだし。

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残りの人生を考えりゃ、仮に行倒れたって惜しくはない(?)って気にもなれる。

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そうだ、思い切って羽目を外して、これまで出来なかった事をやってみるんだ。

考えてみると私の半生は安心・安全がテーマで、字のごとく型通りの生き方をしてきた。

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てもさ、いつまでもそれじゃ、何となく味気ないし、「俺は生きた!」って感じにもなれない。

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良いじゃない・・・嵐の中だろうが、砂漠だろうが、精一杯そこで自分の生を感じることができれば。

英語の短かなフレーズを何度も繰り返しながら、あの茫漠たる砂漠に立って、自分は何を考えるだろうかと想像している。

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砂漠などと言うものは、私の少年の頃観た映画、アラビアのロレンスのイメージだろうか。

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砂漠を身近に生きてきた逞しい人々と私達の暮らし、その大自然の織り成す風景に身を晒してみたい。

この古希を迎えた痩せ老人が、沙漠の只中で如何に振舞えるかは行ってみなければ分からない。

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だからこそ、挑戦する価値があると思っている。

江戸期の舘流湾の七言絶句に「秋尽」があって、私は座して秋を送るまいと思った。

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 静裏空驚歳月流 (静裏 空しく驚く 歳月の流るるに)

 閑庭独座思悠々 (閑庭に独座して 思い悠々たり)

 老愁如葉掃難尽 (老愁 葉の如く 掃えども尽き難く)

 蔌蔌声中又送秋 (ハラハラと散る落葉の様に 又秋を送る)

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2017年11月12日 (日)

江川の系譜と英才

昨日のみちくさウルトラマラソンの帰り道、韮山代官だった江川太郎左衛門邸宅を訪ねた。

何度も訪れている重要文化財の史跡で、建物は戦国末期のものだが豪壮なものだ。

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幕末の36代坦庵は屈指の英傑として知られ、独学で反射炉を築いてお台場の砲台を作りあげたし、

農兵(ノウヘイ節を作った)を組織したのも坦庵だし、韮山塾の開設を始め洋式帆船の建造、

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天然痘の予防接種を始めたり、この国でパンを始めて(兵隊の食料として)焼いたのも彼だ。

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それに加えて、数多くの書画や刀などの工芸品、詩作などを残し、文化人としても知られる。

江戸幕臣と言えば盆暗揃いかと思いきや、坦庵(や小栗上野介)の様な英傑もいたのである。

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実はこの江川家の始祖は、源満仲の二男宇野頼親で、保元の乱(1156)を避けて伊豆に定住したと伝わる。

後に源頼朝の挙兵に応じて、頼朝から江川庄を与えられて地盤を固め、江川を名乗る。

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次いで北条が早雲伊豆に進出すると自ら韮山城を築き、北条の家臣となるのだが、

やがて徳川家康の代官となって、伊豆のみならず駿河、甲斐、武蔵、相模の天領を管轄することになる。

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幕末には20万石ほどの力があったらしく、その殿様が自ら様々な足跡を残したのだから素晴らしい。

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しかも渡辺崋山や高野長英、佐久間象山らと交わり、当時の幕府の政策(海防整備など)にも大きな影響を与えている。

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多くの場合、時代がその人材を産み出すのだが、大名格の代官がその人材となった稀有な例だろう。

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因みに、廃藩置県となって韮山県が生まれるのだが、末裔がその初代県知事となっている。

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2017年11月11日 (土)

豪雨に暴風そして晴天へ

風呂には入ったばかりだが、未だ放心状態のままパソコンのブログを開いている。

ともあれ昨夜は、眠れない夜の朝が来て、午前3時会場への移動準備が始まる。

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外はどうやらかなり温かで、雨も降っていない様子である。

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会場で朝食をもらって、一行15人と共に、テントの風下で車座になって朝食を済ます。

これも、この大会ならではのことで、民宿の早朝を心配して大会が提供するのだ。

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スタートは午前5時、100k・75k共に一斉スタートし、直ぐにコースが別れていく。

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勿論、辺りは真っ暗だから、ヘッドライトの明かりが頼りだが、雨はまだ落ちていなかった。

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それが5kほど進んだあたりから降り始め、降ったり止んだリを繰り返しつつ雨脚は強くなっていく。

弓ヶ浜の当たりからは土砂降りになって、かてて加えて伊豆半島の突先のこととて猛烈な風が吹く。

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幾つものトンネルを通過するのだが、中は風洞状態で、正に吹き飛ばされる寸前になる。

