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2018年8月31日 (金)

夏の思い出

恐ろしく暑い夏がもう二ヶ月近く続いている訳だが、既に今日はその8月も末日である。
夏をもたらすエネルギーにも限りが有るのではないかと思うが、今年は一向に炎暑が収まる気配がない。

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その暑さのお陰で、本来ならとっくにやっている仕事(秋冬作物の種まき)が進められないでいる。
いやさ、暑さばかりではなく、それは寄る年波なのかも知れないが、諸兄は如何であろうか?

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ところでこの夏の最大の思いでは、孫達と富士登山をしたことであり、ニューカレまで走りに行ったことだ。
富士山には何十回と登っているが、孫を背負って登り下りしたのは忘れられないだろう。

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もっとも忘れないのは、私以上に当の孫だろうし、彼の一生の思い出になるのではないか。
それで最も期待していたのは、ニューカレドニアでの休日であった。

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マラソンはともかく、その天国に近いとされる小島で、青い海を眺めてリゾートを満喫しようと考えていたのである。
それが敢えなく雨にたたられ中止となって、ナビブ砂漠マラソンのご褒美も半ばになってしまった。

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もちろん彼の島に行こうと考えたのは、昔読んだ小説「若い少女のメルヘン」の影響である。
そして今日、ニューカレドニアは日本人観光客の憧れの観光地(?)になっている。

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雨は残念だったが、それでも遠く離れた「島」は、もうそれだけでメルヘンチックだ。
赤いブーゲンビリアやハイビスカスが青い空に浮かび、椰子の木が静かな海辺に映える。

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この地では真冬だというのに、椰子の木の合間にビキニ姿のウインドボーダーや白いヨットが浮かぶ。
正にこれぞリゾートの景色であって、海に浮かぶレストランで豪勢にフレンチと考えたが、如何せん一人では寂しかろうと遠慮した。

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水族館や博物館だって、事前の予想を見事に覆して、十分見る甲斐があったんだから。
そうだなぁ~、ニューカレドニアの海辺に、もう一度行ってみたいなぁ~。

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暑さだけが際立ったこの夏、古稀の男にしては老躁って訳でもなく、よく頑張ったんじゃないかな。
それに熱中症で昇天するって事も無く、元気で動き回っていたんだから良しとしようか。

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2018年8月30日 (木)

メラネシアと私達

雨になった一日、ついでにバスに乗って、ヌメア市中心部を訪れた。
先ず訪れたのはマルシェだが、行ってみると月曜休みとかで、シャッターが降りていた。

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雨の中を次に向かったのが大聖堂だが、これも修復中とのことで中には入れず、ジャンヌダルクの像を眺めて退散。

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そして次に向かったのが、ニューカレドニア博物館だった。

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この博物館は1871年に設立され、メラネシアの生活文化を展示しているのだが、実はその多くが今日でも彼らによって使われているものだ。

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それが椰子の葉葺の家屋であり、俗謡や衣装のデザインなどだったりする。

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そして、一際目立ったのが木彫りの柱で、家屋材や装飾として、現在もあちこちで見られる。

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その面相は如何にも奇想天外で、南国のおおらかな生活習俗を感じさせてくれる。

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私達の前で歌い踊ってくれたメラネシア人達は、市の観光協会から派遣されてきたのだが、

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恐らくは、その生活は昔とさして違わないだろうと思わせた。

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彼らは人なつっこくて、見知らぬお客をも丁重にもてなす文化が有る。

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森村桂さんも、そんな彼らの風習に救われて、半年余の滞在を可能とし、かつ小説を著す契機ともなったのである。

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あれから五十年を経過した今日、メラネシア人は神幸の40%を占めるに過ぎなくなっている。

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メラネシア人の島は、フランス人とその文化で体勢を占めるようになっているのだが、それも歴史と言えば歴史なんだろう。
ところで帰国してその帰りに上野の国立博物館で開催されている縄文展を見たくなった。

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何故なら縄文文化とメラネシアの文化は、どこかで繋がっているのではないかと思ったからである。
縄文と言えば多彩な土偶だが、同時に土器であり、そして木彫りの柱なのである。

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その顔かたちも雰囲気も、そしてデザインもかなり似ていると思うのだがどうだろうか?

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或いは数万年前、南方種族の彼らが海にこぎ出して、日本列島に至ったのかも知れないと考えても不思議ではない。
今日では飛行機で9時間弱の道のりだが、それは気の遠くなるような距離なのだが・・・。

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それにしても、この博物館はこの島の原典を残す貴重な場所になっている。

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2018年8月29日 (水)

ニューカレの水族館

森村桂の天国に一番近い島の舞台になったウベア島は、本島のヌメアから飛行機で渡らねばならない。
当然時間も経費も掛かる訳で、それならと近くのテニア島に渡って、美しい珊瑚や魚達をたっぷりシュノーケーリングしようと考えていた。

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と言うよりも、実はマラソン以上にこちらを期待してのニューカレドニア渡航だった。

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しかし・・・・目が覚めて外を覗くと、蕭々と雨が降っている。
ニューカレドニアは真冬だが、気温は25度~15度位で十分海には入られるのだが、この日は雷雨の予報も出ているという。

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それに何せ、珊瑚で出来た小さな島だから、ビーチの他は雨を避ける屋根すら十分ではないらしい。

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それでツアーは急遽中止となって、代わりにヌメアの水族館を訪れることにした。
海岸近くの奥まった所にあって、どうせ小さな水族館だろうと中に入ったら、これが違った。

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そもそもニューカレドニアは、ゴボウの様に細長い島で、周りは巨大(23,400㎢)な珊瑚礁で囲まれ、その七割程がユネスコの世界遺産に登録されている。

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つまり、世界でも稀な豊かな海に囲まれているって訳だ。

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大小何百種の珊瑚が育つその傍らには、それはそれは名も知らぬ多くの魚達が生息しているのだ。

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幾つもの大水槽には、それらの無数の珊瑚と共に、色とりどりの魚たちが群遊していた。
子供達がその大水槽の前で戯れ、その隣では学芸員がミニ講座を開いていた。

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圧巻は光る珊瑚や魚たち、そしてアンモナイトの様なエビ?が泳いでいる水槽だ。

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それにそれに、その魚の姿形は勿論、顔が千差万別なのはどうしたことだろうか。
人間の顔つきも、どんな生活か何を食うかによって幾分変わる筈だが、魚はもっと豊かな分化をしたようだ。

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その魚の顔を眺めながらね何度も「何でぇ~こんな顔に・・・」と呟いていた。
大水槽の前には十分の椅子が有るのだが、そこに座って何時までも眺めていたくなった。

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多分・・・多分だが、テニア島でシュノーケルを着けて泳げば、この何倍ものスケールで海の世界が広がっていたに違いないのだ。

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しかしまぁ~、想定外に水族館を楽しめたんだから、これもこれで良しとしよう。

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2018年8月28日 (火)

