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2018年6月20日 (水)

暫し江戸時代へ

江戸時代は正に時代劇の世界だから、私達には大昔の事というイメージがある。

だけど高々150年前までの事であって、そんなに昔々の話ではない。

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それでも大岡越前だの両国座、小伝馬町や火消しなどと聞けば、あぁ江戸だなと思う。

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それ程に制度も文化も、そして風俗さえ、あの明治維新以降大きく変わってしまったのだ。

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あののどかで人情味あふれる江戸へ、一度は行ってみたいとかねてから思っていた。

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実は、日光ウルトラ100kマラソンの65k地点に日光江戸村がある。

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その江戸村の一角がエイドステーションになっていて、お殿様直々に「ご苦労」とか言って出迎えてくれるし、そこから覗くその町や川辺が実に美しく整っている。

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是非今度は訪れたいと、レースの翌日に改めて出直してきたのである。

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通行手形を買い求めて関所を抜けると、いきなり荷運びの晋兵衛が大八車を引きながらゴミを拾っていた。

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駕籠屋の庄輔・権左を冷かしていると、「昨日はさぞお疲れでしょう。お乗りなすって」ときた。

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一見して昨日のランナーと見破られたようだが、この駕籠屋、ソノエイッホの掛け声が小気味よい。

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ともあれ天満宮の傍らを通って両国橋を渡り、両国座へとまかり越した。

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両国座では江戸の長屋を舞台にした人情芝居が演じられ、江戸情緒を満喫したのである。

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次いで訪れたのが南町奉行所で、ここでは大岡越前が出座して、白洲での裁きが進行中だった。

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一件落着となって終わりかと思ったら、奉行を観客と交代して、裁きをやり直すという。

その越前役を名乗り出たのがランナーであったのだが、これがまた実に面白かった。

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「そこな娘、歳は幾つじゃ? 嘘偽りは為にならぬぞ。」とか軽罪にも関わらず「打ち首じゃ!」などとやりたい放題。

一同やんやの大笑いとなって、若いランナーだったが「見上げた者」であったのである。

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次の若松座は花魁ショウだったが、いきなり登楼のご大人を会場からということで、我こそと身構えたのだが、隣の男が名乗り出てしまった。

その男、花魁の接待を受けつつ、太鼓持ちのリードで「良きに、計らえ」などとたいそうご満悦だった。

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かくのごとく、江戸は太平安楽だったのだが、武道場を訪れると一転、キリキリとした緊張感が漂っていた。

ここでは真剣を使っての居合(?)を教えるだが、何せ既に3時間余が経過し、残念ながら暫しの江戸を退散したのであった。

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各々方、江戸へのタイムスリップ、これも中々に面白うござったぞ。

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2018年6月19日 (火)

チョット世界旅行に

日光ウルトラマラソンの受付を済ませ、鬼怒川温泉の宿に向かう途中で立ち寄ったのが、東武ワールド・スクウェアだ。

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テーマパークのブームが終わった頃(25年前)に50億円を投じて建設されていて、

21ヵ国の102のそれぞれ特徴ある建造物や遺跡が、本物の25分の1の縮尺で再現されているのだ。

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その建物群の足元には、人々の生活をも小さな人形で再現されていて、これを眺めるだけでも興味をそそる。

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それに建造物の無機的なコレクションではなく、全体が盆栽的な植物に覆われてもいる。

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だから四季折々の風景をも再現していると言えるのだ。

単なる建物だけのミュージアムなら人件費も少なくて済むのだが、やはりこの植物群を維持するには相当な人力を要する。

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ともあれパークは日本ゾーンに始まって、アジア、ヨーロッパ、エジプト、アメリカゾーンと連なっていた。

その一つ一つを見物して回った訳だが、その世界一周4万キロの旅に二時間余を要した。

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もっとも自分が訪れたことのある建物は殊更懐かしく、その一つ一つを眺めていれば時間はとても足りなくなる。

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熊本城・姫路城などの日本の神社仏閣、アメリカのホワイトハウスや今は無き世界貿易センタービル、

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アンコール・ワット、故宮や天壇、敦煌の石仏、クフ王のピラミッド、パルテノン神殿やサン・ピエトロ大聖堂、などなどと興味は尽きなかった。

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ところで、仏閣や教会、政庁や城と言った建物は、実は権威や実力の象徴であって、

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それぞれの民族の性向の表れでもあって、・・つまり彼らの思想が表現されていると言って良いだろう。