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石廊崎の手前まで来ると(27k地点)、高波と暴風で岬まで行くのは危険とUターンとなった。

それでも仲間に励まされつつすすんでいると、9時過ぎから空が明るくなってきて、一面の青空となった。

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じつはこのみちくさマラソン大会はエイドが有名で、集落ごとにご馳走を準備してくださっている。

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次のエイドに向かう元気が出るというか、とにかく山を一気呵成に下って、波勝崎(53k)へ。

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その波勝崎は晴天なのに、立っているのがやっとの暴風雨である。

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早々に急な坂道を引き返して、一路ゴールを目指したのである。

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何しろ半島部のこととて、斜面ばかりのコースて難航したのだが、11時間37分でゴールとなった。

そして、勿論その後はみんなで楽しい懇親会である。これが良いんだよなぁ〜。

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2017年11月10日 (金)

人生のそれぞれの時期

私達生物の体は、生まれ育ち、やがて必然的に老いてゆく、その自然の摂理をたどる。

誰もが抵抗できない現象だから、それぞれのその時期に出来ることをせにゃいかんのだ。

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私など振り返ってみると、あの頃にあの若さを使って、もっと色々とで来たんじゃないかと考えたりする。

今更悔いても詮無い訳だが、そんなことが分かるのも若さを失いつつあるからなんだと思う。

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若さを失うったって、そりぁ70歳だから、もとより若くはないと承知している。

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しかし年寄り「らしく」しようとはまったく思わない訳で、今出来ることは何かと目を凝らしている。

古希を越えた男の強みは、若い人達よりも随分と経験(失敗)の厚みがあることだ。

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それなのに近頃の年配者は、(時代の変化についていけないこともあるが)あまり尊敬されない。

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それは人生経験の厚みと言うよりも、ただ歳を重ねてきただけで、中身のないことに由来する。

鶴や亀だって生きているだけで歳を取る訳だが、それと同じであまり賢いと思われない。

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敬老会が行われているが、どうもあれは唯の長寿を祝う会であって、決して敬っちゃいない。

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それもこれも、人生のそれぞれの時代を精一杯生きてこなかったからじゃないか。

そうした反省をしてみると、今からの時期が肝心だと思わざるを得ない。

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へろへろしてりゃ直ぐに人生が終わっちまうし、あれもこれも今やるっきゃないと思うのだ。

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と言う訳で、今夜は南伊豆を訪れている。

そして明日は、石廊崎や波勝崎・長者ヶ原を巡って75kを走るのである。

残念ながら雨予報だから、あの絶景は望めそうもないが、心と体を精一杯リフレッシュするつもりだ。

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2017年11月 9日 (木)

村境のサイの神

先日辿った千国(ちぐに)街道には、その村境に決まって様々な石塔や大きめの石があった。

それは道祖神や馬頭観音・庚申塔、更には大日如来だったりするのだが、

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松や杉の古木を背にして街道に向かって立っている。

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小谷村には大日如来と書かれた石塔が多く、これは牛頭観音の代わりに置かれたとあった。

しかし、真言宗では大日如来は宇宙の中心に位置し、諸仏を生み出す仏とされている。

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ともあれ、この街道では馬や牛それに人だって行倒れただろうし、

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雪深い所だけにさすがに信仰心の篤い地域なんだなぁ〜と思いつつ通り過ぎていた。

この石塔群は必ず村境にあるから、ショイコを背負ったボッカや旅人には道標にもなっただろう。

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だけど実はこの石塔群は「サイの神」と呼ばれ、昔の村の境界線のシルシだったのである。

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虫送りなどの宗教的意味もあって、邪悪なものをサイの神の向こうに放りだす行事すらあった。

随分身勝手なやり方だが、順送りすりゃ良いだろうってな具合に考えていたのかどうか。

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ともあれサイは際でもあり、犯罪や疫病から村を守る村社会の営みで、宗教的な境界線「結界」を意味していたのだ。

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昔は、村が違うだけで国が違うほどの、人々の心を含め諸々の違いがあったんだろうな。

ついでに東北地方では「ドンド焼き」や「左義長」もサイの神と呼ばれていて、

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これは冬から春への季節の結界だとされる。

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ともかく村々を幾つも通りすぎて、その度に石塔の群れや湧き水に心癒されたのだが、

