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2017年12月31日 (日)

年惜しむ

いよいよ2017年も今宵限りとなって、尚且つ平成すらも幾ばくもなく、殊更感慨深い年になった。

殊更と言うのも、古稀という年齢になって、多分初めて自分の余命と言うものを考えたからだ。

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そして幾分狼狽えたというか、残された時間に何が出来るのかと思い迷った年だった。

古稀は近頃では稀でも何でもないが、しかしながら大きな節目であることには違いない。

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現実にこの私自身が峠を越えてみて、確かにその景色が変わったのである。

だからと言って、明日から何が変わるという訳でもないが、心根は明らかに変わった。

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勿論、日々遭遇する一つ一つの事柄や考えることも、少しずつ変わっていくのだろう。

そしてこの一年を振り返ると、全ての仕事から離れたことも大きかったし、

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日光や万里の頂上を初めて走ったし、あちこちの山にも登ることができた。

精一杯仲間と共に汗をかいた一年と言えるし、次の十年に向かう新境地を開いた一年だ。

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それにしても、歳をとるとは中々に味のあるものの様で、より自分の内面を覗くことが出来る様になっていく。

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おそらく今年は、その新たなスタートの年になったのではないか。

次の十年に向けてのナミブのサハラグレイトレース250kは、私のこれからの試金石でもある。

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これも準備がほぼ整いつつあって、残すは体調管理だけだろう。

そうして来るべき年は、次々と新たな体験を目指す出発の年になる。

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 「年惜しむ 心うれいに 変わりけり」(虚子)

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2017年12月30日 (土)

復活を待つ

冬至から一週間、今年もいよいよ押し詰まって晦日である。

朝の早い私にとって、最も苦手なのがこの時期の寒さと日長である。

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朝起き出してから一時間ほどは、毎朝英会話を聞いたり反復したりして過ごす。

その後新聞三紙を読み終わっても未だなお外は暗く、女房の起きて来るのは7時過ぎだ。

夜のもっと長い北欧の国々でなくとも、この時期は何ともやるせない気分がする。

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そもそもクリスマスだって、日長の回復を祈るお祭りで、キリストの誕生日でも命日でも何でもないのだ。

かほどに宇宙(太陽と地球)の運行が、宗教を通じて私達の生活の隅々に浸み通っている。

・・と言うか、多くの植物はこの日光の回復を待って芽を出し葉を茂らせるのだから、

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我々も生き物である限り、この太陽の顔色を窺うのは至極当然のことなんだろう。

そんな訳で、二作目のホウレンソウを全て播き終えたし、ブドウの剪定作業もやっと年内に終えることが出來た。

後は、太陽の回復とともに、ゆっくりと果報を待てば良いのである。

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ところで、年々歳々月日も物事も巡って行くのだが、一方通行なのがこの人生である。

70の声を聞いて、その事を一層赤裸々に感じられるようにもなっている。

その一度しか無い人生の荷物が、間違っても軽いなんて事があってはいけない。

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第一、自分に何が出来るかって肝心なことを知らずに、出来そうな事しかしていない。

だからこそ、駱駝さながらに重荷を背負って、おのれの沙漠へと急ぎ行くのである。

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2017年12月29日 (金)

自分への信頼

あなたは、その自分自身をどの程度信頼しているだろうか?

人はも自分でもそれが出来る(可能だ)と思わない限り、前に進めないものである。

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自分で自分の限界を設定してしまう訳だが、それは多く場合置かれた環境に差配される。

田園地帯の只中に生まれた私は、正に農業で生きることが自分の世界だと思って育った。

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しかし時代の波は、私をどんどん外の世界に押し出して行って、その新世界を前に何時もオドオドと辺りを窺っていた。

自分に何が出来るのか分からなかったし、世の中の仕組みすら暗中模索だった。

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つまり自分なんてものがなく、きょろきょろと辺りを伺いながら生きていたとも言える。

米国の社会学者リースマンによると、人間の行動パターンは三つに分類されるという。

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昔からの慣習・伝統で差配されるタイプ、自分の信念や良心で動くタイプ、そして人によって動かされるタイプだ。

私は圧倒的に他人によって影響されてきたタイプなのだが、幸いにして私には真似すべきモデルがあった。

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本から学び、後には職場の優れた先輩にあこがれて、その何人かの先輩の後を追った。

それは正に僥倖であって、曲がりなりにもここまでこれたのは、その先輩達のお蔭だと思っている。

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そして当然のこと、自分で自立して歩くことが求められるようになって久しいのだが、私は人によって育てられたことを忘れない。

そうして今思っていることは、勇気を振り絞って自分自身を信じることである。

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少なくともこれからの十年、自由過ぎる程の時間が与えられているとするならば、

それは自分の考えること・思うことを、確実に形にしていくことだろう。

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自分を信じるならば、There is nothing to it.なのである。

この年の瀬に来て、勇躍としてそのことを思っている。

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2017年12月28日 (木)

ランボー

壊れたデジカメの後継機を買いに行って帰ろうとすると、終活写真半額券を渡された。

8千円のところを4千円にすると書かれてあって、「今、流行りなんです」と言う。

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流行りだかブームだか知らないが、その店員はこちらが余程その必要性が高いとみたらしい。

まるまると太った人は比較的若く見られるのだが、それは口の周りの筋肉が脂肪で膨らんでいるからだ。

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こちとらは日々のトレーニングで、体脂肪は一桁ときている訳だから、痩せているのは当然のこと。

その人間の奥底を見ないで終活を進めるとは、こちらをよほど柔く見限った物である。

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かてて加えて某銀行から電話があって、何かと思ったら「相続を、どうお考えですか?」ときた。

てやんでぇ〜、相続するほどの金なんて無いはずだが、そんなもん自分で使うわいと嘯いた。Img_8856

こう言うことが続くと、人間ってのは知らず知らずに老境へと誘われるのであろうか。

片足を失ってもなお、砂漠に向かって船出したのはアルチュール・ランボーだったが、彼はそもそも戻ることなど考えちゃいなかった。

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私も似た様なもので、ヤケッパチでも何でもなく、出たとこ勝負の猪突猛進で生きている。

それにさぁ〜齢70歳、一通りのことは大抵やってきたし、今更後生大事ってこともない。

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つまり気儘な、実に羨まれる程に気儘な生き方をしてやれと思っている。

その気儘をやり通さずしては、何の為にこれまで生きてきたのかとさえ思う。

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ともかくもその二件を除けば、今日も汗をかき予定の仕事も済ませて、満足の一日であった。

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2017年12月27日 (水)

自分と言う不思議

自分が何故こういう人生をやっているのだろう?・・って、考えたことがないだろうか。

それに、自分って何だろうってことを含めてもよい。

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それは社会的には、何年何月にどこそこで生まれて、何がしかの仕事をした人ってことになってはいる。