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ほら、私達だって自分の家を造るにゃ、やっぱり色々と考えるでしょ。

建築は民族の文化の大きな部分を表現しているんだから、やはりこれは面白い。

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バブル崩壊後の不況にも耐えて存続してるんだから、やはりそれなりのものである。

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2018年6月18日 (月)

日光ウルトラ

昨日は、日光ウルトラ100kマラソンを走ってきた。

前後泊を鬼怒川温泉のHにとったのだが、これが今時wifiの電波が弱く、さっぱり繋がらない。

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・・・って訳で、結果として二日間も書き込みをお休みすることになってしまった。

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ともあれ、今年の100kはこの大会が初めてで、ナビブ砂漠以来の覚悟を決めての挑戦だ。

今回はスタート・ゴールが昨年の今市から日光の霜降高原になって、コースも幾分変わっている。

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鬼怒川からの距離もかなりあって、朝のピックアップは午前二時であった。

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外に出ると思わぬ雨が降っていて、気温もかなり低い(標高600mほど)。

暑さ対策をと考えていたから、思わぬ見込み違いだが、午前4時30分、スケートセンターから山を駆け降りる様にスタートした。

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じきに東照宮の森に入って、あの世界遺産の一角を走り抜けていく。

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そこからが中禅寺湖に向けての山登りになって、気温もどんどん下がっていく。

手がかじかむ程だったが、それでもあのイロハ坂を同じペースで登り続けた。

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イロハ坂は21番目のカーブ「な」が一番上で、標高は1286m、華厳の滝のあたりだ。

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私達は中禅寺で折り返して、今度は22番目のカーブ「ら」から急坂を下っていく。

スタートをゆっくりと心掛けた分、下りはスイスイと全速力で駆け下ることが出来た。

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下ると今度は、鬼怒川温泉に向かって少しずつ登っていくのだが、そこは持久力の問題だ。

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日光江戸村を過ぎ、鬼怒川温泉の通りを抜けて、ふれあい橋の鬼を登り、次はスペースワールドの一角を通り過ぎる。

昨年のゴールだった今市を過ぎて、尚且つ15k余を走らなければならないかに気持ち的にはきつかった。

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だが、70k過ぎでへたってしまった昨年と違って、今回は一度も歩くことなくゴールした。

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記録は13時間10分、482位と言うことで、近年では最も速い記録になった。

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とは言っても古稀の爺さんだから、気温の低さに助けられたってことかな。

レース前後の観光もあって、それはそれは日光の三日間を楽しむことが出来たのである。

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2018年6月15日 (金)

酒と私

世の中にはアルコール無しでは生きられない人がいる。

だが私にとって、酒は長い間苦しいものであった。

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そもそも親爺はアルコールを全く受け付けず、お猪口一杯の酒を飲まされて、半ば中毒になる程だった。

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その息子だが、母方の家系には酒飲みもいたらしく、今は幾分は飲めるようになっている。

しかしここまでのアルコール修行には、長年の涙と溜息が伴うのである。

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酒を飲まねばならなくなったのは勿論就職してからで、それは「おい、俺の酒が飲めないのか」の時代だった。

沼津で一人下宿していた頃、駅裏の屋台に連れていかれて、コップ一杯の原酒を飲まされた。

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やっとのことで飲み干して止り木を降りると、腰が抜けていて動けなかった。

タクシーを呼んで下宿まで辿り着いたものの、一晩中苦しくってのたうち回った。

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静岡に勤務していた頃、怖い先輩に「オイ、付き合え!」と言われて、青葉オデン横丁に連れていかれた。

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座ると直ぐに日本のナポレオン(いいちこ)のオンザロックが出てきて、「飲め!」と言う。

口当たりは良くって、そいつを二杯ほど飲んで電車に乗ったのだが、直ぐに眠ってしまった。

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誰かに起こされたのか、気が付いて磐田駅に降りると全身冷や汗で、全てを線路に吐き出していた。

こんな時は決まって二日酔いで、「何故酒なんか飲んだのか」と後悔するのだが・・・・。

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ともかく、付き合い下手の私にとって、酒が飲めなければ仕事に差し支えるって程の脅迫感があった。

それで飲めない酒を飲み続けて今日に至るのだが、当然ながら今日も量は飲めないが、

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仲間が集まって走った後の乾杯は美味しいし、それに何よりも雰囲気が好きだ。

所詮酒の味など分からぬ下戸だが、それでも毎日の様にほろ酔いを楽しんでいる。

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2018年6月14日 (木)

