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2018年3月31日 (土)

石畳

伊勢路の旅の四日目は、相賀から三木里までの20kである。

距離は短いのだが、馬越峠(標高323m)と八鬼峠(標高627m)の大きな山越えである。

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馬越峠へ向かう途中に「種蒔権兵衛」さんの生家があって、その菩提寺に参詣した。

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権兵衛さんは、カラスや大蛇を退治したりと、この地域に大変な貢献をした人らしい。

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地元のおばあちゃんにそんな話を聞きながら、峠への入口に向かったのである。

馬越峠に入ってまず驚いたのは、その敷き詰められた石畳の美しさであった。

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紀北町と尾鷲市の境界にある峠で、そこにはヒノキとシダに囲まれて苔むしているのだが、

どんな権力がそれをさせたのか、その敷石一つ一つの大きさに先ずは驚かされる。

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この峠の石畳は江戸初期には整備されていたらしいから、或いは紀州藩あたりの差配だったのかどうか。

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いずれにしても海岸を渡ることができない以上、巡礼の道もさることながら、貴重な生活道であったのだ。

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桜が咲いて鶯が鳴き、この心地よい峠道は、なるほど人気の道で、世界遺産も納得であった。

ともあれ登り口から30分程度で峠に至り、私達は更にこの峠の上の天狗倉山に登ったのである。

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勿論この山頂からは尾鷲の町が一望に見渡せ、尾鷲湾を見晴るかしたのである。

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尾鷲の街に降りて昼食を済ませ、今度は最大の難所である八鬼山越である。

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この峠道もほとんどが石畳なのだが、その道を延々と登ること2時間余、更には下るのもこれは大変で、滑り落ちないようにと細心の注意を払って進む。

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足ががくがくになる頃、賀田湾に面した小さな集落、三木里にと辿り着いたのである。

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海水浴場に面した穏やかな港町で、先ほどまでの石畳の緊張が嘘の様に疲れを癒すことができた。

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ともあれ、もう石畳はもう結構と言う気分だが、熊野古道の最大の見所がこの石畳なのである。

何百年物月日を費やして営まれてきた人々の知恵が石畳なのであって、まさに山国ならではの世界遺産でもある。

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新宮まで、残すところ50k余である。

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2018年3月30日 (金)

Pass to pass

伊勢路の三日目は、大内山から相賀までの36.5kの旅程である。

この間はツヅラト峠に始まって、一石峠、三浦峠、始神峠を次々と越えなければならない。

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昨日の宿への到着は日没との競争で、その教訓から今朝は出発時間を6;45にして、少しでも距離を稼ぐことにした。

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朝はまだ肌寒いのだが、私は相変わらずのランパン・ランシャツ姿である。

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まず最初の難所が標高360mのツヅラト峠で、この峠が伊勢と紀伊の境界になっていて、峠からは紀伊長島の港が見渡せる。

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ツヅラトとは99岐の意味らしく、その名の通り曲がりくねった登山道が続く。

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その杣道が曲がる地点には、谷底から野頭積みの石垣が積み上がっていて、その上に道が作られている。

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どれほどの人々が、この道を維持するために労力を投じたかと思うと気が遠くなるようだ。

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しかし人々の営みは、営々としてこの山中の道を守り続けてきたのである。

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さても、その世界遺産の古道を降りると、そこは長嶋港によって栄えた魚町である。

この街の紀伊長島神社があって、天正の合戦で焼け落ちた長島城の跡に建てられたようだが、そこには樹齢800年の大楠がそびえていた。

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この土地の歴史に少しばかり思いをはせつつ、クスノキを愛でていた。

さらに4kほど海岸に沿って進むと、今度は一石峠(標高130m)に差し掛かる。

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この峠は40分余で越えたのだが、三浦峠に向かう途中に食堂を探したが見つからず、

村で出会った親切な農家の方にミカン(甘夏、イヨカン)を頂いて、海岸で昼食とした。

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三浦峠に上ると、その峠からは道瀬海岸の先に浮かぶ幾つもの島々が見渡せた。

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いずれにしろ、この一日は峠から峠への一日であった。

それでも早朝に出発したおかげで、相賀の宿には16:30には入れたのである。

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この三日間で約80kを辿り、まだまだ先は長いが、極楽浄土への旅程の半分を辿ったことになる。

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どの様な難路であろうとも、ランナーならばこそ、仮に浄土へ旅立ったとしても、鍛えた足のおかげで、人より少しは早くたどり着けるのではなかろうか?

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2018年3月29日 (木)

山のあなたの空遠く

伊勢路の旅は、高山はないにしても山また山の、山のあなたを訪ねる旅である。

幾重にも重なって続く山並みを越えて、その向こうに何があるのだろうと探し求めていく。

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その間にはいくつもの峠があり、その途上に寺社があり、桜やレンギョウ・椿などの花が咲き、幾筋もの川が流れている。

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そしてそれは私たちの日常とさして違わないのだが、それでも未だ見ぬ地を求めてひたすら歩き・走り続けるのである。

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ともあれ、伊勢路の二日目は、栃原から大内山に至る36kを辿ったのである。

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午前8時、栃原の歴史ある宿を出て、先ずは栃原の街を見下ろす稲荷山に登る。

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宿の親父さんの案内であって、宿の隣には慶応年間に建てられた民家が粛然と建っている。

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この伊勢の地は、少子化の故かどうか、空き家が目立っていて、この年代物の民家も空き家であった。

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かつて栄えた宿場の街も、なかなか時代の流れに抗するのは難しい様で、熊野古道を訪れる客も減っているという。

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宿場を出ると直ぐに「馬鹿曲がり」に至って、深い谷を避けて大きく迂回したことからこの名があるらしい。

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江戸末期には谷に石垣を積み上げて、その上に橋を渡した由緒ある施工があった。

谷底からこの石組をしばし眺め、次の眼鏡橋の方向に山の中の杣道を進む。

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小さな集落の入り口に「殿様井戸」と呼ばれる所があって、出会った地元の方に案内していただく。

鷹狩の途上にこの涼しい井戸が気に入って殿様(北畠具教か?)が長逗留したという。

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殿様の前を通る訳にもいかず、巡礼の人々がこの井戸の前後で渋滞したと伝わる。

さても、山地の故か栃原からの1kmがすごく長く感じられて、やっと三瀬の渡しに至る。

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この宮川の渡しはかつて藩の財源にもなったというが、私達の渡船料は一人500円だった。

客は私たち8人だけなのだが、4人の渡し保存会の皆さんが待機してくださっていた。

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川を渡ると急な坂を登って、三瀬坂峠へと向かうのである。

三瀬坂は標高260mほどだが、この峠を降りる頃には既にお昼過ぎになっていた。

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峠の下の食堂に入って、この地のウナギをいただき、しばらく進むとそこには広大な瀧原宮が鎮座していた。

余りの格式に驚いていると、やはり伊勢神宮の別院ということで、実に荘厳なたたずまいであった。

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しかも宮の入口から神域まで500mもあって、参拝を終えて出てくると、宿まではまだ20kも残っていた。