古くからの街道を辿ると、そこにはその歴史の分だけ、幾つもの物語がある。

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近世では明治44年の稗田山の大崩落で多くの人が亡くなったが、そこには幸田文の歳月茫々碑があった。

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まさに野を越え山を越え、千国街道は続いていたのである。

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2017年11月 8日 (水)

年齢の声

かつて古希などと言えば、腰は曲がり歯は抜け落ちて、それはかなりの爺(婆)さんに違いなかった。

しかしこの私も古希の峠を越えたのだけれど、一向にその爺さんの自覚が生まれてこない。

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かてて加えて長寿が当たり前になって、癌の要素が克服されれば平均寿命は90歳を軽く超えると言う。

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長寿は喜ばしいが、さりとてあんまり長生きするのも如何なものかと思う。

73歳で亡くなった孔子が「吾十有五にして学に志す。・・・七十にして心の欲するところに従いて矩を越えず。」と言い残している。

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これは15歳から70まで学んでやっと成就したってんじゃなく、人生の様々な段階を経てきて、そして70の声を聞いてやっと人生が分かったと言うほどの意だろう。

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而して、孔子ならぬ愚鈍な存在である私ごときが、70だからって人生を感得し得る筈もない。

とは言え、幾ばくかの経験の積み重ねだけはあって、それも多くの失敗を繰り返してきただけに、少しくらいは賢くなっているのかも知れない(?)。

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さりながら、自分自身この古希という年齢に納得している訳では無い。

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いやさ、この数字が自分の年齢(我が肉体が経てきた年月)だとは、とても思えないのである。

それは多分、人は老いる、そしていずれ死ぬという事実を受け入れたくないのだと思う。

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それはともあれ、80歳までの十年を悔いのない様に生きること、それが私の最大の課題だ。

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80歳までピンピン動き回って、その後は出来るだけ速やかにころりとこの世を去ることだ。

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それが叶えば、その後はあの世の様子を、あれこれとブログに書くことかなぁ。

ともかくも自分の年齢の声を聴きながら、「はて自分は、人生と言うものがどれ程分かったのか」と振り返ってみている。

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2017年11月 7日 (火)

安穏を廃して

全ての公職を辞して以降、かつてない平穏な日々が続いていて、その平穏に危機感を覚えていた。

このぬるま湯に浸かっていると、何時か「ゆでガエル」の様に成るのではとの危惧である。

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毎日が平穏で何の不満があるのかと言われそうだが、不安や危機感のない人間は没落する。

現実に企業を潰すのもこのての人間だし、老化を促すのもこの無気力である。

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アメリカのトランプ大統領が心地良く去っていった(だろう)が、米国の活力はフレキシビリティにある。

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アメリカの国益最優先を掲げたトランプの人気も、その何をしでかすか分からないところにあるらしく、この国の歴史を変える原動力でもある。

そもそも大統領が変われば省庁の幹部が総入れ替えとなる国だから、大統領の存在は日本の総理大臣とは雲泥の差がある。

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どうやらその不安定さが、米国の若さを保つ秘訣らしい。

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トランプのカードにはジョーカーがあると不安だからこそ、北の若きロケットマンも安易にミサイルを発射できなくなった(?)。

大分話が逸れてしまったが、米国の活力の源泉は社会の危機感や生活の不安定さにあるようだ。

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ともあれ安寧な毎日に突入してみると、改めて自分の内に不安が必要だと思う様になった。

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そりぁ〜健康や老化、嫁さんの不機嫌などと面白くないことは幾らもあるが、そんな微々たる不安ではない。

ぬるま湯に浸かって老いていくことへの、この多いなる不安である。

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言葉を変えれば自分への課題であって、何歳になろうが果敢な挑戦と、そいつを成し遂げるための不安が必要なのである。

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而して、今回の砂漠(グレイトリース)への挑戦は、私の最大の活力源になりつつある。

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2017年11月 6日 (月)

歳と生き様

昨日まで訪れていた白馬には、「塩の道の会」が組織されていて、古道の保全や維持に大きな役割を果たしている。

我らが走友のさおりさんもその一員で、今回私達が訪れたのも、道の会の存在のお蔭である。

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会の会長さんは90歳位の方で、会員の大部分が団塊の世代以上だと伺った。

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その人達の活動の結果「塩の道まつり」などが開催されるようになり、この街道を歩く人も少しずつ増えているらしい。