私の道草

私の子供の頃には、学校までの道筋は舗装などされておらず、凸凹道だった。

当然ながら路肩にはタンポポや大黄、ツーピー草やゲンゲなどが繁茂していて、帰りしなそれを採集して、自分の飼っていたウサギの餌にした。

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誰かの家に立ち寄ったり、隣村の子供達と喧嘩したり、その通学路界隈が自分の世界だった。

田舎の事だから小学校まで2km、中学まで4km程もあって、それを歩いて通ったのである。

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(勉強する? )時間を大切にするという直線的思考をするなら、通学に要した膨大な時間は無駄と言うことになる。

だけどどうだろうか、ツラツラ考えるに、道草(試行錯誤)をしながら、自分の歩む方向を決めていくのが人生だとするならば、あの道程は無駄じゃなかったと思う。

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高度経済成長以降、ITから人工知能にまで、時代はどんどん効率を追い求めて進んでいる。

それはそれで便利を提供してくれるのだから結構だが、しかし私達は効率の為に生きている訳じゃない。

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否むしろ、生き甲斐(家族の慈しみや恋愛、趣味や園芸)などと言うものは非効率の中にある。

私の母親は実直な人で、「道草なんてしないで…」というのが口癖だった。

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目的に向かってひたすら真っすぐに、歩くのも速足で人に負けるなって主義だった。

今でもそんな気性は変わらないが、しかし、何に向かって突き進むのかが問われている。

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学生時代は勉学、そして就職すれば出世だとしても、では退職したらどこに向かうのか?

そもそも、人生の本道(主目的) とは何なのかと考えても、そんなものは無い。

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「豊かな生活を実現する」などと言う人もいるが、一体何が豊かなのかそれすら不明ではないか。

そもそも私達は、目的や意図をもって生まれてきた訳じゃない。

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むしろ、与えられた命をどう全うするかということが肝心で、その選択肢に一直線なんてことはあり得ない。

むしろ、あれこれと迷いながら、そいつ(道草)を楽しみながら生きているのではないか。

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而して最近の私は、道草ばかりである。

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2018年6月13日 (水)

記憶の中に

人生の一コマ一コマは、紛れもなく自分の辿った日々なのだが、はてどれ程記憶している事か。

子供の頃の貧しくとも牧歌の様な日々は鮮烈に残っているのだが、

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それが何時の間にか学生時代になり、そしていつしか定年を迎えたのも遥か彼方なった。

その盛りには盤石と思われたものも、気が付けば、足元の砂がさらさらと流れ出し、私の身の回りの風景も変わっていた。

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女房の両親も私の父もすでに久しく、何時も背中を見ていた親爺のその亡くなった歳に次第に近づいている。

人は誰もが、その持てる時間は違ったとしても、時の旅人なのである。

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その時自分が何をしていたのかが、その連続が人生なのだが、はて70年も生きて来て何が残っているのかと問われると、言葉に窮するのである。

懸命に思い出すとしても、まず先にあれやこれやらの失敗、苦い体験の数々が浮かんでくる。

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その幾つかが最近の夢に登場したりするのだが、流石に歓喜にむせぶなんて記憶は少ない。

我ながら、何故こうも嫌なことばかりを覚えているのかと、時にがっかりもする。

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小学何年だったか…ある冬の朝だった、登校の集合場所に集まって馬乗りをしていた。

ランドセルを傍らの木に掛けて、順番に馬になって連なったり、夢中で乗ったりしていたのだ。

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やがて時間が来て2k先の学校に着き、私が真っ先に机の上に広げたのは、ノートではなく給食の布巾と食器だった。

ランドセルをあの集合場所の木に掛けたまま忘れ(給食の袋だけを持って)きたのである。

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何時ものように持っているものを広げただけなのだが、これ…何とも間抜けな場面になって!!!

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過ぎたことは取り返しなどつく訳もなく、そんな間抜けな話を幾つも記憶しているのである。

ともあれ、これも紛れもなく他人の過去ではなく、そして記憶にも残らないつまらない毎日だって、実は自分にとって掛け替えのないものだ。

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今は、間抜けなことばかりやってきたこの自分を、微笑んで振り返ってみている。

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2018年6月12日 (火)

人は一所懸命

私のオヤジの代まで、おおむね一つの土地(田畑)を懸命に耕して生きる時代だった。

殊に農耕民族の典型であったこの日本では、歴史的に「田」が命にも代え難いほどの価値を持った。

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戦後の高度経済成長で、海外から大量の小麦が入り、就業構造も変わって、今では先祖伝来のその田の価値はようやく暴落した。

