やろうと思えば・・・
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昔好きだった言葉と言えば、「主体的創造性」と為せば成るって意味の「思則得之」だ。
前者は自分に最も欠けていることだと思っていたことで、大衆迎合・付和雷同な自分を何とかしたいと考えていたからだ。
そして後者は、コロコロと一貫性のない自分に、何とか目的を見出させたいという気持ちだった。
そう…そんなことを考えていたのは、多分学生時代の頃で、もう遥かに昔のことになった。
社会人になって、それはもう無我夢中だったから、そんな言葉は思い出す暇もなかったが、
何処か体の心底に染みついていて、人の真似はするまいとか、きっと出来ると言い聞かせていた。
結果的に八割方は目的を達したろうと自分では納得しているのだが、その目標が些か小さかったわいと後悔もしている。
当時は後生大事と考えていた組織の中での出世競争など、本来何ほどの事もない月並みな目標な訳で、孟子の言う「思えば則ち、之を得る」に申し訳ない気持ちなのだ。
それで古稀を過ぎ、改めて現在の自分にとって「思則得之」とは何かと考えたのである。
「なにわの事は夢のまた夢」ではないが、大抵のことは経験して世間ってやつも大方見知ったし、はてこれからの目標は何かと慌てたのである。
しかも人生100年時代とやらで、まだまだ先は在りそうなのに、目標がなくてなんとしょうって訳さ。
砂漠レースへの挑戦も、自分の限界を確かめることもさることながら、そんな目標を模索する思いがあった。
60を過ぎてからケンタッキー・フライドチキンを創業したカーネル・サンダースや、隠居してから自分の足で大日本地図を作り上げた伊能忠敬の例を挙げるのはおこがましいが、俺だってまだ何か出来るのかもしれない。
いやさ、一介のブドウ園主で人生を終えることに何の不足もないが、だが志は欲しいではないか。
そして問題は、「思い」を何処に置くかである。
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山に向かう時には、いつもボトル一本のスペシャルウオーターを持っていく。
デキストリンとハチミツを溶かしたもので、汗をかいて疲れた体に染み込むような気がする。
それをコース上の節目節目で一口二口飲むのだが、いつもケチケチで(どんなに暑くても)15k走り終わって二割くらい残るようにしている。
飲むものがなくなって、なお走らなきゃならない事態が嫌だからだ。
水が半分になって、楽観的な人は「まだ半分残ってる‥」と思うが、悲観的な人は「もう半分しか・・」と考えるらしい。
この点私は悲観的でも楽観的でもなく、かなり計算高いのではないかと思っている。
欲望に任せて一気飲みをするなんてことはなく、ボトル残った二割は帰りの車の中で味わって飲む。
当然ながらかなり脱水しているので、家に帰ってからたっぷりのスイカを食べるんだ。
畑にはゴロゴロとスイカが転がっていて、これだって一夏食べる分は十分確保している。
つまり、結構貧乏で育ったから、「まあ良いさ、何とかなる」って気楽にゃ生きてないってことだ。
借金も浪費も嫌いだし、恫喝や虚勢・驕りは人生の敵だと思っている。
ところで我が人生だが、ボトルに残っているのは二割くらいだろうか?
いつもその美味をおいしく味わっている、あの分量に(多分)なっている。
そうして、これまで十分走り切ってきたと思うし、まだまだ走ることが出来る様な気もする。
なあ~に、残りの人生はしみじみと味わえば良いんであって、無駄に欲をかくことは無い。
それにあれもこれも、未だ味わっていないんだから。
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蝉の声が溢れる様に威勢良く、正に命の限りに鳴いている。
この蝉たちの声も、旧盆辺りからは勢いが弱まり、やがて秋の虫に代わっていく。
地上での儚い命を思えば、私達はこの騒々しさを責めることはできないと思うのだ。
当然ながら北米や北欧には蝉は生息していなくって、彼らにはこの騒々しさは分からない。
イソップ物語のアリとキリギリスは、最初はアリと蝉の話だったそうである。
鳴いて暮らしたキリギリスの声ってあまりイメージできないけど、蝉の声なら分かるよね。
蟻はこの暑いなかせっせと行列を作って働いているのに、蝉はただ鳴いているだけ。
私は子供の頃、「俺は絶対アリのタイプだな」って思ったことがある。
だけどアリも蝉も、アリはアリとして、蝉は蝉として生きて死んでいくだけである。
働かなくて良かったとか、鳴き暮らすのが拙かったって悔やむことだって、ありえない仕儀だ。
アリはアリとして生まれ、蝉は蝉として生きたのに過ぎないのである。
実は今朝8時頃山に入ると、珍しく全山ヒグラシの声に満ち満ちていた。
あのカナカナって切ない声で、蝉の声は一切聞こえなかった。
台風12号の影響で気温が幾分低めで推移し、その気温がヒグラシの領域だったのだ。
流石に8kを折り返す頃になると気温が上がり、今度は代わって蝉の声に満ちていた。
彼らは、その鳴くことですら微妙な棲み分けをしているのである。
翻っておしゃべりの苦手な私は、毎日コツコツと走りそして畑を耕している。
時に生きる目的は何ぞやなんて考えたりするけれど、それよりも蟻のコツコツ、蝉のひたすらに近い生き方をしている。
適温になると鳴きだすヒグラシには、もっと近いかもしれない。
人間も昆虫も、生きるってことに関してはさして変わらないんだろうと思う。
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そもそもこのモノローグは「独り言」だが、私はどちらかと言えば謹厳実直、おしゃべりは苦手なのである。
大勢の中に入れば何時も自意識過剰で、オマケに上がり症だから当然のことだ。
その分独り言が多いようで、ブドウの世話をしながら何やらを喋っていたりする。
すべての役職を退いて一年、その苦手なおしゃべりをする機会はどんどん減っている。
それはそれで嬉しい限りなのだが、それにしても口をきく相手がいないとボケると言う。
近所の介護施設に通う女性が、晩方になると「ミィーや!、ミィーや!」と叫び始める。
野良猫どもを集めて餌を与え、何やらを語りかけているのである。
その中のトラとミケは、私のブドウ園を掘り返して糞をするし、種まきした畝を掘り返すし、
私の姿を見れば脱兎のごとく逃げていく、あのにっくき猫どもである。
まぁ~猫に罪はあっても、猫を相手に喋る彼女に罪はない訳だから詮無い話ではある。
ともあれ、おしゃべりをする相手のいない高齢者が増えているようで、これも近所の人の話だが、毎朝早朝に配達される新聞を受け取りに出ている人がいるという。
配達人が、「こんな時間に、出ていたたけなくとも・・」と言うと、「だって口をきくのは、一日であなただけなのよ」と言われたそうだ。
長寿高齢化、人生100年時代、一人暮らし世帯の急増などと、世は移ろっていく。
そもそも子供にとっても、年寄りにとっても、おしゃべりは生きていくうえで不可欠な行為らしい。
それで今日は、特別支援学級の親子達が我が家にやってきた。
昨日同様、畑に挿した小さなサツマイモの蔓がどの位伸びたか見に来たってことだが、やはり隣にブドウ園がある訳だから、味を見ない訳にゃいかない。
・・・・という訳で、ワイワイ・がやがやと暫しの時を過ごしたのである。
おしゃべりは、何らかの行動に伴うものであって、行動範囲の反映かな?