だけどそれは、私にとってはほんのさわりの様なもので、私の想像の世界と言うか、秘めたる思いは誰も知りゃしない。

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いやさ、その片鱗をブログに書いたりしてはいるものの、これはほんの断片に過ぎない。

それにこの70年間の諸々の経験や思い、その間に感じ悩んできたことの方が、

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本当の自分だし、そんなことは他人には絶対経験することが出来ないものだろう。

つまり、本当の自分は自分でしか分からない訳で(自分でも分らない人もいる)、そう言う意味じゃ世界でたった一人の人間だ。

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そもそも等身大の自分は実にちっちゃな存在だが、幾つもの冒険を乗り越えていく自分は、そうさなぁ〜ドン・キホーテと言っても良いだろう。

だけど、他人の目にはそんな思いなど映るはずもなく、あくまでもその人の脈拍や体温で判断しようとする。

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傍観者の目はあくまでも1=1でしかないが、この自分の現実の世界は決して1=1では有り得ない。

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誰でも良く考えてみれば気付くはずだが、それは1未満であったり、3にも10にもなったりするものだ。

そうさだからして、私は一人で考え、一人で行動し、そして一人で死んでゆけば良いのだと思う。

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想像力を精一杯伸ばして、出来る限りの挑戦をして、そう言う人生でありたいのだ。

自分は何かって?、それはさ、地位でも名誉でもなく、何を考えて生きたかだよね。

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2017年12月26日 (火)

男の成熟

まぁ男でも女でも良いのだが、自分は一人の大人として十分成熟出来たのかと考えている。

子供の頃を思いだすと、大人は誰でも貫禄があって、何処か少し怖い存在だった。

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今、古希を迎えた自分にそんな貫禄も威厳がある筈もなく、それに周りを見渡したって、

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昔の人達に比べるとかなり見劣りするのではないか。

高齢者の犯罪が増えているし、ネット上を見渡せば大人の悪戯が蔓延している。

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正に大人げない限りだが、人には誰にでも幼児性が隠れている様で、その子供が遊びたがっているのである。

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子供から大人になるには、しっかりとした子供時代を過ごして、それを卒業しなきゃならない。

ところがどう言う因果か、過保護なのかろくな遊びや喧嘩もせずに育って、十分な成熟をしなかったものらしい。

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近頃の年配者には、自分とは異なる他者への配慮が、例の利己主義教育とも相俟って、いささか欠けているのである。

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ともあれ成熟とは自分なりの自立だが、嫉妬心や攻撃性の強い人間は、その自立が出来ない人間だ。

はて当の私だが、狂おしいばかりにその自立を求めていて、日々そのことを考えている。

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卑近なところでは家族からの自立であり、望むらくは諸々の制約全てから自由になりたいと思っている。

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そして、自分自身がその自立を認識することが肝心かな。

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正直言って私の心(性根)は、十代の頃と何ら変わっちゃいない。

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ひたすら目前の目標に突き進むのみであって、子供心満載だがそれで良いと思っている。

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この期に及んで威厳や貫禄に何程の価値があろうか、私は生身の人間として生きるのみだ。

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2017年12月25日 (月)

晴れ晴れと愛する

昨夜は、昨日の疲労もあって、最近では珍しいほど快く眠った。

お蔭でその疲れも癒えて、暗いうちに動き出していた。

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早朝は鍬を振るい、その後は3室目のブドウの剪定である。

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毎度書く様に、これこそが根気仕事で、一本一本の枝を切除していく作業である。

それでも終わりは訪れるもので、夕方近くには一室のブドウの樹4本は丸裸になった。

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ところで今日は愛について書こうとしているのだが、それも自分を愛すると言うことである。

パソコンの前のあなた、あなたは自分自身を愛しているかどうか考えたことがありますか?

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いや考えなくとも、自分を愛せない人間が、人を愛することなんて出来やしない筈だな。

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そう・・誰だって後生大事に自分を大切に生きているはずで、自分が消滅すれば全てがジ・エンドなのさ。

聖書のマタイ伝に「自分を愛する様に隣人を愛せよ」とあるのだが、それは一種の偽善とまやかしであって、自分を愛せない人間が隣人を愛せる訳がない。

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私も良かれと思って色々とボランティアをやっているけど、それも自分が可愛いからだな。

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いやなに楽をしようってんじゃなく、自分に苦役を課することが自己実現につながるからだ。

100kのウルトラを走って、散々自分の体を痛めつけるのだが、これだって私にすれば自己愛そのものだ。

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実は昨日も30k過ぎは随分苦しくって、(腰は痛むし疲労は重なるし)逃げ出したい思いもあった。

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しかしやり遂げてみれば、それは明日に確実に繋がっていくのである。

だから私は毎日、忍耐と努力で、心良い疲労を求めて動いている。

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どの様な愛も、自分自身を愛することなくして成立しないのだから。

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晴れ晴れとした健やかな愛を育て、そして、自分自身を愛することを糧としなければなるまい。

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そして今のところ、最大の福音はナミブの砂漠を走っている自分の姿である。

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その異次元の世界の中で、本当の自分を見出して来たいと思っている。

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2017年12月24日 (日)

東海道(興津〜藤枝)を走る

昨日に引き続いてと言うか、仲間に誘われて、今日は旧東海道を下った。

それもナミブの訓練も兼ねていたから、7k程の荷物を背負っての38k余の走りになった。

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興津駅をスタートしたのが7:40頃、ここから清水・草薙・東静岡と辿っていく。

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そうして静岡(駿府)までが20kで、この辺りまではそれほど荷物も苦にならなかった。

先日の安城までの教訓を活かして、リュックに一部改良を施したのが奏功したのだが、

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安倍川の畔で安倍川餅を食べたあたりから、体全体にギシギシと影響が出始めていた。

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それでも何とか皆さんに遅れずについて行った・・・要所要所で一里塚などを確かめる間に追い付いていた。

安倍川餅を食べ、次の万里子宿では昼食に丁子屋のとろろ汁である。

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ここでたっぷりと腹を膨らめて、宇津谷や峠(明治のトンネル)越えである。

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今ではずっと下のトンネルを潜ればあっと言う間だが、昔は山を登って大変だったのだ。

やっと峠を越えると岡部の宿に入り、ここには立派な本陣跡が残されている。

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暫しの休息と見学をしながら、藤枝へと先を急いだのだが・・・・

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結局、藤枝宿からゴールの藤枝駅に到着したのは15:50になっていた。

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昨日から由比、興津、清水、駿府、用宗、万里子、岡部、藤枝と辿った訳だが、街道にはそれぞれの歴史の片鱗が残されていて、味わっていれば時は瞬く間に過ぎてしまう。

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そう・・・東海道を辿る走り旅は、殊更味わい深いものがある。

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明治以降のバイパスや幹線の開通で街道はあちこちで寸断されているが、それを丹念に辿るのも(時の落差が感じられて)面白い。

