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2018年1月16日 (火)

存在の不思議を思う

自分が存在しなければ、今見えているこの世界は存在しない。

そして人生とは、自分がこの宇宙(世界)に存在していると言うことでしかない。

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その存在自体(寿命)には長いも短いもなく、ただあるのは「今」だけである。

だから今をこそ精いっぱい充実して生きられれば、悔いることなんて何もありはしない筈だ。

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・・・とそう思って、もう既に70年も人生の時を過ごしてしまった。

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そろそろお仕舞にしても良さそうなものだが、私の体はまだまだ若いぞって言っている。

いやさ、確かにシワが増え、髪が薄くなって、時には動作だって鈍くなってはいるだろう。

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そいつを認めたとしても、どうも年齢ばかりが先走っているような気がするのだ。

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この古稀という年齢を、どうにも受け入れることができないでいるようだ。

そもそも生物は須らく時間に従って老いていくものだから、私だって例外ではあり得ない。

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しかしながら人生100年時代がそこまで来てて、どうやら体も心もそっちに傾斜しているようだ。

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而して自分の年齢をふさわしく感じ、ふさわしく振舞うのは、まだまだ当分先のようである。

その時が訪れたなら、その時にこそたっぷりと老年の面白さを味わってやろうと思っている。

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ともあれ私の人生は、その世界の終わりの時が来るまで延々と続くのである。

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加齢に対する無駄な抵抗を、ジタバタとやっている訳では決して(断じて)ない。

この世界に存在している限り、出来ることをやらなくって何としようか。

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と言う訳で、何だか私の人生はどんどん面白くなっていくような気がする。

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