ニューカレ国際マラソン

25日は、ほぼこの半年間楽しみにしてきたニューカレドニア国際マラソンである。
天国に一番近いとされた島を走ることの躍動感を心待ちにしていたのである。

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国際マラソンで川内始め招待選手は多いのだが、何しろフルは170名のエントリー、
10k、ハーフを合わせても700人強のこじんまりした大会である。

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しかし国際大会だから、上位入賞者にはかなりの賞金が出るのだ。

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朝五時、部屋のカーテンを開けると小雨がぱらついていたが、7時のスタートに備え早めの朝食をとる。

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前日の素晴らしい景色の中を疾走するイメージだったから、少しくがっかりしたがむしろ暑くなくて良いだろう。

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700人余が一斉にスタートし、フルの選手はコースを二往復する。

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私がスタートして4k程走ったところで、川内選手が折り返し(約10k地点)てきて、そのあまりの速さに仰天してしまった。

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川内兄弟も賞金レースと言うことで、気合いが入っている様子であった。

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このレースは折り返しだから、選手同士が何度か顔を合わせて励まし合えるのが特徴で、

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私も川内選手だけでなく、ツアーの仲間にそれそれ゛れエールを送りながら走った。

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と言うのも、参加選手の過半以上が日本人で、昨日来知り合った方も多かったのである。

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そしてレース本番で意識していたのは、前日の川内弘毅選手の助言(頭を前に・腕振りをしっかり、腰を落とさず足は支える気分)で、これで省エネランを心がけようとしていた。

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最初は半信半疑だったが、結果としてかなり楽にフルを走りきることが出来たようだ。

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コースは誠に美しいビーチに沿っていて、傍らでは白帆のヨットやウインドサーフィンがカラフルに海に浮かぶ。

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さて、私のその結果だが、4時間29分46秒と念願の四時間半を切ることが出来た。

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そして夕方には表彰式と完走パーティーがあって、賞金をゲットした皆さんはもとより、私も年代別(70代)2位で表彰台に上がったのである。

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この表彰式でのメラネシア人達の郷土舞踊が、あのナビブの黒人達のメロディーに似ていて、何かとても懐かしい音楽を聴く気分になっていた。
あの森村桂さんも、彼らが夜通し歌い踊る場面を、椰子の林から覗き見していて、あの小説のクライマックスにもなっていた。

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さてレースはとても快いものだったが、表彰式が終わってブログを書いていると、突然のホテル全館の停電で、復旧したのが午前三時だった。
それに停電以降、どうやってもwifiが繋がることはなく、ブログを書くことが出来なかった。
実は停電はその後も続いて、フランス領とは言え多くの生活資材を輸入に頼るこの国の実情見る思いがした。

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更にはかつての原住民は、国際化・観光化したことで、果たして幸せになったのかどうか?

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2018年8月25日 (土)

ニューカレドニアにて

昨日成田を発って9時間近く、昨日の深夜にニューカレドニアのヌメアに着いた。

明日のニューカレドニア国際マラソンを走るためである。

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ニューカレドニアはニュージランドの北1000kほどの所にある、世界最大のラグーンである。

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広さは九州ほどで、そこに古来からのメラネシアン(40%)フランス系白人など27万人が住んでいる。

18世紀末、この地にキャプテンクックがやってきて、自分の出身地スコットラン(現在のカレドニア)に似ていたことから、この名をつけたとされる。

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後にこの島全体にニッケル鉱山が分布(世界の三分の一ほどの賦存量)していることが分かり、19世紀にナポレオンがフランス領を宣言して今日に至っている。

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実は独立運動も盛んで、今年11月に独立をめぐっての選挙が行われるらしいのだが、どうやら50%近い白人の力で否決の見込みらしい。

ともあれこの島にはニッケル採掘を中心に、ポリネシア人、ジャワ人、日本人などが移り住み、日系人も一万人ほど居住している。

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それに世界各地からあぶれ者が一旗揚げようと移り住み、今日の人口になったようだ。

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日本では、あの森村桂の「天国に一番近い島」で知られるようになった。

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実は、今日はその天国に一番近い美しさと遭遇したのである。

昨夜は真っ暗らな中だったが、今朝目覚めると窓の外にはヤシの葉が青空にそよいでいた。

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ならばと起き出すと、ホテルの外は真っ青な海とラグーンの島々が広がっている。

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その海にはヨットが浮かび、その岸辺を朝の早いランナーが走っている。

あの昭和40年、二十歳そこそこの一人の女性が鉱石運搬船に乗って訪れ、半年間を過ごした島なのである。

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彼女は現地の人々に歓待され、後にある小説を著して大ヒットするのである。

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何を隠そう、私もその一人、いやいや今回のマラソン挑戦者の多くが、天国とはいかなるものかと訪れたのである。

今朝は早朝からプロランナー川口さんの、ランニング教室で明日のスタート地点を走る。

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昼からは川内幸喜兄弟のトークショーに続いて、明日のランニングコースバスで巡ったのである。

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海岸沿いのヤシの木の下を走るコースは、幾つかの坂はあるものの、随分快適に走れそうな気分になっている。

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とうとう天国に一番近い?島にやってきたのだが、そのまんま天国に行ってしまえるのかどうか、明日は精一杯頑張って試してみなければなるまい。

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2018年8月24日 (金)

コキのその先

織田信長の生き様で小気味が良いのは、あの桶狭間の戦いに際して、謡曲「敦盛」の一節を謡い舞う場面だ。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか。」

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その最後のくだりを三度謡って、田楽狭間に出撃していく、その信長の心中を思うのである。

そう・・・・信長の時代なら人生はたったの五十年だから、その短い命を太く短く生きるが良かろう。

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しかし世は長寿高齢化時代、あの時代に古稀なんていえば大変な長命だったはずだ。

私の子供の頃だって、還暦すら遠い彼方の未来だったし、況んや古稀など自分に縁があるとは思いもしなかった。

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だけど私までもが古稀を通り越したんだから、古稀なんて殊更珍しくもなんともなくなった。
 
それで定年を65歳にするって動きもあるが、しかしながら社会に出て精一杯活動できる期間は、せいぜい五十年程度ではないか。

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自分の古稀を迎えた時、そんな意味で「俺の人生も、終わったのかなぁ」と漠然と考えた。
平均寿命まで十年余、いやいや場合によっては、なおその先も生きなきゃならないかも知れない。

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だとすれば、このまま無為に過ごして良いものかどうか、・・ではどうすべきなのか?ってね。
つまり国の年金・医療財政の逼迫はもとより、個々人にとってもそれはやっかいな課題なのである。

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用事が無くなったら、それじゃ~アバヨってな訳にいかないのが人間。
おまけに私などは、気持ちだけはやたらに若いのであって、この十年を遊び暮らそうと考えているのだから。

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2018年8月23日 (木)

年齢というもの

人は誰でも、たとえ何歳であったとしても、若くて同時に老いている・・・そう思っている。
30歳で15歳を見れば、自分の幼年期を懐かしく思うだろうし、中年者が老人と会えば自分の若さを思うのと同じだ。

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これは人によって大きな落差があだろうし、生きる姿勢によっても年齢は違ってくるものだ。
こんなことを思うようになったのは最近のことで、かつては一年でも違えば先輩は先輩だ。