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それにしても、皆さんの荷物になったかも知れないが、今日は良い練習になった。

今日の教訓を糧にさらに改良して、つぎのウルトラウオーキングに備えたい。

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2017年12月23日 (土)

薩埵峠

年の背も押し詰まった今日は、浜石岳マラニックの一日である。

朝は暗いうちに家を出て、興津の駿河健康ランドを8:30にスタート、707mの山頂を目指す。Img_8778

挿すかに朝のうちは冷たい風が吹きつけていたが、山に入ると直ぐに温かくなった。

ランドを出て興津川を渡って旧東海道の山道に入る。Img_8781

その杣道からは、駿河湾の向こうに雄大な富士が聳え、その下を一号線や東名が走っている。

江戸時代までは街道のしたは海であって、その崖の上を這う様に街道が通っていた。Img_8784

正に街道の難所中の難所であって、広重の絵にも絶景とともにその険しさが描かれている。

この薩埵峠に来ると何時も思い出すのが、山岡鉄舟望岳亭の一節である。Img_8787

時は幕末、1867年の何時の頃だろうか。西郷隆盛率いる討幕軍が駿河に入った頃だ。

慶喜の意を受けた勝海舟は無血開城を決意し、山岡鉄舟を駿河に派遣したのであった。Img_8788

しかし鉄舟はこの薩埵峠で官軍の縦列の前に頓挫してしまう。

官軍に追われた鉄舟は、命からがら望岳亭に逃げ込んで難を逃れるのだが、亭主が一計を案じて鉄舟を救い、翌朝小舟を出して清水港に送り込むのである。Img_8793

清水港には、かつて望岳亭にでっちとして働いていた清水次郎長が、子分どもを従えて待っていた。

而して、鉄舟は侠客の清水一家に護衛されて駿府城に入り、西郷の武力開城を断念させるに至るのだ。Img_8797

以後鉄舟と次郎長との親交は続き、次郎長の晩年を寿ぐことになる。

ともあれ私達は、その街道を離れて山に入り、どんどん登って11時前には、目前にどぉ〜んと富士山と対面した。Img_8801

浜石岳から臨む富士山は、亦是が絶品で、合わせて北側にNO2の北岳、NO3の間野岳が聳えている。

暫しの休息と軽食を済ませて、急坂を一気に由比宿まで下っていく。

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由比では広重美術館に立ち寄って、更に由比漁港の桜エビかき揚げ丼を食べる志向である。

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江戸時代の風情を残す由比と薩埵峠、それに富士山をたっぷりと味わう年の背になった。

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そして最後は、今年最後のランナーの忘年会で、あぁ〜今年も色々とあったなぁ〜と語り合ったのである。

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2017年12月22日 (金)

根気次第

今日は冬至だから、明日からは一陽来復(少しずつ日が長くなっていく)である。

子供達も冬休みに入って、私の立哨も暫くお休みになるのだが、流石に日影に立つのは辛い。

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私の立ち位置に陽が射すのは一月末であろうか、それまでの辛抱である。

ところで、このところブドウの剪定を始めていて、今日でやっと二部屋の枝を切り落とした。

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ブドウは一つの枝に一房成らすから、収穫した房の数以上の枝を除去しなければならない。

それでブドウ作りとは焚き木作りかと思うこともあるが、とにもかくにも根気勝負である。

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一枝一枝、来年の芽を愛しむようにその先を切り落として行く。

結局今日は、まんまる一日掛かって一部屋を終えたのである。

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切り落とした大量の枝や枯れ葉は、手間暇かけて処分しなければならない。

ホウレンソウの栽培も同様だが、この根気仕事が私にあっている。

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否、初めからあっていた訳ではないが、長距離走は根気以外の何物でもなく、そのマラソンが私の根気を育てたともいえる。

1km走るには6〜8分を要する訳だが、これが100kレースなら600分〜800分だ。

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そしてその、十数時間を走り続ける根気は、そりぁ尋常じゃない。

私の農作業は、その長距離走と同じことをやっているのだと思う。

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朝から晩まで黙々と、葡萄の枝を切り続ける。・・・そうすると来年の支度が整うのである。

グレイトレースへの挑戦も同様で、ほらAs they say. practce is perfect.って言うでしょ。

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特段の取り柄とてない男がここまでこれたのも、ひとえにその根気なのだと思っている。

 

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2017年12月21日 (木)

汗と共に

今日も朝から晩まで、たっぷりと汗をかいた。

午前中は勿論ランだが、午後は年内に播種するホウレンソウの床づくりである。

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寒いなどと言ってはいても、体を動かせば忽ちにして薄着になる他ない。

と言う訳で、ほぼ今日の一日半袖の肌じばん一枚で過ごすことになった。

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そして一日の肉体労働の後に必要なのは、休息とそして睡眠である。

本日の汗は正に一人なのだが、今週末に予定しているマラニックではみんな同じになる。

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興津の海岸から浜石岳まで走り、山頂で富士山を眺めて食事し、再び走って帰って風呂に入る。

たったそれだけのことで、参加者の誰もが同じことを考えるようになる。

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お互いに友愛を共有するし、それに同士だって意識も生まれるよね。

そんな具合で、私が多くの友に恵まれているのも、実は走ることを通じてである。

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苦楽を共にした共通の仲間、汗と共に出来上がった絆なのである。

さて問題は、ナミブ砂漠の250kで何処の国の誰と、その汗の仲間が出来るだろうか。

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私が思い描いているイタリアの五十代の女性と、上手く知り合うことが出来るだろうか。

私の物語では、砂漠の只中で二人で生死をさ迷うことになっているのだが…・。

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ともあれ極限の状況の中で、人と人の絆が如何に機能するかを試してみたいと思っている。

確かニーチェだったか、「疲労は、平等と友愛へのいちばんの近道だ」ってのがある。

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やはり人間は、額に汗して動き回るのが肝要だ。

そこには、お互いの共感が待っている。

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2017年12月20日 (水)

キリンの首

今日は2時間余りホウレンソウの種を蒔いたのだが、その単調な作業の間思っていたことを書こうとしている。

簡単に言うと人間の品性(住む世界)のことで、これはまあ人それぞれで、その接点だって許容力の大小で決まってくる。

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つまり人間関係は、その品性如何でその継続性が定まるということだ。

人間の本性には、妬みとか嫉妬心などのひねくれた心情を秘められている。

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そして、他人の努力や成功を、素直に共感することが出来ないのである。

他人の不孝や失敗を耳にしても決して悪い気がしない、むしろ心良い気分になるアレである。

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品性の貧しさそのものだが、知人の悪口を言い合って楽しむのも同じことだ。

どうも品性の高低に正比例して、人は他人の欠点に目を向けたがるようである。

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そうして自分自身も、いつの間にか下劣で卑しい品性へと固まっていくのである。

