泰然とアクティブに
何時ものように山を走っていると、山には不似合いな杖を突いた爺さんに出会った。
年の頃80歳近いかと思える風体で、やや小太りの人の良さそうな人であった。
弱った足腰を何とかしようと山に来たと言いつつ、ランニングの私を凄いすごいと繰り返す。
年齢を伺うと何と私と同じ年だと言われ、「この爺さんと、俺は同じ?」と少しショックだった。
だが私とて、生活習慣や体力を別とすれば、顔の皺や頭髪など、同じ様なものなのかも知れない。
しかして同じような年頃の人達は、日頃あまり顔を見ることもないが、何をして過ごしているのだろうか。
今時の老年者は、ITの進化にもついていけず、老年者らしい冷静さを装いつつも、実は不安で一杯なのではないか。
行動を起こしたくともその術を知らず、TVの前の産業廃棄物(捨てるに捨てられない)と化しているのではないか。
本来年寄りは、豊富な経験と言う財産をもって、視野だって若いものよりずっと効くはずだし、
人を見る目、或いは物事をより的確に評価できる力を持っている筈だ。
しかるに今時の若い者は、テクノロジーのテンポの速さの故に、年寄りなど相手にはしない。
泰然と落ち着き払っていたとしても、世の中のテンポがその年寄りを素通りしてしまうのだ。
多分あの爺さんも、止むにやまれず山を歩こうと思い立ったのではないか。
内心「爺さん、時既に遅しだよ」と思ったが、人間歳を経て泰然とするのは当然として、
歳を取ればとる程、アクティブに行動しなければならないと思っている。
大変だなぁ~、嫌だなぁ~ではなく、まだまだ俺にも出来るのではないかって心意気だ。
とは言えそれにも限度はあって、私は80歳になるまではも基本的にアクティブでありたいと考えている。
泰然と過ごすのは、(仮に生きていれば)それから後のことだなぁ~。
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