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学生時代や年功序列の職場社会だって、大変な年齢格差のシステムだろろう。
かつての現役時代のことだが、たまたま先輩達より先に、少しばかり昇進したことがある。

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その折の周囲からの冷たい視線は、誠に怖いほどであって、いまだに忘れることが出来ない。
また、私の住むところは農村だから、昔ほどでないにしても、やはり年配者が幅をきかす社会だ。

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ところで私が自分の年齢を意識したのは、誠に観念的だが、古稀という語感に触れた時だった。
若い若いと思って過ごしてきた自分が、何時の間にか馬齢を重ね、古来稀な歳になったのだという感慨であった。

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それは単に通過点に過ぎないはずなのに、大きな境界線を越えたという気持ちだ。
更に本音を言えば、これから先70の坂を一気に駆け下って行くのか・・・って落胆もあった。

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いやさ、それじゃ情けないから何とかしなきゃって、悲壮な覚悟をも伴っていた。
夜が明ける度に人は老いるのだが、一方、夜が明けて朝日を浴びることで元気を出す。

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それと同じで、無意味な一日・一年でないならば、例え馬齢だとしても、それはそれで貴重な歳なのではないか。
だからして、自分なりに有意義な月日を過ごそうと心している。

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2018年8月22日 (水)

運と人生

70年生きてきて、その人の人生は運次第じゃないかと思うことがある。
運とは言っても、それは決して籤運ではない。

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因みに私の籤運は最低で、宝くじは末当以外かすったこともないし、歳末商戦のくじ引きですらティッシュ以外当たったことがない。
それにあの東京マラソンに、もう十年以上応募しているのだが、これも見事に外れ続けている。

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よってこの三十年来、宝クジは買わないことにしているし、その他の抽選も外れることを前提にしている。
世の中には、パチンコだの競輪だのと博打にのめり込んで、一生を台無しにしっちまう人だって居る。

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偶然出てくる賽の目に、自分の人生を預けるなんて、およそ馬鹿の骨頂だと思う。
だけど、つらつらと我が人生を振り返ってみると、幾つかの偶然が重なって今があるのも事実だ。

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それは、あの時あの人と出会ったからとか、仕事での巡り合わせで危機を脱した、・・・などと数限りない偶然を思うからである。
それは自分なりに努力して、けっこう頑張ってきたつもりではあるが、やはり人との出会いと、その偶然が私の歩く道筋を決めてきたのだ。

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だから人生は面白いと一言で言うのは簡単だが、それは必ずしも偶然の成り行きって訳でもなかった。
数々の出会いだって、その場に身を置かなければ有り得なかったはずだし、何かが自分をその出会いの場に導いたのである。

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そして今、人との出会いを昔よりもずっと大事にしようとしている自分がいる。
一期一会などと言うが、もっともっと人との関わりを深めたいと思っている。

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それはともあれ、高度経済成長期に生きたと言う時代背景を含め、様々な幸運に恵まれて現在の私があるのは事実だ。
そう・・・、偶然の出会い、それを大事にするのがこれからの生き様だね。
 

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2018年8月21日 (火)

己が生命力

体が大きい訳でもなく、運動神経だってどちらかと言えば鈍な方だろう。
精神面だって苛められっ子だったし、内面は兎も角外目には脆弱な子供だった。

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曲がりなりにも生きる自信を感じ始めたのは、就職して暫く後のことだ。
私の仕事への姿勢は、前年踏襲を決してしないと言うことで、それが結果として私の仕事での道を拓くことになった。

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昇進も含め仕事が面白くなることが、私の生命力をかなり膨らめてくれたかも知れない。 
人は生命力が弱くなると感動も挑戦もしなくなるが、生命力はやる気を溢れさせてくれる。

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退職してからも団体の役員などを勤め、それなりに充実した月日を送ってきた。
しかし古稀を前にしてこの全てを退き、まったくのフリーになった時、「はて、自分はこの先何のために生きれば良いのか?」って思った。

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それに人間は何かに触発されて行動する生き物だが、その刺激が激減したことに気づいたのだ。
それで向後は、自ら自分を鼓舞し生命力を高める取り組みを企画せにゃあと思い至る。

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先ずは清水の舞台から飛び降りて、ナビブ砂漠ランへの挑戦とそれを題材とした小説だった。
場合によっては死ぬかも知れないと覚悟して臨んだ砂漠だったけど、終わってしまうと俄に気が抜けたようになってしまった。

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砂漠への挑戦のインパクトは大きかったが、それだけに日常に戻ることがやるせなかった。
ともあれ人間は(特に男は)、目標を失うと俄然元気をなくしてしまう。

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そうして目標こそが、その生命力の源なのだ。
しかして、向後のその目標を何処に設定するべきか、実のところ苦悶しているのである。

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残された時間は限られている訳で、しかも体力は間違っても増強されることはない。
今、夢想を始めているのは「世界旅行」である。

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世界の歴史遺産を訪ねながら、人間の生きてきた歴史に思いをはせることが出来ればと思っている。

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2018年8月20日 (月)

ウリハムシハンター

私の農園には、毎年ウリ科の作物が多い。
今夏も、キューリを始めとしてスイカ、それにカボチャにトウガンを育てた。

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ウリ科の最大の敵はウリハムシで、こいつに葉を食害されると葉が網状になって、作物は瞬く間に勢いを無くしてしまう。  
それで一夏を通しての私の仕事は、朝昼夕と畑を見回って、このウリハを捕殺することである。

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その捕殺数は、数えていた訳ではないが、一日平均30頭以上だから、三千匹は下らない。
常時三つのタモ(捕虫網)を傍らに備えておいて、彼らの習性(落ちて土に隠れる)を逆手に、私から逃れらレ内容にしている。

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それでも何処で繁殖するのか(飛んでくるのか)、一向に居なくなると言うことがない。
それで大事な作物(キュウリ、スイカ)を守るために、誘因作物としてカボチャを植えたのである。

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そのカボチャが、勿論私の羽虫駆除のお陰で、巨大に繁茂して何と50余の実を稔らせた。
当然ながら(猛暑のお陰もあって)スイカもトウガンも大豊作になった。

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戦中の食糧難時代にカボチャ(カンボジィアから伝わったからカボチャ)が推奨されたが、なるほどこんなに多産とは思わなかった。  
しかしこの飽食の時代ではあるが、折角のこのカボチャ・・・・毎日食べても半年はありそうである。

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それに三千匹余のウリハムシの犠牲の上に実った果実なのであって、ゆめゆめ粗末にしたら羽虫に申し訳が立つまい。

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それにしても、粗食に耐えるよう細君に猛訓練されてきた私ではあるが、毎日カボチャ尽くしではねぇ~。
それは兎も角として、ウリハムシはすばしっこいが、あのセックスの最中は容易に捕まる。

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誠に申し訳ないが、彼らのあの刹那を(愉悦のままに)私は何十組あの世に送ったことだろうか。  
羽虫も人間も命は刹那、兼好法師だって七百年前に「世は、さだめなきこそ、いみじけれ。

