多少是非無人知
今日は六月末日、丁度今年の半分を費消したことになる。
それだからと言う訳ではないが、フッと生まれてからどの位経過したのかと思った。
数えてみると、今日で25,798日生きてきたことになる。
そのうちの直近4,427日(17%)はこのブログを書き続けてきたから、何を考えていたかをおおよそ遡ることが出来る。
とは言ってもね、自分じゃ「こんなもんか!!」と嘆息するばかりで、多少の是非人知らずである。
それに二万五千日余と言うのが、「そんなもんかぁ~」と思う一方、今日までの経過を思うとさても随分と言う気もする。
定年退職したとき、これからは過去を郷愁の様に遡るのは止めようと考えた。
それは二万日の中には、多少の成功はあったにしても、悔しいことや悲しいこと、苦しいこと、またそれ以上に自分ではどうしようもないことにも数多く遭遇した。
実に多事多難、色々とあったし、これからだって生きている限り続くのだ。
江戸時代の医師杉田玄白はかなり長生きして、しかも日記の様な記録もたっぷり残している。
その70歳過ぎの書付に「生来経過至今日 多少是非無人知 自知万事一難必」とある。
このくだりを目にして、あぁ~玄白先生にしても俺と同じだと思った。
長いこと生きてきて、色々な困難にもぶつかって、その紆余曲折なんて説明しきれないし、それでも今日に至って、それでこうしてブログを書いている。
この6月30日も掛け替えのない日なのだが、そう・・・今日も又こうして過ぎ去ろうとしている。
残り少ない(?)人生を考えると、如何にももどかしく感じるのだが如何ともし難い。
これからの時間が10年(3,650日)だとしても、果たしてその間に何が出来るというのだろうか?
けだし人生短しと言うべきか、長生きしても高々三万日の命なのだから。
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