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2018年9月30日 (日)

天気晴朗ならずして波高し

台風24号の接近で、朝からゴウゴウと波音が不気味に響いている。
我が家は海から4k近く離れているのだが、その海鳴りの波長が丁度合っているみ所らしく、直ぐ前に海が在るかのように聞こえる。

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近年接近する台風で950Hpと言うのは稀なほど大型で、何とか穏便に通り過ぎてほしいと思っている。
それで朝から風で飛ばされるような物を片付けたり、布製ガムテープを準備したりと忙しい。

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大きく育ったキューリやインゲンは諦めざるを得ないが、5棟のハウスの保守は肝心事だ。
と言う訳で、天・側窓を全て閉めて周り、台風への備えを万全にしたのである。

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一通りの備えをしたら、フッと傍らの子供達が掘り残した落花生が目についた。
彼らも酷暑で苦労したが、せっせと潅水したこともあってタップリの実を稔らせている。

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落花生は花が咲くとその花がつぅ~っと地面に向かって垂れ下がり、地中に入ってあのラッカセイを稔らせる。
だから落花生と呼ばれるのだが、これを二株ばかり堀上げるとボール一杯にもなった。

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早速そいつを茹でてツマミにし、幾分強くなり出した風を横目にビールを頂くことにした。
私はお天気屋では無いが、気圧というものは人間の行動を色々と差配するようでもある。

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低気圧が近づくと古傷が痛んだり、秋晴れなら気分も高揚したりしてね。
ともあれ、この地鳴りのような海鳴りは、そうでなくとも人を不安にさせるものだ。

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毎年のように台風の惨禍にさらされてきた私達は、それなりに結構たくましくはなっている。
だが今回も何とかやり過ごして、明日は台風一過としたいものである。

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収穫したばかりの落花生は、何とも味わい深い味で、殊に未成熟の実を殻ごと食べるのが美味しい。

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2018年9月29日 (土)

生活習慣

走ること、書くこと、作ること、そして会うことは、四十過ぎに心して始めたことである。 
それが今日までの三十年間、気分屋の私にしては不思議なほど続いている。

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継続は習慣となって、その習慣が何時の間にか不思議なほどの力を持つようになる。
そのことが子供の頃分かっていれば、例えば毎日一時間予復習する習慣を身につけていたら、私の見る景色は変わっていたかも知れない。

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まぁ~幸か不幸か、勉強は試験直前と決まっていたから、今日の程ほどの私がある。
論語の「学ビテ、時ニコレヲ習ウ」ってのも、学習習慣が大切だって言っているのだろう。

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ともあれ走り続けて早三十年、それにこのブログの4500日を始め書き続けてやはり三十年。
ブドウを始めとした農業は私の最大の趣味になっているし、人と会うことも億劫ではなくなった。

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引っ込み思案だった性格も、むしろアクティブに世間に出ていくようになった。
結果として私の世界はかなり広がったし、継続の力は凄いと改めて感じている。

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簡単に継続とは言っても、100kの道程を走り続けるのは決して容易ではない。
日頃の練習を積み重ねて、更に明確な目標を設定して、それは決意して臨むのである。

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畑を耕すのも同じで、30mほどの固い地面を耕すのは、そればかなり忍耐が必要になる。
それを100kマラソンと同じように、コツコツと自分に言い聞かせて続けるのである。

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それは汗をかき疲れもするが、2~3時間も耕せば、その成果は長く連なって見える。
何が嬉しいかって、自分の労働が形になって見えるのが何よりで、農業にはそれがある。

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今日は、9月初めから始めたホウレンソウづくりで、5列の畝全てを耕し終えたのである。
その内の三列は、一粒ずつ丁寧に播種(一列4時間は要する)を終えて、順次芽が出てきている。

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そして今習慣にしつつあるのが英会話で、毎日少しずつボケ防止にしようと続けている。
さぁ~て、これが物になるのかどうか楽しみである。

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2018年9月28日 (金)

遊びの四要素

平安時代の歌謡で「遊びをせんとや、生まれけむ」と歌われたように、日本人は古来から(江戸期は典型的)遊びを楽しんできた民族だった。
ところが維新後の和魂洋才辺りから、恐ろしく遊び下手な民族になってしまったようだ。

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目の色変えて働いて、娯楽はパチンコなんて時代が長く続いてきたんだからねぇ~。
私も御多分に漏れなかった訳だが、あの平成2年のバブル崩壊以降はかなり変わった。