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確かに歩くに相応しい歴史の古道で、番所跡や牛方宿、石仏、稗田山崩落(幸田文文学碑)など、この山里に生きた人々の息遣いを感じることができる。

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そして、その人々の歴史を地域の価値として浮かび上がらせようと言うのが、会の目的だ。

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目の前の生活で手一杯の若い人達では覚束ないことを、年配者がコツコツと続けている。

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それは120kもの沿線を維持するのだから、草刈りだって容易に出来ることじゃない。

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でもこの試みは、少しずつ花開いて来ていると感じた。(道に迷った私達を誘導して下さったのも会員だった。)

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殊に新潟県側の「大網峠越コース」は、登山コースとしても秀逸なのではないか。

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話は変わるが、糸魚川市「塩の道資料館」を管理する78歳の女性のことを考えている。

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以前は雨飾温泉で働き、近在の山に登るのが唯一の楽しみだったという。

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地元根知に生まれ育ち、この地に土着してきた女性で「もう、婆さんだから・・」と言う。

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古希になったばかりの私と幾つも違わないのに、見かけたところ確かに古老の趣がある。

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その女性の言葉を聞きながら、「私も、残り8年でどう変わる?」かと、幾ばくの不安を覚えた。

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足腰が弱ってとおっしゃりながらも、この仕事(資料館管理人)に生甲斐を感じておられる様子で、懸命に私達をもてなして成してくださる。

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「ボケ防止」との言葉もあったが、高齢者にとってボケは重大な脅威だ。

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「俺は、絶対に呆けない」と思いつつ、それは分からないよなぁ〜って気もする。

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古希の坂を越えた私が、これまで通り活動できるのは何時までなのか、・・それが問題だ。

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来年の沙漠への挑戦は、どうやらそいつを見極める試金石となりそうな気がしている。

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そうだよね・・今日を漠然と生きてたんじゃ、俺達古希を過ぎた人間にゃ明日は無いんだから。

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2017年11月 5日 (日)

大網峠を越えて

走友のペンション(白馬)で目を覚ますと、昨日とは打って変わって、どうやら晴天らしい。

早々の朝食を済ませて7:30には宿を出、昨日のゴール地点(平岩)まで戻って、

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今日は大網峠(840m)を越えて、糸魚川の根知(宿)までの15kを辿るのである。

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先ずは出発地点でラジオ体操を済ませ、好天のためか浮き浮きと山道を登り始める。

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ひと山越えて麓の集落を抜けると、そこには高札跡や六地蔵があって、峠越えの安全を祈願した場所だという。

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すると直ぐに道は嶮しくなって、横川の吊橋を渡ると、そこからは正に街道と言うよりも登山になった。

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それも渓流登りと言うか、渓流そのものが滝の様な流れの連続で、その沢をおそるおそる渡ったり、

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ともすると滑落しかねない場所の連続で・・・こんな所を荷を背負って牛やボッカが辿ったのかどうか?と訝しみながらも、

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これでは峠越しを前に安全祈願をしたのは当然だっただろうと合点した。

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たかが800mの峠と思っていた考えは一転消え失せ、本格的な登山だと気持ちを入れ替えることになった。

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登ること二時間半、やっと峠に近づくと辺りは一面のブナ林となって、

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根元が雪に曲げられつつも、その独得な景観を作り出していた。

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輝く紅葉とブナの幹の織り成す風情に心躍るというか、此処に来て良かったと思わざるを得ない。

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暫く進むと大網峠(840m)に出て下り始めるのだが、新潟県側の糸魚川に入って直ぐの所に「白池」がある。

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この白池にでると私達は、息を飲んでその景色を見つめ続ける他なかったのである。

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濃青の泉に映る紅葉と冬を待つ樹木のたたずまい、その借景には雨飾山が聳えている。

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自然の何という造景なのであろうか・・・かつてここに白池諏訪神社が設けられていたのも、至極納得がいく。

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私達はこの峠越えに予定を大幅に超過して時間を費やしたようで、その景色を惜しみつつ下りを急ぐことにした。

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峠をほぼ下った辺りに至ると、その道脇に「塩の道資料館」があった。

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この険路を塩を背負って超えたのだろうかと疑っていたただけに、その真偽を確かめなければなるまいと立ち寄った。

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78歳の女性が一人で管理するその資料館に入って、先ずは47kの塩(一俵)を括りつけたショイコがあった。

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このショイコを動かそうとしたのだが、これが(驚くこと二)ビクとも動かないのである。

