« 長命の時代だが | トップページ | 顔は自ら創るもの »

2018年4月 6日 (金)

人生のギャンブル性

駆け足でやってきた春がもう盛りになって、今日からは小学生の登下校が始まった。

この四月で11年目になる立哨に立って、一年生が増えて幾分華やいだ気分を味わった。

Img_9782

小学一年生は勿論のこと、新たにリーダーになった六年生までが緊張しているのである。

私にとっては十年一日、何も変わらぬ景色なのだが、対人関係やらクラスやら、子供達にとってはそれはそれは大きな変化だ。

Img_9783

私の変化はと言えば、急ぎ足の春のお陰で、ブドウたちが一斉に芽吹きを始めて、その対応に追われていることだ。

Img_9784

無駄な芽を欠き、芽が伸びたら誘引やら花房整理やらと、一気に仕事が増えるのだ。

今年のブドウは昨年より好調な芽の伸びだが、実は私の留守(遠征)中がかなり心配ではある。

Img_9785

とは言え、物事はやってみなければ、結果など分からない(なるようになる)もの。

Img_9786

人生がそうであるように、用意周到準備したって物事に100%などということはない。

台風などの災害があったり、病虫害にやられたり、そんなこんなに一喜一憂してきている。

Img_9758

いやさそれは農作物に限られたことでなく、私達は大なり小なりのギャンブル的な挑戦をしている。

やらなきゃ良かった、やって良かったなんてことは、毎日あるんじゃなかろうか。

Img_9751

でも私にとっては、前者はほんの僅かで、たとえ失敗してもそれはやって良かったの繰り返しだ。

やらないで悔いを残すより、やって教訓を得る方がよほど懸命だからだ。

Img_9750

況やこの年齢になったら躊躇している暇はない訳で、それが無益な博打でない限り挑戦すべしと考えている。

要は何にその価値を見出して、そしてどう挑戦するのかに尽きるのかもしれない。

Img_9747

そうした人生のギャンブルは、競馬競輪パチンコなどとは比べようもなく面白い。

これも人生の楽しみの一つだと思う。

|

« 長命の時代だが | トップページ | 顔は自ら創るもの »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172740/66581311

この記事へのトラックバック一覧です: 人生のギャンブル性:

« 長命の時代だが | トップページ | 顔は自ら創るもの »