とにかく先を急ぐことにして走ったり歩いたりして進むのだが、それを癒やしてくれるのは、今が盛りと咲き誇る桜だったが、殊に大蓮寺の枝垂桜は見事だった。

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ともあれ今夜は、やっとのことでこのブログを書くことが出来たのだが、この伊勢路は神域の故なのかどうか、wi-fiの使えない宿が続いている。

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2018年3月26日 (月)

伊勢路を熊野へ

今日からは、熊野詣への旅に出ている。

熊野詣でとは、本宮大社、速玉大社、那智大社に参詣することで、古の平安時代から続く参詣である。

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かつて、京から那智大社間の往復600kを一か月ほども要して参詣したという。

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だが私たちは、そのうちの伊勢路170k(伊勢神宮~速玉・那智大社)を辿るのである。

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と言うことで、午前11時、近鉄五十鈴川駅に集まった8名は、先ずはおかげ横丁で伊勢うどんを食べて、五十鈴川で身を清め。伊勢神宮内宮に参拝。

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と言っても人波に遮られ、かなりの時間を費やしてしまったが、厳かにナビブの完走を祈念したのである。

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内宮から外宮までは5k少々だが、実は予定表の走行距離28kにはこの間をカウントしていなかった。

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外宮を出発したのは既に1時過ぎで,如何にせん、4時間で重い荷物を背負って、この距離を走るのは無理かと思われた。

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それでも、けなげに走ったり歩いたりして田丸に至ったのだが、既に15時になろうとしていた。

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今日の宿は栃原に予約しているのだが、途中の難所女鬼峠を越えなければならない。

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女鬼峠などと如何にもおどろおどろしい(我が家にも一匹いるが)ではないか。

止む無く田原駅でタクシーに乗って8kを短縮し、峠の麓から再スタートすることにした。

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これは大正解で、以後順調に歩を進め、17;15には宿に入ることができた。

随分汗をかいて足も昨日来の酷使で疲れ果てているのだが、宿には温かな風呂がある。

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今回の伊勢路のジャニーランはナビブの予行演習のつもりなのだが、砂漠に風呂はない。

風呂桶に浸かって足を伸ばしながら、風呂はいいなぁとしみじみと思っていた。

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ところで、古代以来延々として、人々が熊野の難所を目指したのは何故だろうか。

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山また山を越え遥かかなたの見知らぬ地を目指したのは、恐らく浄土がそこにあると信じたからではなかったか。

熊野とは地の果ての意味だろうし、イザナミが赴いた黄泉の国だったのである。

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さても、この旅は今週一杯続くのであるが、果たして浄土を垣間見ることができるだろうか。

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2018年3月25日 (日)

藤原岳へ

今日はMさんのツアーで、北伊勢の藤原岳(1160m)に登った。

鈴鹿山脈の一角で山頂からは、伊勢湾や琵琶湖が見渡せる花の100名山でもある。

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メンバーは何時もの山の仲間達12名で、この仲間達が連れ立って上るからこそ山は楽しくなる。

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とは言え、1000m余りを一気に登るこの山は、そんなに安気な山でもなく、それに雪が随分残っているとの前触れであった。

午前9時には裏登山道から登り始め、12時半には藤原山荘に着いて昼食を済ませ、

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直ぐに天狗岳、そして折り返して藤原岳山頂へと、この藤原山を制覇したのだった。

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花の名山と言うことで、ヒトリシズカやキランソウ、ウラシマソウ、ミノコバイノ、フデリンドウなどが咲いているかと期待したのだが、これは春真っ盛りの頃の事。

今回遭遇したのは、フクジュソウトネコノメソウであった。

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フクジュソウはかなりの群生で、小さな体に立派に黄色い花をつけていた。

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それでもこの石灰岩の山を辿ると、カルスト地形がそこここに露出していて、独特の風情を醸している。

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もっとも、この山の遠景は片面が大きく削り取られていて、半世紀余に渡ってセメント工場の原料になってきたらしい。

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山の形を変えてしまう人間の生産活動もす覚ましいが、はて・・・どこで我々の自然と調和すべきものかどうか。

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麓では今もセメント工場が煙を出して稼働していた。

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ともあれ今日の藤原岳は大変な人出で、その大方が雪の中に咲くフクジュソウであったろうか。

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淡々と登り、ピークハントしてまた淡々と下る山行は、何も考えることなく一日が終わってしまう。

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マラソンとはまた一味違う登山の一日なのだが、それは心楽しいステージでもあった。

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2018年3月24日 (土)

明弁の知

人は、自分の見たいもの(関心のあるもの)をだけ見るという性癖を持っているようだ。

だから数人が同じような景色を見ていたとしても、それぞれに見えているものが違っている。

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逆に言うと、自分の感心を意図的にある方向に向ければ、目標とする情報はどんどん集まるって訳だ。

そこで大切になるのは言葉の力であって、「〇×を実現するぞッ」って明弁すれば、体全体がそっちの方向を向くってことになる。

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自分の目標へと自分を駆り立てていく、利口なやり方である。

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私もこのブログを書くこと(一種の明弁)で、自分をコントロールしてきた面が少なからずある。

多くの仕事に直面したとしても、「まず、これを片付けよう」って決めて明言することが肝心だ。

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仕事でパニックになりそうな時だって、そうやって難局を乗り切ってきたような気がする。

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ともあれ、自分は自分で創るってことだが、これを考えたのは今日の勉強会でのことだ。

今日の教材は、修身講義録の25講~27講で、テーマは仕事の処理と成形の功徳である。

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例によって午前中はお互いの近況報告と、それに体を動かすことである。

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ランニングに出たのだが、途中から近くの菰張山(614m)に登ることになって、何時の間にか藪漕ぎになってしまった。

その山から脱出して、今度は山桜の下での昼食となった。

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細やかな食べ物を分け合ってひと時を過ごすのだが、これが勉強会の楽しみでもある。

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午後は講義録を順次朗読し、「成形の功徳」などについて、ソダネーっと納得していた。

この勉強会は、日頃考えていたことを改めて整理できる機会でもあって、それに参加メンバーも少しずつ成長している。

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発言することだって心の底からの声になっていて、つまり本当の人生の勉強会になっている。

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そして今日は、勉強会の最後に葛布の滝を訪れ、来月の再会を約したのである。

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2018年3月23日 (金)

挑戦と妥協と

人間は面白いもので、歳と共にその人らしい雰囲気を醸すようになるし、顔付だってそれらしい顔になる。

それで時々自分の品格を考えるのだが、鏡を見る限り只の痩せた爺の顔でしかない。

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体脂肪は数パーセントだし、日焼けして皺張って、頭髪は申し訳程度でしか残っていない。

その顔を覗き込む度に、俺の品格はこの程度だったのかとがっかりする思いをする。

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そのがっかりと言うのは、子供の頃から数限りなく挑戦をし、そして何時も自分と妥協してきたことだ。

徹夜を覚悟したのに寝てしまったり、安易な受験を考えたり、何とかなるさ・・って転身したり、

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せっかく挑戦したのに、何時もどこかで妥協してきたんじゃなかったかと言う思いだ。