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私なぞは大学に入る頃まで、親爺の後を継いで農業をやるものと思っていたし、田畑を耕して一生を終えるのが宿命だとも考えていた。

それが昭和45年から始まった休耕政策で一転、サラリーマンとしての日々を過ごすことになった。

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広い世間を知った(育ててもらった)という意味では、その後の経済成長とも相まってラッキーな選択だったと思う。

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しかし私自身は、この生まれ育った土地を離れたことはなく、高々70年だが、この地の変遷を見続けてきた。

故郷は遠き地にありて思うものとされたりもするが、いやさ私にとって掛け替えのない土地である。

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その土地に寝暮らし、ブドウや野菜を育て、次は何を育てようかと一所懸命である。

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朝一番に見回るのがスイカ畑で、日に日に大きく膨らんでいくスイカを愛でている。

次いで実を稔らせ始めたピーマン畑で、今年は50本ほどを育てている。

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ともあれほぼ私の半日は、これらの作物と共にあるのである。

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はて・・・年々歳々、この地に我が先祖が住み着いてから、どれ程の月日が経過している事か。

恐らくは水飲み百姓の時代が長く、累代懸命に生きることに専心してきたのではないか。

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そうした苦しくとも必死に生きてきた系譜を考えると、昨今の少子化は革命にも等しいと思う。

中山間地域のみならず、誰が先祖伝来の地を懸命に守っていくのだろうか?

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2018年6月11日 (月)

ラフはらくちん

毎日、気楽な恰好(ショウトパンツにTシャツ)で過ごしている。

農作業も走りに行くのも、立哨も同じ格好で、実に気儘で気軽な毎日である。

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納戸には何着かの背広が吊り下がっているが、まぁ~トント出番はない。

いい加減に処分をしようと思うのだが、長年の習慣のなせる業か、そのまま放置してある。

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その昔、衣装論ってのを読んだことがあるが、確か「衣装と言うのは、肉体よりも精神によく合うものだ」とあった。

肉体に合わせて設えているつもりでも、それは自らの精神に合わせていると言うのだ。

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正に私の軽妙な装束は、何物にもとらわれない自由な精神の表象であって、これが実に気に入っている。

かつて若かりし頃、他人と違った格好を極端に恐れ、衣装に大変神経質だったことがある。

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自分を目立たさせないというか、他人と違うことで目立つのを恐れたのである。

だから就職した頃の背広はすべて鼠色で、ネクタイだって地味なものをもっぱらにしていた。

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大勢の中に埋没することで、少しでも身の安全を図ることが、処世の第一と心得ていたんだ。

まぁ昔のことはともかくとして、今では自らの恰好など何のとんじゃくも無くなった。

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それに今更着飾ったところで、中身が改まる訳でもないしね。

今日は、ある高齢者サロンの責任者がやってきて、砂漠ランの体験を語ってほしいという。

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93歳になる母親が、いつも地元のサロンに何を着ていくかで迷っている。

恰好などどうだって良かろうと思いつつ、「あぁ、それが似合うよ」と言ってやると安心する。

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この人前に出ることの緊張感が若さの秘訣なんだろうが、私にはそれすら薄らいでいる。

勿論、そのサロンにも何時もの格好で出かけるつもりだ。

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馬子にも衣裳とは言うものの、古稀を過ぎてなお短パンの爺さんの方が、よりインパクトが強くはないか。

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2018年6月10日 (日)

智満寺の七本杉

台風五号の影響で大雨予報が幾分遅れ、今日は雨に降られることなく走ってきた。

島田駅をスタートして伊太和里の湯にゴールする、千葉山トレイルマラニックである。

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島田駅から30分程も北に走ると、智満寺に向かう山道、丁仏参道に入る。

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この杣道には、壱町毎にお地蔵さんが一体づつ安置されていて、三十三体で智満寺に着く。

これは智満寺の知恵と言うか、昔の人は良く考えて実行したもので、お地蔵さんは道しるべでもあるし、お寺に向けてテンションを上げていく仕掛けでもある。

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ともあれそのお地蔵さんを辿って、茅葺の如何にも古式蒼然としたお寺さんにお参りする。

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そこから先が知葉山への登山で、その頂上に千年杉が7本生きている。

大杉、だるま杉、もっそう杉、一本杉、つねもろ杉、つねたね杉、雷杉である。

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10年ほど前までは十本杉だったが、雷が落ちたりして頼朝杉など三本は枯れてしまった。