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紀元前、オリンピックがそうであるように、かつてギリシャは神々が繚乱する文明発祥の地だった。
しかして今日、EUの庇護下で、観光収入頼りの小国になっている。
そのギリシャのアテネ近郊で、熱波による大規模な山火事が発生し、100人近くが死亡したという。
彼の地でも記録的な猛暑が続いているらしいが、歴史上ギリシャ文明の衰微は、森林を砂漠化する程の環境破壊が原因だったとされている。
国の発展が人口集中を招来させ、森林資源を食いつぶして、その水源すら失ったのだ。
だから、「オッ、山火事で大災害になる程の森林がギリシャにあったのか?」と思ったのである。
それはともかく、トランプ大統領が「地球温暖化なんて、そりぁフェイクだ。」とパリ協定を脱退したのはついこの間の話だ。
しかし古代ギリシャの時代から、この地球の環境を変えてきたのは、まさしく私達人間なのである。
その付けは早晩来るのだが、不都合には目をつぶろうというのが昨今の風潮らしい。
今が良ければそれでよしとする利己主義だが、確実に次の世代に負荷を負わせることになる。
財政赤字にしろ年金や国保にしろしかりであって、この国の盛衰にも直結しているのだ。
ところで今日は、未来のこの国を担うはずの保育園の子供達が我が家にやってきた。
目的はサツマイモに水をあげるってことらしかったが、やはりブドウを食べようってことだ。
三歳児と四歳児だろうか、その一年の差で随分と物腰や印象も違っている。
この頃の子供達は、猛烈な勢いで成長を続けているんだから、我が家での一時も貴重な体験の場だ。
みんなには、三種類のブドウを食べてもらった。
この暑い折だから日陰にテープルを四つ用意し、どの品種が人気だろうかと子供達の表情を観察した。
だがしかし、全てをぺろりと平らげてしまって、私の目論見は肩透かしに終わってしまった。
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連日の猛暑は続くが、どっこい私は元気に自在に生きている。
明日から学校が休みに入るんで、(立哨がなくなって)より一層フリーな時間が増える。
かつて晴耕雨読とは「なんと気儘な」と思っていたが、気儘と言うよりも自在なのである。
手帳を開いても空白の日々が多くなったし、予定があったとしても、それは自分が好んで決めたこと。
自分のしたいことを気楽に組み立てて、そして私の一日が終わっていく。
誰に束縛される訳でもなく、(少しは気を遣うが)誰とも争わず、自在に生きていると思う。
世間への見栄も、暮らし向きの気取りも、もうそんなものはどうでも良いと感じてる。
それよりも、自分が自在に演じる劇場のアクターの方が大切だ。
今日はこんな良いことがあったとか、これをやり遂げた、こんなことを思い付いたとかね。
自在劇場には、昔の様なロングストーリー(社会的野心や巣作りなど)がある訳じゃない。
それでも一日一日を精一杯、それも自在に演じ切って、満足して眠りにつく。
いやさ、たとえ少々のつまづきがあったとしても、簡単に反転が利くし傷つくこともない。
正に自由自在で暮らしていけるんだから、これ以上望むものは無いと言える。
しかも、私の一日にはこれも自在だが、小さな物語が含まれていて、そいつを味わいつつ演じている。
朝はブドウの収穫から始まるのだが、これだって一日一日シチュエーションは変わっていく。
今はサマーブラックにベニパラード、やがて来月からはピオーネとスイホーが加わる。
このブドウをはじめとした作物の収穫を楽しんで、山に出かけてたっぷりと汗をかく。
帰宅すれば自分の育てたスイカが冷えていて、・・・ってな具合である。
もう夕暮れだが、蝉たちの大合唱が続いていて、彼らもこの一日を演じているんだろうか。
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学生の頃、物理の時間にエネルギー保存の法則ってのを教えられた。
エネルギーには熱や電機や力など色々あるけれど、その状態はどんどん変わってもエネルギーの総量は変わらないってことだ。
細かい所ではホンマかいなぁ~とも思うが、おおむね納得できる法則だ。
ランナーの間で良く言われるのは、生涯の走行距離一定の法則かな?
若い頃から走っている人は、歳とって走れなくなるのが早い。その逆に晩年になって走り始めるとかなり高齢まで走れると言うのである。
私は40歳過ぎから走っているから、もう30年にもなって、月間300kとしても年間で3,600k、
三十年では約一万キロで、なんとこの地球を二周半も走ったことになる。
その為か、最近ではすっかりスピードが出なくなって、若い人にどんどん置いていかれるようになった。
人の寿命も有限だが、同様に一生涯の心臓鼓動数だとか、遺伝子レベルでもテレメアの長さも一定って話もある。
それと同じで、私達の毎日の生活の中にも、一定の保存則が考えられるような気がする。
例えば一生涯の細君とのセックスの回数とか、TVばっかり見ていると喋った気になって実際の会話が減っちゃうとか。
スポーツ観戦が好きな人は自分では運動しなくなっちゃうとか、・・・ともかく色々とある。
それにしても、この連日の熱暑のエネルギーは、どこから湧き出してくるのだろうか?
太陽に異常がないとしたら人間どもの環境破壊の結果なのか、それとも今年の冬は猛烈な寒波に襲われてバランスが取れるのか?
この地球のエネルギー一定の法則は、一体全体どうなっちゃっているのかしら?
