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2018年4月27日 (金)

NO4-万平ホテル

「私ね、小説を書こうと思っているの。勿論短編だけどね。」と時枝が唐突に語り始めた。「私たち兄弟は母親に早く死なれちゃったでしょ。だから、ほとんど父に育てられたの。随分可愛がってもらってね。それなのに、思春期には随分その男臭さに反発してね。娘と父親って普通はうまくいくものらしいけど、私は駄目だった。仕事も頑張ってきた人で、ずっと私達のために働き続けてね。子供を育てるのだけが生き甲斐だったんだよね。その父親も結構な歳になるんだけど、最近めっきり体が弱ってきてね。戦中・戦後を生きて来て、しかも再婚しなかったんだから。

その父親と私の或るエビソード、これはまだ秘密だけど、それを上手く包んで書けば、きっと小説になるじゃないかと思って・・・」「ふうん、そりぁ素晴らしいことだけど、書いた短編はどうするの? 親戚に配って終わりじゃ、何だか勿体ないよね。」「そう、それで実は同人誌を主催している知り合いがいてね、その同人の仲間に加えてもらおうって思っているのよ。」「そうかぁ、そりゃ凄い。でもさぁ、小説は短編の方が難しいって言うぜ。」「うん、そうかも知れない。でも、父の生きたしるしって言うか、何か残したいの。父は私が外に出歩くようになってから、極端に口うるさくなってね、それで何時も反発していた。この歳になって、ほら、親の気持ちが分かるようになったのかな。人間の一生って案外あっけないし、大変な時代を生きてきたお父さんに何か恩返しがしたいの。ほらっ、人間って死んで10年もすりゃ忘れられちゃうでしょ。お年忌に行って、お酒飲んでそれで終わりって、それじゃ寂しくない?

「そうだなぁ、俺の親父も死んでもう十年になる。中国の戦地で死にそこなったりもしたけど、復員してきて俺が生まれたんだ。やがて町の顔役になって、町議会の議長をやったりしたその親父も、老人会長を最後に全て引退したら、一気に張りをなくしてアッと言う間に死んじゃった。結局残したのは、選挙の時に使ったポスターの、その遺影だけだよ。人生って、何をやって何をやらなかったか、それが全てだろ。思い出がほんの少し残るだけでね。君のお父さんの人生、その生きたしるしが残せるなら、そりぁいいねぇ。」男はそう語りながら、既に70年も生きてきてしまった自らの人生を思っていた。

「好きで歳を取った訳じゃないけど、俺ももう古来稀な年齢になろうとしている。人間はみんな、自分だけは無限に生きると思って過ごすものらしいけど、人生は実際に過ぎてみると短いもんだなぁ。もっとも私の場合には、君と出会ったお蔭で青春を二度やらせてもらっていると言うか、人の二倍も得難い時間を過ごしていると思っている。君との出会いが、人生をドラマチックにしてくれたしね。」

「そうそう、あの写真館の時代がかった写真、あの夫婦は、きっと時代のどこかに自分達をクリップしておきたいと思ったんじゃないだろうか。この軽井沢には、何だかアンバランスなところがあるだろう。寂れた僻地の寒村が、俄かに高級別荘地になってね。昨日まで牛を飼っていた人が人気のケーキショップをやっていたり、ハニー叔父さんなんて称して蜂蜜売っていたりして。そのアンバランスが、時の流れを感じさせるんだな、きっと。」「俺も何だか・・」と言い始めてフッと我に返って辺りを見まわすと、既にレストランに残るのは二人だけになっていた。

時枝を促して廊下に出ると、お互いに手をまさぐり合ってつなぎあい、会話の余韻に浸りながらゆっくりと階段を登っていった。

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