キリンの首が何故あんなに長くなったのか、それは高い木の葉を求めて、首を伸ばし続けていたからだとされている。

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私達だって同じで、心の中に美しいものがなければ、花一つの美しさだって感じられないだろう。

人が他人を低く見たがるのは、実は自分は他人よりも高く見られたいと思っているからだ。

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人間の付き合いは、まずは相手の全人格を認めることから始まる。

実は「好き」という感情はそこから始まる訳で、荒探しをしていたら好きになる筈がない。

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少し難しい話になったが、臨むらくば私達の品性もキリンの首を目指したいということだ。

人間同士さして違いはないのだけれど、その品性の違いは全てを決めてしまう。

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ホウレンソウ栽培のコツは、一斉に発芽させることだけれど、これがなかなか人の品性に似て、上手くゆかないのである。

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2017年12月19日 (火)

未知との遭遇

初めて体験する物事には、不安やワクワクそして大いなる期待が伴っている。

私達はよちよちと歩き始めた頃から、ずうっとその未知との遭遇を繰り返して今日に至っている。

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そして私は今、大抵の事は分かったと慢心し始めていた。

子供の頃(小学高学年)、「僕は何でも知っている。」って自慢している子がいて、凄いって思った。

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でもその子は、一年も経たないうちに普通の子になってしまった。

その時、「慢心したら、人間ってそこで止まっちゃうんだ」って気が付いた。

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この古稀に達した今日、人生のすべてを分かっている筈だが、しかして何も分かっちゃいない自分がここにいる。

何がって・・、男女の事も自然のことも、道端の草花の名前も、生命力の源だって分かっちゃいない。

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自分が未熟だってことを知る・・・それが人生にとって最も大切なことかも知れない。

私が砂漠へのチャレンジを決意した動機には、気違いなどと言う人もいるが、実は色々とある。

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その最大のものは好奇心には違いないが、未知な処へ踏み込む自分の姿への関心である。

実はあの世に行っても探検を続けようと思ってるが、先ずは今生の冒険が先である。

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未知の環境に自分を置いてみて、そうだなぁ・・茫漠たる砂山が地の果てまで続く大地を、

その一粒の砂にしがみ付いて進むアリンコの様な自分を想像している。

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良いじゃないかそこで死んだって、この地球の自然はそうやって成り立っているのであって、

精々準備して砂漠に臨んで、それで私の中に何が残るのだろうか。

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私の物語は砂漠へ向かう直前まで来ていて、その先のアプローチが出来ないでいる。

そこで私は、本当に何に遭遇するのか(心身ともに)分からないからである。

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多分自分の愚かさと無知と、そして人生の無限を知ることになるだと思うのだが・・・・・。

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2017年12月18日 (月)

重荷を背負って

昨日は名古屋に用事が出来て、どうせならと重い荷物を背負って出かけた。

ナビブで使うリュックを、どうしても体に馴染ませなければならないと考えているからだ。

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この一か月色々と試しているのだが、どうしても腰の部分に継続的な圧力がかかって、

15kも進むと、もう神経はその痛さを回避するのに必死なる。

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とは言え実際の沙漠では、一日に40〜81kを背負い続けなければならず、それに耐えられるのかが最大の課題だ。

それで今日は、名古屋から熱田、七里の渡、桶狭間、刈谷市から安城市までの32kを東上した。

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熱田神宮の森は初めてで、織田信長が桶狭間に向かう出陣の場とした、その頃の雰囲気を(多分に)残している。

今川義元を廃した後、信長が神宮に寄進した築地塀が今も残されている。

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この熱田神宮から、歴史を変えた戦いの場、桶狭間までは10k余りだろうか。

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熱田神宮のほど近くに七里の渡が史跡として残されていて、東海道はここから桑名までを海路を渡し船で渡ったのである。

ともあれ、この辺りから腰の周りの肌は真っ赤になって、今にも擦り剥けそうになっていた。

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それを重心移動させたり、リュックを上げたり下げたりして、それでも6時間半で安城についた。

舗装道路を走ってこのていたらくだから、このままではとても250kは耐えられないだろう。

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リュックの接触部分の緩和方法をあれこれ考えながらの一日になったが、10kもの荷物を背負っての40k以上の走りの負荷は尋常では無い。

残りの4か月で、これを普通にするための体と装備が必要なのだ。

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それに走りの一歩一歩を如何に大切にするかだ。(沙漠では、とにかく前に進まねば命が危ない。)

途中ですれ違った叔母さんに、「まあ大変、お幾つですか?」と尋ねられた。

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40歳とでも答えたがったが、正直に言うと相手はリュックを持ち上げて目を丸くしていた。

随分と消耗はしたが、来週の加重ランに向けて程良い訓練となった。

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2017年12月17日 (日)

歴史好き

私は子供の頃から、昔話が好きだった。

年寄りや親父たちの話している昔(戦争も含めて)をじっと聞いていたし、ふぅん、俺もそう言う大変な時代を生きるんだと思っていた。

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中学生になると戦国時代の武将の話や歴史ドラマをむさぼるように読んだ。

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成人してからは専ら司馬遼太郎で、彼の著作のほとんどは読んだし、今でも時たま再読している。

何時の頃からか自分の思考(頭の中)も歴史的になって、何か物事が起こっても、はたまたどこかに出掛けても、歴史の中の流れとして見る様になった。

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そこに幾ばくかの過去の文学が加わったりして、同じものを見てもかなり感慨が深くなっていったと思う。

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それが古代の遺跡や城跡であったとしても、そこに暮らした人々の考えたことはさして変わっている訳じゃない。

ただ今日と違うのは、私達が石化エネルギーと科学技術を享受出来ていることだけだ。

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そしてマスコミの初達した今日、いろいろな理屈(特に政党)がこねられているが、よぉ〜く歴史を振り返ってみれば、何が正義かは自ずと見えてくる。

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だから私は、歴史が嫌いと言う人は、あまり信用しなぃことにしているのだ。

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過去の戦争にしても、軽薄短小に(風のように)振れてしまう国民性も、そもそも根無し草だからだ。

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特に戦後の教育は、日本人をかなり薄っぺら(単純な民族)にしてしまったかもしれない。

物事は須らく、縦横無尽に繋がっているのだから。

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2017年12月16日 (土)

師走の浜名湖

一日曇り予報の浜名湖には、少し肌にしみるような冷たい風が吹きつけていた。

その浜名湖を舞台に、今年も恒例の浜名湖半周忘年ランが開催されたのである。

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勿論何時もの馴染みのメンバー50人弱が集まって、今切れを臨む弁天島をスタート。

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私はバックパックに少しでも馴染むために、5kほどを背負ってのランとなった。

流石に快走と言う訳にはいかないが、昨週と同様に確実なステップを踏むことに注力した。

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それで全35kを歩くことなく走り通したのだから、良い練習になったと言うべきだろう。

