赤い砂漠
肌寒い朝を迎えたが、今日はいよいよ赤い砂漠への突入と題された84kのオーバーナイトランある。
果たして迷うことなく突破できるのかどうか、最も心配だった第4ステージだ。
この日からスタート時間が午前8時に繰り上がって、地平線を登り始めたばかりの太陽に向かって進んでいく。
スケルトンコーストから東に向かうということは、どんどん内陸に入って行くということだ。
そして案の定、一歩進むごとに気温は上がり続けて、次第に灼熱の砂漠になっていく。
強い陽の光が砂や岩を熱し、それが空気を温めて、熱風となって私達に吹き付けるのだ。
40度位だろうか、それでも風があった方が涼しく感じるが、体からはどんどん水分が失われていく。
その暑さの中、一時間遅れでスタートしたトップ集団の激走は続いていた。
私達は15k地点辺りで追い抜かれたが、あの若岡さんはトップ3人に肉薄して頑張っていた。
しかし、18k地点の給水所辺りからは、倒れ込んでいる人が目立つようになった。
やがて、オーストラリアのエアーズロックを連想させる赤茶色の山が現れ、その山を回り込むように進んでいく。
その褐色の山裾一帯には、うっすらと小さな植物が生えていて白い花を咲かせている。
砂漠にもわずかな水分で生きる植物や動物がいるのである。
その緑と小さな花が銀色になびいて、私達砂漠の旅人の心を幾分和ませてくれる。
山間の地帯を抜けると、今度は平原を20kほども一直線に進むのである。
この日初めてキソウテンガイを見つけ、若岡さんの言葉を思い出す。
決して美しくもなく、派手さも微塵もない姿で地面にしがみ付いて生きている。
しかし彼らは、この灼熱の砂漠に深く根を張って、1000年も生き続けるのである。
果たして私達に、そんな地味な生き方が出来るだろうか?
平原が尽きて47kを過ぎる辺りで陽は西に傾き始め、一番星が輝き始めていた。
このCPの車の陰で夕食を済ませ、ヘッドランプと懐中電灯・背中の点滅燈のチェックを受けて出発である。
砂漠の夜は、ライトなしではコースか確認できず、進むに進めないのだ。
コースを示すフラッグを見失いがちで、4人で細心の注意を払いながらの行進だ。
夜の距離は一向にはかどらず、私達4人は代わる代わる歌を歌って進んだ。
私達は「月の砂漠」を、そしてJuliaはイエスタディーを歌ったりして、時を忘れようとしていた。
日本の「月の砂漠」はメルヘンそのものだが、このナビブ砂漠には金の鞍も銀の鈴もない。
あるのは、真っ暗な大地と砂の道だけである。
そして、足の沈み込む何時果てるとも知れないサンドロードが続くのである。
76k(残り8k)のCPに着いて給水していると、傍らの寝袋がゴソゴソっと動いた。
出てきたのは、あの元気だったオーストラリアのジャッキー譲で、足を血まみれにしていた。
それでも「ゴー・バック」と言ってぴっこを引きながら暗い中に消えていった。
直ぐに彼女に追いつき追い越したのだが、あの元気印のジャッキーをしてかくのごとくである。
さても、午前三時半、彼方にかすかなテントサイトの光が見えて、やっとこのロングマーチを終えることが出来たのである。
1時間の走行距離は6kだったから、時間の経過は距離そのものだった。
まさに、ロングマーチはその我慢の9時間だった。
ともあれ、砂まみれのまま、倒れ込むように寝袋に潜り込んだのである。
ともかくも、私達は最大の難所をクリアーしたのである。
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コメント
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投稿: ヒロボー | 2018年5月15日 (火) 10時22分