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だが残っているこの七本杉も、見るからに風格が違って、高々80年しか生きない人間とは比べようもない。

その長生きし杉を見上げながら、「短くとも、俺も堂々と生きよう」って秘かに思った。

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そこからはドウダン原を下って柏原で折り返して、伊太和里の湯でゴールした。

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たかだか20k、4時間のマラニックだが、これが結構心地良いコースなのである。

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走り終えて温泉につかり、そして仲間の皆さんとの懇親会も、これも又良しである。

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私にとってマラニックは、既に日常化しているのだが、それでもリフレッシュの気分だ。

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丁仏に智満寺、それに七本杉と温泉、一日を過ごすには十分杉(過ぎ)るだろう。

而して今日も、一日を終えたのである。

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2018年6月 9日 (土)

古稀なりし心と体

「俺も歳を取った」との実感は、今のところはない。

だが確実に頭髪は薄くなっているし、皺の数だって当然増えているだろう。

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傍目に若く見えるにしても、まぁ程々の風体ではある。

保育園の子供達は「お兄さんは、ホントはお爺さんなんでしょ?」と言う。Img_0404

それはそれは、五歳児から見れば、多分とんでもないお爺さんなんだろうと思う。

しかしこの爺さんはとんでもない爺さんで、砂漠257kのグレートレースを走ったばかりだし、日常的にも、山の中を月間に450k近く走っているのだ。

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今日も、朝考えた事はすべて(山を15k走って、キュウリと人参の植え床を耕し、人参の種をまき、40鉢にミニ白菜の種を蒔いた。

相当の運動量だし、確かに快い疲労感に包まれている。

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老人の最初の悲しみは、心と体の違和感だという。

これまで何気なくできたことが、徐々に出来なくなる、体が言うことを聞かなくなることだそうだ。

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而して老化とは、次第に進行していゆく体の不自由さを、後追いで脳が納得してゆくプロセスだ。

この点、慢性的な疲労はあるし、朝目が覚めると足腰はギィギィーと音を立てるようになっているにはいるが。

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しかしこれは、自分の運動量を考えれば、納得の範囲内なのである。

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仮に幾分不自由が増したとしても、自分の体に自分の心が納得している限り、人の精神はまだ自由なのだから。

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もしもその精神の自由が失われたならば、その時はサッサと死ねば良いと思っている。

だが当面すべきことは、寝たきりやボケる前に有金をどんどん使うこと。

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旨いものを食って、旅行にもどんどん行って、スッカラカンになった頃、コロッと行けば最高だね。

これは、心と体のワクワクするようなゲームなんだ。

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2018年6月 8日 (金)

今日の一日

保育園の子供達(2歳~5歳児)が、芋の蔓を挿しと落花生を植えにやってきた。

子供は泣いたり喧嘩したり、とかく勝手なことをして厄介だけど、子供がいるだけで楽しくなる。

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保育士は毎日、その子供達をなだめつすかめつ、気を練らして面倒を見るんだから大変だ。

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子度達は植え終わると、「大きくなぁれ」と大合唱を挙げて帰っていった。

その大きくなる為の作業(潅水や草取り)するのは私だから、子供達は芋や落花生が魔法の様に大きくなると思っているのかも知れない。

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ワイワイガヤガヤと、その子供達のそれぞれの動きを見ながら、「明日って・・・」って思った。

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人にも色々な人種があるから一概に言えないが、普通は明日を考えて生きている。

「とりあえず、今日一日は頑張ろう。明日になったら休めば良い。そう思いつつ、明日が今日になり、あさってが今日になり、そうやって頑張ってきた」んじゃなかろうか。

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そうだよね、人間は先のことが分からないから、未来を夢見て頑張ることが出来るんだ。

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現実に数か月後、子供達の前には大きな芋や落花生が魔法のように現れるのである。

だけど皆さん、その未来が空手形になる確率は、歳と共に加速度的に増えるのですぞ。

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だってそうでしょ、この古稀のジジイに、二十年後のことを考えて頑張れなんて、誰が言えますかいな。

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だって、明日にも脳梗塞や動脈瘤でばったり行くかもしれないし、間違いなく遠からず痴呆が待っている。

それならぱ、古稀まで生きたジジイやババアは、もう明日のことは考えるべきじゃない。

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老後の為の貯蓄などもっての他、楽しいことは先送りせず、即時実行すべきなのである。