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体を動かして汗をかくことを遊びの中心に据えたからで、これで心身共に健康になったし、仕事だってそれなりに効率が上がるようになった。
私にとっては正に働き方改革で、同時に生き方を変えたのだとも思っている。

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遊びには4つの要素(①感じる②競う③作る④演じる)があるとは、川西由美子さんの説である。
人それぞれ感じ方はあろうが、私は走ることで様々な感性を養い、友と競い、素晴らしい場面を演じてきたし、感動を作ってもきた。

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勿論それだけではなく、「走る」の他にも「会う」「栽培する」「書く」ってこともやっていて、私は川西さんの言う四要素を満たした遊びの達人なのである。

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そうして遊ぶためには、仕事は出来る限り要領よく済ませ、生産的に終える癖もついた。

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つまり遊ぶことは、良いことづくめなのである。
そもそも人間は、苦しむためではなく楽しむために生まれてきたんだから、楽しまなくって一体どうするの?

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人間60も過ぎれば、男だの女だの、はたまた経歴だの学歴だの、およそ関係ないのである。
もっとフリーランスに既成の縛りを離れて楽しめば良いのであって、自由になるべきなのだ。

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ともあれ今日は保育園の三歳児四歳児五歳児がやってきて、「お兄さぁん、こんにちは」と声をそろえる。

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春先に蔓を挿したサツマイモと、植え付けた落花生の収穫にやってきたのである。

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酷暑を経たこともあって、サツマイモも落花生も大変な収穫で、獲物の重さに耐えかねる子供の姿を、とっても愉快な童話のように感じていた。

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子供達にとっても私にとっても、芋掘りは一年に一度の遊びなのである。

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子供達が去った後、畑の畝を作り直し、もとの畑に直すのがいささか大変で、手に豆を作ってしまった。

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2018年9月27日 (木)

万事茫洋

「昔は、もっと精悍な顔をしていた」とある人に言われたが、その通りかも知れないと思った。
人間年をとると、ものみな霞、山はなべて青く、万事茫洋としてくるものらしい。

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子供の頃、我が家から遠くに見える山がどんな所か知りたくて、自転車で半日かけて出かけたことがある。
行ってるとそこは鬱蒼とした雑木林で、その荒れ果てた林に幻滅したことがある。

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正に「ふるさとは、遠きにありて、思ふもの」(室生犀星)なのである。
遠くに望む山はかすんで美しく青いが、実際に行ってみればなぁ~んだってなことになる。

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これは時間に関しても同じで、今は昔となったことは、何時しか懐かしい時間になっていたりする。
子供の幼い頃はかわいかったし、いやいや出会った頃の細君だってそれなりだった。

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而して、あの頃は良かったなぁ~って回顧するのは、既に往事茫茫なのである。
緊張の連続だったあの壮年の頃だって、今は「俺に、あんな時があった」と(実際以上に)鮮烈に思い出すことが出来る。

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しかしてそれは、私だけが思い出すことの出来る貴重な時代絵巻なのである。
次々と奇跡を起こしてきたキリストが生まれ育った村に帰ると、一切の奇跡が出来なくなったという。

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有り難いと思えばこそ奇跡も起こるが、昔よく知った人間に奇跡など起こせる訳かなかったのだ。
同様に、よく知った仲間の書いた作品が良かろう筈もなく、評価など期待する方が間違っている。

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未だ見ぬ地への想像、懐かしい思い出、それに偉人だって遠くはなれているからこそありがたいのだ。
そう・・・「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいふ」なのである。
話が曲折したが、私の往年もやっと茫洋として、年齢に相応しくなってきたんだろう。

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2018年9月26日 (水)

 けだし忘却

「忘却とは、忘れ去ることなり・・」は、子供の頃のラジオドラマ冒頭のセリフである。
バカバカしいほど当たり前なことなのに、何故か妙に意味深長な言葉だと感じてしまう。

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凡才の私などは忘れることが得意中の得意で、試験勉強の中身もアッという間に忘れてしまった。
結果として学業成績は並のままで通したのだが、世の優等生は忘れると言うことを知らない。

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優劣は知識の量に比例すると言う根拠なき信仰、それがこの社会の通念だった。
クイズ番組ならまだしも、知識の量など所詮コンピュータには敵わない訳で・・、でも入学試験じゃそれがものを言った。