結果として、この痩せひぎれた貧せぃな顔なんじゃないかって訳である。

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ともあれ、思うに私には「やったぁ~」って成功体験が少ないのである。

何時も程々で収まって、この辺で妥協しとこうかってことが多く、成就の喜びに恵まれちゃいない。

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従って、眼だけは何時もランランと獲物を狙ってはいても、福ふくしい人相にゃならんて訳。

しかしまあ、折角生まれてきたのに、自分の力を試すこともなく死ぬなど愚の骨頂だろう。

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とにかく対象は何であれ、挑戦してみるにしくはない。

それに私に残された時間を考えれば、躊躇は許されないのである。

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千里に旅立て・・・・「野ざらしを 心に風の しむ身かな(芭蕉)」、芭蕉は途上に白骨をさらす覚悟で奥の細道へと旅立ったのだ。

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確かに多くの妥協をしてきたのだが、その時々に自分のできる限りの挑戦も又してきたのである。

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さてもこれからだが、もう既に惜しい程の命ではあるまいて、容易に妥協することはあるまい。

そう、私の人生は一度限りなのだから。

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2018年3月22日 (木)

歳月

昨日は寒い一日だったが、間違いなく春分の日で、細君は雨の中在所の墓参りに出かけた。

夫々の親は一人二人と他界し、残るのは93歳になろうとする私の母親だけである。

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いずれ世代交代が進んで私達の番になる筈だが、不思議なことに自分では永遠に生きると思っている。

ともあれ、早いもので親爺が83歳で死んで、もう真ん丸11年になろうとしている。

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昼間に親爺を思い出すことはめったに無いが、やはり夢には頻繁に登場する。

父親などは哀れなもので、私もそれほど親爺の影響を受けたとは思っていないのだが、

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何時の間にか風貌は似てくるし、考えることだってそれほど変わってはいないようだ。

その親爺だが、戦地で何度も死にそうになって、やせ細って復員し、そして私が生まれた。

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復員して直ぐに祖父が亡くなり、弱冠二十代の夫婦が家を背負って働いた。

当時の事だから、農作業は肉体労働に依存せざるを得ず、原始的農業に心血を注いだ。

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子供の頃の私は、その父母を少しでも助けることで、自分の心を養っていたようだ。

今なお頑張ろうって気持ちがあるのは、あの頃の経験(小さな子供が果たした役割)があるからこそだと思っている。

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今じゃ誰も信じてくれないが、あのオシンの生活とさほど変わらなかったのではないか。

その一見可哀そうだった子供が、もう既に70歳にもなって、世界をまたに遊びまくっている。

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それが出来るのも、93歳になろうとする母親が元気なおかげで、彼女は毎日自分のできる仕事を探し回っている。

草取りや掃除に始まって、新聞記事の注目点までもこの息子に伝えようとするのである。

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人間が生きるとはかくあるべきと、彼女はそう信じて毎日を暮らしている。

いや私も遊び回っているだけではなく、それなりに仕事はしているのだが、そうだなぁ~

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私の場合は仕事も遊びであって、人生を謳歌していると言ってよかろうか。

そういう意味で、自分の命を燃焼させられるステージを共有しているのである。

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歳月人を待たずと言うが、その過行く歳月を精一杯謳歌しているのである。

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2018年3月21日 (水)

精一杯ということ

せっかくの人生だから、何時かは終わりになる人生なんだから、それは満足して生きたい。

そして人が生きるとは、自ら考えて行動し、目標に向かって努力を積み重ねることだ。

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ただ単に食べて寝て生きたというだけならば、犬や猫と変わりない生き方になってしまう。

仮に結果が出なくても、自分を極めようとする努力、その道のりにこそ価値があるのではないか。

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そくてそれは、年齢などおよそ関係なく、その最後の時まで続くものだと思う。

団塊の世代が次々と大きな峠を越えて、いよいよ老境に至ろうとしているのだが、その多くが、どうも人生の現役を退いたかのような顔をしている。

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行動半径がどんどん縮まって、もう…半径300mの人と時たま顔を合わせるのがやっとだとか何とか…。

70歳そこそこで如何とも切ない話だが、人は何故生きるのか忘れてしまったかの様ですらある。

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人は少しでも働いて(働くとは、ハタを楽にすることだ)、前向きな行動をすることで生かされる。

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それと自分の可能性を極めるってことを忘れないことだ。

もう良いやとか、年寄りの冷や水なんてのは大昔の事で、今じゃ出来ることが山ほどある。

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この私だって70を超えてなお、月間に山の中を250k走って、尚且つ砂漠250kレースに挑戦するんだから、それは推して知るべしだろう。

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ともあれ、来週はナビブの予行演習のつもりで、熊野古道170kを6日間で走破する予定だ。

出来ることはすべて、やってそれで結果を残せなかったとしても、それは自分なりに納得できるだろう。

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いずれにしても平均寿命まで残すところ12年、精一杯生きてやるぞぉ~って気持ちだ。

この歳になっても、たった一本の後戻りできない道だから、目標に向かって歩み続けたいと思っている。

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2018年3月20日 (火)

I'm in a pickles.

走っていて転んだり、人と諍いを起こしたり、落第したりと困ったことは次々と起こる。

だからと言って、困った困ったと頭を抱えているなんてことはなかった。

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何時だって、なにくそとか、今度こそはって頑張ってきたはずだ。

そう‥人生なんて、成るようにしか成らないし、成らないようには成らないのである。

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このこれまでの70年を振り返ってみて、果たして本当に困ったことなど一度として無かったのではないか。

失敗を強いてあげれば、女を見る目がないままに結婚を急いだことだが、それだって思いようで、これで良かったのかもしれない。

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男と女は面白いもので、殊に夫婦は世の中で一番相性の悪い者同士がくっつくものらしい。

そもそも「恋」と言う字を変わる心と書くように、一時の熱が冷めてみると、うんざりばかりになる。

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しかしながら見方を変えれば、この相方のお陰で心の緊張が癒されてきたのである。

人には誰だって欠点もあれば長所もあって、欠点には目を瞑るに越したことはないのだ。

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夫婦だって、(お互い干渉することなく)それぞれに自己実現を目指せは良いのである。

古稀を過ぎて尚更だが、There is nothing to it.って気持ちがますます強くなっている。

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気が付いてみれば、最近ではpickles(漬物)が好きになって、欠かせない食材になっている。

同じ一生をどう過ごすかなんてことは、手前のやり方次第なのである。

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全てを固定化しないで、柔らかに考えれば、道は幾筋も見えてくる。

どうしようもない堅物だった男が、これだけ柔らかになったんだから推して知るべしだろう。

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極楽浄土は西方十万億土に存在すると、阿弥陀経にそう書かれている訳で、

私も何時かはその浄土とやらにむかう旅に出なければならないのだが、その前にまだまだ謳歌しなければならない現世がある。

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漬物樽なんぞに漬かっている暇はないのだ。

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2018年3月19日 (月)