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命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。」と書き残している。 

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2018年8月19日 (日)

今日は本宮山へ

岡崎中総RCの皆さんの誘いを受け、本宮山ランニングの会に出かけてきた。
朝8時に集合したのは、先週訪れた本宮の湯で、既に三十人余が集まっていた。

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準備体操をし、ようやく涼しさの訪れた涼しい風の中へ、砥鹿神社奥宮へと登っていく。

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この本宮山頂は標高768m、山頂からは南アルプスや三河湾が一望できる。

ともあれ私達は、登山道組と林道組に分かれ、山頂を目指したのだが、皆さんかなり速いペースだ。
急勾配の林道を本Img_0194_2宮山頂まで、一時間強で登ってしまって、さらに向こう側のくらがり渓谷に向かうのである。
私はと言えば、馬の背で皆さんと別れ、天岩戸などを見物して下山した。

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既に12時近くになっていて、ゆっくり本宮の湯に入って皆さんの帰りを待ったのである。

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この温泉は以前にも書いたが、ゆったりとくつろげる湯として定評があり、客も実に多い。
本宮山参り帰りの客ばかりで無く、随分あちこちからも訪れているようだ。

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それに近年では、本宮山登りの様々なランクが出来ていて、山頂のビジターセンターには記録費用が張り出されている。

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既に五千回を上回って登っている人、一日(二十四時間)に何回登ったかの記録は23回であった。
今日の私はたった一回だが、この急な階段を二十四回も登り下りするとは、もう奇人の世界である。

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そんなこんな風呂上がりの一時を急速室で過ごしたのだが、思い出したのは李白の言葉だった。

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それは「夫れ天地は万物の逆旅(宿屋)。光陰は百代の過客にして、浮世は夢の如し。」だった。

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芭蕉の奥の細道の冒頭の原典になっていて、今正に我が心境に近しと思った。

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今日本宮で過ごした一日、これもまた過客なのである。

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岡崎中総RCの皆さんとの出会いも、逆に言うと私の人生の貴重な一シーンと言うことである。

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2018年8月18日 (土)

有明山へ

有明山は、信州は北アルプスの一角、燕山の程近くにある200名山の一峰である。
標高は2268mで急登で知られる山でもあるらしい。

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午後23時頃には安曇野に入り、そこから10k余りくねくねと登っていくと有明山荘に着く。

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既に24時近くになっていて外気温は8度、目的地に着いたのは良いものの駐車場も路肩も全て一杯。
この有明山荘は標高が1300mほどの所にあるのだが、その周辺は数百代の車で埋め尽くされていた。

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それでもその寒い中を探しに探して、やっと一台が入るスペースを見つけ、ホッと車中泊。

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そして今朝は5時に起き出して、5時半には歩き始めていた。
道路にはぞろぞろと登山者がいるのだが、その殆どが燕へ向かう人の流れだった。

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明石山に向かうのは私達3名だけで、登山口近くで地元の人に「明石山に登るんですね」通の納得顔で声をかけられた。

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勇んで登りにかかったのだが、それが聞きしに勝る急登で、八号目に至るまで息をつく間もない直登なのであった。
それに崩れかけた崖も多く、ハシゴや鎖・綱が整備されているものの、スリルたっぷりの登山になった。

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それでも登り始めてから三時間半、ようやく山頂の有明神社(小さな社)に到着した。

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山頂からは眼下に安曇野平野を見下ろされ、その向こうには燕山の威容が聳えている。

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やはり登るのに大変な山ではあっても、いやそれだけに北アルプスの名峰に登頂したとの満足感があった。 

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ピストンでとって返し、その途中で三段滝まで降りて、その優麗な流れをしばし眺め、今日の登山の記念とした。

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急登・そしてその下りは、確かにキツかったけど夜を押して来て良かった。
どうやら有明山は、山登りの通の登る山であるらしい。

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2018年8月17日 (金)

ただ心ひとつ

そう・・・日々の喜怒哀楽も含め、人生の有り様は全てその自分の心次第なのである。
だが、心の持ちよう如何と分かってはいても、揺れ動くのが私達の常だ。

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仕事に忙殺されている若い頃は、色々と事件に遭遇しても、その忙しさのお陰で過ぎ去っていく。

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それが定年退職して自由な空間が広がった途端に、自分の空虚な心に驚いたりするんだ。
私の場合は昨年の春、自分がやがて古稀を迎えるってことに、何故か驚いてしまった。

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人は誰もが年をとる訳だが、自分だけは別だろうとどこかで思っていた節があるのだ。

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心身共に万年青年を自負してきたし、現実に故障らしき所は全くなかった。
それなのに突然(でもないか?)「お前は、古来稀な歳だ」と言われて慌ててしまった。

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平均寿命まで10年と少し、はてこの先どうするかと戸惑って、10年計画を考えてみた。
だがその計画に際して最大の問題は、何をする(ができる)かってことだった。

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誰でもそうだが、漫然と日々を送る事は出来るが、それでお前は良いのかって自問である。
折角この夜に生を受けたのに、このまんま漫然と日暮らして、死にたかないよなとも思った。 

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それでナビブ砂漠257kへの挑戦を始め、幾つかの試みを始めたのだった。
ところで、あの鴨長明が方丈記の中で「それ三界は、ただ心ひとつなり」と書き残している。

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どんなに貧しく見窄らしい暮らしをしようとも、そりぁ心の持ちようで楽しいよ・・・って訳だ。
そもそも長明は世間にも多分に色気を残していた人だから、或いは痩せ我慢も少しは混じっていたかも知れない。

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ともあれ長明の無常観には大いに共感するのだが、無情は「滅び」にだけあるのではなく、本来挑戦の中にこそあるのだと思う。
而して、隠棲して無情を悟るなんてのは愚の骨頂、新しきを求める挑戦の中に滅びたい。
明日は、有明山になん登らんと思う。

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2018年8月16日 (木)

鍛錬と心

今日は、地元警察署の術科訓練納会に招かれて参観してきた。
これは柔道や剣道の日頃の自己鍛錬の成果を、競技会(競技会)の形で披露するものだ。

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しかし警察官とは言え、ハードな鍛錬を日常的に自己に課すのは大変なこと。
それをこの納会があるからこそ、目標というか、日課として訓練に励むのである。

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そもそも対戦相手と技量が開いていれば、とてものこと怖くて打ち込みなど出来る物ではない。
その怖さを一種のバネにして、皆さんは暇を探して自分との闘いを続けているのである。

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柔道も剣道も当然強い方が勝つのであって、技量に劣る者はそうはさせじと工夫を凝らす。
そう・・・一本を決めさせない技とか、引き分けに持ち込むとか、或いは気迫で・・・とかね。

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今回の参加者(署長の指名だが)は、4名の女性を含む40人であった。
銃剣道に限らず、継続的に体を鍛える習慣は、必ず精神をも少しずつ強くしてくれる。