ともあれみんなで囲炉裏端に座って、お婆ちゃんの話を伺うことにしたのである。

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登山好きだって管理人の婆ちゃんは、久しぶりに闖入してきた私達を大歓迎してくれたのである。

さても昔の人達は凄かった。藁草履で雪の中を重いショイコを背負い、この峠を越えたのである。

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糸魚川から松本までの120kを5〜6日で運んだと伝わるが、それに比べれば私達は甘い。

この二日間で50kを、しかも軽装でやっとのこと走ったに過ぎないのである。

しかし、山また山の越後から信州へと、人々の営みは厳然として続いていたのである。

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2017年11月 4日 (土)

千国街道を走る

東洋で産する絹や胡椒を欧州に運ぶ為に、崑崙山脈や砂漠を越えて続く道(シルクロード)が開かれた。

ラクダを引き連れた商隊が、その困難な旅に成功すればそれなりの対価を得ることが出來たからだ。

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この島国にも、古くから必要不可欠な物資を運ぶために、無数の街道が開かれていた。

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越後の糸魚川から信州に塩を運ぶ道もその一つで、松本城下まで山を越え、更にまた山や谷を越えて30里(120k)続く千国街道である。

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戦国時代の末期、今川義元が桶狭間で討たれると今川氏が衰微し、武田信玄は今川氏真を見限った。

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それに腹を立てた氏真は、遠州から供給していた塩を甲州に運ぶことを禁止した。

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いわゆる塩止だが、それを見かねた仇敵のはずの上杉謙信が、敵に贈ったのが糸魚川の塩だった。

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言うまでもなく塩は人々の生存にとって必要不可欠な物資で、岩塩を産しないこの列島では海塩を手に入れる他ない訳で、よって「義塩」の故事が生まれたのである。

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日本海で産した塩や海産物は、この千国街道を辿って信州に供給され、信州からは麻やタバコが送られた。

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雪深い所だから、冬季はボッカと呼ばれる人足が(塩一俵47kをショイコに背負い)隊を成して往き交った。

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雪解けの八十八夜になると人足から牛(背に2俵を括り付け)に変わって、雪が降るまで続いたという。

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ともあれ今日からは、その千国街道を探索しつつ走るマラニックである。

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それが太平洋側の晴天裏腹に朝から生憎の雨となり、参加した8人は雨と寒さに苦しめられることになったのである。

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この条件を除けば、全山を覆う紅葉と程良く管理された古道を辿るこの旅は素晴らしかった。

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街道沿いに残る無数の道祖神や馬頭観音、庚申塔、街道に沿って流れる渓流、それは・・

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古代から近世(明治中頃まで)まで続いた物流街道の趣を十分に彷彿とさせてくれた。

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峠を幾つも越えるのだが、その途中で会った親父さんは「昔は、ここに40戸があったんだけど、

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今は3戸になっている。それも雪(3m超)が降ると誰もいなくなるんだ」と往時を懐かしむ。

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それは、時代と共に街道の盛衰は顕著で、だからこそ私達が辿る意味がある。

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今日の雨の中の走行時間は6時間余、早々に宿に帰って明日に備えることにした。

一時間半に一本の電車が発車する7分前、やっとのことでゴールの平岩駅に着いた。

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2017年11月 3日 (金)

古稀な若者

少年の頃の夢は外交官になろうとか、小説家だとか何とか・・兎に角夢は多かった。

それが高校を卒業する頃から俄かに現実的になって、平穏に家庭を持ってサラリーマンを終えた。

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つまり夢や希望をどんどん小さくしながら、とうとうここまで来たのである。

人間が歳と共にそれなりに変わるのは当たり前だが、問題はその変わり様なんじゃないか。

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私の頭髪も年々薄く寂しくなったし、アチラの方だって寂しいもんだが、そいつと反比例して好奇心がますます旺盛になっている。

あれもやろう、これも出来るかもって具合に、いわゆる先祖帰りと言うヤツである。

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定年後を余生などと言う人がいるが、そもそも余生とは「余計な人生」のことであって、

人生に余計な期間などあったんじゃ、たまったもんじゃない。

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人間が変わっていくのは当然だが、その肉体の衰えに惑わされるのは愚の骨頂だ。

その気になれば、(心がけ次第で)出来ることは幾らでもあるんじゃなかろうか。

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あの武蔵の五輪書に「いつくは、死ぬる手なり」「いつかざるは、生くる手なり」とある。

