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2018年1月13日 (土)

老いの予兆

それは当たり前のことで、人は誰も老いてやがて死ぬことになっている訳だが、それは突然私の中に現実となって表れた。

何かどこぞが悪くなったと言う訳ではなく、それは多分に精神的なショックなのだと思う。

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昨秋に古稀の大台を迎えたのを契機に、猛烈に「時の印」が必要だと思うようになった。

私達は基本的にマンネリ(惰性)に則って生きていて、実はこれはうんざりする程退屈かもしれないが、

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何の変哲もないこの十年一日が、私達に安定や安心を醸し出してくれている。

この惰性の中にいれば、余分なことは考えなくて済むし、日々の諸々は惰性の中に埋め込まれてしまう。

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だが定年退職など大きな節目を迎えて、その惰性が途絶えると俄かに、そこには異なった景色が現れる。

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その異なった景色が惰性になるまでは、孤独なのか不安なのか、いささか複雑な心境の中で生きなければならない。

私の場合、古稀という年齢の峠と社会的なリタイアが、昨年一気に訪れたのである。

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なぁに定年など既に経験したことと思っていたのだが、これが老年入りと一緒になったことで幾分ダメージが大きかったようだ。

そもそも男の平均寿命は80歳であって、これに沿うなら余命は10年しか(も)無いことになる。

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これまで無限に生きると思っていたのに、おぉ。・・残り10年かぁ~と言う驚きも大きかった。

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それで考えた10年計画が、5年はこれまで通り全力疾走の限りを尽くすことと、後の五年は徐々に速度を落とすことだった。

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特に前半の五年は、五年後では出来ないことを集中してやろうということである。

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砂漠レースへの挑戦や自分なりの文学への取り組みも、その一端に過ぎない。

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つまり出来ることをすべてやって、その後に然るべき老人になろうという算段である。

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長生きなんてする必要はないが、この世を十分に生きることこそ肝要なのだ。

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それは言うまでもなく「生の充実」だから、この一日一日が勝負だと思っている。

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