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2018年1月27日 (土)

人生は、にこにこ顔で命がけ

今日は恒例の勉強会で、平沢興語録「生きよう。今日も喜んで。」を教材に、標記の境地について思いを馳せたのである。

何時も仏頂面の私なぞは、微笑みを絶やさない生き方など夢のまた夢だが、どうやらそれは物事への感謝の心次第らしい。

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そもそも私達の体は、50億個もの細胞の共同作業で成り立っているが、そいつが喧嘩もせずに一致協力してくれていることに、先ずは感謝しなければならない。

確かに、私達がこの大宇宙の中で生きていることは、それは大きな不思議であるのだ。

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殊に私なぞは、既に社会的にも解放されて70歳を迎え、自分との対話のできる絶好の時を迎えている。

「自分とは、何か」ってことを突き詰められる条件を、体力・知力共に満たしているって訳だ。

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私もずう~っとヘマばかりやってきたけど、それも含めて燃えるような実行力こそ全てだと思っている。

それに人生にも四季があるらしく、青年期、成熟期、老成期、そして林住期でしょうか。

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さしずめ私もその最後の季節を迎えている訳で、この一日一日の行動が人生のすべてになっている。

そして思うのは、利口な人と言うのは燃えることができないけれど、私程度の愚か者なら何事にも燃えることができるということだ。

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そして、その愚かさの中にこそ、生きる力が有るのではないか。

人は希望(目標)があればどんなことにも疲れないし、その希望の内容こそが人間の人格を創るのだろう。

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そう私も、情熱と創造(精一杯)の人生でありたいし、その為には実効あるのみだと思う。

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目標があるからこそ忍耐が生まれ、そもそも目標がなければ何事も成し得ないだろう。

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而して、人生というものは自分の生活習慣の織物なのである。

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人間も大自然の中の一つの自然であって、いずれその自然に帰って行くのだが、多分「希望(目標)」というものを持てるのは人間だけだろう。

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そして、その希望の内容こそがその人なのだ。

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