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途中の舘山寺港では、ストーブに当たりながらの交々の昼食、これも恒例の楽しみになった。

ここから瀬戸港に船で渡るのだが、今年はカモメの数が少なく、心なしか寒さに震えているかの様でもあった。

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或は、近頃のカモメは飽食でハングリー精神に欠けるのかも知れない。

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この点ランナー達は飽くまでも旺盛であって、それぞれ果敢な走りをしていた。

走ることは実に単調な行為ではあるが、自分の足で目的地までを移動することは、それは実は大変重要なことなんだと思う。

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事(移動)を成し遂げれば、みんなでその苦労を分かち合う懇親会である。

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とは言え、今年も残すところ二週間である。

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古稀の私にしてみれば、平均寿命までの1/10を費消した訳で、何ともこれは切ない思いでもある。

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ともあれ、今年一年あちこちで顔を合わせて来た仲間達との忘年の集いは、やはり一年の〆なんだろうな。

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残りの15日も、無駄にしてたまるもんか。

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2017年12月15日 (金)

時知りてこそ

昨日も似た様なことを書いたが、改めて男の平均寿命が80歳なのかと驚いている。

そして、何をすべきか定かならぬままに、無性に急がねばなるまいと思うのである。

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何この一年だってアッと言う間に過ぎ去ろうとしているし、10年だって同じことだろう。

私の書いているnovelは「時或は老い」がテーマで、そのリアルタイムで進行している事象そのものである。

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男が自分の年齢を自覚することの衝撃と、未来への希望と迷いを書こうとしている。

必ずくるものは死だが、そんなものは待っていても仕方がない。

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そして絶対に来ないもの(例えは゛???)は待つ必要が無い。

さらに来る来ないか分からない幸運(宝くじが当たる)などは、待つていても埒が明かない。

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だから平均とは言え余命10年であるならば、待つのでは無く、向かって行くのが人生だ。

そんな気持ちを、砂漠への挑戦を中心にした物語にしたいと思っている。

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まさに同時進行で書き進めているのだが、大きなドラマにさせる為のフィクションに苦慮している。

ともあれ人生は有限であって、有限であるからこそ、人々は勇躍するのである。

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とは言え、私の毎日は実に地道なものであって、子供達を見送り、山を走って、畑を耕す。

そして時に考え、思い付くままこのブログを書いて、飯を食って寝る、その繰り返しだ。

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それでも沸々とあれこれの野心に燃え、果たせぬ夢は枯れ野を焼き尽くす。

人はみんな同じ時間を過ごすのだが、同じことをしていても、その蜜度はかなり違う様だ。

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私の走っている毎日の数時間は、自由な発想と実に気儘な夢想の時間でもある。

人生は一度しか無い訳で、ならば存分に楽しまねばその甲斐が無かろうと思う。

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「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」(ガラシャ)

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2017年12月14日 (木)

Walk of life

英語にはlife(生活)はあっても人生は無いと思っていたら、Walk 0f lifeでその雰囲気を出すらしい。

その言葉からは、日々の生活の道程(歩み)が人生だと言っている様でもある。

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人生と言う言葉を誰が発明したのか知らないが、生活の歩みが人生に違いないにしても、

その言葉には「生き方」のニュアンスが濃厚なのではないか。

単なる日々の生活の積み重ねが、それが人生の全てでは断じてないと思う。

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思に私達の一生にとって最も大切なのは人生だが、それを教えてくれる人は誰もいない。

学校では生活の仕方(算数や国語、それに経済etc)は教えるが、人生を教えることは無い。

いやいや戦前には偉人伝などを通じて幾分の人生を考える機会があったが、それも戦後は絶えてない。

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もっとも、定年前の若い先生に人生を教えろという方が無理なのかも知れない。

ともあれ今日では、自分の力で自分の生きる道を探し出さなければならない。

それが出来ない人は、単に一生を黙然と、結果として「生きてしまう」ことになる。

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犬や猫がそうであるように、それでも良しとすれば、勿論それで良いのである。

かく言う私もそんな具合で遮二無二生きて来たのだが、ここに来て待てよと思い始めている。

ようやくにして幾ばくかの老いを意識する様になって、いささか戸惑っているのだ。

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男の平均寿命は78歳だそうで、さすれば余命は8年と言うことになる。

それにそれまでに十分老いなければならず、あぁこいつをどうしてくれようかと言う気分だ。

否なに、現在の私は壮健そのものなのだが、何れ老いが来るとすれば、その前に死にたいと思うのである。

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日々確実に体が衰えて、おまけに自分が誰かも分からなくなったんじゃ、そうでしょ。

ともあれ、人間は単に生きりゃ良いってもんじゃない。如何に生きるかが肝心だよね。

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2017年12月13日 (水)

移動距離と文明

誠に便利な世の中で、新幹線を始めとした鉄道はもとより、航空機で遥か彼方に行くことができる。

いやさ自由度を考えるなら車があるし、更にインターネットで心理的な距離はもっと縮まった。

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そうして人の移動と同時に物流も活発になり、今日のより高度な文明社会が成り立った。

確かに便利さは飛躍的に高まったけど、その分自分の足で移動することが少なくなった。

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それはごく最近のことで、江戸時代を考えるならすべからく自分の足が頼りだった。

だから、どこに行くにしても歩く他無く、彼らは一日に30k程度は歩いていたらしい。

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実は私は、日々のランニングの日課があって、平均して一日に20k以上は自分の足で移動していてる。

だから、江戸の庶民に特段の違和感はないし、動くことが健康に直結するとも思っている。

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自ずと距離に対する尺度も変わってくるようで、昔ならタクシーに乗った所を歩いてしまう。

毎日山の中を2時間は走っているから、マラソン大会はその延長線上のイベントに過ぎない。

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特別に足を痛める訳でもなく、大会に出場したからと言って、特段のダメージはない。

殊にマラニック(マラソンとピクニック)は秀逸で、景色や風物を会話しながら楽しむことができる。

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全力で走ってタイムを競うマラソンも面白いが、私はマラニックにより魅力を感じている。

そもそも遊び心が基本だから、仲間と共に歩き走ることで、自然とだって一体化できる。

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これはさぁ、電車や車では味わえない楽しみだよね。

勿論文明の利器は駆使してそこに出掛け、その地をたっぷりと味わうのだ。

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そんな訳で今週末は、忘年ランで浜名湖を半周することになっている。

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2017年12月12日 (火)

年頃の味わい

二十歳には二十歳の、五十歳には五十歳の、そして七十歳なりの味わいがある筈だ。

ただ二十歳や五十歳では生きるのに精一杯で、人生を味わうなんて考えもしなかった。

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それが近頃じゃ、こいつをしっかりと味わっておかなきゃと思う場面が多くなった。

