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2018年2月19日 (月)

大名庭園

兼六園を訪れた折、その雪舞う園内を歩きながら考えたことである。

今日、国の名勝などに指定されて残っている庭園は、いずれもかつての大名の庭だった。

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兼六園も五代藩主前田綱紀が城の隣接地の一部に池御亭を立てたことに始まって、

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歴代の藩主があれこれと手を加えて、200年近い経過の中で今日の姿になっている。

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加賀100万石の殿様と言えども、三代まではともかく、代が進むに従って殿様のやることは庭いじり程度になったのだ。

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兼六園の原型は12台あたりには完成しているらしく、その名も宋の詩人李格非の「洛陽名園記」から、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ね備えた庭と命名されたらしい。

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廃藩後に市民に開放された訳だが、「ふぅん、こんな所で殿さんは遊んどったんかいな」程度であって、とても庶民にその親しみが持てるような代物ではない。

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欧米やアジアの庭の様に、度肝を抜くような庭ではないからだ。

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もっとも博覧会や海外旅行などで、私達の目が慣れきってしまっているのかも知れないが、

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如何にも平板で「これが日本人の感性」と思わせるものがある。

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隣の金沢城は、石川門と三十間長屋が残されているだけで、一部復元はされているが、往時の姿はうかがい知れない。

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加賀の殿様がどんなものを食べ、どんなことを考えていたのかは知る術もないが、情緒ある金沢と言う街が残り、今にその名残を残したのだから「加賀」の意味はあったのだ。

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ともあれ殿様にしろ庶民にしろ、その財力の違いを別にすれば、さしたる違いはないのである。

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加賀の殿さんは、200有余年かけてこの兼六園を残しただけなのだから。

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思うに、池に浮かぶ茶室があるが…この茶室が使われたのは、とてもの事雪降る冬ではあるまい。

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我が家にも箱庭ほどの庭があるが、これでも精一杯世話をしているのである。

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