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人間の精神などは実は脆弱な物であって、悪いことが幾つか続くだけで萎えてしまう物だ。
しかし、苦しくも厳しい鍛錬をしている者は、多少の事態では簡単に挫けることはない。

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かく言う私だって、40歳からもう30年近く走り続けてきて、そのことに助けられたのは数知れない。
心苦しい時は走りながら考えたし、思いの他の解決策だってそれで授かった。

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それに肝心なことは何事も継続で、とかく一時の奮起に終わって、気まぐれの所業になりがちなものだ。
この私だって強気一辺倒じゃないし、油断しているとどんどん落ち込んじゃう。

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その落ち込む度に、こんなんじゃ駄目だって奮起するのさ。
今日は、この納会に参加させてもらって、改めて人ってモンを考えさせられたね。

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2018年8月15日 (水)

ブログの4,500日

先日、仲間との話の中で、フェースブック、ライン、ブログ、メールの違いが話題になった。
それぞれ一長一短、好き嫌いがある訳だが、ネット社会になって最初にメールが、そしてブログが爆発的に広まった。

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メールは連絡手段だが、ブログは一種の自己主張と言うか、「自分を知ってもらいたい」と言う動機らしい。
そもそも人間ってやつは、自分について知ってもらいたいと言う気持ちを多かれ少なかれ持っている。

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それが爆発的なブログの発信を生んだのである。
だけどブロガーが如何に熱心に書き込んだとしても、世間に人のことを知りたがる人は多くはない。

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みい~んな基本的には自分本位で、人のことなんかにゃ(芸能人ででも無い限り)興味は無いんだ。
それで(そう言うことが分かってきて)最近では、ブログ熱も幾分下火の様子である。

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ともあれ、私がこのブログを書き始めてから、速いものでもう4,500日余になる。
「お前は、自分を知ってほしかったのか?」と問われても、そんなつもりはなく、自分自身のために書いてきたような気がする。

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この4500日の足跡を、どっかに記録しておきたいって感じかな。
それに毎日ブログを書くってことで、自分を前に押し出してきたっててこともある。

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何時の間にかブログは私の生活の一部になっていて、こいつを書かないと安心して眠れないのである。

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しかし、最近ではぼんやりと「いつまで、書き続けるのかなぁ~」とも思っている。
5,000日が目途だろうが、仮に止めるとしてもその代替を考えねばならないだろうなァ。

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エッ「4,500日で、お前はどれだけ知られたか?」って、そんなことはどうでも良いんだよ。

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2018年8月14日 (火)

新城へ

朝早くから、新城の総合公園に出かけた。
よっぴーさんに誘って頂いて、豊橋のランナー達の企画(レッツ・トライ)に参加したのである。

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新城総合公園の野球場とサッカー場をぐるりと囲む道があって、この1.3kmを周回するのである。
40名程がそれぞれのペースで走っていて、走る距離だって自分で調整する。

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熱い日差しの中だから、街路樹のいろはもみじの木陰を求めながらのランである。
それは周回だから、ここまで来たんだって言うような達成感はないけれど、今日はこれだけ走ろうって言う自分なりの納得がある。

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周回コース脇に設けられたエイド(私は4周毎に寄った)も、実に励みになった。
このトライは5:30~12;00となっているのだが、大抵の人は35週(フルマラソン)の距離を目安に走っていた。

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だが遅れて参加した私は、20周(ハーフ)をもって終了とした。
で、その後は、近くにある本宮の湯にゆっくりと浸かって、今日の一日を過ごした。
本宮の湯はなかなかの施設で、特に胎内の湯(母親の胎内に浮かぶ胎児のように)が気に入った。

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ところで、人は「先のことは分からない」って言うけれど、実は大抵のことは分かっている。
私にしたところが、ほとんど予定通りに日々を過ごしていて、そいつが変わるなんてことは殆ど無い。
ただ人によって大きな違いがあるのは、先々の予定を作っておくのかどうかである。

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せいぜい数日先までしか考えない人と、来年、いや10年先を思いつつ行動する人との差である。
だいたい人間という物は、自分が望むような方向になっていく物のようである。
つまり、何事も望ま(計画し)なきゃ、絶対にそうはならないのである。

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人間の一生なんざ、自分の設定した予定を確実にクリアへしていく事であって、それ以外の何物でも無い。
つまり、人間は案外自分の未来を予測できる動物なのだ。

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2018年8月13日 (月)

地割れ花火

一昨日のマラニックのもう一つの楽しみは、この地独特の地割れ花火を見ることだった。
マラニックの後の水浴を切り上げて、商店街に入るとそこは既に夏祭りの場で、いつもの閑散としたシャッター通りが一変していた。

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町に出ていた若者達や、親類縁者が集まって来ているのである。

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この北遠の佐久間の地は、かつて久根鉱山や佐久間ダム建設などがあって、かなり賑わったところである。
佐久間ダム建設は、日本の戦後復興の象徴ともされて、その壮大なダムは観光拠点ともなった。

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しかしそれは一時のことでしかなく、以後は過疎化が続き、浜松市への合併と共に一層拍車がかかった。

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戦後の灯でもあった佐久間ダムの発電量(35万KW)にしても、今日に至っては東海道新幹線ののぞみ40本を動かすに過ぎない。
時代はどんどん進んで、水力発電のウエイトは僅かな物になっているのだ。

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林業の他に産業とて無いから、就業先を求めて人々が流失するのは自然の流れで、地域をどう維持できるのかが大きな課題になっている。

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ともあれ、地割れ花火(夏祭り)の一時は、往事の佐久間を彷彿とさせる一時なのである。
花火は深く切れ込んだ天竜渓谷の底から打ち上げられ、人々は30mも上の堤防にござを敷いて見物する。

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その堤防上には、切れ目無く人々の「美味しい~」などと歓声が響き渡っていた。

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Sinsinさんはと言えば、その群れのあちこちに捕まって、地域の仲間同士の再会を喜び合っている。
私達もその一角をお借りして、何ともドラマチックな花火見物となったのである。

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下から打ち上がる花火の音は、両側の山に大きく跳ね返って響き、花火は真上から降ってくる。

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それは一万数千発打ち上げる名物花火ではないけれど、ずっしりと重量感のある花火だ。
それに20時を期して打ち上がる「地割れ」は、河原にセットされた仕掛けが次々と火花となって広がり、地底から吹き上がるような花火なのである。

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「なる程、この花火はこの地に住む人々の叫び声じゃなかろうか」とそう思ってしまった。

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花火を終わって待ちの通りに出ると、若衆が火を持って踊り、屋台が太鼓を大きく打ち鳴らす。
そこには正に、往事の佐久間の町が再現されていた。

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2018年8月12日 (日)

敢えて暑さの中を

昨日は、シンシンさん企画の地割れ花火マラニックである。
集合場所の天竜・西鹿島駅に降りると、気温は既に34度、高湿度でムシムシする暑さである。

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高齢者は外で運動しないようにと広報される中、心頭滅却すれば・・・と佐久間に向かって
走り始める。

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天竜川橋を渡ると直ぐの所に二俣城跡があるのだが、早速寄り道することにして登城。

