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2017年12月23日 (土)

薩埵峠

年の背も押し詰まった今日は、浜石岳マラニックの一日である。

朝は暗いうちに家を出て、興津の駿河健康ランドを8:30にスタート、707mの山頂を目指す。Img_8778

挿すかに朝のうちは冷たい風が吹きつけていたが、山に入ると直ぐに温かくなった。

ランドを出て興津川を渡って旧東海道の山道に入る。Img_8781

その杣道からは、駿河湾の向こうに雄大な富士が聳え、その下を一号線や東名が走っている。

江戸時代までは街道のしたは海であって、その崖の上を這う様に街道が通っていた。Img_8784

正に街道の難所中の難所であって、広重の絵にも絶景とともにその険しさが描かれている。

この薩埵峠に来ると何時も思い出すのが、山岡鉄舟望岳亭の一節である。Img_8787

時は幕末、1867年の何時の頃だろうか。西郷隆盛率いる討幕軍が駿河に入った頃だ。

慶喜の意を受けた勝海舟は無血開城を決意し、山岡鉄舟を駿河に派遣したのであった。Img_8788

しかし鉄舟はこの薩埵峠で官軍の縦列の前に頓挫してしまう。

官軍に追われた鉄舟は、命からがら望岳亭に逃げ込んで難を逃れるのだが、亭主が一計を案じて鉄舟を救い、翌朝小舟を出して清水港に送り込むのである。Img_8793

清水港には、かつて望岳亭にでっちとして働いていた清水次郎長が、子分どもを従えて待っていた。

而して、鉄舟は侠客の清水一家に護衛されて駿府城に入り、西郷の武力開城を断念させるに至るのだ。Img_8797

以後鉄舟と次郎長との親交は続き、次郎長の晩年を寿ぐことになる。

ともあれ私達は、その街道を離れて山に入り、どんどん登って11時前には、目前にどぉ〜んと富士山と対面した。Img_8801

浜石岳から臨む富士山は、亦是が絶品で、合わせて北側にNO2の北岳、NO3の間野岳が聳えている。

暫しの休息と軽食を済ませて、急坂を一気に由比宿まで下っていく。

Img_8802

由比では広重美術館に立ち寄って、更に由比漁港の桜エビかき揚げ丼を食べる志向である。

Img_8806

江戸時代の風情を残す由比と薩埵峠、それに富士山をたっぷりと味わう年の背になった。

Img_8807

そして最後は、今年最後のランナーの忘年会で、あぁ〜今年も色々とあったなぁ〜と語り合ったのである。

Img_8811

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