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浜名湖半周サマーランの今日、弁天島をスタートする時点で31度だった。
それでも、みんな気丈に舘山寺の船着き場に向かって12,4kを走っていく。
流石に暑い盛りで、舘山寺ではガリガリ君を食べて体を冷やし、軽い昼食を済ませる。
ここからは船に乗って瀬戸港25分あまりだが、船上では米国の会社員と出会って楽しくやり取りしたり、結構楽しませてもらった。
問題は瀬戸港先で、ゴールまでは残り21kもあるのに、気温は35度になっていた。
それでも知波田には佳恵さんたちがエイドを設営して待っていて、スイカなどを頂いて一息。
随分と多くの水分を取って進んだのだが、13時頃には38度を記録して遂に鷲津でダウン。
鷲津から新居までは電車に乗ってしまった。
ともあれ、この暑さをも楽しむのがサマーランの醍醐味、・・・それも限度があったか。
弁天島のゴールに到着すると、直ぐに海に入って体を冷やしたのである。
風呂に入り、いつもの懇親会では足比べやら、ヨガ教室と楽しい時間を過ごした。
このマラニックには12回目の参加で、本来はこの大会が終わると本格的な夏が到来するのだが、やはり今年はとんでもない年のようである。
昨日の勉強会のランでは体調不良で2kも走れなかったから、今日は幾分大事を取る気持ちもあったが、やはり暑さは大敵であった。
浜名湖は「夏が一番」とはいえ、とんでもなく多くの汗をかいたのである。
そう‥‥、今日も目一杯楽しんだぞぉ~。
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分かり切ったことだが、人は夢を持たなければ夢など適うはずもない。
「何かの目的を心に抱き、初めて希望が生じる。
やりたいことのない者には、希望は無い。・・・・」日野原さんの好きだった詩の一節である。
確かに、夢は希望につながり、希望はやがて目標となり、計画となる。
計画には行動が伴い、行動すれば結果が生まれ、反省や進歩へと進んでいくことになる。
実は今日は恒例の人生を学ぶ勉強会があって、「教育の眼目」をテーマに学んだのである。
森先生は、教育の真髄は生徒に「志」を与えることで、その為には教師自身に真の志が立っていなけりゃいけない。
つまり指導者自らが、「真に自分の生涯を貫く終生の目標」を持つべきだと強調している。
時は昭和初期の頃だが、今日だって同じことで、教育が型どおりの紋切りものになって、
いやさらに増してモンスターや世論の風圧に恐れをなして、教育自体が委縮している。
今時、志を振りかざして教育に熱中したら、その教師は早晩職を追われる羽目になるかも知れない。
だがしかし、本当の人生はやはり「志」如何だろうと思う。
記憶力の良しあしではなく、胆力を含めた志の存在こそ人間を人間たらしめるのである。
勉強会の中で「しからば、自分の生涯を貫く終生の目標」は何かと考えていた。
もし仮に、その目標が明確でなくして、人生を旅しているとすれば、それは正に放浪の旅になってしまう。
・・・・とは言え、「修正の目標」言うならば人生のテーマだが、これを見定めるのが一番の大変なのかもしれない。
家族大事とか出世だとか、はたまた冒険や野心だったり、テーマの切り口は無数にあるが、
これが自分の人生のテーマだと、言い切れる人がどれ程いるだろうか?
例えは「自分は教育に一生をささげる」と言ってみても、それは「俺は、仕事に一生を・・」とさして変わらない。
私にとっての人生のテーマは、もっと奥深い所になければなるまいと思っている。
それは何か、この期に及んで尚且つ手探りしているのである。
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こんなにも暑い毎日の続く夏なんてかつてなく、これを体験できるのもこれまた良いものだと思っている。
だって、何でも経験してみなきゃ分からないからね。
ともあれこの暑さの中、今日は何か月かぶりにスーツを着て地元の警察署に出かけた。
警察にも各所属単位の広報があって、そのコンクールの審査(投票)を依頼されたのである。
甲乙付け難い中で「最高」を選ぶのは中々大変だが、この点人生は毎日が最高だと思って生きりゃ良い。
青年時代には若い力がみなぎっているし、中年にゃ分別に加えて社会的力が有る。
だけどあの頃には、残念ながらその毎日のすばらしさを意識するらなかったし、
そもそも、人生は無限に続くとすら思っていたんだ。
今老年期を迎えて、確かに視覚・聴覚、そして生殖能力も柔軟性も幾分衰えているかもしれない。
しかるに、この年になると人生の酸いも辛いも噛分けられるし、まだまだ物事を成し遂げる力だってある。
それに持っている時間の大半を、自分の裁量で思いのままに使うことが出来るのである。
更に年の功の為せる業で、様々な年代をすら演じ分けられる。
例えば、女性の前では少年の様に恥じらい、時には哲学者の様な振る舞い(?)をするし、
そのくせ老年の我儘さときたら抑えようもなく、恋人がいれば赤ん坊の様に甘えたりもする。
とにかく歳をそれなりに取ったら何でもできるんだから、こんなに良いことは無いだろう。
「人生は、今・ここ・自分」を大切にすることだが、それが可能になるのが老年と言える。
物理的に考えれば、人生の時間はベルトコンベアの様に過去から未来に等速度で流れている。
つまり「今」は、未来が過去に変わる一瞬でしかない。
だけど本来、全ての生き物にとって生きているのは、その今しかないのである。
勿論犬や猫はそうやって生きているし、過去を悔い未来に期待をかけて生きているなんてことは無いだろう。
まぁ~、これからは犬猫の様に年齢を超越して「今」を生きるべきだと思っている。
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誠にもって、連日暑い日が続いている。
毎日高温注意報が発令され、熱中症にならない様に小まめに水分をとか、冷房の効いたところで過ごせ、屋外で運動しない様になどどやかましく言われている。
ニュースも、どこそこで熱中症で何人死んだとか、救急搬送されたなどがトップだから、むべなるかなである。
しかしながら、地球上にはもっともっと熱いところがある訳だし、高校野球の応援中に二十人搬送などと、かなり騒ぎ過ぎじゃないかと思っている。
私なぞは、暑ければ暑い程大汗をかいているし、冷房どころか炎天下で過ごしている。
午前中は山の中を走っているから、スペシャルドリンクを飲むが、全身汗まみれで、その何倍もの脱水をする。
家に帰って、自家製の冷えたスイカに塩を振って食べるのだが、これが何物にも代えがたく美味しい。
そして午後も炎天下の農作業だから、一日の発汗量は相当なものになる。
