今日の一日
保育園の子供達(2歳~5歳児)が、芋の蔓を挿しと落花生を植えにやってきた。
子供は泣いたり喧嘩したり、とかく勝手なことをして厄介だけど、子供がいるだけで楽しくなる。
保育士は毎日、その子供達をなだめつすかめつ、気を練らして面倒を見るんだから大変だ。
子度達は植え終わると、「大きくなぁれ」と大合唱を挙げて帰っていった。
その大きくなる為の作業(潅水や草取り)するのは私だから、子供達は芋や落花生が魔法の様に大きくなると思っているのかも知れない。
ワイワイガヤガヤと、その子供達のそれぞれの動きを見ながら、「明日って・・・」って思った。
人にも色々な人種があるから一概に言えないが、普通は明日を考えて生きている。
「とりあえず、今日一日は頑張ろう。明日になったら休めば良い。そう思いつつ、明日が今日になり、あさってが今日になり、そうやって頑張ってきた」んじゃなかろうか。
そうだよね、人間は先のことが分からないから、未来を夢見て頑張ることが出来るんだ。
現実に数か月後、子供達の前には大きな芋や落花生が魔法のように現れるのである。
だけど皆さん、その未来が空手形になる確率は、歳と共に加速度的に増えるのですぞ。
だってそうでしょ、この古稀のジジイに、二十年後のことを考えて頑張れなんて、誰が言えますかいな。
だって、明日にも脳梗塞や動脈瘤でばったり行くかもしれないし、間違いなく遠からず痴呆が待っている。
それならぱ、古稀まで生きたジジイやババアは、もう明日のことは考えるべきじゃない。
老後の為の貯蓄などもっての他、楽しいことは先送りせず、即時実行すべきなのである。
ジャングルのライオンは、腹が減れば草食動物を襲って腹を満たす。
だけど満腹なら、ただゴロゴロと寝ているだけで狩りをすることはない。
多分ライオンには、明日っていう意識なんぞ無いのだろう。
而してこの古稀のジジイだが、それでも明日ってことをまだ持って執念深く考えている。
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