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2018年8月17日 (金)

ただ心ひとつ

そう・・・日々の喜怒哀楽も含め、人生の有り様は全てその自分の心次第なのである。
だが、心の持ちよう如何と分かってはいても、揺れ動くのが私達の常だ。

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仕事に忙殺されている若い頃は、色々と事件に遭遇しても、その忙しさのお陰で過ぎ去っていく。

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それが定年退職して自由な空間が広がった途端に、自分の空虚な心に驚いたりするんだ。
私の場合は昨年の春、自分がやがて古稀を迎えるってことに、何故か驚いてしまった。

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人は誰もが年をとる訳だが、自分だけは別だろうとどこかで思っていた節があるのだ。

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心身共に万年青年を自負してきたし、現実に故障らしき所は全くなかった。
それなのに突然(でもないか?)「お前は、古来稀な歳だ」と言われて慌ててしまった。

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平均寿命まで10年と少し、はてこの先どうするかと戸惑って、10年計画を考えてみた。
だがその計画に際して最大の問題は、何をする(ができる)かってことだった。

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誰でもそうだが、漫然と日々を送る事は出来るが、それでお前は良いのかって自問である。
折角この夜に生を受けたのに、このまんま漫然と日暮らして、死にたかないよなとも思った。 

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それでナビブ砂漠257kへの挑戦を始め、幾つかの試みを始めたのだった。
ところで、あの鴨長明が方丈記の中で「それ三界は、ただ心ひとつなり」と書き残している。

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どんなに貧しく見窄らしい暮らしをしようとも、そりぁ心の持ちようで楽しいよ・・・って訳だ。
そもそも長明は世間にも多分に色気を残していた人だから、或いは痩せ我慢も少しは混じっていたかも知れない。

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ともあれ長明の無常観には大いに共感するのだが、無情は「滅び」にだけあるのではなく、本来挑戦の中にこそあるのだと思う。
而して、隠棲して無情を悟るなんてのは愚の骨頂、新しきを求める挑戦の中に滅びたい。
明日は、有明山になん登らんと思う。

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