誉をあげむ

若さの中には、その脆さと共に限りない可能性を秘めているものだ。

今日は私の出身校でもある地元の中学校の69回目の卒業式に、学校協議会の一員として出席した。

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私が卒業したのは、それはもぅ~半世紀以上前の事だから、既に昔話の世界になる。

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思えば純粋無垢で真っすぐで、そうして臆病で不安一杯で、家の仕事を手伝いつつ、その人生の入り口の時期を過ごしていた。

思えば、その自分の可能性の一端(やれば、出来るじゃん)を発見したのも、中学生の時だった。

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それまでの劣等生が、少しばかり勉強するとメキメキ成績が上がって、少し自信をつけた。

でも元来が劣等生だから、いまだに物腰はおどおどと、三つ子の魂は踊ることがない。

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きっと、ずっと感じやすい幼年期を過ごしたのだと思う。自分の可能性など考えもせずに。

その幼年期の精一杯の汗と涙、口惜しさと不安が、何時の日か生きる強さに変わっていく。

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あの幼稚で世間知らずの私も、そうやってもう70年も生きてしまったのだ。

そうして、もう既に十分生きたという気持ちと、いやさ人生はこれからと言う気持ちが入り混じっている。

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その中学校の校歌は「誉をあげむ」で結ばれるのだが、繰り返し歌ったその誉こそが私の目標だったのかも知れないと思った。Img_9516

さても卒業式は国歌斉唱に始まって粛々と進み、式終盤の送辞と相成った。

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型どおりかと思ったら、中学二年のその女生徒の「送辞」が、感性豊かで秀麗で美しく、

これが中学生かと思わせる文章と朗読であった。

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中学生など子供と思いきや、これ程の文章を彼女は一人で書いたのかと思うと驚く他ない。

ともあれ我が孫娘も卒業生の一人だったのだが、感じやすいのは遺伝なのか、始終ハンカチを手にしていた。

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2018年3月18日 (日)

熱中体質

夏休みの宿題に始まって、試験勉強にしても一大決心をして、そして何時も三日坊主で終わってきた。

今日は寝ないでと決意してとりかかっても、机にうつ伏せって朝を迎えていたなんてことも度々あった。

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当時、自分はなんて自堕落なんだろうと、半ば諦めるような時期もあった。

所詮学校の勉強なんて、自分で学ぶか否かで決まる訳で、それは何時にかかって成否は根気にある。

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その点で誠に根気のない子供だったらしく、それが自分の自信のなさに直結していた。

運動能力への劣等意識とも相まって、私の気の弱さの原因でもあった。

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それが変わり始めたのは就職してからで、なにせ団塊の世代の出世競争は激烈だったし、

生きる為には背に腹は代えられないって意識で、無我夢中で仕事に取り組んだ。

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人と違うことが出来るようになるにはどうするか、俺なら何ができるのかと必死で考えもした。

そしてその答えは、自分を意識して一定方向に傾ける(熱中させる)ことだった。

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今なら過労死寸前までの連日の徹夜だって、敢えて乗り切って今日に至っている。

而して家はほったらかしで、三人の子供のうち出産に立ち会えたのは末っ子だけだった。

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子供の頃とは全く異なった自分に変身したのだが、その粘り強さを本物にしたのがランニングだった。

四十歳過ぎた頃から駿府城の内堀を走り始めて、次第にマラソンへと発展させていた。

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走るのは言うまでもなく根気勝負で、止めようという誘惑は次々と起こってくるのだが、そいつを乗り越えるのに数年は要する。

物事に集中してやり続ける体質になることが難しく、続けるのは実は容易なことではない。

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知らない人は「走らないと、気分が悪くなる病気」などと言うが、ランナーは敢えて自分を熱中体質に仕向けているのである。

この熱中体質が走ることに留まらず、私の生活を次々と変えてきたことは言うまでもない。

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お陰で70歳の峠を越えてなお、山中を月間450k前後走ることを可能にしている。

あの子供の頃の気の弱い私のままであったなら、とてものこと今日を想像することすら出来ない。

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2018年3月17日 (土)

Japan Wolf

ニホンオオカミは、絶滅して久しい動物だが、一部でその復活が待望されてもいる。

そもそもこの列島の生態系の頂点には、オオタカとオオカミが君臨していたのである。

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それが日本列島の開発と狩猟などによって激減し、オオカミはあえなく絶滅となった。

イソップ物語などでもオオカミは悪者を演じていて、嫌われ者のイメージが強い。

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しかし現実にいなくなってみると、今度はイノシシやシカ、サルなどが跋扈することになって、

植林した苗木や畑作物の食害被害は年々増加する一方で、中山間地域では家庭菜園さえ成り立たない現実がある。

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オオカミの絶滅と相まって狩猟文化の衰退も顕著で、生態系を狂わせてしまっているようだ。

それを正常化するには、外国からオオカミを移入すれば一挙に解決するのだが…。

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私は導入に賛成だが、このコンセンサスを得るのは果たして容易なことではあるまい。

それはともかく、実は私はJapan Wolfの一員なのである。

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と言っても、これはサハラレース(ナビブ・グレイトレース)のチーム名である。

日本から参加するのはたったの9名で、ほとんどが三十代の若者ダガ、シニアが三人いる。

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私を筆頭に60歳代が二人、この三人でチームを組もうということになって、それがウルフだ。

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既に絶滅したニホンオオカミだが、このロートルの痩せオオカミが忽然とアフリカの砂漠に現れ、執拗にゴールを目指すイメージだ。

ナビブにはオオカミこそいないが、どうやらハイエナが生息するらしく、精魂尽きて倒れたら食われてしまう。

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ニホンオオカミの復活なるか、それともハイエナの餌になるかが、今度のレースの醍醐味でもある。

メンツは、まだまだ精悍なヒラタオオカミ、紅一点のマリエオオカミ、そして骨と皮の私だ。

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何としても、ハイエナの餌食になることなく、ゴールにたどり着きたいと思っているのだが。

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2018年3月16日 (金)

自分の手と足と

今日の人々は文明の発達の故に、頭と口先ばかりで生きる傾向にあるようだ。

体を動かすことと言ったら、たまの日曜にゴルフに出かけるのがせいぜいって人も多い。

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確かに一昔前の肉体こそが労働力だった時代からすると、私達は格段に体を動かさなくなっている。

この点私は、おおむね朝から晩まで体を留めることがない。

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フリーになってからは、月に450kは山の中を走っているし、そうでない時は畑仕事だ。

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畑に更地があると、何とかしてその空白を埋めようと算段する。

一昨日も、サラダ牛蒡とコカブ、それに春大根と人参を播種した。

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サニーレタスとオクラ、それにピーマンとキュウリは育苗中といった具合である。

元来頭を使うのはあまり得意ではないのに、最近では悪知恵を働かすことすら無くなった。

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今日は雨の一日で、その手足を久しぶりに休める一日となった。

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私の足には慢性的に疲労がたまっていて、明け方は布団の中で無意識に伸びをしている。