「いつく」とは動かないと言うことで、人間はドンドン動かなければ衰えると諭している。

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剣の極みだが、私達だってドンドン変わりながらその「今を生きる」のが肝心なんじゃないか。

地位も肩書もなく、年金を頼りに細々暮らす身分だが、だからと言って老い入ってはなるまい。

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「少年老い易く学成り難し」と言うが、確かに老い易いのは少年の頃の夢や希望であって、

今改めて、少年に帰ったつもりで羽ばたいてみたいと思う。

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而して先祖帰りで結構、いよいよ古希にして若者を演じようと思っている。

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2017年11月 2日 (木)

もはやマイペース

昨夜は中学生の孫娘が7人の友達を連れてきて、誕生パーティなるものをやっていた。

始終笑い声が響いてきて、何でも知りたがる年頃だけど、付き合いの面白さも知り始める頃だ。

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私の頃(団塊の頭)には、極論すると同級生はみんな競争相手で、そんなパーティーなんて聞いたこともなかった。

ともあれ今時の子供達は、友達が多いほど幸せと思っているらしい。

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私は知り合いこそ多いが、元来友達に恵まれている方では無いが、むしろ友人は「親しき中にも礼儀あり」を心得た人が少しで良いと思っている。

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古希を迎えて一層孤独を愛する様になって、「無駄」を少しずつ排除することを続けている。

そろそろ年賀状の季節だが、一昨年から一切出さないことにした。

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毎年200枚ほどの虚礼を続けていた訳だが、年賀状だけの付き合いは如何にも空しい。

賀状を書く手間暇があったら、もっと有意義に使いたいと開き直ったのである。

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それに友人と言うものは、兎角「年金が多い少ない」とか「女房に才覚があるなし」などと、比較対象になり易いものだ。

結果として、妬みやそねみを生み出しがちで、ともすれば劣等感にも繋がっていく。

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だからもうこの年になれば、須らく「人は人、自分は自分」で良いのである。

孤独力と言う言葉があって、どんなシュチュエーションの下でも孤独を楽しむことのできる力だそうだ。

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そもそも自分を最も理解している友は自分自身であって、最近はつくづくそいつを実感してもいる。

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所詮無理やり「俺のことを知ってくれ」などと、虚勢を張ったとしても得られるものは何も無いのである。

だから私の日常はほとんど一人で、自分と語らうそんな孤独をむしろ楽しんでいる。

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人に迷惑を掛けるのでなければ、もう自分のペースで生きれば良いのである。

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2017年11月 1日 (水)

俺も時代の子

何だか、昨夜と同じような話柄になりそうな予感がしている。

そもそも人間の能力など大同小異だが、その時代や社会環境次第で振幅は大きくなる。

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私は純農村の百姓の長男として生れ、将来は親父の後を継ぐとばかり考えて成人した。

かつての農村は、大百姓はあったがかなり平等な社会で、それは人力に依存する農作業が基礎だったからだ。

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所詮人より何倍も効率良く作業をこなす人間などいる訳もなく、能力の差(能力が無けりゃ人の真似をしてりゃ良かった)が余りでなかったからだ。

せいぜい、毎日コツコツと真面目にやる人間が評価された程度だろう。

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そう・・正に私の子供の頃感じていた自分の人生観とはそうしたもので、のちのちもその域を出てはいない。

ところが時代は怒涛の産業革命が続いて、高々三十年で都市も農村も様変わりしてしまった。

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少し気のきいた人間は米国の動きを察知して、いち早くこの国で投資をして成功を納めたし、

本田宗一郎や松下幸之助のように、存分にその能力を発揮する男も続々登場した。

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私などはその時代の動きを、あれよあれよと口をあいて眺めていただけだが、

変化の時代にこそ、直観力と機敏な行動力がものを言う訳だ。

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そして直観力は誰にでもあるのだろうが、何を見て何を感じるのかが行動につながる。

つまり、「人生はやるかやらないかだ」と言われる所以である。

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昨夜も「早くやる組になっていたら」と悔いた訳だが、私達の世代は時代の果実を十分に享受した世代だ。

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そして今、何でも出来る時代と自らの自由を手にしている。

呑百姓の子倅が今日あるのも、やはり俺も時代の子だったなぁ〜と思いつつ、目をきょろきょろさせながら住み暮らしている。

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自分の体と心に、一定の刺激を常に与えなければなるまい。

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