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2018年5月25日 (金)

かつて家紋ありき

つくづく、家紋なんてのは私達(団塊)の世代で終わりだろうなと思う。

家中心の時代から、個人の時代へと様変わりしちゃったからだ。

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かつて冠婚葬祭には紋付羽織がつきもので、その家とか家系を意識したものだが、

家紋が物を言う(価値を持つ)時代は、今は昔のことになった。

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家紋は中国や韓国には無く、日本とヨーロッパ貴族の独特なものらしい。

しかも日本では、名字の持てない時代でも家紋だけはあったらしい。

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つまり代々続くその家の印って訳で、場合によれば命よりも大切にされてきた。

そもそもは平安貴族が好みの文様を衣服にあしらったことが始まりらしいが、

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後に武家の時代になって、家紋は戦陣の旗頭や袖印ともなり、これが室町時代に一般化したらしい。

ともあれ今日では、商標ならば車にしろ家電製品にしろ大きな価値を持つが、既に孫世代は紋所すら知らない。

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かてて加えて、少子化時代故の後継ぎのない家が激増しているんだから、家紋どころじゃない。

親爺の位牌の上に描かれた家紋を見ながら、以上の様な事を考えた次第である。

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ともあれ、一族郎党とか先祖に対する考え方も、私自身ですら変わってきたかもしれない。

墓じまいが流行語になる今日、「家」の大切さを考えたいのだが、それはもう遅きに失しているようだ。

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孫子は可愛いが、私限りの家であっても、それはそれで良いのだと、今は思うようにしている。

今日は玉葱の収穫の一日で、苗不足に反比例して、かなりの豊作であった。

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