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二俣城は家康の長男信康が信長に信玄との内通を疑われて切腹したことで知られるが、武田と織田の国境に位置していたことから、歴史上悲劇の場でも有った。
その天主跡に登り、先ずはこの先40kの道行きを決意したのであった。

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気温が35度を超えると蝉も鳴くのを止めるそうだが、ホントに鳴いちゃいなかった。

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実は仲間のSimoさんがエイドを買って出てくださって、その要所要所での給水が今回の救いとなった。
先ずは10k地点の花桃の里、ここでは梅ジュースやらをたっぷりと飲み込んで元気を出
す。

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とは言え、昨日の体感する暑さは尋常ではなく、日陰を選んで走るのだが猛烈な脱水であ
る。

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17k地点には五平餅を売る露天(金ちゃん)があって、ここでかき氷を頂くのが恒例である。
私はマンゴー+練乳とオレンジの二杯も食べて、幾分体を冷やしたつもりになった。

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次は20k地点の秋葉ダムでは、Simoさんがパラソルを広げて待っている。

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暑さとの闘いとなった今回のマラニックの楽しみは、給水ポイントでの安らぎであった。
この後は秋葉ダム湖の東岸を、延々と12k走らなければならない。

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たかがダム湖と侮れないのがこの12kで、これを過ぎるとゴールまで残りはもう少しの気
分なれる。

 

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西戸を過ぎて佐久間に入った頃には15時を回っていて、佐久間天竜駅近くの河原に到着したのは、スタートしてから7時間半後の18;30だった。
ここからがクールダウンの時間で、河原に降りて天竜川の水に入った。

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ダム直下でかなり流れは速いのだが、暫しの水浴で随分と心地よくなったのである。
それに正に童心に返って、仲間たちとの水遊びとなったのである。

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結果として、まっこと暑い中ではあったが、実に楽しい一日になった。 

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2018年8月10日 (金)

一歩の積み重ね

先日の富士登山だが、誰もが僅かな一歩を繰り返しながら登っていく。
一歩などたかが知れた物で、一体何時になったら山頂に行き着く物かと思いつつ、幾つかの山小屋を目安に登っていく。

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それが下山する段になると、よくぞまぁこれ程登ったのもかと驚くほどになっている。
一歩一歩の積み重ねが、思いの他の所にまで自らを押し上げていたのだ。

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同様に私達の一日二十四時間だって、寝てる時間が1/3あるし、あっという間に過ぎていく。
一日で出来ることなんて、およそ些細なことしか出来ないことが多い。

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それに私達が生きられるのはせいぜい三万日にすぎず、どうせ大したことは出来ないと思いがちだ。
でもさぁ~、毎日の少しずつの歩みが、思いの外遠くまで連れて行ってくれるのだ。

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100kウルトラマラソンだって一歩の積み重ねの結果、十数時間で100kも先に行くことが出来る。
人と人との違いは、突然のひらめきなんかじゃなく、実はこの毎日の一歩の違いなんだ。

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ローマも人も須く、一朝にして成らずと言うべきだろう。
殊にこれからの一歩を考えているのだが、これから先の一歩はより着実でなくっちゃ成らない。

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そう・・・・もはや道を間違えている余裕はないのだから。
ところで昨日は地元の警察で会議があって、県警音楽隊の広報活動の一端を垣間見ることが出来た。

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そう、日本の治安は世界の中でも秀一だが、それは経済もさることながら、明治以来の警察の活動に負うところが多大だろう。
治安が良いからこそ、海外からの観光客だって激増している。

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それというのも防犯・防災・交通安全への市民の広範な理解があるからだと思う。
人生もこの社会も、小さな一歩から始まっている。

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2018年8月 9日 (木)

僕自身の人生

このうだる様な暑さにかまけて、どうもムダに過ごす時間が多くなっている。
山に行っても途中で引き返してしまうし、畑でも「もう・・暑いし」と引っ込んでしまう。

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それで何をしているかというと、スイカを食べたり、扇風機を回して高校野球を見たりである。
それに畑の作物もぐったりしているし、この夏を謳歌しているのはオクラくらいのものである。

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ところでこれまでの私の人生を振り返ったって、たぶんその七割くらいはムダに過ごしてきたんじゃなかろうか。
勉強だってそんなに集中してやらなかったし、遊びですら懸命にゃ遊ばなかった。

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本も随分沢山読んできたけど、結果としてそのほとんどはどうでも良いような本だった。
だって、これはって本は実に少なくって、まぁ~読んで良かったのは二割くらいだろうな。

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人生の大事業である結婚・家族づくりだって、ムダの連続だったような気もする。
人はいざ知らず、僕の人生を振り返ると、その殆どが無駄だったなぁ~とすら思う。

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だけど本来人生なんて無駄で出来ているんであって、自分なりの物語が出来りゃ良いんだよね。
突然アリの話を持ち出すけど、あのハタラキアリだって実際に働いているのは二~三割で、残りのアリはうろうろしてるだけなんだって。

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そのウロウロしているアリだけを集めて集団を作ると、やっぱりその二三割が働き出すんだって。
この世の中だって、特に政治の世界は右へ行ったり左に行ったり、無駄ばっかりだよね。

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効率が肝心なら、専制独裁政治が一番効率的だが、どうも私達は無駄が好きらしい。
つまり世の中も人生も無駄で出来てるって訳で、考えてみるとその無駄の質が人生を決めてるんじゃないかって思う。

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例えば学生の頃学んだ?あれこれは殆どは忘れちゃったけど、その無駄だって私の物語の一部なんだ。
そうして結局は、無駄をこうやって許容しながら生きてくって訳さ。

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それもこれも、他の誰(女房・子供)でもない、ぼくの人生なのである。

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2018年8月 8日 (水)

リブート

かつて団塊の世代が定年を迎え、一斉に退職する2007年問題が取り沙汰されたことがある。
団塊の世代が三年間でおおよそ800万人退職するってんで、それを補うのが大変って訳だった。

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あれから既に十年、定年延長やら再雇用、ようやく高齢化社会が当たり前になりつつある。
だが、その主人公の同輩諸氏は、2007年からを如何に過ごしてきたのだろうか。

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いやいや過ごすどころか、首長や経営者、教育者として今なお活躍している人たちもいる。
だが大方は、私もそうであるように古希を迎えて、全ての公職を退き隠居の身分に甘んじている。

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それにもかかわらず気力・体力共に未だ余力を残し、何だか世の中の仕来りを恨めしくさえ感じている。
いやさ、何も生活に困るって訳じゃないが、心のエネルギーを持て余しているのである。

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毎日畑を耕したり、山に登ったり、仲間と走りに出かけたり、それは結構楽しく過ごしてはいるんだけど、それでもまだ何か出来るんじゃないかと感じている。
それで、自分の人生をリブートしたいって気持ちが沸き起こったりする訳だ。

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まだまだ俺だって・・・・ってことを確かめてみたくなるのである。
ところでリブート(reboot)とは、コンピュータを再起動させるあの作業のことだ。