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そも知識メタボリック(肥満)の選抜、極論すると、それが大学入試の実態ではなかったか。
私があるセクションにいた頃、そのスタッフの中に東大?学部卒の先輩がいた。

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さぞかし立派な方と思いきや、それが流石に知識過多で、彼が議論に加わると一向にラチがあかなくなる。
あれこれの議論をするだけで、さっぱり実態に肉薄しないので、何時の間にか敬遠される存在になった。

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その頃、学歴や知識の量など何ほどでもないと悟ったが、昨今の財務省や文科省高官(東大卒)の失態も、常識のなさってところが何だか分かる気がする。

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内田百聞が「何でも知っているバカがいる。」と言う言葉を残しているが、事実そうなのである。
私などこの数十年、失敗や挫折、愚かな誤りの山を築いてきた訳で、その全てを覚えていたらとても生きてはいられない

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而して私が今日あるのも、その天性の忘却の力なのである。
過ぎたるは及ばざるがごとしとされるが、今になって凡才で良かったとつくづく思っている。

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かてて加えて、最近ではその忘却のスピードが、いや増しているような!!

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2018年9月25日 (火)

話すって事は・・

話すと言っても様々なシィチュエーションが有る訳だが、それ自体基本的に得意ではない。
その原因は、元来が内気な上に、自分の気持ちを表現することが下手なのである。

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しかし、この人間の世の中は話すことによって成り立っているのであって、どんなコミュニティであれ、話をしないわけには行かない。
出来ることなら黙って人の話を聞いている方が好きなんだが、それだけじゃこの世の中生きていけないのである。

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かつては依頼を断り切れずに、「講演」なるものに何度も引き出され、懸命にしゃべった事がある。
だけどそれも真面目一途の話で、ジョークの一つも入れることはなかった。

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テーマが絞られていて、事前に準備が出来るのなら、それでも幾ばくかの話は出来るのだが、
突然指名されて「お前の気持ちをしゃべれ」ってな事になると、我ながら進退窮まってしまう。

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まして大勢を前にしてマイクを突き出された際には、とてものこと聴衆の耳を向けさせることなど、それは無理な注文だ。
そもそも、何事か聞く気のない人間を相手に話をするなんて、それが無茶なんだろうと思う。

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いやさ、聞く気があったとしても、(インタビューの様に)それは余計に緊張してしまって、思いを言葉にするのは余計に難しくなる。

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昔から大声は立派な才能で、三国志の劉備玄德など英雄の一つの才でもあった。
而して人間、大声を出せる方が何かと有利なんだろうが、それだって訓練や能力が必要なんだと思う。

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「出来れば目立たないように・・」と育った三つ子の魂は、古稀の今日なお健在なのである。
もっとも近年の私は、もっぱら育てているブドウやホウレンソウと話をしているのだが・・・

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2018年9月24日 (月)

虫の音に

酷暑を何とか乗り切ったと思ったら、はやお彼岸のお中日も過ぎてしまった。
そのお中日を前にした一昨日、遠山郷のアンバマイ館の傍らにテントを張って寝た。

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遠山川の畔だから水音が高く、一晩中うつらうつらと水の夢を見ていた。
テント泊だからと言う訳でもなく、枕が変わると眠れない性分なのだ。

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時々正気になるとあれこれ(小説の転結やら明日のことやら)を考えている。
辺りは少々の月の明かりと水流の音、それに圧倒的な虫の声で満ちていた。

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その虫の声の中に、リィ~ン・リィ~ンと澄んだ鈴虫の声も混じっていて、その音を待ちながら自分の今ここを思っていた。
その虫たちと同じように草の中に寝て、彼らの声を聞きながらひたすら眠ろうとしている。

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齡70歳、一昔前ならとうにその一生を終えているかも知れない年齢になって、テントの中で息づいている。
そして明日は、山中を駆け巡って、50kも走ろうとしているのである。

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虫たちの鳴き声は、それはフィアンセを求める切なる声なんだろうが、私は只管自分の生き様を確かめるためにここに来ている。
そうして静かに虫たちの気配を弄りながら、自分の心に「もう少し、頑張ってみよう」って呼びかけている。

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虫たちの命ははかなくって、たかだか半年だろうか?

