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2018年7月 5日 (木)

己が流儀?

バブル景気の最盛期だったろうか、「我らが流儀」などとカッコ付ける風潮があった。

俺は・私はこれこれに拘って生きるなどと、ブランド物やファッション、或いは物言いに拘るのである。

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自分は○×であると決めて、その範疇で粋がると言うか、要するに格好をつけるのだ。

今でも「私って、こういう人なの」などと、自らを限定して生きている人を時折見かける。

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一つの生き方には違いないが、過去に拘泥して冒険を放棄した生き方で好きではない。

生きていれば喜怒哀楽色々な感情があるが、まったく無益な感情が二つある。

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それは過去を悪戯に悔やむことと、将来へのいわれなき不安の中にいることだ。

いずれも「今日を生きる」ことを邪魔する感情で、過去に委縮し、将来に立ちすくむことにつながっている。

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過ぎたことにウジウジと悔悟してたって始まらないし、どう展開するのかも知れない未来をただ恐れていても明日は来ないだろう。

我らが流儀って生き方は、自分を固定して過去と未来から自分をガードするやり方だ。

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そもそも人間は、過去の蓄積に縛られていて、そこから抜け出すのは容易なことじゃない。

例えば某上場企業の部長を務めた人が、そのキャラを抜け出すことが出来ないようにね。

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だけど、ガキの頃ああだったとか、出世して威張ってたなんてことは、この期に及んで何の意味もない。

それは単に、過去の鎖を引きずる停滞人間を意味するだけだろう。

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過去はどうあれ今は今、今をこそどう生きているかが、今生の価値なのである。

だから時とともに、自在に自分を変えていけば良いのだが、それがそんなに簡単じゃない。

歳を経るにしたがって、自分を変えるってことには大きなエネルギーがいるのである。

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それでも内気で気の小さな男が、自らの殻を破ろうと日々足掻いている。

そのあくなき挑戦が、生き方としての真の我が流儀なのである。

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