痛む足をウゥ~ンと伸ばすのだが、これが(今日も頼むぜって)結構な快感になっている。

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兎角頭でっかちになってしまったこの時代、手足を動かすことはとっても大事なことだ。

頭で考えただけじゃ何も動かないが、一歩前に踏み出せは景色は変わってくる。

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況や、自らの手で作業することで、それは物事を変えていく力になる。

健全な精神は健全な肉体に宿るであって、手足を動かさないでそれは望むべくもない。

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けだし、この動き回ることのできる体に恵まれたことに感謝しつつ、日々汗をかくことに勤しんでいる。

ところで砂漠のグレイトレースまで一か月少々となって、今日はウエアーへのパッチを縫い付けた。

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何としても、このウエアーと共に、ゴールにたどり着きたいと思っている。

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2018年3月15日 (木)

未熟な自分

70にもなるのだから、酸いも辛いも噛分けた、それはそれは成熟した大人だろう。

かつて年寄りをそんな風に眺めていたのだが、自分がその年になってもさっぱり実感がない。

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嬉しいことや新たな体験も増えて、感動と言う感情の起伏はむしろ大きくなっている。

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かてて加えて、日々の植物の生長や季節の移ろいにさえ喜びを感じるんだから、成熟とは何なのかと考えてしまう。

毎朝、「オ~ス」と軽く手を挙げて行くおしゃまな小学一年の女の子がいて、ついつい私も「オ~ス」と手を挙げている。

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街頭に立って6~7歳に同化している訳だが、むしろ私はそれを楽しく感じている。

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毎日そんな子供たちの顔を見ていると、その子の可能性や性格までもが見えてくる。

それは確かに人生経験の成せる業であるが、しかしながら私の成熟とか老成とは違うだろう。

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来月には砂漠250kのレースに向かうのだが、それを無謀だと訝る向きもある。

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正に、年寄りは大人しく諦念を抱えてジッとしていれば良いと言わんばかりである。

しかしながら、弱冠70歳の私には行ってみたい所も、やりたいことだって無数に残っているのだ。

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とてものこと、老人然としてなんぞいられる訳もなく、何時までも未成熟な自分を貫こうと思っている。

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そうして歳を経れば経るほど、己の人生を楽しむべきなのである。

そこのあなた・・・何の為に、これまでせっせと働いてきたんですか?

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2018年3月14日 (水)

人生是好奇心

望むらくは、死ぬまで人生を思いっきり楽しんでやろうと思っている。

そしてその原動力は、邪な野心などではなく、まだ知らぬものへの好奇心だろう。

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本当はもっと若い頃からその好奇心を全開にすれば良かったのだが、あまりにも世の中を知らなかったし、俄然安全第一で生きてきた。

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そんな諸々の制約から解放されて十年余、今は気の赴くままにアンテナを向けている。

いやさアンテナに留まらず、自らの行動として好奇心のままに進退している。

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年々歳々、歳を重ねるということは、或いはそうした自由を得るという意味で素晴らしいことだ。

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やはり七十にならなければ、八十にならなければ分からないことがあるのである。

私達は伊達に無駄飯を食って生きている訳ではなく、歳を重ねる意味を得心しながら生きている。

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人生を楽しむと言ったって、酒池肉林豪遊を楽しむことなど、それは所詮無理だろう。

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俄然楽しみの中心は、人生の深い味わいを知るということになる。

人と人の心の繋がり、その土地に染み込んだ歴史の襞、生活を成り立たせてきた歴史文化、

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そう言った一つ一つが、「あぁ~、そうか!!」って分かってくるんだよね。

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それに未だやり残したことの数々だが、それを一つ一つ体力のあるうちにやり遂げたいと思う。

砂漠を含め、世界の各地を自分の足で踏破してみたいし、時間は幾らあっても足りない。

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いやいやこの日本列島だって、私の知るのはホンの一部に過ぎなくって、列島縦断もやってみたいことの一つだ。

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ともあれ好奇心には際限もなく、こんなに洋々とした日々は願ってもなかったことだ。

齢70歳、今からできることを数えて、人生はまだまだだと思っている。

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2018年3月13日 (火)

人も時間も旅

一概に旅とは言っても昔と今日とで随分違って、昔の旅は命がけだったかも知れない。

その「遠くまで来たなぁ~」って実感は、自分の足で辿った昔の人達の方が先達だ。

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今日の私達は、異国にだってその日のうちに飛んで行ってしまえる訳で、確かに世界は狭くなった。

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その分、情緒と言うか、旅情の感覚が薄くならざるを得ないだろう。

毎週の様に出かけている私なぞは、或いはその出掛けることが日常化している。

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それでもそこで誰と出会ったとか、珍しい風物と遭遇したりすれば、それはたちまち感慨となる。

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確かに一人で農作業していたんでは、味わうことのできない旅の人生なのである。

旅の俳人芭蕉の奥の細道は「月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人なり」と書き出している。

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私があちこち出掛けているとは言っても、やはり行き交う月日には到底かなうべくもない。

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出掛けるのは、その旅行く月日に幾ばくかの印を残さんと欲すればなり・・・と言うことになる。

しかしながら、この旅路に何某かの意味を残すのは実は大変なことだと思う。

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平々凡々と生きてきたからかも知れないが、我が人生を振り返って忸怩たる思いがする。

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何と平板に物語もなく生きてしまったことよ・・・・と(精一杯だったくせに)思うのである。

かと言って、どこをどう歩けば良かったのか、旅から帰っての繰り言なのである。

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確かに、確かに月日は流れていて、この古稀の峠を越えた我が身にも、老いは確実に迫っている。

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それを見て見ぬ振りをしているのだが、さてもこの芸は何時まで通用するものやら。

かつて「月日が百代の過客」などと思ったことはなかったのに、今では実感を伴って理解できるのだ。

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2018年3月12日 (月)

土地にはその土地の

司馬遼太郎は神戸が好きだった・・と思う。

彼の随筆の中にもかなり登場する街で、彼の生まれ故郷の大阪よりも愛着を持って書いている。

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昨日までの二日間、神戸のあちこちを自分の足で巡ったのだけれど、確かに味のある処だ。

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二十年前の震災からは、猛烈な勢いで復興を果たし、それもきちんと歴史を踏まえている。

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やはりその土地の味は歴史の醸し出すものであって、その辺を神戸の人達は心得ている。

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先ずは神戸と言えば異人館だが、これは何も北野地区に限ったことではなく、各地に点在している。

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東の横浜と並んで最も早く開港して、異国との貿易で発展した神戸である。

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ジャズにしろ食べ物にしろ、海外の文化を取り入れる玄関口の役割を果たしてきたのだ。

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少し異質な異人館が淡路大橋の袂にあって、それ(孫文記念館)はかつて国民党を創設した孫文が演説した公会堂を移設したものだという。

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確かに一時日本に避難していた孫文に多くの支援をしたのは、この地の商人達だった。

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その記念館を明石海峡を見渡す場所に移設するなどは、やはり神戸の発想だろうか。