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かつて私も猛烈社員の一人で、何時も(真冬でも)腕まくりしてガツガツ仕事をしていた。

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そんな昔の気負いはもう無いけれど、過去の経験を生かしながら、もう少し何かやってみようかって気分である。

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果たして、ポンコツのコンピュータが上手く再起動するのかどうかは別にして、何か出来ないかなぁ~って思案している。
団塊の世代の皆さん、まだまだ人生は終わっちゃいませんぞ。

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2018年8月 7日 (火)

富士の裾野

富士山が独立峰ということもあるが、その裾野は駿河湾から甲州まで、広大に広がっている。
だからこそ日本一の高さ(3,776m)となるのだが、遠くから見た目に美しい富士は岩山だ。

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当目に雪をいただいた富士は、何と麗しいと思うのに、登ってみれば冷えた溶岩がむき出しなのである。
だから大沢崩れなどの沢にも水はなく、降った水は地下に沈み込んで、川を発達させなかった。

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NO2の北岳や穂高などの山々は沢伝いに登って行くのに、私達はあの裾広く広がった斜面を根気強く登る他無い。
「男子の境涯、寄せて芙蓉の第一峰にあり」と言ったのは、幕末の横井小楠だったか。

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富士山頂を目指す多くの人々が、そんな気分を共有しているのだと思う。
ともあれ、直ぐそこに山頂が見えているからこそ、軽装でも目指す人が多いのである。

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これを私達の人生山に置き換えたら、その山頂(何をやりたいのか)が見えているだろうか?
そしてその山頂は、自分の人生のテーマと言い換えても良いかも知れないが、

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こいつを意識して生きるのと、無意識で生きてしまうのでは、人生は全く別物になる。
目指すべき所があれば自信を持って歩くことが出来るし、自分自身を見つめることも、孤独との闘いにだって耐えることが出来る。

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富士山にはもう二十回ほど登っているが、何時だって楽になんか登れなかった。
高みに登れば登るほど予想外の困難と遭遇する訳で、やはり裾野が大事だと思う。

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どんな少年・青年時代を送ったのか、如何ほどの試練を経てそこまで来たのかってことだ。
残念ながらこの期に及んでは、自分の人生の裾野を広げることはかなり難しくなっている。

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それでも志しだいで、まだまだ高みを目指すことが出来ると(富士山に登る度に)思う。
要は、自分の人生を生ききることだと思う。

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2018年8月 6日 (月)

富士山頂出迎隊

田子の浦の標高ゼロmから、3776mの富士山頂を往復する大会は、実に過酷な自分との闘いになる。
毎年300人余がこの自分との闘いに挑むのだが、私は65歳あたりで自分の限度を悟った(高山病で七合目から先が登れなくなって)。

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それで今回は、標記の出迎えのために富士山に登ったのである。

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孫二人を連れていたこともあって慎重を期し、途中八合目の山小屋泊まりである。

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今回の山頂出迎隊はU野隊長以下11人だが、それぞれにノルマがある。

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一人あたり4リットルの水と食料を背負うことで、300人近い参加者にコップ一杯の水でも大変な量になるのだ。

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それぞれ防寒具を含め自分の装備にそれを加えて登るんだから、少しばかりの覚悟がいる。

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孫の一人は七号目から動けなくなったし、U野隊長もかなり疲れている様子だった。

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それでも何とか18時前に孫を八合目の山小屋に引き上げ、眠りにつくことが出来た。

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翌日は1時起床、そのまま山頂を目指して、3時には出迎えのポジションで準備しなきゃならない。

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気温七度にかなりの風があって、たちまち手が凍えてしまう。その中で湯を沸かしたり、記念写真を撮ったり、少しでも参加者の労をねぎらうのである。

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何せ参加者にとってこの山頂はコースの折り返し点に過ぎないのであって、下山して炎暑の田子の浦までの炎暑が待っているのだから。

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夜明け前のその薄暗い中を次々とランナーが、足取りも軽く登ってくる。

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そう健脚者は、私でも信じられないくらい軽く、この57kを登ってきてしまう。

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中には、富士山頂のお鉢を三回回って下山にしていった人があって、人間の限界に驚かされた。

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ともあれ大部分のランナーは6~9時に山頂を折り返し、帰りのコースへと移っていった。

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この間(7時間)が出迎え隊のノルマなのであって、最後のランナーを見送って下山に移った。

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しかし下山途中には、まだ登って来るランナーが何人もいて、激励だけで別れる他無い。

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寄る年波もあって、下山だって大変だったんだから・・・・。

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2018年8月 5日 (日)

先ず、やってみる

歳を重ねると共に、とかく「おっくう」になる傾向があるようだ。
今更この歳になってとか、都合が・・・などと、理由を探してはやろうとしないのである。

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私にもその傾向は無きにしもあらずだが、意識して行動を起こすように努めている。

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自分のやりたいことは当然やるし、誘われたら余程の理由の無い限り断らないのだ。
それでも時々、大変だなぁ~って思うことがある。

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楽しんでやっている毎朝のブドウ収穫だって、作業に取りかかるまでは「今日もか・・」と少し倦怠気味である。

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それがいざ取りかかれば、夢中になって仕事が終わるまでは朝食にも行かないのである。
先ず、やってみることが如何に大切かを学んでいる訳で、人生すべからくしかりと思う。

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ところで今日も35度に達しようかと言う猛暑だったが、午後は小笠山を愛する協議会の奉仕作業があって、小笠池周辺の遊歩道の整備(草刈り)に行ってきた。

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この協議会は、小笠山に深く関わる団体で組織されていて、小笠山RCもその一員だ。
暑さと各団体の行事があったりして参加者は7名と少なかったが、それでも収穫はたっぷりあった。

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小笠池周辺には小笠山の地層の最下部である土方泥層が露出していて、植生がここだけ異なっている。

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イワタバコやシダの仲間、ミツデウラボシやイノデ、それにウワバミなどを学ぶことが出来た。
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ハナミョーガなど日頃目にしていて、名前の分からなかった植物も、そうと知ると愛おしくさえ感じられる。Img_0072

それに、トンネルを潜ると、少し大きなコオモリが飛んでいて、いつもと違う小笠山なのであった。

今日の整備は、今月11日に予定されている「小笠山自然観察会」の下準備でもあって、和気藹々楽しく汗を流すことが出来た。

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うぅ~ん、それにしても暑かったなぁ。

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2018年8月 4日 (土)

田子の浦

万葉歌人赤人の「田子の浦ゆ うちいれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪の降りける」は情景を表してあまりある名句かと思う。
その田子の浦港の白灯台近くに、赤人の句碑と共に田子の浦臨海公園が整備されている。

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その白砂青松と富士山のコントラストが美しかったこの臨海も、高度経済成長期には製紙ヘドロが大きな問題となり、典型的な産業公害として当時の話題をさらった。

日本を代表する景観がヘドロの海に、そして今日、改めてこの地域の自然が見直されようとしている。

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一つは幕末のロシア船ディアナ号の転覆の地がこの浜であったこと。
そしてもう一つが、「ゼロ+3776m」が再発見されていることだ。

