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2018年7月29日 (日)

思則得之

昔好きだった言葉と言えば、「主体的創造性」と為せば成るって意味の「思則得之」だ。

前者は自分に最も欠けていることだと思っていたことで、大衆迎合・付和雷同な自分を何とかしたいと考えていたからだ。

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そして後者は、コロコロと一貫性のない自分に、何とか目的を見出させたいという気持ちだった。

そう…そんなことを考えていたのは、多分学生時代の頃で、もう遥かに昔のことになった。

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社会人になって、それはもう無我夢中だったから、そんな言葉は思い出す暇もなかったが、

何処か体の心底に染みついていて、人の真似はするまいとか、きっと出来ると言い聞かせていた。

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結果的に八割方は目的を達したろうと自分では納得しているのだが、その目標が些か小さかったわいと後悔もしている。

当時は後生大事と考えていた組織の中での出世競争など、本来何ほどの事もない月並みな目標な訳で、孟子の言う「思えば則ち、之を得る」に申し訳ない気持ちなのだ。

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それで古稀を過ぎ、改めて現在の自分にとって「思則得之」とは何かと考えたのである。

「なにわの事は夢のまた夢」ではないが、大抵のことは経験して世間ってやつも大方見知ったし、はてこれからの目標は何かと慌てたのである。

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しかも人生100年時代とやらで、まだまだ先は在りそうなのに、目標がなくてなんとしょうって訳さ。

砂漠レースへの挑戦も、自分の限界を確かめることもさることながら、そんな目標を模索する思いがあった。

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60を過ぎてからケンタッキー・フライドチキンを創業したカーネル・サンダースや、隠居してから自分の足で大日本地図を作り上げた伊能忠敬の例を挙げるのはおこがましいが、俺だってまだ何か出来るのかもしれない。

いやさ、一介のブドウ園主で人生を終えることに何の不足もないが、だが志は欲しいではないか。

そして問題は、「思い」を何処に置くかである。

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