意図的にそんな風景を求めていることもあるが、やはり意識の成せる業だと思う。

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人は加齢によって若さの快楽を失っていく(つまり性欲とか食欲)もので、老いることを恐れるのはそいつを価値だと思うからだ。

だけど人生の価値は、必ずしも快楽とは限らないのではないか。

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快楽を追い求めていたずらに歳を取ると、その人はただ歳を取っただけの無内容な人になる。

それは実は精神のあり様だと思うのだが、この歳になるとそいつがその人の全体に現れる。

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つまり、自分が造りあげた人生の作品が、忽然としてその体や表情にディスプレイされるのだ。

ところで世は高齢者の溢れる社会になりつつあって、徘徊や万引き、交通事故や詐欺被害などと、その多くを高齢者が主役を演じている。

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殊に、私も含めて、自分は若いと信じている高齢者の起こす事故は悲惨なものだ。

過去の価値にしがみついて、自分の老化を認めようとしないからだ。

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これからの10年、この高齢者の起こす諸々の社会問題が、私達の大きな課題になる筈だ。

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ともあれ今日は警察署協議会があって、高齢化社会に向けての様々な問題を語り合った。

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それは振り込め被害や高齢者虐待、免許証返納や交通安全対策など多岐に渡った。

人は好んで老いる訳では無いが、それはそれなりに老賢者としての見識を示さねばなるまい。

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私のこれからの人生は、老いを味わう月日でありたいと思っている。

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2017年12月11日 (月)

好きか嫌いか

人間の一生は、何が好きで何が嫌いかで決まってしまうもののようだ。

好きこそものの上手なれと言われるように、好きなことはどんどん自分の血肉になっていく。

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だが、食わず嫌いも含めて、嫌いとなったらその入り口からして忌避してしまうから、どうしようもない。

食べ物に関しては、私の子供の頃は好き嫌いなど言っていたら、生きていけなかった。

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それが今日の飽食の世では、好き嫌いがその体型すらを変えてしまう。

・・とまぁ、ここまでは常識と言ってよいだろう。

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原理は同じことだが、こと人付き合いに関しては、中々これが面白いと思う。

基本的に人は、自分のことを好きだと言う人を好きになる。勿論その反対もしかりだ。

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そう言う原理を分かっていた訳ではないが、私は努めて人を好きだと思おうと努力してきた。

否嫌いではないと思おうとしたのかも知れないが、どうしても馴染めない人が2%位はいた。

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虫ずが走るというか、そもそもその相手は初めからこちらを見下しているのである。

当然仕事はストレスばかりで上手くいかない訳だが、中々大変な思いもした。

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その時は、世の中には色々な人種がいるものだと思ったが、その人だって自分を後生大事に生きていたのだろう。

料簡が狭いのだろうが、多分その人も自分を守ろうと必死に生きていたのかも知れない。

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だが人間は、自分に好意を抱く人間に好意を抱き、反感を抱く人間に反感を持つのである。

反感など抱かねば良いのだが、原理は「親しき中にも礼儀あり」であって、これを失っすると人間関係は続かない。

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過去の時間を振り返って、そんな様々な人間関係を思いだしている。

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2017年12月10日 (日)

あれまあと思いきや

昨日、袋井メロンマラソンの案内を開封すると、何と私が10kを走ることになっていた。

フルマラソンのつもりが、ネット予約の際に間違って入力したらしい。

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あららっと暫し放心したが、まてよこれは何かの(ナミブ)神様のお告げかなと思い直した。

10kなどの短い距離を走ることは絶えてなかったが、荷物走りを試してみろとのお告げと理解した。

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7k程度を背負って山に登ったりしてきたが、リュックサックと背中にいつも違和感を感じていた。

これを何とかせねばと思って、砂漠ラン先輩のMさんのお宅に相談に伺ったばかりであった。

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と言う訳で、今日は6kを背負ってエコパスタジアムをスタートした。

当然ながら、そんな大きなリュックを背負って10kを走る馬鹿は私だけであった。

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確かにスピード走りが求められる10kでは、ドンドン後方に下がりはしたが、何て事はない。

いつの間にか荷物の重さは感じられなくなって、それにスローの方が長続きすることも体得で来た。

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そう、一歩一歩踏みしめながら確実に前に進むことだ。

そう言う意味で今日の10k走はかなりの成果だと満足で来たのである。

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記録は1時間7分36秒だったが、総合順位1350位ということで、飛び賞(メロン)のおまけにありついた。

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而して10k走はアッと言う間に終わってしまって、物足りないと言えば物足りないのだが、今日は思いが貴重な経験をさせてもらった。

ナミブの神様に、感謝である。

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2017年12月 9日 (土)

お前の心

私は、1947年の生まれである。

終戦直後の生まれだから、団塊の世代の代表と言うことになる。

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物の何も無い時代に生まれて、子供の頃は米国の家畜の餌(脱脂粉乳)で育った。

それが自分の成長に連れて物量が飛躍的に増えていく、まことに幸せな時代を生きたのである。

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ただしかし、つい最近までの中国のように、公害や労働争議など日常茶飯だった。

人々は誰もが我先にと金を求めて右往左往していたし、そう言う意味では全く節操を欠いていた。

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豊かさの追求こそが正義だと、誰もがそう思っていた。

その無節操はあのバブルでピークに達し、平成二年の崩壊に人々は暫く途方に暮れていた。

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進むべき道がなくなったというか、人の心も経済も放心状態に陥ったのである。

あれから四半世紀、心の時代の到来と言われて久しいのだが、果たして私達の精神性は豊かになったのかどうか。

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確かに物を追い求める事こそ無くなったが、公共の福祉事業を除けば、さして変わっちゃいない様な気がする。

相変わらず自己中心的だし、自由は享受してもその責任は果たさない。

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本当は自分の内面をこそ豊かにすべきなのに、その端緒すら掴めていないのではないか。

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そう、やはり精神性を高めるなど、およそ付焼刃で出来るものでは無いのだ。

しかし、こすからい自分の心を清めて、何とか三途の川を渡してもらうようにするのが、これからの課題だ。

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そう思って、己の心の内を改めて覗いてみている。

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2017年12月 8日 (金)

墓碑銘

日本人は、誰もが安心しきっているのではないかと思う。

日本の墓の多くは、〇×家累代の墓であって、その個人は戒名程度に留まっている。

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代々家を継続することに、その人生の価値があるとされてきたからだろう。

この点個人が主体の欧米では、その墓石に個人のエピソードを書き物として残す。

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一般的には墓誌(その人の来歴)だが、肝心なのは何をした人なのかを記すことだ。

普通は、この世を去って10年もすれば忘れ去られるのが当たり前だが、

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墓碑が残ってそれを読む限り「おぉ〜、そんな人がいたんだ。」程度の感慨は残るだろう。

そうであれば人間の最終形が大事な訳で、それなら生前の行動だって自ずと違ってくるのではないか。

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さて私の場合、遺影は既に準備したので、残る問題はその墓に何が書けるかということである。