その汗は自ずと体温を調整してくれるし、それに何よりも新陳代謝を活発にしてくれる。
冷房の効いた部屋に座っているよりも、ずうっと健康的だと思うだけどなぁ~。
そもそも、歳を取って病気になり易くなるのは、汗をかく機会(新陳代謝)が少なくなるからに違いないと思っている。
という訳で、我が家では今年の夏もクーラーの出番は、来客時のみである。
しかしながら、人間は水分補給して汗をかけば良いのだが、降水の絶えた畑はカラカラで、
キュウリも白菜も、冬瓜もうなだれっぱなしである。
それで午後四時から一時間は、作物への給水時間にあてている。
ともあれ、近世はホワイトカラー全盛で、額に汗して働くスタイルが軽視されてきた。
快適に働くってこともそれは必要だけど、汗をかく生活スタイルはやはり私達の基本でなくちゃならない。
やっぱり、汗をかくってことは気持ちがいいぞぉ~。
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超高齢化時代に突入しつつあるが、どうも長寿そのものがあんまり歓迎されていない。
年金問題やら長患いの高齢者が多いといった要素、それに老々介護やボケへの恐怖などもあって、長生きが少しばかり不安なんだろう。
だけど、せっかくの長寿が許されるなら、なべて爽快に生きたいと思う。
私も古稀とはいえ、まだまだ先は長かろうと思いつつ、その方途をいつも考えている。
それで先日、スタイリッシュ・エイジング(格好良く歳を取る)なる言葉に出会った。
その旗を掲げたのがリズ・カーペンターという女性で、米国の大統領秘書だった人だ。
そして彼女は、カーペンター三則を提唱している。
歳をとったら①招待を断るな(Never pass an invitation)
②どんどん人をもてなせ(Entertain a lot)
③何が何でも恋をせよ(By all means fall in love) の三則である。
一見脈絡がないようにも見えるが、要は人と積極的に関わって生きろってことらしい。
普通は歳とともに出掛けるのも、人を招くのも面倒になるし、次第に社会性を失っていく。
増して「恋をせよ」と言われても、いったい誰に恋すりゃいいのってことになりかねない。
これを我が身に照らして考えてみるのだが、先ず誘われれば基本的に断ることはない。
否、多少の無理があっても、物理的に可能な限り参加して、結果として素晴らしい体験を重ねている。
逆の招待だが、残念ながら主体的な招待・企画は近頃とんとんご無沙汰している。
そして恋だが、私は惚れっぽいというか、次から次へと会う人みんなが好きになる。
それは昔(若い頃)分からなかった人の魅力が、年季のおかげで見えてきたってことが大きい。
つまり、何が何でもなんて力まなくっても、気が付くとほのかに恋をしているのである。
もっとも何時も片思いに終わるのだが、その人を好きになるって感情は気に入っている。
という訳で、この三則を生涯の座右にしようかしら。
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終戦直後の子供の頃、あの頃はオシンの映像と相似形で、確かに貧しかった。
貧しかったからこそ、親類縁者、近所同士が当然の様に助け合って、それで生きて来た。
雨樋もない茅葺屋根の家に住み、裸電球の下の卓袱台に丸くなって麦飯を食べ、火鉢で暖を取った。
土間ではむしろや俵・スガイを編む夜なべ仕事が待っていたし、山羊やウサギにも餌をやらなきゃいけなかった。
ハレの日には親爺が飼っていた鶏をつぶして、それを家族みんなで分け合って食べた。
殺生など気味の悪いもので、親爺もそれを平気でやった訳じゃなく、みんなも嫌がりながらも、背に腹は代えられず、その鶏の内臓まで美味しく戴いた記憶がある。
先日、妹夫婦達がやってきた折にそんな話になり、当時のことをあれこれと思い出していた。
昔のことをあれこれと話しても、妹達は幼かったこともあり、この期に及んでは信じてすらもらえない。
ともあれ、前後昭和の前半は、この国を挙げて貧乏からの脱出に懸命だったのだ。
そうして高度経済成長へと突き進み、昭和の終わり(平成二年)と共にバブルが弾け飛んだ。
そして今、その平成の三十年間すらが、嘘の様に過去になろうとしている。
私の机上に、一枚の写真を飾ってある。
ナビブ砂漠の大きな砂丘上で少し満足げな顔をした私と、遠くに米粒の様なランナーが写っている。
同じテントで暮らしたカナダ人の女性が撮ったもので、数少ない私の写っている写真だ。
砂漠レースの過酷な環境下では、言葉の違いも乗り越えて、皆が助けあっいつつ競っていた。
確かに良い思い出になったのだが、同時に私自身「今を生きて」いたのだと思っている。
雑念の入り込む余地もなく、ただひたすら砂漠の257kを走る毎日だった。
そして、あの子供の頃も、与えられた環境下で無我夢中で生きていたなぁ~と思い出したのである。
人生における「今」は、それなりに奥深いものでもある。
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七月中旬のこの時期に、これ程高温の続く年は、ひょっとすると初めてかも知れない。
だがその熱所にもめげず、今日は掛川駅から小笠山の山頂を越えて高天神まで、おおよそ17k程を走り抜けたのである。
実は来年三月に予定しているマラニックの下見にと、Hさんから誘いがあって、それならと加えてもらったのである。
小笠山は標高264mの丘陵なのだが、長年の浸食によって痩せ尾根が発達し、あちこちが入り組んでけっして安易な山ではない。
来歴を辿ると20万年ほど前に出来た大井川の三角州で、その北側が大きく隆起し、南側に沈みこんだ河口山なのである。
掛川駅(市街地)のすぐ南に広がる丘陵だが、容易に開発できない緑のコロニーになっている。
それでも新幹線駅が出来てからは、区画整理や工業団地、果樹公園などが整備されてきた。
ともあれ私達は、つま恋でのミスターチルドレンのショウとかでごった返す駅南を出発し、
直ぐに急登になるケスタの山に、汗びっしょりになって登って行ったのである。
登り始めてから二時間、山頂近くにある小笠山神社に着いて、暫しの息継ぎ(給水等)をする。
この山頂から見渡すと、織り成す尾根が如何にも深山幽谷の趣があって、私の好きなスポットだ。
そこから見晴るかす遥か南東の端に、ボコッと飛び出している山が高天神だ。
当時(戦国期)は遠州を支配するとも言われた要衝にあって、今川と徳川、徳川と武田、武田と徳川の戦いが続いたところで、徳川との最後の戦いでは、半年余の兵糧攻めの後、城兵は全滅している。
その高天神城跡に向かって、小笠山砦にこもっていた徳川勢になったつもりで、山を駆け下りたのである。
遠くに見えたのだが存外に距離は無く、12時少し過ぎには高天神城に攻め入ることが出来た。