ジャングルのライオンは、腹が減れば草食動物を襲って腹を満たす。

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だけど満腹なら、ただゴロゴロと寝ているだけで狩りをすることはない。

多分ライオンには、明日っていう意識なんぞ無いのだろう。

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而してこの古稀のジジイだが、それでも明日ってことをまだ持って執念深く考えている。

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2018年6月 7日 (木)

体感時間

人には誰にでも、体感速度がある。

車なら40kとか80kなど、ランニングだって6分/kmなどと、その速さを体で感じている。

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ところが体感時間の長さだけは、一般的に年齢と共に早くなるとされている。

歳とともに新たな体験が減って、日々の暮らしのマンネリ度が高まっていくからだ。

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私自身、殊更長生きをしたいなんて思ったことはない。(人並みで結構)

だが同じ人生80年を生きるにしても、次々と新しい体験を積み重ねれば、その体感時間はずっと長くなる道理だ。

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そう‥‥、体感時間の長さは、思い出すことのできる記憶の総量に比例しているのだ。

先日、この六か月がアッと言う間に過ぎようとしていると書いたが、厳密には20日間余を除けばと言うことになる。

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実は今年の季節が前倒しで進んでいることも相俟って、私の体感時差はまだ正常に戻ってはいない。

見知らぬ土地へ行って、毎日あり得ない体験をしたのだから当然かもしれない。

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この年になって真に新たな経験をするのは稀有なことで、これは癖になりそうである。

そう言えば、昔から年甲斐もなくとんでもないことに夢中になってしまう人がいた。

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そこそこの年になって出っくわした経験(初めて知った女遊び、心臓が口から飛び出すような博打の味etc )に夢中になって、家業すら忘れてしまうのである。

ともあれ、今朝飯を食ったかどうかすら思い出せなくなる前に、出来る経験は思いっきり積み重ねるに越したことはない。

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私もこの古稀を迎えるまでは、自分だけは歳をとらないのではないかと思っていた。

だけど私を含め、人はいつかシジイやハバアになり、やがて病気になって死ぬのである。

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古稀になって初めて気づいたことそれは、馬齢だけを重ねてきて、一向に賢くも金持ちにもならない我が身だった。

そにもかかわらず、老化のスピードはいや増しているのだから、これは記憶の中身を豊かにする他なかろうて。

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2018年6月 6日 (水)

What ever will be,will be.

このところ、解決困難で困ったということが何もない。

そりぁ~、かみさんが不機嫌だとか、キュウリやスイカがウリハムシに食害されるとか、靴下に穴が開いているなどと、日常茶飯の不都合はある。

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だけどそんなもの、生きていくのに何の障害にもならない。

靴下にはそれなりの耐用があるし、ハムシだって生きる為に必死だし、かみさんも人間だから生きたいように生きれば良い。

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要は、我が人生を如何なる形で全うするかに専心すれば良いのである。

雨不足で困っていた折、やっと雨らしい雨になって、畑の作物は嬉々とした表情をしている。

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そう・・・、みんな私の可愛がっているピーマン、スイカ、大根、ナスやキュウリなどだ。

そうそう、半月ごとに追い播きしているインゲンも、次々と稔って食卓をにぎわせてくれる。

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子供達のサツマイモにしても、畑には須らく自然の恵み(雨)が必要なのだ。

雨の一日になって、ブドウの作業を除くと幾分の余裕が出来て、頓挫しているnovelの続きを書いた。

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実はこの話の結末をどうすべきか、テーマが「時」であるだけに迷っているのだ。

そんなに先を急ぐことはないが、それでも自分なりに期限を設けないとエンドレスになりかねない。

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だから何とか、8月一杯には全てを書き終えようと思っている。

ともあれ人生とは、言うならば、その日その日暮らしの連続だ。

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一日一日を大切に生きていくことであって、それだって「なるようになる」のである。

それにwill be,will beって、なんて気ままな言葉なんだろうって感心している。

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頑張るときは頑張って、その後はケセラセラって具合で良かろうかい。

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2018年6月 5日 (火)

私の木地

私達の性格や個性は、小学生までにはほぼ完成され、その後幾重にも上塗りされて成人するらしい。

私の子供時代を考えると、終戦直後の何も無い時代だったこともあって、オシンとまでは言わないが、かなりつましい(今では考えられない)環境で育った。

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小学3年の頃からは、妹達の子守をし、藁でご飯を炊き、五右衛門風呂に井戸から水を汲んで沸かして、両親が農作業から帰るのを待った。