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神戸の歴史は明治以降が確かに華々しいが、瀬戸内の穏やかな風土は万葉歌人や平家の公達に愛されて不思議のない土地だろう。

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その瀬戸内の須磨方面を初めて訪ね、清盛をはじめとした平家の痕跡、それに源氏との騒乱、更にさかのぼれば菅原道真の足跡まである。

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勿論、一の谷から壇ノ浦に続く源平戦乱の土地だから、安徳天皇の墓所まである。

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平家物語の情感迫るクライマックスは敦盛と熊谷直実の一説だが、それは正にこの須磨の海岸での事であった。

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敦盛の首塚にお参りして思ったこと、それはやはり「人の命の儚さ」だろうか。

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人が生きて死ぬのは当たり前だが、熊谷直実の死も敦盛の死も、どんな時代であろうと同じ事なのだ。

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而して今、この千年余の歴史を見てきた須磨を走っているという不思議、そんなことを感じていた。

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やはりその土地にはその土地の重みと言うものがあって、古代から現代をと時代をたどる旅をしたのである。

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2018年3月11日 (日)

須磨の海

神戸はよく晴れて、絶好のマラニック日和である。

ポートアイランドの神戸市民広場前を9;20スタートした私たちは、アイランドの縁を回って神戸大橋を渡る。

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この間の景色と言うものは、六甲の山並みを借景に、港に浮かぶ豪華客船やらビルの群れやら、それらを一望できるロケーションが続くのである。

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この人工の造形を、これまでもかと楽しみながら心地よく歩を進めていく。

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市庁舎前まで来て、私たちは神戸中区コースと須磨コースに分かれるのだが、私は初めての須磨海岸沿い*西に向かって走った。

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遠くには淡路島と、それに繋がる明石大橋がそびえている。

のどかな瀬戸内海の海である。

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そしてその途上は、源平の物語の舞台であって、一の谷をはじめとしたその歴史の舞台の連続なのである。

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平清盛はここに港を拓き、彼の墓所も鎌倉時代になって再建されている。

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いやいや清盛だけでなく、平家の公達の遺跡もあちこちに散らばっているのである。

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中でも須磨寺は、敦盛の墓所であって、青葉の笛とともに多くの参詣人を集めている。

そもそもこの須磨寺は、あの義経の本陣跡と伝えられ、ここから一の谷に出陣したのである。

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平家は海に逃げるほかなく、その船に逃げ遅れたのが清盛の甥敦盛だった。

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その敦盛に追いすがったのは熊谷直実だが、敦盛に対し「やあやあ逃げるとは卑怯なり」と扇子をかざして大音声を上げる。

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これに対して17歳の敦盛は、直実に向かって引き返すのである。

組打ちのすえ直実が兜を跳ね上げてみれば、なんと自分の息子と同年輩の若武者である。

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名を訪ねても「この首を持ち帰れば・・」と答えることもない。

そうこうするうちに向こうから梶原景時がやってきて、止む無く敦盛の首を討つ。

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首を討ちとって傍らを見ると、そこには腰に笛が一本挿してある。

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さては昨夜の美しい音色の主はこの男かと、その風流にはらはらと涙する直実。

義経の本陣に首を持ち帰って首実検に臨むも、涙なくしてみるものはなかったという。

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そして、この須磨寺その青葉の笛が展示されているのである。

おおよそ900年前の出来事ではあるが、今なおもののあわれとして私達の心を打つものがある。

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ともあれ、淡路大橋までの間を走り通したのである。

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2018年3月10日 (土)

神戸の昼と夜

今日は、明日の神戸いいとこマラニックのために、神戸の街を訪れている。

神戸は三宮を中心に、六甲から海岸までの狭いところにギュッと全てが詰まっている。

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それは歴史やら造形物、猥雑な賑わいや震災遺構、眺望も含めてのことである。

それに神戸は、何処に行っても景色の美しいのには感心させられる。

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ともあれ明日のマラニックは須磨方面を辿ることにして、今日は北野に居を構えた異人の気持ちになってみようとの趣向である。

先ずは、北野の異人館だが、オランダ館やデンマーク館、オーストリア館を訪れた。

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それはもう単なるミュージアムになっていて、かつての開港地神戸を思わせるものはない。

そして次に訪れたのが、風見鶏の館である。

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この館は、ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマスが33歳の時に建設した建物だ。

神戸が開港(1868)してから150年になる訳だが、当時33歳にして数億円の豪邸を建てたのだから、貿易商というものの凄さがわかる。

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日中貿易に関わったとされるが、恐らくは武器その他を扱ったのではなかろうか。

トーマスにはその後いささかの不幸があって、一時帰国している間に第一次大戦が勃発、

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彼の豪邸は日本軍に接収され、彼は再び日本の地を踏むことがなかったのである。

帰国した彼は、かなりの貧困生活を送ったようであるが、まぁ~人生はドラマだ。

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それはともあれ、16時過ぎに皆さんと合流し、貿易センタービル最上階のレストランへ、

ポートアイランドからメリケン広場まで、神戸を一望にできるレストランである。

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やがて六甲の山並みに日が沈み、神戸の夜景が広がっていく。

その夜景は、山の手ともいえるトーマスの眺めた景色とは相当に変わっているだろうが、

多分雰囲気としては、さして変わっていないのではないか。

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そして私たちは、この開港地に逸早く移入されたジャズの雰囲気を味わいに行くのだ。

神戸にはジャズ喫茶がいくつもあるのだが、その最も著名な店を訪れて、とうとう随分と気管が遅くなってしまった。

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うぅ~ん、ブルースカイなんて、何とも言いようのないメロディさね。

明日も早いのに、ついつい夜更かしをしてしまったのである。

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2018年3月 9日 (金)

マンネリズム考

若かりし頃、盛んに使ったこの言葉は、常に否定的な意味が伴っていた。

何時も同じことの繰り返しで進歩がないと言う自戒の言葉でもあったのだが・・・。

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就職した時心に誓ったことがあって、それは「前例踏襲をしない」と言うことだった。

前例に学ぶにしても、必ずそこに自分なりの工夫を加えようという硬い誓いだった。

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私の座右にも「創造的主体性」とあって、それでこの長い人生を渡ってきた。

結果として、多分この一貫した生き方は成功だったし、今日の私もその上に立っている。

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しかしどうだろうか、近年の私の毎日の生活はマンネリどころか、同じことの繰り返しなのである。

朝暗いうちに起きてプロテインを飲みながら新聞を読み、英会話の後朝食、街頭に立って子供たちを見送り、

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ホウレンソウの収穫、山に出かけて走り、帰宅して農作業など雑用を済ませ、パソコンに向かう。

晩飯が済めば風呂に入って寝るだけで、時にnovelを考える程度で一日が終わる。

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それが充実した生き方なのかどうか・・、要するに私はマンネリを生きているのである。

かつての旗印だった創造的な部分は影を潜め、その事をオカシイとも思わなくなっている。

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そもそもマンネリはマナーから派生した言葉で、マナーとは習慣化した行動や生き方を指す。