本丸跡で昼食を済ませると、今度は城の大手を下って吉岡弥生記念館へと向かった。
東京女子医科大学の創設者で、女性の地位向上に生涯を捧げた明治の女傑である。
この地で鷲山養斎(医師)の二女に生まれ、21歳にして日本で27番目の女医となっている。
本来はここから掛川駅まで12k程を走って帰るのだが、あまりの暑さ故にバスに乗ることにした。
而して、駅近くのホテルの風呂(13階)に浸かり、眺望と憩いのひと時を味わったのである。
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幸か不幸か、幾ばくかの蓄えがあれば、私の様な隠居は何もしなくても生きていける。
なるべく腹が減らないように、鼻糞でもほじりながら愚痴って暮らしゃ良いんだ。
しかしながら、世の同輩諸氏がひねもす如何様に過ごしているかはともかく、私は何もせずにはいられない性分だ。
だから寝ているとき以外は、走っているか立っているか、兎に角動き回っている。
立っていると言っても、ただボーっと立っているって事は出来ないから、何事かをやるために立っている。
そうして何かを夢中でやっていると、その一日が何故か充実したものに思われてくる。
そしてこれまでの人生を振り返ると、人生ってのは、自分の力で漕がないと倒れてしまう自転車に似ていると思っている。
自分の力で前に進もうとしてペタルを漕ぐからこそ、随分と先(遠く)まで行けるんだ。
自転車との付き合いは、中学へは4k、高校へは6k通ったし随分になるが、今だって駅までは大抵自転車だ。
高校の頃、友達と二人で遠出をしようと言うことになって、自転車で佐久間ダムまで(70k)向かったことがある。
当時の事だから舗装道路などなく、オマケに狭い道を工事用のトラックが沢山走っていた。
その濛々と砂塵を上げる砂利道を悪戦苦闘して、ダムに辿り着いたのは午後二時過ぎだった。
勿論、引き返して帰宅したのは晩も遅くなっていて、家族を随分と心配させたことがある。
その私の友達は、砂塵を一日中たっぷりと吸って、その後肺炎で随分と苦しんだ。
話が脱線したけれど、井の中の蛙が、自分の力で別世界まで行けると知ったのはこの時だった。
以来、名実ともに、自分の足を推進力にして、この平成30年までやってきたのである。
何処まで行けるのかは別にして、登り坂だろうが逆風だろうが、人生のペタルは踏み続けなきゃならない。
今度は何処まで行けるのかって、それを楽しみにね。
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梅雨明けと同時に蝉がうるさいほど鳴き始め、おぉ、いきなり盛夏だって納得した。
それが今朝、庭に一匹の蝉が死んで転がっているのを見つけた。
鳴き始めて間もないのに・・・・と、ほんの一瞬だがその蝉に同情を寄せていた。
だってあの蝉が生まれたのは七年前だぜ、それがたった一日鳴いただけじゃ、何の為に生きて来たのかって思ったんだ。
彼らの土の中で暮らす幼虫時代がどんな具合か知らないが、やはり成虫が大切でしょ。
蝉よりずぅっと長生きする人間だが、それだって百年先には、そのほとんどがこの世からいなくなる。
百年先にゃ、この世の役者は、すっかり入れ替わるってことだ。
たった一日か100年かの違いがあったとしても、儚い命であることに違いはない。
そして、人生の成否はその味わい方なんじゃなかろうか。
失敗や成功、悲しみや喜び、その日々繰り広げられる出来事をどう味わうかってことだ。
それで味わいにはやはり感性が必要で、つまりは色々感じて考えるってことかな。
私も、さっきまでうるさいと思った蝉の合唱だが、何だか愛おしくも思えたのである。
思えばこれまでの人生は、立ち止まって感じる事より、直線的に進むことの方が多かった。
何もかも競争で、そんな余裕もなかったし、精一杯生きてきたつもりでも、味わっちゃ来なかった。
それに人生なんて、永遠に続くとさえ思っていたんだから。
それがここに来て、人生って味わわなきゃ駄目だよなって思い始めているのである。
そう思って辺りを見回すと、これまで味わってこなかった事どもが一杯見えてきた。
春夏秋冬の移ろいや植物の成長、そして人の心の変化なんかもね。
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93歳のお袋と暮らしてるんだけど、本人は時々「ここまで生きたら、もういい」などと言う。
だけど、自分の部屋では、高い化粧品を買ってせっせと化粧している。
それに毎日草取りやら自分の仕事を探していて、そんなお袋と暮らしているせいか、私自身が爺さんだって自覚がない。
保育園の子供達には「お兄さん」と呼ばせているし、お袋くらいの歳ならともかく、今のところは青壮年の気分なのである。
しかし昔歌った村の船頭さんじゃ「年はとっても、お舟漕ぐ時は、元気いっぱい、櫓がしなる。」と歌って、「・・・・今年六十のお爺さん」となるのである。
六十で爺さんなら、七十じゃとんでもないヒヒシジイの筈だが、それがさっぱり自覚がない。
本来爺さんってものは、ズラした鼻眼鏡越しに上目遣いに人を見たり、大業なステッキを持って周囲を大えばりで歩いたり、そう・・・みだりに口をきけないような雰囲気があったはずだ。
それが毎朝街頭に立って、誰彼となく「お早う御座います。」と平身低頭挨拶している。
山を走り畑を耕し、若者並み、いや若者以上に毎日体を動かしている。
それで、いつ爺さんになったら良いのかと思うほどだが、最近これはお袋のお陰だと気付いた。
実は、近頃走る仲間にも足腰の故障者が続出していて、何とか直そうと悪戦苦闘している。
特定の部位が痛かったり、重かったりしびれたり、それで医者に通ってあれこれと愚痴ったり、走行しているうちに慢性的な病気になる。
つまりちょっとした故障が、老化を一気に進めちゃうって訳だ。
私にも故障は無かった訳ではないが、それを乗り越えてこられたってのは、お袋が頑健に生んでくれたお陰って次第だ。
それに貧乏暮らしが長かったから、粗食に耐えることが出来るってのも立派な資質だ。
それで「疲れた。」なんて決して言わないで「あぁ、気持ち良かった。」って思うようにしている。
いまのところ、この作戦は上々の戦果を挙げているんだ。
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何時もの様に規則正しく時は過ぎていくのだが、フッとそんな疑問が湧くのである。
走ることも一日にメリハリをつけてくれるし、ブドウをはじめとした畑の作物は私の活力源だ。
毎日の様にスイカを収穫し、ランから帰ると冷やしておいたそいつを食べるのだが、それがえも言えないほど美味なのである。
明日からは再びブドウの収穫を始めるし、毎朝のキュウリやオクラ、それにインゲンやトマトの収穫も嬉しいものである。