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期間は兎も角、この自分だってやがてくたばるんだろうが、そのもう少しの間にしたいことをやってしまおうとしている。

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しなきゃならないことをせずに死ぬなんて事の無いよう、何だかサッカーのロスタイム(今は何て言うんだっけ?)の様だが、ここはしっかりと加点しておきたい。

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この秋は、毎週月曜日にホウレンソウを蒔くことにしていて、今日はそれでたっぷりの汗をかいた。

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2018年9月23日 (日)

アンバマイカ

今日は、もう第12回になるチャレンジマラニックin遠山郷である。
今年のこの大会は、「ご縁人工を増やそう」とテーマを掲げた、村内50kを走る大会だ。

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遠くは青森や岩手からも参戦していて、その7割がリピーターで、正に遠山郷に縁のある人達の大会になっている。

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しかも、遠来のランナーを地域ぐるみでもてなそうと言うのだから、縁づくりも熱が入っている。

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昨夜の「天仁の杜」で開催された前夜祭は、集まったランナーの正に交流の場で、しかも地元産のご馳走がふんだんに用意されていた。

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お酒類も飲み放題と、飲んべーにはたまらない試みなのである。

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それは兎も角、今朝は6:00集合、6;30スタートなんだからおちおちはしていられない。

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私はテントを張って寝たんだが、5時には起床、支度を済ませて山裾が明るくなり始めた会場に集まっていた。

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開会式では早朝なのに飯田市長も挨拶に立って、神主が一人一人が身に着けて走るお札に入魂する。

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私もその「安全走歩」と記されたお札を胸に掛け、勇んでスタートしたのである。

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とは言っても今年は、視覚障害のあるMさんの伴走を仰せつかっていて、どうしても後方を走ることになった。

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コースは、それは日本のチロルと呼ばれる程の所だから、1000m超の高地を二度ほど超えなければならない。

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だがそのその節目節目に、エイドステーションを村の人達が準備してくださっていて、地元の蕎麦や栗の甘露煮、梅のブランデー漬け、ミョウガの酢煮、系統ブルーベリーやミニトマト、

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はたまたヤマメの串焼きや豚肉のねぎま、土地のまんじゅうやらクマノイ、マムシ酒などもあって、ゴールではかき氷の接待が待っている。

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急な登り下りを別にすれば、朝から晩まで食べつくしのマラニックなのである。

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いやいやそれが、ゴールした後は「神楽の湯」に入って、その後は後夜祭と称しての大宴会が待っていた。

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ふんだんなご馳走はもとより、抽選会があって地元産の農産物などが当たるのである。

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これでは帰る訳にもいかず多くの人が二泊する事になるのだが、私は明日の予定もあり後ろ髪を引かれながら帰宅したのである。

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ともあれ、この遠山郷に縁がどんどん深くなっていくのは、これは嬉しいことでもある。

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ところで、アンバマイカとはこの地で「遊ぼー」ほどの意味で使われるらしい。

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2018年9月22日 (土)

遠山郷にて

あの日本のチロルとして知られる、長野県飯田市の遠山郷(アンバマイカ =遊ばまいか)に来ている。
大変な山里ではあるが、急峻な草木峠を越えれば、磐田から車で二時間少々で着くことが出来る。

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この青崩れ峠の下にトンネルが掘られることになって、脆い地盤故長年調査が進められてきたのだが、今年やっと本工事に入ることになった。

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開通は8年後の予定だが、このトンネルが出来れば、遠山郷までの行程は30分は縮まる。
そのトンネル工事の開始を記念して、遠山郷花のふるさと作り事業が始まっている。

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8年後にはこの地域を花の咲き乱れる古里にしようとの企画で、私達はその最初の記念植樹に招かれたのである。

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丁度雨も上がって植樹には絶好のタイミングで、私達は10月桜を植えたのである。
私達に続いて今後学校の生徒達などが次々と植えていくらしく、8年後が楽しみである。

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ともあれ。植樹を終えた後は遠山の美味しい蕎麦を頂いて、その後はノルディック教室である。

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遠山の急峻な地を巡るには、如何にもノルディックは相応しく、私達はその先駆けともなる位置づけなのである。
さてもノルディックはステックを持って歩けば良いというものでもなく、今日はインストラクターの丁寧な説明の後、5k余りその郷を巡ったのである。

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流石にスティクも力強く歩くために作られていて、急な坂道だってスイスイと歩くことが出来る。

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実は、私達は明日の遠山郷マラニック大会が目的でやってきたのだ。

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下栗の里を始め村の各地を巡って走る訳だが、その村々に村人が待ち構えていて、私達を接待してくださるのである。

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この地域に一人でも多くの人に来てほしい、自分たちの住む里はこんなに良いところだ、村の人達はそう言って私達を迎えてくださる。

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今夜は前夜祭があって、正に飲み放題の郷土料理が待っていて、それも楽しみではあるのだが、更に明日の夜は後夜祭も開催される。

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流石に私は失礼することにしているが、皆さんはこの三日間をたっぷりと遠山を味わうのである。

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2018年9月21日 (金)

畑は何だっけ?