「永遠のランナー」も良いが、さりながらオリンピックに選手として出場した訳でもない。

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かと言って「永遠の市民ランナー」ってのも、何だか物足りない。

などと考えだすと、「平和」とか「希望」なんてことになるのだが、それじゃ累代と変わらない。

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ともあれ人生70年もやってきて、墓碑銘の一つも書けないとは情けない。

ままよ、人生100年時代であるからして、これからに乞うご期待である。

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墓碑を飾るために生きるってのも、面白いかも知れない。

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2017年12月 7日 (木)

心の空間

これまでお付き合いしてきたのは何百人、いや何千人にもなるだろうか。

今そんな同級生、職場の同僚や先輩、それに様々なコミュニティーで出会った人達を思い浮かべることができる。

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みんなそれぞれに懐かしい思いがするのだが、それはその場が創り出す人間関係だった。

学校にしろ職場にしろ、その期間が終われば単なる同窓会になってしまう。

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昔を懐かしんで語り合うのもその場限りのことで、まず自分の栄養になることは無い。

実は私はあまり個性のない方で、自己主張をして目立つなんてことはついぞなかった。

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いつも世間の目を気にしながら、まわりに合わせて生きてきたのである。

それがいつしか、依存を捨てて自分一人で生きようと思う様になっている。

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もちろん女房・子供も含めてのことで、結局人生は一人で完結すべきものと思っている。

そう思って、物の整理と同様に人間関係もすっきりとさせようと努力している。

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そもそもべったりと媚びる様な人間関係は気色が悪いし、自立出来ない印でもある。

それで数年前から年賀状も一切出さないことにしたし、まわりに余計な気を使うこともしなくなった。

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要するに自然体で、無理なく生きようと心掛けている。

従ってに女房殿とだって、一対一の友達関係であくまでも慇懃無礼である。

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須らく親しき中にも礼儀ありで、等距離の人間関係にしてみると見えてくるものがある。

人間誰もみな同じ、基本は一人で生きることなのである。

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人と無理につながるなんてことは止めて、自分なりの心の空間を広げたいと思っている。

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2017年12月 6日 (水)

七十従心

孔子の「七十にして心の欲するところに従いて、しかも矩を超えず」を考えている。

70という年齢は、確かにこれまで通り過ぎてきたどの年齢よりも重みを持っていた。

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何が変わるという訳では無いが、余命を意識せざるを得ないし、何より「これで俺も、爺の仲間入りか!!」と言う気持である。

孔子は矩を超えずと言ったが、それは「枯淡の境地になって何もしなくなった」と語った訳ではない。

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現実に私だって現役の男だし、まだまだやろうと思う事は無数にある。

いやむしろ、これからが俺の本当の人生だとすら思っている。

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私が書き進めているnovel「過ぎ去り生命のしるし(仮題)」は第二節に入っていて、主人公にその辺のことを角度を変えて語らせている。

伊達に70年も生きてきた訳じゃなく、その間の蓄積のお蔭で、世の中の事がよぉ〜く見えるようになっている。

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孔子の言う矩などとうに分かっているし、男女の機微にしても、金のことだって一通り分かっている。

ただ分からないのは、残された期間に自分に何が出来おおせるのかってことだ。

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勿論、心の欲するところに従って生きれば良いのだが、実はそいつが難しい。

だらだらと惰性に任せて生きるのは愚の骨頂だし、その辺の年寄りの様に愚痴や他人の中傷で生きるのはまっぴらだ。

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それはあくまでも、「俺は生きたぜ!」って言える歩みでありたいと思う。

それでこの半年余り、自分の心に素直に行動しようと心掛けている。

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無理な付き合いは止めるし、世間へのへつらいなんぞも捨て去ろうとしている。

残された時間は、自分のためにこそあるのだと心しているのだ。

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2017年12月 5日 (火)

無用の用と贅沢

考えてみれば、何という贅沢な毎日を送っているのだろうかと、そう思わざるを得ない。

趣味の農作業を除けば、毎日四六時中遊んで暮らしているのである。

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街頭に立って旗を振ってみたり、山を走ったり、山登りやマラニック、それに最近では頻繁に忘年会に出掛けている。

金は天下の回り物だと考えているし、それに何より思うままに使える時間がたっぷりとあるのである。

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これを、贅沢と言わずして何としよう。

それに人生は、日々刻々と時計の秒針の様に繰り返しの連続である。

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心臓の鼓動はもとより息を吸って吐くことに始まり、起きて飯食って寝て、

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風呂や歯磨きと申し訳程度の作業をして、毎日そんな同じことばかりを繰り返している。

確かに贅沢で平凡な毎日である訳だが、それだけでは如何にも退屈すぎるではないか。

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この世を去るまでの間、暫し贅沢な時間をお過ごし下さいと言われている様で、これには反乱を起こしてみたくなる。

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しかしながら齢70歳、世間の見方は余生を漂う老いぼれ爺さんなのである。

而して乱を起こそうとて仲間の集まる筈もなく、決起は常に未遂に終わるのだろう。

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だが心の中からは「急げ、残された時間は多くはない。I don't have time.  Do it right now.」と聞こえてくる。

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確かに、私に確実に残された時間は、5年位しかないのではないかとも思う。

同じことを繰り返すのも必要だが、何時までも「無用の用」とばかりでは駄目なんじゃないか。

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しからばこの五年、ドン・キホーテの如く風車に向かって突進してみるのも面白かろう。

夢は遥かな大地を彷徨いて、何処へか向かわん。

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2017年12月 4日 (月)

夢と共に

二年ほど前ある知人が、突然自分の余命は残り三年だと言いだした。

だから事業を整理し、奥さんと犬一匹を連れて旅に出ると、それまで乗ってい高級車を売り払ってワゴン車を買った。

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勿論、それは犬と夫婦が旅先で過ごすための車である。

それから二年が経過し、先日お会いすると「あれは、止めにした。」と言う。

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余命三年の告知があったものとして、思い切って生活を切り替えたんだが、どんどん気力がなくなっちゃう。

やっぱり人間は、夢や希望を追い求めていなきゃいけないってことが、やっと分かったよ。

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そう言って、余命3年は実は自分で決めたことだったと告白した。

何とも人を食った話だが、自分の起こした事業を整理したことで、気持ちの張りをなくしたのである。

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人間は、夢を持ち続けているからこそ、失敗しても気持ちのメリハリが維持できるんだ。

この歳になってどんな夢が持てるのかって、それはあなた、この世の中夢の種は浜の真砂ほどありますわね。

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それに実現するかどうかは二の次で、とにかく夢を追いかけて生きるって姿勢が肝心だな。