よってマンネリは、若者はいざ知らず、熟年者にとっては長年かけて作り出した生活習慣なのである。

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而してマンネリは生活の成熟でもあって、むしろ最近では大切にしようと思っている。

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ただし、私の場合週末には思い切って羽目を外すのである。

マンネリと非日常、これが何とも心地よいリズムになっている。

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2018年3月 8日 (木)

自分にとっての価値

或いは私達の人生は、ギャンブルの連続なのかもしれないと思う。

どんなことをやったってI'm not  a hundred persent sure.であって、世の中に確実なんてことはない。

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それは入試や就職、株式投資や結婚などに象徴的に現れる訳だが、日常だってそうだ。

今年はずっと野菜の高騰が続いて、私の栽培しているホウレンソウも例年の1.5倍の売り上げだ。

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と言っても、一束百円少々の野菜だから、所詮雀の涙ほどだが、それだって作る弾みにはなった。

昨秋、数百株の白菜を植えたのだけれど、とうとう結球することなく菜の花が満開になっている。

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こんな経験は初めてのことで、野菜の値段が高騰する訳だと納得していたが、これだって明らかにギャンブルだった。

これは自然の成せる業だからと諦めもつくが、日々の自分の選択で「しまった」と思うことだって多い。

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例えばガソリンの価格で、昨日140円で給油したら、今日の価格が135円なんてことはしょっちゅうある。

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これはと惚れ込んだ(見る目がなかった)女性が、後々あぁ~あってなことは誰にでもある??

自分の人生を振り返ってみても、その偶然の連続の結果が今日の私だ。

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もしあの時…などと考えだせばキリがないが、まぁ自分の選択と運を良かったとする他ない。

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その時その時で、自分が大切に思えるもの、価値あると信じるものを追求することだろう。

仮にそれが凶と出たとしても、人間万事塞翁が馬、物は考えようなのである。

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だけど「どのパチンコ台を選ぶか」なんてギャンブルは下の下で、もっと知的なギャンブルが好きだな。

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2018年3月 7日 (水)

エクスペリエンス

我が家の河津桜が満開で、おまけに結球しなかった白菜からするするっと菜の花が覗いています。

スギナもあちこちで顔を出して春本番の到来を告げ、畑も春支度を急いている。

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だから私も、明日からの雨を前にして、今日の一日を幸せなほどよく動いた。

何時ものほうれん草の収穫を終える頃、注文していた2tの堆肥が届いて、早速この堆肥を

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ブドウの各部屋にたっぷりと運び入れ、今年の芽吹きを催促する作業をしたんだ。

実は先日来の暖かさで、ブドウの水揚げ(芽吹きに向けての活動)は始まっていて、

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今日の潅水並びに堆肥施用は、一斉の芽吹きを促す作業なのだ。

今は枯れ木同然の姿だけど、この一か月ほどで見違えるブドウ畑に変身するのである。

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朝早くから動き回って、午後五時過ぎに全ての作業を終え、何とも言えぬ充実感を覚えた。

そう・・・充実感なのだが、生きているっていうか、幸せだなぁ~って感じなんだ。

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それに、程よい疲労感が伴っていて、今日一日をたっぷりと燃焼したわいって思いかな。

そうだなぁ~、今日の作業が今シーズンの豊作に繋がるっていう高揚感かも知れない。

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ホウレンソウは四月中旬まで収穫が続くけど、今月が作物のバトンタッチの時期って訳。

だから明日は、キュウリとオクラ、それにリーフレタスの種を蒔く。

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明後日、雨が止んだらサラダ牛蒡に春大根、それにニンジンの播種が待っている。

年年歳歳季節は巡り来て、その季節に体が機敏に反応していることが嬉しいのである。

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今年の河津桜は殊の外赤色が鮮やかで、この一年のメリハリの強さを予感させる。

春の訪れは、私達の細胞一個一個の働きすら活性化させるのではないかと思う。

今日は、この春の到来に乾杯しようと思う。

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2018年3月 6日 (火)

苦労など何のその

私の子供の頃、それはみんな必死で生きていた終戦直後の事だけど、何時も叱られていた。

両親が農作業から帰る前に、風呂焚きやらご飯炊き、妹たちをあやしながら味噌汁づくり、

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山羊に餌をやって、石炭をボイラーに運んで・・・って具合に、私の仕事は決まっていた。

当時は遊びたい盛りの小学2~3年生だったろうが、学校から帰るとそれが日課だった。

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いやいや私が特別って訳じゃなく、当時は誰だって、田舎では多かれ少なかれそんなだったんじゃなかろうか。

学校でも、宿題を忘れたとか、何やかや、しょっちゅう叱られていたようにも思う。

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そうして、叱られたくないから頑張るって具合で、如何にも消極的な幼少期を送っていた。

ライオンがシマウマを追いかける時の風景なら、私はさしずめシマウマだった。

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それは30歳頃まで続いて、恥をかいたら・・・、ここで失敗したら・・・、落第したらなどとも何時も強迫観念に急き立てられていたような気がする。

走るってことはライオンもシマウマも同じことだけど、ライオンは御馳走を求めて走っている。

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だけどシマウマは、食われちゃかなわないから必死で逃げているって姿だね。

同じ走るんでもアドレナリンの出方が異なって、どうせ走るならライオンの方が良いだろう。

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その自らの為の走りをするようになったのは、40歳を過ぎた辺りからではなかったか。

そう‥私の自立はかなり遅くって、40歳を過ぎてやっとライオンに追われなくても走れるようになったのだ。

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自分の意志で走るってことは、それはそれは気儘で楽しいことで、正に生きるってことに通じている。

人が本当に生きるってことは、自らの意志で何が出来るのかってことだろう。

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この歳になって、やっとそんな初歩的なことが分かるようになっている。

幼稚と言えば幼稚だろうが、大変な農作業も、日々のランニングも今は実に楽しいんだな。

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追うのか追われるのか、これは同じことをやるにしても真逆の事なんだね。

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2018年3月 5日 (月)

我が身に孤独力

今日は家族と子供達以外誰とも会わず、ずっと一人で過ごした。

仕事はと言えば、ホウレンソウの収穫から播種床づくり、そして今シーズン最後の種まきであった。

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雨の一日でもあるし、ずっとハウスの中での一人作業である。

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外部との接触はと言えば、時折さして意味のないメールが入るくらいでおおむね孤独である。

こういう時こそ、心中は気儘な空間をただよって、とりとめもないことを考えている。

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水に気体と液体、そして個体の三態があるように、人間にも三態があるらしい。

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先ずは他人と関わる自分、二つ目は外に向かって意識を向けている自分、三番目は一人己と向きあっている自分だ。

そして人間の本質部分は、この自分との対面の中にある。

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私自身多くの人達と関わって生きてはいるが、やはり自分の姿は孤独の中にあると思う。

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それは仲間の存在は大切だが、生きるのも死ぬのも、走ることだって基本は一人だ。

況や人の尻を追いかけたり、意味もなく追随するのは嫌いだし、只のおしゃべりも趣味じゃない。

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仲間とは、同じ思いで何かを成し遂げることで共有する心の動きだ。

