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2017年11月12日 (日)

江川の系譜と英才

昨日のみちくさウルトラマラソンの帰り道、韮山代官だった江川太郎左衛門邸宅を訪ねた。

何度も訪れている重要文化財の史跡で、建物は戦国末期のものだが豪壮なものだ。

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幕末の36代坦庵は屈指の英傑として知られ、独学で反射炉を築いてお台場の砲台を作りあげたし、

農兵(ノウヘイ節を作った)を組織したのも坦庵だし、韮山塾の開設を始め洋式帆船の建造、

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天然痘の予防接種を始めたり、この国でパンを始めて(兵隊の食料として)焼いたのも彼だ。

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それに加えて、数多くの書画や刀などの工芸品、詩作などを残し、文化人としても知られる。

江戸幕臣と言えば盆暗揃いかと思いきや、坦庵(や小栗上野介)の様な英傑もいたのである。

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実はこの江川家の始祖は、源満仲の二男宇野頼親で、保元の乱(1156)を避けて伊豆に定住したと伝わる。

後に源頼朝の挙兵に応じて、頼朝から江川庄を与えられて地盤を固め、江川を名乗る。

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次いで北条が早雲伊豆に進出すると自ら韮山城を築き、北条の家臣となるのだが、

やがて徳川家康の代官となって、伊豆のみならず駿河、甲斐、武蔵、相模の天領を管轄することになる。

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幕末には20万石ほどの力があったらしく、その殿様が自ら様々な足跡を残したのだから素晴らしい。

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しかも渡辺崋山や高野長英、佐久間象山らと交わり、当時の幕府の政策(海防整備など)にも大きな影響を与えている。

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多くの場合、時代がその人材を産み出すのだが、大名格の代官がその人材となった稀有な例だろう。

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因みに、廃藩置県となって韮山県が生まれるのだが、末裔がその初代県知事となっている。

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