私もまだ若いと思い続けているうちに70にもなっちゃって、「少しばかり、テンポ良く生きないとなぁ〜」と少し悔やむ気持ちがあった。

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しかし今は目の前に大きな課題があって、毎日その為に悪戦苦闘していると言っても過言じゃない。

当然ながら、あちこちが痛いなんて言っている暇は無い訳で、このまま来春のナミブ砂漠に突撃していこうと思っている。

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昨日ご一緒したN部さんも凄く意欲的な人で、今度「滝100選」「渚100選」を踏破したいなどと言っていた。

果たしてその為にどれ程の時間と労力を要するかなんて、まったく問題にしていないのである。

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人間、そんな大馬鹿な生き方の方が、面白い人生だったって言えるのではないか。

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2017年12月 3日 (日)

高川山に登る

英国やオーストラリアに行けば、丘はあっても山はない。

この点この島国は山ばかり(マウンティアス)で、殊に山梨県に行けば手頃な山が一杯だ。

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それで今日はM塚さんの企画で、高川山(976m)に登ってきた。

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富士川の遥か上流に大月という町があって、その町が秀麗富岳十二景を展開している。

大月市には数々の山があるが、富士山を臨んでコレッてポイントを12山選んだんだ。

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すると東京方面を中心に多くの人が次々とやってきて、富士を眺める絶景を目指すのである。

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我々も今日はその十二景の一つ、高川山に登ったのだが、登山口の初狩駅には既に100人程がスタンバイしていた。

高川山の真下には、あのリニア幹線が走っていて、山裾には高速で走るリニアの衝撃波を緩和させるための風洞が伸びている。

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ともあれ私達は9時に登り始めて一時間半弱で、その山頂を極めたが、狭い頂上は既に満員状態だった。

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絶好の天候に恵まれて、富士山も機嫌良く迎えてくれたし、温かな山頂での一時を過ごすことが出來たのである。

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それも山頂に着くとM塚さんがおもむろに取り出したガスボンベと鍋、それにワインを注いでのチーズフォンジュの昼食のお蔭でもある。

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富士山を肴にと言いたいが、その富士山はそっちのけで、腹一杯になるまでその美味を味わったのである。

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登山とすれば少し物足りない位だが、何と言っても絶景が待っているし、大きな負荷がなく登れるのが良いかな。

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と言っても、私は8k超のバックパックを背負って、これでもナミブ砂漠への肩慣らしである。

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兎に角、10k前後の荷物を体と一体化させることに努めているんだ。

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これがなかなかハードな仕儀だが、この半年で何とか耐えられる体を作りたいと思っている。

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「男の境涯、寄せて芙蓉の第一峰にあり」何歳になろうと、その心意気でありたいと思っている。

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2017年12月 2日 (土)

厚さと深さと弾力と

そう、人間の厚さと深さ、そして弾力は何によってもたらされるのかが今日のテーマである。

そのヒントとして、今日は鍛錬と性欲のコントロールがアプローチとなった。

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確かに森先生の生きた謹厳な時代には、性は極力抑制し、厳しい鍛錬こそが人を作るとされていた。

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人間の力は、その旺盛な性欲を自己の意志によって制御する所から生まれるとされ、人間としての真の内面的な弾力もしかりであった。

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だから厳しい先生に師事し、その荒業に堪えてこそ、ひとかどの人間になるとされたのである。

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しかるに今日、戦後民主(利己)主義が全盛を極め、そんな堅い話は通じる訳がない。

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教育現場は常に遠慮がちだし、俺は俺、私は私で性欲も自由奔放、よって子供の数は激減した。

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ただ性欲は、私達の活力を産み出す根源であって、時に精神的な力をも差配していく。

まぁ〜、その辺が今日の結論かな。

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例の恒例になっている人生を学ぶ勉強会で、第22〜24講(性欲の問題)までを語り合ったのである。

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もちろん堅い話ばかりじゃなく、下世話な話柄へと発展(?)していくのだが、受け止めは人それぞれだ。

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「理(ことわり)としては、一匹の蚤の跳ねるも宇宙に反映し、我が一瞬の瞬きも正に万象と相応ず。ただ我らの心、粗にして、これを徹見し得ざるのみ。一即一切、一切即一」

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だからと言って、蚤の跳ねるのをいちいち気にしていたら、生きては行けないだろう。

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ともあれ、大らかに学び、かつ何時もの様に体を動かし、同時にみんなで持ち寄ったご馳走を戴く。

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今年最後の勉強会だから、忘年会もと盛り沢山であった。

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如何です?皆さん。堅い話を題材に楽しく過ごす一日も、それはそれ良いものですよ。

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かくして、師走の一日を終えたのである。

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2017年12月 1日 (金)

長ぁ〜い下り坂

先日は豊橋の走る仲間の忘年会に誘われて、その楽しいひと時を過ごすことが出來た。

会の最初に一言づつのスピーチがあって、交々に心境などを語るのだが、70歳までは走りたい・・とか、兎角年齢にかかわることが多い。

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当の私は既に七十歳な訳で、どうやらこの年齢は大きな節目になるらしい。

私は「人生は今から」と考えているのに、多くの人にとっては当面の目標点なのだ。

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実は私は下り坂よりも、じっくりと登って行く坂が好きで、何時もここでライバルを抜き去る。

それが下り坂にはいると一転して追い抜かれる訳だが、そもそも惰性に乗って走るのは好みじゃない。

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しかしながら今、私の人生は長ぁ〜い下り坂を迎えているようだ。

ともあれ、人生50年時代ならともかく、誰もが長い下り坂を生きなきゃならない。

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スポーツ選手が典型的だが、体力のピークは三十代の前半で、後はずっと下り坂だ。

つまり「へ」の字型で、若い時にグッと上がって、後はゆっくりと降りていく。

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そして人生の妙味は、その私の苦手な下り坂にこそ大きな意味が隠されているってことだ。

気張って力まなくても良いし、景色だってしっかりと見えている筈だ。

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だけど、だらだらと下っていくことに慣れちゃったら、折角の人生がただゴールに向かうだけになっちまう。

そして、人生の長い下り坂の中に意味を見出すのは、それは自分だけが出来ることだ。

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だから、への字のどの辺を走っているのかは別にして、常に「生命のしるし」を探したい。

どうせ下り坂の一コマなら、ここ一番の自分らしさを試してみたいと思うだろう。

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結局のところ、人生は何をし得たかが全てなんだから。

ナミビアはボツワナとアンゴラに囲まれた所にあって、日本の2.2倍の広さがある。

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住んでいるのはブッシュマンの末裔で、今でも上半身裸のヒンバ族も暮らしている。

そしてナミブ砂漠は、300m程の砂丘が延々と連なっていて、正に壮絶な生き残りレースになるのではないか。

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大会の四っ日目には、その沙漠の只中を80k・・おそらく30時間は走り・歩き続けなければならない。

南十字星の下での壮大なドラマを、何とか切り抜けて生還したいと思っている。

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