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海浜公園の一角には、3776cm(富士山の100分の1)のモニュメントが出来ている。

実は世界中探しても、その裾野の末端を海に沈め、すらりと3700m余も立ち上がっている名峰はないのだ。

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それがSNSなどで知られるに至って、今では諸外国の田子の浦から富士山頂を目指すチャレンジャーが激増しているという。
3776mの達成感を求めて集まるのだが、ただしかし、これは半端なことでは為し得ない。

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実はこの発想は、我がH田氏の企画・実行した富士山頂往復マラニック(ゼロ富士)に源がある(と思っている)。
十数年前に始まったこの企画は、田子の浦の(潮水をフィルムケースに詰めて)灯台をスタート、この潮水を富士山頂の標柱に捧げ、再び田子の浦に24時間以内に帰るものだ。

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夜を徹して富士山に登り、三千メートル超の過酷な自然と岐路の熱暑は、決して安易な妥協を許す物ではない。
実は昨日・今日と、第16回目となるこの大会が開かれて、私も山頂で迎え隊の一員として参加したのである。

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何度もこの大会に挑戦してきた私ではあるが、流石による年並み、夜を徹して田子の浦から走って富士に駆け上がると、

寝不足と過労で、必ず7合目以降が高山病で進めなくなってしまうようになった。

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それで支援隊の一員として、孫二人を連れて参加と言うことになったのである。
さても次々と山を駆け上がってくる、あの躍動する脚力に改めて人間の美しさを感じた。

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2018年8月 3日 (金)

活力の源泉

人を動かす活力の源って、何だろうかと考えている。
それは思うに、誰かに喜んでもらえるって動機もあるが、好奇心こそ原動力ではないか。

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まだ知らないこと、まだ行ったことのない所、彼女はどんな人なのかなどと、未知の領域への関心である。

現実にこの私だって、これまでこの先に何があるのか、これは何でだろう?って歩いてきた。

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この点今の子供たちはあんまり感動しないというか、「えぇ~、何でぇ?」と好奇な姿勢を見せない。
情報が溢れかえった時代に生まれ、TVやネットのバーチャルで全てが解決すると思っているのかも知れない。

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だけど、人生を楽しくするのは実は好奇心だと思う。
そもそも人間をして今日の文明を築かせたのも、太古以来の私達の先祖の好奇心だ。

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ところで、最近の私に関しての反省だが、その本領の好奇心が幾分鈍ってるんじゃないかと危惧している。
暑さのせいもあるが、どうも宿題を先延ばしする傾向にあるのだ。

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ともあれ好奇心がなくなれば人生はその生きる意味を失うのだから、心しなければなるまい。
今日は、孫たちを連れての富士登山である。

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勿論彼らにとっては初めての挑戦で、全てが好奇心の対象となるはずだ。
それで私の注目点は、森林限界に生えているカラマツであるImg_0221_2
八ヶ岳の山麓などに行くと、まっすぐに高く天を刺して伸びているあのカラマツだ。
そのカラマツが、森林限界ではまるで違う姿をみせて、うずくまっている。

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ダケカンバ同様に、吹き飛ぶ砂礫や雪が幹や枝を直撃して、大きく成長できないのだ。
確かに過酷な環境ではあるが、彼ら(カラマツやダケカンバ)は必死に生きている。
その必死な姿とおのが好奇心を、孫たちに伝えル事が出来たらなぁ~と思っている。

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2018年8月 2日 (木)

自分の時間

最近の私の時間は、ほとんど全て自分の裁量でどうにでもなる時間である。
終日寝ていようが、何処に出かけようが、にも(?文句は言われないと言うことである。

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誠に結構な気もするが、そもそも時間という物は、その人のシチュエーションによって価値が違うのだ。

動物の心臓の鼓動を時間に換算すると分かりやすいが、人間は一分間にほぼ60回の鼓動をする。

人によって違うが一秒に一回が目安だ、これに対してハツカネズミは一分間に600回だ。

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何ともせわしないが、これが馬なら二秒に一回の鼓動となって、どうやら動物の時間は、その体重の四分の一乗に比例するらしい。

つまりハツカネズミは人間の10倍の速さで生き、馬は2倍のスピードで生きてるって事だ。

ところで自由裁量となった自分の時間の価値について考えている。

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「○×をやらなきゃならない」って事で連なっていた時代には、その時間の価値が目に見えたし、充実感もそれなりにあった。

しかし、自由な時間が有り余るようになると、どうもそれが希薄な時間に思われていけない。

心臓は同じように鼓動しているのだし、その時間の流れだって同じなのにである。

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時間は緩慢に流れるし、ランニングのスピードだって、グッと遅くなっている。

これが「老」と言う物かと納得させようとするが、同じ鼓動を刻むのがもったいなく感じる。

哺乳類の生涯の鼓動は、ほぼ15億回と一定なのだそうである。

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・・・とすると人間の寿命は50歳程度って事になって、それ以上は医療の発展による余録らしい。

どうやら私は余録の時間を生きていることになるが、道理で価値が稀薄になったな訳だ。

いやいやそんな罰当たりなことを言っちゃいけない、余録ならばこそ楽しまなくっちゃあ。

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2018年8月 1日 (水)

人生の積み重ね

物憂い暑さと共に、何と言うこともなく一日が過ぎ去っていく。
それはこれまでだって同じだろうが、全ての職を辞してからは、特にそのことを意識させられている。

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人生は一日一日の積み重ねだろうが、その積み重ねの部分が確かに薄くなっているのである。
時代(世間)の流れに参加しているという自分なりの感覚が、当然ながら薄くなっているのだ。

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しかも70年分の甲羅を経てきたのだから、面の皮は元よりその感性すら鈍感になっているのも否めない。
確かに酸いも辛いも、スリルも歓喜も大概のことは経験してきたし、多少のことじゃ驚かなくもなっている。

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その分生き易くなったのだが、毎日が新鮮かと言うと冒頭の言に集約されるのである。
無駄なことも含め随分多くのことを頭に詰め込んできたけど、その大半はどこかに消えちゃった。

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そう・・・・懸命に(必死になってかな?)知識や情報を得ようと努力したことだってあった。
それも今は昔、そういう必死な気持ちと意欲を持ち得た時代があったという、その誇りだけが残っている。

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しかし、人間幾つになったって現役、「成すこと無く一日が過ぎ去ってはならぬ」と思う。
そして問題は、これから何処に向かうかと言う大きな目標の喪失にあるのである。

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ナビブ砂漠レース以降、その喪失感に覆われていた感があるが、少し覚醒しつつある。
唐突だが、ヘミングウェイが人が真の男になるためには、四つのことを成し遂げにゃならないと書いている。

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四つの事とは、木を植える、闘牛をする、本を書く、そして息子をつくることだと言う。
木を植え闘牛をするってのが、家を作り生活を闘いとることだとすれば、私に残された課題は本(私小説)を書き上げることだけだ。

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真の男が如何ほどの物か分からないが、当面そいつを目指してみようと思っている。

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