あぁ~それに、飼っていた山羊に草を集めて餌をやるのも、私の仕事だった。

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読書は好きだったが、当然ながら学校の勉強は何時も下から何番目か??だったと思う。

それにいじめられっ子で、いまだに何人かにされた当時の仕打ちを覚えている。

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そう相当に根暗で執念深く、その頃スーパーマンや赤胴鈴之助になる夢ばかり見ていた。

何時か正義の味方となって、仇を取ってやろうと心に秘めていたのだ。

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その敵を取ることは遂になかったが、中学生になって学業で優位に立つことで目的は達した。

いじめられっ子の「なにくそ」が、何処かで私を支えていたのだと思う。

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子供の話になったのは、今日保育園の子供達が「おにいさぁ~ん」とやってきたからだ。

名目は、我が家で育てている落花生の苗に水をやりに来たと言うが、実はブドウの成長具合を確かめに来たのである。

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そのブドウだが、今年は例年よりも半月程成長が早く、デラや早生は既に色付き始めている。

彼らはそれを確かめつつ、こもごもにその個性を発揮している。

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だが皆明るくて健康的で、当時の鬱屈した私の様な洟垂れ小僧は一人もいないのである。

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そんな子供達と話しながら、使い古して時に木地が顔を覗かせる我が器を考えたのである。

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長年上塗りした漆も幾分剥げてきて、いわゆる地金が出てきているのではないか。

その地金すら愛おしく感じられて、あの虐められた下塗りの時代が私の原点だったのだ。

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そう、今は虐められっ子だったあの頃を、故郷のせせらぎの様に懐かしくも思う。

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2018年6月 4日 (月)

春の夜の夢

春と言うよりは、もう既に初夏を思わせる昨今だが、実は夢を連日見ている。

夢の内容は定かではないのだが、もう遥か昔の現役時代の場面が多い。

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重要な場面で自分だけが情報を持っていなかったり、何故かマージャンをしていたり、兎に角朝になれば良く思い出せない夢である。

だが、その夢に登場する多くの人達が既に物故者であることを思うと、「人、久しからず」を思う。

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夢は、或いは記憶の中の端切れをつないで、そうした「時の流」れを教えてくれるのかも知れない。

私の人生も残りせいぜい10年前後、これからよりもこれまでが圧倒的に長いのである。

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春の夢には、望むらくは未来の夢なんぞ見たいと思うのだが、ついぞその兆しはない。

春の夢も、過ぎ去りしその過去の一場面の走馬灯なのだと思う。

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今日は、特別支援学級の親子がやってきて、私の準備した畑に芋の蔓を挿して帰った。

と言っても主役は1~2歳児だからイラチはなく、母親が子供との一シーンを体験する場だ。

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ママが居ないと言って泣き出す子あり、泥遊びに夢中になる子ありで、子供も様々だ。

ともあれ、第一弾の蔓挿しは終了して、保育園児を迎える本番は6日である。

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1~2歳児は無理だが、保育園児ならばその記憶脳に、この春の一場面が記憶されるかもしれない。

否さ、記憶などされなくても何の問題もないのであって、そもそも人生そのものが風塵なのではないか。

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あの平家物語にも「おごれる人も久しからず、唯春の夢のごとし。たけき者も遂に滅びぬ、

偏に風の前の塵に同じ。」とある。

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この私とて、「既に入日薄れ 見渡す山の端 霞深し」春風がそよふく 空を見上げれば

夕日が美しい春の一日なのである。

さても、今夜はいかなる夢を見ることになるのか・・・・。

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2018年6月 3日 (日)

市町村合併の功罪

あの平成の大合併から十数年、地域は随分変わった。

行政組織は大幅に簡素化されたし、小さなコップの中の政争もあまり聞かれなくなった。

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行政組織の仕事が戸籍や徴税事務だけなら、限りなくスリムな方が正しいだろう。

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しかし、地域の活力に関しては、合併をして中心を失った町村は、糸の切れた凧のようになってしまった。

例えは浜松市に合併した北遠では、急速な過疎化が起こってかつての商店街はゴーストタウンだ。

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活性化策を打ち立てようにも、その担い手が既にいなくなっているのだ。

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そして今、区役所の再編が進みつつある訳だが、市当局に中山間地に賑わいを取り戻す考えはなさそうである。

仮にこの地域が合併せずに拠点を維持していたとしたら、彼らは必死にありとあらゆる手立てを繰り出して、自らの地域を守っていただろう。

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今日は、昨日の同窓会の流れで、森町の名所を巡った。

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森町は袋井市と合併の直前まで行ったが、最後は住民投票で独立独歩の道を選んだ。

