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2018年4月20日 (金)

老いの至らんとするを知らず

かつてこの国は儒教圏の末端にあって、老と言うものは敬すべきものとされていた。

その証拠に尊敬する人を老師とか老兄と呼んだし、政府の大臣は老中で総理大臣は大老だった。

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更に藩の政治を司ったのは家老だった訳で、年齢はともかく「老」は尊敬の対象だった訳だ。

様々な技術の伝承でも同様で、親方を見習って技術を習得するのが一般的だった。

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しかるに今日、時代は思いっきり変わって、ITやAIが大手を振る時代である。

歳を経ているからと言って、最先端の情報処理技術には適わないし、敬老は陳腐になった。

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それも、ともすれば単なる老いさらばえた犬(年金食いの役立たず)とされかねず、かねず社会全体の大きな荷物になろうとしている。

そんな役立たずが皆100歳まで生きたら、それはそれ確かに大変なことなんだろうと思う。

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私達団塊の世代は、こうした生き様の転換点に立たされているような気がする。

或いは孔子の時代の老人は如何と思って論語を開くと、「発憤して食を忘れ、楽しみをもって憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らず」とあった。

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夢中になって物事に取り組んでいれば、歳をとるなんてことは関係なかろうって訳である。

現実に人も時代も留まることなく動き、そして変化を続けている訳で、その中の流れ星のような存在が私達だ。

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さすれば、精一杯輝いて、老いることすら忘れて生きれば宜しかろう。

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「じいじ」と呼ばれることが多くなったこの私だが、その精神性は若い人たちと何ら変わるところがない。

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否さ、その若い人たちだって、直ぐに私くらいの年齢に達するのである。他人事じゃないんだ。

而して年齢などに捕らわれることなく、私達は「今」を熱く生きれば良いのである。

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今さっき4デザーツから枷メールがあって、その中にThe oldest competitor of the race is Yasuichi Kawashima of Japan who is an incredible 70 years old. とあった。

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