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2018年7月17日 (火)

今を思う

終戦直後の子供の頃、あの頃はオシンの映像と相似形で、確かに貧しかった。

貧しかったからこそ、親類縁者、近所同士が当然の様に助け合って、それで生きて来た。

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雨樋もない茅葺屋根の家に住み、裸電球の下の卓袱台に丸くなって麦飯を食べ、火鉢で暖を取った。

土間ではむしろや俵・スガイを編む夜なべ仕事が待っていたし、山羊やウサギにも餌をやらなきゃいけなかった。

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ハレの日には親爺が飼っていた鶏をつぶして、それを家族みんなで分け合って食べた。

殺生など気味の悪いもので、親爺もそれを平気でやった訳じゃなく、みんなも嫌がりながらも、背に腹は代えられず、その鶏の内臓まで美味しく戴いた記憶がある。

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先日、妹夫婦達がやってきた折にそんな話になり、当時のことをあれこれと思い出していた。

昔のことをあれこれと話しても、妹達は幼かったこともあり、この期に及んでは信じてすらもらえない。

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ともあれ、前後昭和の前半は、この国を挙げて貧乏からの脱出に懸命だったのだ。

そうして高度経済成長へと突き進み、昭和の終わり(平成二年)と共にバブルが弾け飛んだ。

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そして今、その平成の三十年間すらが、嘘の様に過去になろうとしている。

私の机上に、一枚の写真を飾ってある。

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ナビブ砂漠の大きな砂丘上で少し満足げな顔をした私と、遠くに米粒の様なランナーが写っている。

同じテントで暮らしたカナダ人の女性が撮ったもので、数少ない私の写っている写真だ。

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砂漠レースの過酷な環境下では、言葉の違いも乗り越えて、皆が助けあっいつつ競っていた。

確かに良い思い出になったのだが、同時に私自身「今を生きて」いたのだと思っている。

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雑念の入り込む余地もなく、ただひたすら砂漠の257kを走る毎日だった。

そして、あの子供の頃も、与えられた環境下で無我夢中で生きていたなぁ~と思い出したのである。

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人生における「今」は、それなりに奥深いものでもある。

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