晴耕雨読とは良く言ったもので、つくづく私には畑をいじるのが適っているのかも知れない。
時々仲間とのマラニックや登山に出かけたりして、何の不満もなく日々を過ごしている。
子供からも女房からも解放されて、一日の大部分を自由に使うことが出来る。
しかしながら、俺の人生はこんなに平穏安泰に過ぎ去ってしまって良いのだろうかって気持ちがある。
どんなに権勢を謳歌した人だって、人間誰もがいずれは土になる。
いやさ、この宇宙・地球さえも、元を辿れは宇宙の塵から始まったもので、何時の日かはチリに帰るのだ。
話を大きくし過ぎたが、面白いことがあるなら、出来るうちにやっておきたいと言うことである。
やがて時の試練は、容赦なく私の行動と選択の自由を制約するだろうし、行動するなら今しかない。
実は定年後の準備は四十過ぎから始めていて、その須らくが計画通り進んできた。
ラン、農園、コミュニティ、著述で事足りると考えてきたのだが、人間ってやつは欲が深い。
未だ見ぬものへのチャレンジによって、ワクワク・ドキドキしていたいのである。
そう…年を取ればとったなりの可能性を追い求めたい。
その何かを追い求めるプロセスが、面白さではなかろうか。
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交通安全運動の一環とかで、今朝は自治会の役員10人程と共に交差点に立った。
たかが旗振りではあっても、初心者がきびきびと動けるものではない。
だからほとんど幟を持っての見物なのだが、その中の一人が横断歩道の中央に立つ私に向かって、「立派な、羨ましい足だなぁ~」と感嘆の声を上げた。
振り返れば私と同年配の男で、色白な上に「老」の雰囲気を顔に漂わせていた。
褒められるに越したことは無いのだが、生半可な努力でこの足が維持されている訳じゃない。
山の中を月間450kも走っていると聞けば、彼氏は恐らく二の句が継げないだろう。
それもこの30年何の継続のなせる業であって、一朝一夕に適うことでもない。
ともあれ人間は元来が保守的で、歳と共に過去に経験したことしかやらなくなっていく。
殊に古稀を過ぎたりすると、人生の下り坂を踏みしめることに汲々とするようになる。
だから、恋や仕事、はたまたちょっとした冒険など、新たな挑戦などは考えもしなくなる。
しかし、自由に活動できる老年期こそ、自分の新たな人生を開発する好機なのだ。
1011年生まれの日野原重明さんが、新老人の四つの目標と言うことを言っている。
一つは、愛すること。二つ目は、創めること。三つめは、耐えること。四つ目は、子供と接することだ。
そして、私に最も欠けているのは、創めることかもしれないと思った。
この歳になって何か新たなことに取り組むってのは、中々にして容易なことではない。
どうしても、過去の経験への依存と惰性に走ってしまうからだ。
ここは心して、リクエイティブな創造の世界を切り開くと覚悟しなければできないことだ。
陶芸や俳句、絵画や英会話などに取り組む人も見られるが、実は私が切り開くべく分野は何かと思案を始めている。
とりあえず取り組んだ著作は、私小説はともかくこれを広げるのは容易なことではない。
私にこれまで出来なかったこと、それもかなり難しいことに挑戦したいのだが・・・・。
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真夏の太陽が、ジリジリと照り付けている。
その太陽の下でひときわ元気なのが水稲で、土用干しの田でスックと直立している。
この時期、田の水を抜いて乾かし、脱窒(余分なチッソ成分を揮散させる)をする。
稲は余分な成長をしなくなって、この後はひたすら生殖成長へと転換するのである。
原理はともあれ、この毅然と空を見上げて立ち上がるこの時期の稲の姿が(これからやるぞって感じで)好きだ。
これが秋になると、「稔るほど 頭の低き 稲穂かな」で、これはこれで良いのだが・・・・・。
さてこそ、一か月ほど前に子供達が挿したサツマイモも、一斉に繁茂し始めている。
もう半月程もすれば、この空間を埋め尽くしてしまうだろう。
このサツマイモの性強さと言うか、生命力も夏の醍醐味だと思っている。
いや負けずに花を咲かせているのはオクラで、花を咲かせると驚くような速さで鞘を作る。
その幼鞘を毎朝頂くのが、この夏の日課になっている。
ところで私のブドウ達だが、デラウエアの収穫は既に終わり、ベニバラード・サマーブラックに移行しようとしている。
今年の梅雨明けが早かったように、全体として前倒しで進んでいて、ピオーネや水峰、シャインマスカットも次第にその艶を増してきている。
この梅雨明け後の日照で、一気にその糖度を上げるのではないかと思っている。
さてもこの私だが、連日の熱中症警報(過激な運動は止める)を無視して、大汗を流しながら山を3時間近く走っているる
殊更高齢者は熱中症になり易いようだが、今のところ私にはあまり縁がなさそうである。
もっとも、山で倒れたとしてもそれはそれで、本望だと考えているのだが…。
ただこの陽射しのお陰で、日焼けで足も手足も真っ黒になって、時々交通整理人と間違えられる。
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豪雨禍を残して、一気に梅雨が明け、いよいよ夏本番である。
入道雲が勢いよく湧き上がり、蝉が鳴いてヒマワリが咲き、あの夏のパターンに突入である。
と言っても、隠居の私の毎日は何一つ変わることなく、平穏無事に過ぎ去っていく。
「そうだ。俺は隠居だ。」と思いつつ、何故か幸若舞の「敦盛」の一節を思い出した。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり・・・・」の、あれである。
果たして、これまで生きて来た時代が化天だとは思わないが、確かに来し方は夢幻かも知れない。
敦盛は「どうせ人生五十年なら、思い切って生きるさ!」って雰囲気もあるが、源氏の武将〇×は敦盛を討った後、世をはかなんで隠居し出家の道に入る。
ともあれその後幸若の「人間五十年」は、定年退職(隠居)の年齢として昭和末年頃まで続くのである。
長寿社会を迎えた今日では五十はまだ青二歳の感があるが、隠居してから大きな仕事を残した人だって多いのである。
例えば伊能忠敬(演じた加藤剛が80歳で亡くなった)しかり、「民間省要」を著し幕臣となって治水事業に貢献した田中丘隅などである。
つまり隠居してから花開く人だってあるって訳で、私の隠居道を如何にせんと考えた訳だ。
隠居とは言ってもまったくの自由人で、そこそこ金はあるし、もちろん時間はたっぷりとある。
体力・知力だってまだまだ・・・・と思いながら、これを気のままに遊蕩三昧で過ごして良いものかどうか?