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人は年と共にどんどん孤独になるものだし、その分自らの孤独力を鍛えなくてはならない。

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而して我が孤独力はまだまだだが、自分と言うものが少しずつ見え始めている。

孤独は魂の力量を強化すると言うが、とてものこと、そんなレベルじゃないけどね。

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2018年3月 4日 (日)

心地良く静岡マラソン

今日は珍しく天気の良い、しかも初夏を思わせる暖かさの静岡マラソンである。

昨日大会事務局からの封書を開けると、なんと私のスタート位置はAから始まる・・・・・Fの最後尾になっていた。

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だからスタート時間を過ぎること11分も掛かって、やっとスタートラインに達したのである。

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つまり最初の5Kが37分50秒だったから、7分半/Kのスロースタートだった訳だ。

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それでも当然ながら牛蒡抜きで、10k辺りではDやEの群れの中を走っていた。

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そのスロースタートが奏功したのか、以降はダレることもなくずっと6分/kペースを保てた。

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結果として4時間17分06秒で、総合順位5,029位、部門(70以上)順位23位だった。

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逆算してみると、12千人余の参加者だから、5千人前後を抜き去ったことになる。

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ともあれ、全体を通して心地良い走りで、やはり日頃の練習は嘘を言わないね。

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それにしてもマラソン大会とは不思議なもので、人の流れに乗って42kを否応なく走らせてしまうのである。

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それは競争心でもあるし、群集心理だってある訳で、その中の一人だって安心感すらある。

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「長いこと、マラソンをやってきて良かった」そんなことを思うほど、心地良い一日だったのである。

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それに沿道で施設エイドを出した下さった澄ちゃん、それに智ちゃん、応援ありがとう。

それに久能山の下では、お水代わりにイチゴをたくさん食べたっけ。

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40k地点では、増田明美さんとハイタッチもして、結構楽しんだのである。

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2018年3月 3日 (土)

書く理由

ナビブ砂漠を走ろうと決めた時、この顛末を題材にして「生きる意味」の様な事を自分なりに表現しようと思った。

否どちらが先だったか、生きている「しるし」が欲しくて、それで砂漠行きを決めたんだったか?

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いずれにしても、今を生きている何らかのしるしが欲しいと思ったことと関係している。

書くことならこのブログをはじめとして、市販した著作も二冊ほどあるし、その他の自著も書棚いくばくか残してある。

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しかしそれとは別に、子供のころ夢見た小説家への憧れみたいなものが残っていて、創作に挑もうと考えたのだ。

どうせ老い先長くはない訳だから、精一杯の悪戯を残してやれって気持も勿論ある。

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書くことは、言葉が自分の精神に求める必然的発露であって、結果として自己表現となる。

だから、古稀に至ってなお生きるとは何か苦悶する自分を、何とかして表現したいと思った。

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世の中にはさして意味のない本が沢山出回っていて、読んで良かったと思う本は10冊に一冊もない。

特に評論や随筆には、がっかりさせられるものが多い。

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何をして楽しんだとか、悩みはどう解決するのか、人生はなどと大業に書かれていても、心に残るものは少ないのである。

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況やブログにしても、ラインならば尚更それは賑やかだが、大方はおしゃべりに尽きるのではないか。

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新聞三紙に図書館の本など、随分の活字を毎日読んでいるのだが、確かに中身のあるものが少ない。

紙面を無理に埋めたのではないかと思われる記事が大半ではある。

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否他人事ではなく、私もこの4300日余に渡って、おしゃべり(モノローグ)を書いてきたのだからムベもない。

ともあれ、今回のnovelは何とか完結させたいと思っているのだが・・・・。

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2018年3月 2日 (金)

明日ありと

思えば、命と言うものは不思議なものである。

突然病魔に襲われる人もいるし、事故にだって遭遇する訳で、人の命って誰が操っているのだろうと思うくらいだ。

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同年配の仲間に二十年後を語る人がいて、私はそれを「幻想だよ」と内心思っている。

古稀とは良く言ったもので、かくも長妙な時代になったにしても、生物としては稀なのである。

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だから私は70歳を超えて以降、終活は勿論のこと、儲けものの日々だと思って過ごしている。

かと言って、日々の生活に変わりがある訳でもないが、日々新たと言うか「これが最後の日」だ と思えば、そりゃあ景色は変わるよね。

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毎日が一期一会で、出会った人との一言の会話すらが意味深く思えてくるのです。

それに殊更「今、出来ること」を考えるようになっている。

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昨夜も躊躇しないと書いたが、迷うことなく出来ることをやり抜こうと思っている。

思えば いととし この年月 やろうと思って出来なかったことが山程あるではないか。

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その一つ一つをやり通すには、残された時間が少な過ぎるが、悔いを残さぬ程度にはやろうと決意している。

人は兎角無限に生きるものと錯覚して、油断のままに人生を生きてしまうものだ。

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それもその一生ではあるが、そもダラダラと生きるのは私の趣味ではない。

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明日のことは当然考えるけど、先ずは今日一日が充実していたのかどうかを考えたい。

その延長線上に、すべてがあるのだ。

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2018年3月 1日 (木)

巣立ちの春

昨夜来の台風並みの嵐は、しっかりと春を帯同させたようである。

先日来のあの縮みこむような寒さとは、ようやくおさらばの季節である。

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その3月1日は高等学校の卒業式でもあって、私も馴染み深い学校の式に陪席してきた。

卒業していく彼らにとっての三年間は、そう‥・あっという間の密度の高い日々だったのではないか。

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やはり私の思いは、半世紀以上前の自分の卒業式にゆくのだが、実は何も覚えていない。

と言うよりも、私の高校時代は予備校時代と言い換えても良いくらいに、閉塞していた。

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未来への不安と自分の不甲斐なさへの自戒と、かなり陰湿な三年間だったのではないか。

それを考えると、今時の高校生は闊達で常に伸び伸びとしている。

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今日も卒業生呼名の際に「ハイ」ではなく、父兄席に向かって「皆さん、本当にお世話になりました」と、

また別の子は「親しくして頂いた仲間を、決して忘れません」と叫んでいた。

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そうだよな…卒業式だって、形よりも中身だよなって思っていた。

そして巣立って行く彼らの未来には、無限の可能性が広がっているのである。

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それは須らく古稀を迎えた歳だからこそ分かる事どもだが、あの頃はそんなことは露ぞ思わなかった。

今更やり直しが出来る訳もなくどうしようもないのだが、その「今更」は時既に遅しの意味である。

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だから今を生きるに越したことはないのだが、今更と言う言葉は思考停止を招く。

だから私達は、「イマサラ」ではなく、努めて「今から・・」を考えるべきなのだ。

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今から何が出来て、何に挑戦すべきなのか、常にそいつを考えようと思っている。

そして年に一度は、自分でもワクワクするようなイベントを計画するのである。

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私の10年計画の一部ではあるが、それはレースであれ、旅行であれ、創作であれ、自分の生きた印になるのではないかと思っている。

巣立ちの春は、卒業する高校生たちだけのものではないのだ。

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