行政も住民も、合併せずに何とかこの地域を守っていく腹を固めたのが大きかった。

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確かに町の財政は苦しくなっただろうが、その分街のそこここに「何とかしよう」と言う意欲が失われてはいない。

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かてて加えて、遠州の小京都と言われるように、それなりの名所旧跡・歴史にも恵まれている。

この時期、トウモロコシを買い求める行列がおびただしいし、小国神社(花菖蒲)も朝からにぎわっていた。

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紫陽花寺、萩寺、桔梗寺、天宮神社、アクティー森などと、ちょっとした名所がある。

結果的に、森町は(住民の意識付けも含め)賢明な選択をしたのである。

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さてこの地域問題は、高齢化の進展とも相まって、この国最大の問題になりつつある。

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2018年6月 2日 (土)

100回記念のめだかの学校

25年、今回で100回目の開催となるおもしろ人立「めだかの学校」に出席した。

この三年近く、学校から遠ざかっていたのだが、100回記念の同窓会と言うことで、皆さんの顔を見るのも楽しみである。

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会場は森町一之宮の「小国神社」で、先ずは本殿に正式参拝することから始まった。

記念授業は、100人のメダカが代わるがわる演壇に立って、二分スピーチをするのである。

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その二分に、或いはその人の四半世紀や、その人の個性が滲み出しているかもしれないし、その興味も十分にある。

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そう・・・・25年(私の場合は20年)と言うタームは、誰にとっても最も貴重な期間だったのではないか。

開会と同時に、全員での校歌(めだかの学校)斉唱で、伴奏は加茂さんの草笛である。

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そして一人一人の「授業」が始まったのだが、手品をする人、体操をする人、学校とのなれそめを話す人、自分の取り組んでいる事を語る人、まぁ~人それぞれだが、それがノンストップで三時間半である。

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授業が終わると給食の時間だが、その前に志多ら「息吹」の太鼓演奏が景気を付ける。

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給食は北海道直送のホタテやら手打ち蕎麦、熊本産のトマトなどがふるまわれるのである。

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それらを頂きながら皆さんと話していると、二時間など瞬時に過ぎてしまった感がある。

それに同窓会と言うことで、懐かしい顔が多く、ほぼ10年ぶりにお会いした方も何人かいた。

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人の縁とは不思議なもので、一気に出来るのではなく、徐々に醸されるものかもしれない。

ともあれ、今夜は(夜なべ談義は遠慮して)一旦家に帰って、明日出直すことにした。

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さて私は、ナビブ砂漠挑戦の顛末を話そうとしたのだが、話が本論に入る前に終わってしまった。(時間切れ)

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2018年6月 1日 (金)

手持ちの時間

昨日、昭和40年に出版された森村桂の「天国に一番近い島」を読んだ。

父の昔語りのその島に、鉱石運搬船サザンクロス号に乗って出掛け、半年余りを過ごす物語だ。

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昭和40年と言えば、私が高校3年の時で、正に高度経済成長が始まろうとしていた時だ。

同時代人の彼女は、単身ニューカレドニアに渡り、その情と涙の物語を書いたのだ。

そこにはこの国から急速に失われつつある何かがあった訳で、一躍注目を浴びることになった。

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その「天国に一番近い島」は今どうなっているのか、一度訪ねてみたいものである。

それはともあれ今日は6月1日であって、半年近くが瞬時に無くなった感がある。

殊に4月下旬から半月余り留守をしたこともあって、今年の夏の到来が随分早く感じられる。

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年々歳々、こうやって月日は過ぎていくのだろうが、自分はこの一つ所にいる。

そうして人は、その半年先すらも見通すことが出来ないのである。

而してやりたいことをやって過ごしているが、時に、私の持ち時間は後どの位かと思うことがある。

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80歳前後で亡くなる人が多いことを考えれば、せいぜい残り10年の余命だろうか。

結構毛だらけ、10年もあれば大抵のことは成し得るのではないか。

肝心なことは、その間に何を考え、何をするのかってことだろう。

As they say、人生はその長さじゃなくって中身なんだ。

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天国は、それはあると思った方が幸せで、今年中にその一番近い島に行こうと思っている。

高校・大学時代、自分の時間は無限にあると思っていたけど、今は地平線の彼方に滝があることを知っている。

さても、だからこそ今日一日の人生が楽しめるのだ。

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