そして最大の問題は、何に取り組むかということと、如何にモチベーションを維持できるかだ。
書き進めている著作「時のしるし」は、妄想と現実の狭間で難渋しているし、自分の能力にも限度がある。
世のため人のため、そして自分の為に何が出来るのだろう・・・・と逡巡する毎日だ。
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人生の有限感と言うものを感じたのは、古希を通過した頃だった。
それまでは自分の能力の限界は分かっていても、人生は無限に続くと思っていた。
午前中、山を走っていてNさんとお会いしたのだが、顔を合わせるなり「俺は、寂しいよ」と言う。
どうしたのかと尋ねると、「次々と、親しかった人が亡くなっていく」と言う。
Nさんは78歳で健康そのものなのだが、同級生などの訃報に接する度にショックを受けるとおっしゃるのだ。
そう・・・人も自分も、生きている限り、その人生を何時かは終わらせなければならない。
奈良明日香の高松塚古墳には東側の壁に清龍(玄武)が、西側には白虎が描かれている。
古くからの東洋思想では、人生を春夏秋冬の四季に例えられるのが常だ。
そして幼少期は冬で、亀(玄武)に例えられ、亀のように地を這い知力・体力を養う時だ。
やがて春を迎えるのだが、この時期を象徴するのが青龍で、怖いものなしの青春期かな。
大学入試やら就職やら、色々と不安は一杯だけど、夢の様なひと時を過ごすのだ。
春の次には、人生の最盛期である朱夏(朱雀)を迎え、ともすれば永遠にこんな時期が続くと錯覚もしている。
それが突然定年を迎え、あれほど派手に飛び回っていた雀も、ぱたりと飛ぶことが出来なくなる。
そんな朱い夏が終わりを迎える頃、人は誰もが己が人生の有限を意識するようになる。
それが私の古稀であって、そこからが人生は秋を迎えることになるのだ。
昔の人はそれを白い秋と呼んで、最強の虎(白虎)に準えた。
高松塚古墳の西の壁に描かれた白虎は、虎のごとく強く、世間を睥睨して生きる象徴でもある。
それにしても酸いも辛いも熟知した人生の後半期を、白虎に例える感性に恐れ入る。
人生の後半期は冬ではなく、人生の収穫を謳歌する秋なのだ。
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私は団塊の世代の先頭だから、いつも鮨詰め教室で、激しい競争が当たり前だった。
中学の頃だって同級生が370人ほどもいて、その皆が競争相手だった。
腕っぷしの強い子、かけっこに勉強などなど、そのいずれでも私は先頭に立ったことがない。
先頭に立つ子らの背中を伺いつつ、何時だってオドオドと辺りを見回していた。
そんな子だったから、当然ながら「あなたが一番です」と褒められたことがない。
ところがである。・・・古希を迎えてからこの方、次々と一等賞を頂く様になったのである。
春先の富士五湖ウルトラでこそ年代別二位だったが、野辺山70k一位、日光100kも一位である。
それにナビブ砂漠のグレイトレースでは、オールデイスト賞を頂いた。
いやなに、だからと言って手放しで喜んでいる訳ではない。
実は分母(競争相手)が少なくなったに過ぎないのだが、そいつが肝心だと思っている。
70歳を過ぎて頑張っているヤツがいて、その先頭に俺が立っているって訳だからさ。
増して人生100年時代ともなりゃ、老年の期間がものすごく長いってことになる。
人生の最終章の重みがグンと増している訳で、この章の過ごし方如何で昔の一等賞なんて消し飛んじゃう。
話は少し飛ぶが、前述したように私は随分と消極的な子供時代を過ごしてしまった。
今だって、この私の内面には常に「やろう」「できりゃ、止めよう」という両面の葛藤がある。
砂漠レースに挑戦する時だって随分迷ったし、ウルトラマラソンだって嬉々として出かけている訳じゃない。
その気弱な私を「やろう」に仕向けてくれたのは、実は40歳過ぎから始めた走ることだ。
走るってことは、気弱な自分と前向きな自分を戦わせることであって、ひ弱な自分を鍛えることでもある。
そうやって既に30年が過ぎ、やっと一等賞を頂けるようになったって次第だ。
これから先、この一等賞をどれだけゲットできるか、集めてみようという気になっている。
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今日は、床屋に行って整髪したせいか、少しさっぱりした気分である。
馬子にも衣装と言うが、代わり映えもしないのに、なんだか幾分若返ったような気持ちで帰ってきた。
しかしこうしている間にも日一日と年を取っている訳で、残り少ない(?)命を考えると、若返ったなどと言っている暇はない。
サミエル・ウルマンの「青春」には、私にとっても納得と言うか、大いに元気をもらってきた。
「青春とは、・・・・・。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」
だがどうだろうか、理想を持ち続けていたとしても、人は確実に老いていくのである。
そもそもウルマンは詩人ではなく、ドイツ生まれでアメリカに移住して成功した実業家だ。
恐らくウルマンは、事業の成功へと導いた自分の人生を詩にしたのではなかろうか?
歳をとっても気持ちさえ若々しければ、それは人生の青春である。
心が衰え、心の若さを失えば、それが老いである。・・・・・確かに高齢者にとっては耳にやさしい名言ではある。
しかし幾ら力んでみたところで、皺は増えるし頭髪が薄くなるのは避けようもない。
青春がそれほどのものだったかと振り返ってみても、甘酸っぱい恥多き時代だったのかもしれない。
あの不安定な若かった時代と今を比べれば、私にとっては断然今の方がベターだ。
それは若さには無限の可能性があるが、その可能性の分だけ不安もあるのだ。
若けりゃ良いってもんじゃないんであって、私は歳を取るのを楽しむ方を選びたい。
勿論健康で心身ともに元気でなきゃならないが、その元気は自分で作り出す。
元気の源は、生き生きと動き回って、何事にも精一杯励むことだろう。
頭も体も、どんどん活動することによって活力が生まれるんだ。
而して、若い時にはできなかったあれこれに、冒険心を持って挑戦していきたい。
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バブル景気の最盛期だったろうか、「我らが流儀」などとカッコ付ける風潮があった。
俺は・私はこれこれに拘って生きるなどと、ブランド物やファッション、或いは物言いに拘るのである。
自分は○×であると決めて、その範疇で粋がると言うか、要するに格好をつけるのだ。
今でも「私って、こういう人なの」などと、自らを限定して生きている人を時折見かける。
一つの生き方には違いないが、過去に拘泥して冒険を放棄した生き方で好きではない。
生きていれば喜怒哀楽色々な感情があるが、まったく無益な感情が二つある。
それは過去を悪戯に悔やむことと、将来へのいわれなき不安の中にいることだ。
いずれも「今日を生きる」ことを邪魔する感情で、過去に委縮し、将来に立ちすくむことにつながっている。
過ぎたことにウジウジと悔悟してたって始まらないし、どう展開するのかも知れない未来をただ恐れていても明日は来ないだろう。
我らが流儀って生き方は、自分を固定して過去と未来から自分をガードするやり方だ。
そもそも人間は、過去の蓄積に縛られていて、そこから抜け出すのは容易なことじゃない。
例えば某上場企業の部長を務めた人が、そのキャラを抜け出すことが出来ないようにね。
