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2018年5月 1日 (火)

NO8-バンパイヤー

「そうですか。それは驚きました。それで、失礼ですが岩原さんはお幾つになられます?」「まだ73になるところですよ。俺の人生は、ずうっと走ってきた人生でね。昔・・・、本当にもう随分昔になっちゃったけど、学生時代に学連のワンゲルの頭をやっていたことがあるんだ。それで、何人も人を殺しちゃってね。いやなに、俺が直接殺したって訳じゃない。だけど当時のワンゲルには、そう言うところがあってね。かなりきつい訓練をやって、それが当たり前っていう雰囲気があった。俺は、その先頭に立って走っていたって訳さ。それで、バンパイヤーだなんて呼ばれてね。仲間からはお前が一番先に死ぬって言われていたんだ。だけど、人生それから色々とあって、主だったやつで今生き残っているのは、何故か俺だけさ。俺が世界中駆け回っているのも、みんなの分を背負っているって気分が幾らかはあるね。それはともかく、世界はとんでもなく広いぜ。」と、そこまで言って岩原はにやりと笑った。

 男は、少し自惚れていた自分を恥じていた。少しばかりウルトラマラソンを走るからって、俺の体は頑健だなんて思っていやしなかったか。100kを走るのは、それは大変だが、練習を積み重ねれば誰だってできることだろう。要は、やるかやらないかの違いってことだ。

この岩原は自分の仕事を十分すぎる程やり終えて、尚かつ過酷なレースに挑戦し続けている。十日後に出発するパタゴニアには、ジャングルの山や谷を越え、野営を続ける7日間のレースが待っている。それに背負っていく10kの荷物は、想像するだけで重過ぎるではないか。果たして自分に、その真似が出来るだろうか? 確かにこいつは、バンパイヤ―だ。ニコニコ笑ってやがるけど、とんでもない野郎だ。などとアルコールの酔いに任せて、岩原の顔を睨みつけるように眺めている。

そんな男の心を見すかすかのように、岩原がまた口を開いた。「この73になるまで色々とやってきたけど、何をやって、何をやらなかったかって、その全部が自分の人生だよね。だったら、出来ることをどんどんやるしかない。そりぁ俺も30の中頃までは、行け行けドンドンだったね。だけど考えてみると、その辺がピークでね。事業にしても遊びにしても、少しずつ下り坂に入っていた。ほら、平仮名のへの字なんだなぁ人生は。ピークまでは急勾配を登るけど、その後は長い下り坂を降りていかなきゃならない。俺もその坂を下ってきてね、結局人生は、その長い下り坂をどう下って行くのか、その下り方こそが醍醐味だと思う様になったって訳さ。それに人間って奴は、何時も何か夢を追いかけていないと駄目だな。何かを追いかけることで、それで気持ちのメリハリが保てるんだと思う。ほら、あの学生時代に歌ったなぁ〜、昭和ブルース。なんにもせずに死んでゆく、それが俺には辛い~のさってね。何もしないんじゃ、この世に産んでくれた母さんに申し訳ない。俺も、そんな気持ちでずっと走ってきたのさ。おぉ〜、何だかしんみりしちゃったなぁ。」岩原は、そこまで一気にしゃべって、向きを変えて宴席に溶け込んでいった。春本明枝は、もうとっくに幹事役の久保田と談笑していた。

 マラニックの後の懇親会はいつも愉快で、共に同じ汗をかいた仲間だから屈託はないし、あれこれ語り合うだけで疲れが身体から抜けていく。この夜も囲炉裏を囲んで二次会まで続いたのだが、男の頭は何故か酔うことができなかった。再び風呂を浴びて布団に入ったが、岩原の言った「何もせずに死んでゆく」という言葉が繰り返し浮かんでくるのだった。

 

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