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2017年11月28日 (火)

俺は俺の時代だけど

かつて無縁社会なる言葉が流行語になったことがあるが、組織(企業や団体)への帰属が一般化し、地縁や血縁はどんどん希薄になってきた。

歴史的に村には村の強い地縁があって、その繋がりが互助・共助、農業生産にも大きな役割を果たしてきた。

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しかし、今日の脱農化と共に地域の連帯は極めて希薄になり、多くが隣の人は何する人ぞで、隣家の息子の顔も知らなくて済むようになった。

要するに必然性というか、繋がりの必要性がなくなっている訳で、人それぞれにもっと大切な絆があるってことだ。

それが仲間同士の紐帯であったり、企業組織の上下関係であったりする訳だ。

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その絆は極めて経済合理的になっていて、今日の俺は俺の時代になっているってことだろう。

それでも田舎には、かつての地域の縁をつなげてきた習慣が残っている。

それが庚申で、それぞれの村外れに庚申塔が建っていたりして、村を外敵から守っている。

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村々には「お庚申様」と呼ばれる定期的な集まりがあって、酒を飲みながら懇親を深めることになっている。

その昔、お庚申様は村の家々を順番に巡って開かれたものだが、今では公会堂で開かれる。

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先日私の組でも今年度二度目の庚申様があって、久々に村の衆の顔を見てきた。

と言うか、私は庚申様の趣旨に照らして、参集した皆さんの一人一人と話をして回ることにしている。

その為に集まっているのに、唯飲んで帰るのでは庚申にならんのではないかと考えるのだ。

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捲いたりまいたり庚申へ、庚申へ・・・和尚の読経は続くが、要は家内安全と懇親なのだ。

今年の豊作・豊穣を祈念して山盛りの椀が回ってきて、それを一つまみづつ戴く。

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それで同じ釜の飯を食べた仲間と言うことになるのである。

ともあれ、細やかな紐帯だが、あるいはとても大切な縁なのではないかと思っている。

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コメント

庚申さま
こんな意味があったのか~。
昔、横吹で月に一回あった庚申さま
子供でも夜に出歩く事ができ、酒を少し飲んだ
そんな、思い出があります。

投稿: しんしん | 2017年12月 1日 (金) 11時47分

しんしんさんの年頃が、古い風習との別れ時かな。その昔、酒を飲むなんて、一般庶民にとって極めて稀なことだった。それでも、お庚申様となれば無礼講で酒が飲めたんだ。
 私の子供の頃には、一年に一度講の日(お膳)が回ってきて、その日にゃ朝からガンモドキを煮たりして、村の衆を迎えたものです。
 それで村の団結と言うか、共助を培っていたんでしょうね。今では近所付き合いは希薄になったけど、このお庚申様が細やかな絆なんですよね。そうやって懇親してみれば、みんな良い人ばっかりで、それが楽しくって、この行事が続いているんでしょうね。
                山草人

投稿: 山草人 | 2017年12月 1日 (金) 18時13分

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