だけど、ガキの頃ああだったとか、出世して威張ってたなんてことは、この期に及んで何の意味もない。
それは単に、過去の鎖を引きずる停滞人間を意味するだけだろう。
過去はどうあれ今は今、今をこそどう生きているかが、今生の価値なのである。
だから時とともに、自在に自分を変えていけば良いのだが、それがそんなに簡単じゃない。
歳を経るにしたがって、自分を変えるってことには大きなエネルギーがいるのである。
それでも内気で気の小さな男が、自らの殻を破ろうと日々足掻いている。
そのあくなき挑戦が、生き方としての真の我が流儀なのである。
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夜の訪れとともに眠り、夜明けと共に起き出す、その自然人になって久しい(一年余)。
夏至を過ぎて暫く経つが、四時半過ぎが夜明けなんだから、活動する身にはありがたい。
起き出して先ずは、届いたばかりの牛乳にプロテインを溶かし、新聞三紙に目を通しながらゆっくりと飲む。
五時半、(寝ている細君は迷惑なんだろうが)居間と台所のカーテンを開け、それとなく朝を告げてから、ブドウの収穫に取り掛かるのである。
七時近くなって朝食を食べさせてもらえるが、直ぐに街頭に立って子供たちを迎える時間だ。
だがその後は、私にとって真に有り難い無所属の時間なのである。
山に走りに行こうが、畑の作物を見回ろうが、はたまた本を読もうが勝手気ままなのだ。
人生の大半を時間に追われて過ごしてきた身にしてみれば、これは天国とも言うべきか。
しかしながらすべてが無所属でも不安だから、少しずつ(今日はあれをする日などと)色付けをする。
勿論その色付けは勝手気ままだし、状況によって融通無碍でもある。
畑の管理にしても楽しみでこそあれ、働き通しなんて切迫感は全くない。
もっとも、一週間の内に全く違う一日、一年の間に全く異なった一週間などと、普段の時間とは違う時間を過ごすようにしている。
それは映画を観てもよいし、季節の風物詩を訪ねたり、人と会うのもより一層楽しいね。
早生のデラウエアの収穫はそろそろ終わりで、次のサマーブラックや紅バラードので少し間がある。
この空白の時間を、どうしようかと思案しているけど、著作に充てようかしら??。
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もう70年も生きて来たから、頭の中は過去の諸々で一杯なはずだ。
それで毎夜のように夢を観るのだが、何時も決まって過去の断片が不思議に組み合わさった奇妙ケテレツな夢だ。
昨夜(今未明?)も、名前も思い出さないような人と難しい議論をしていた。
しかし、過去のあれこれについてジタバタしても詮無いことで、これからに何の役にも立たないのである。
出来れば輝かしい未来の夢なら観たいとも思うのだが、そんな夢は見たこともない。
脳は自分のCPUには違いなかろうが、実は自分の正体はどこか別のところにあるのではないかと思っている。
望むらくは、その自分自身にCPUたる脳をコントロールさせたいのである。
かつての私は、過敏なほど人の評価が気になって、「こんな格好で、変に思われちゃやしないか」とか「あんなこと言って、気を悪くしたんじゃ‥」etc・・それで何時も苦しんでいた。
そもそも人の評価なんて、それは勝手なもので、そんなこと気にしたって始まらないのである。
にもかかわらず、ウジウジと逡巡して半ば神経症にまでなったことがある。
そんなこんなの世俗から解放されて、今じゃ自由を謳歌している次第だが、そんな気弱な脳からも解放されて、逆にこいつをコントロールしてやれって思っている。
脳はパソコンのキーボードからの入力の様に、モードの入れ方次第でコントロールできる。
私のやり方は、「今日は、良い日になるぞ~」とか「きっと、出来る」などと口に出して、言い聞かせるのである。
間違っても「あの野郎」などとは言わないで、喜怒哀楽をコントロールするのだ。
私のパーソナルコンピュータも最近ではかなり従順になってきて、かなり繊細な感情までも操れるようになっている。
老い先短い人生ではあるし、生きるのは今しかないのであって、この脳のコントロールは大きなツールだ。
是非とも、この脳を(ボケる前に)自在に操りたいと思っている。
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このところ動くだけで汗が滴る様な、そんな夏日が続いている。
尚且つ、日課のランは欠かさないのだから、栄養(水分)補給にはかなり気を配っている。
ところで、あの歌丸さんが81歳で亡くなったと報じられ、思ったのは「俺も、それ位かなぁ~」ってこと。
過去の十年を振り返ってみても、そうさなぁ~思い出も色々とあるけれど、それはついこの間の様な気もする。
それにこれからは、これまでの十年よりも単調になって、ともすれば十年一日の如くなりかねない。
勿論の事、心して山谷のハザードを乗り越えて行くつもりだが、これはやってみなきゃ分からない。
ただ、この十年をしっかり生きないといかんってことだけは、極めてはっきりとしている。
そのうち大地震が起るかも知れないし、経済的なハザードに遭遇するかもしれない。
殊に米中貿易戦争は、場合によっては世界恐慌をも惹起しかねない訳で、事態は日一日と深刻度を増している。
事によれば、今日がブラックマンデーとして歴史にその名を記す日なのかもしれない。
所詮先の事なんて成るようになるだけで、心配してみたって始まらないが、何だかそんな予感がする。
政治が・経済がどうなろうが、私に残された月日が10年だとすれば、じっくりとその変遷を見届けてやろうと思う。
仮に明日、株価が暴落したとしても、それは驚くにはあたらないだろう。
この期に及んで、何が起こったって怖わかぁないぞ。
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今日は、石巻登山マラソンに出かけた。
豊橋の山側の一番奥まったところにある石灰岩の山(358m)で、かつての山城跡でもある。
その山裾に石巻神社があるのだが、その神社の宝物は大般若経の600巻と記されている。
神仏混交の名残なのかどうか、れっきとした神社に経典が収蔵されているんだから、日本人の感性の一端が知れる。
ともあれ私達は、その神社の脇をスタートして、石巻山を往復(二度登る)するのである。
急な登り下りに加えて、むしむしする暑さだから汗腺は全開で、気持ち良い位に汗をかく。
距離こそ16k余とさしたることは無いが、その距離をそれぞれがマイペースでかけていく。
その間にお互いが二度ほどすれ違う訳で、その顔を合わせる際にお互いの人生が垣間見えるのである。
勿論喘ぎながらあ懸命に走る人もいるが、基本はマイペースで、不思議にその走り方にその人の生き方までもが投影されている。
そうしてゴールした後には、風呂と懇親会が待っていて、その各人がそれぞれのスピーチをするのである。
そのスピーチにも、日ごろの生き様が滲み出していて、ふぅ~ん・そうかぁ~と実に面白い。
実はこの大会、もう既に四十年以上続いていて、そうしたアットホームな雰囲気を楽しむ人たちが集まる。
私もその一人で、今回で7回目になった。
フルマラソンやウルトラも勿論面白いが、常連か集まるこの大会は一味違う気がする。
走って汗をかいて集って、人を知る・・・・何だかホッとするような一日であった。
日差しはじりじりと刺すようで、明日辺りにはこの地域も梅雨明けになるのではなかろうか。
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