先日、少し前まで議員をやっていた同級生と同席した折、「君の畑は・・・」と突然聞かれた。
何のことかと戸惑いながら「ブドウを作っている。それと・・」と、口ごもっていると、「俺は、法科だけど」と言う。

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この歳になって、大学の出身学部を口にしているのである。

文系か理系か、はたまた社会科学系かならまだしも指向として議論の余地はあるが、この六十年間「自分の畑」などと思ったことすらなかった。

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人それぞれの人生を生きてきて、今更「畑」もないものだが、その一言でその男の心底が見えてしまった。
自分は議員を辞めさせられたが、それなりの自負と誇りを持っていると言いたかったのだろう。

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大学の四年間を如何に過ごしたかは、その後の人生に大きな影響を及ぼすには違いない。
しかしながら、そんなものは就職して数年すれば、ただの昔の若い頃の話になってしまう。

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大学で学んだことなど、特殊な分野を除けば、役に立つなんて事は全く無いのである。
人間の性根は、出身大学なんかより、社会の実践の場で如何に学び取ることが出来るかだ。

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現実に勉強などとは縁もなく、何とか中学を卒業しただけの男が、いっぱしの企業経営者になっていたりする。
高校時代の優等生は今どうしているかと見渡せば、その現実が分かろうというものだ。

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それはともかく、歳をとると言うことは精神面でも少しずつ子供に戻るって事でもあるらしい。
昔のガキ大将に戻って虚勢を張るようなものかな。

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・・・とは言え、世間一般に「あの人は、東大法科出だし・・」などと、過大に評価する向きがある。
だけど本当は、たかが大学なのである。

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それよりも、どう生きたか、どう生きるかの方が肝心事であろう。

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2018年9月20日 (木)

キリ凜として

一昨日の東北での交番襲撃刺殺など、警察官のなり手がいなくなるんじゃなかろうかと思う様な事件が続いている。  
何が目的なのか定かではないが、取り敢えず身近な権力として標的にされたのだろう。

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そんな最中ではあるが、今日は県警の初任科卒業式に臨席してきた。
初任科とは、大学を卒業して6ヶ月間警察学校で学ぶ人達のことだ。

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勿論全寮生活で、最初の一ヶ月間は一切外出も出来ないと言う厳しさだ。
この六ヶ月の間に、徹底的に規律と警察官としての訓練をするし、仲間の連帯感を培う。

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今回は61名の初任科生が卒業し、今日から県下の各署に配属されて散っていった。
国歌斉唱に始まった式典は、卒業証書授与、辞令交付、本部長訓示と続いたのだが、その全ての動作が静と動の歯切れ良く、すべてがスキッとした身のこなしであった。

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もっとも私自身、この若者達のキリリとした挙措を見、我が身を引き締めんと出かけた訳で、
彼らの目一杯の緊張を前に、私も改めて昔を思い出していた。

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ともあれ彼らの社会人としての人生は今日から始まる訳で、不幸な事件に遭遇しないよう祈るばかりだ。
この式の模様を写真で紹介したかったのだけど、撮影禁止とあって雰囲気を伝えられないのが残念だ。

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さて老来我が身のことだが、彼らの様にキリリとした緊張をすることもなくなって久しく、終日気ままな暮らしをしている。
近頃は老人の犯罪や交通事故が激増とかで、彼らの世話にならぬよう・・・それに専心している今日この頃である。

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いやいや警察はとかく敬遠されがちな役所だけど、この数年来近間で見るにつけ、彼らの下積みな苦労が分かるようになった。
況んや交番を襲撃するなどもっての他で、治安は自分達のものだってことを是非にも考えたい。

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交通にしろ犯罪にしろ、治安があって初めて私達の生活が成り立つのである。
少し堅いことを書き過ぎちゃったかなぁ~。

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2018年9月19日 (水)

人と謙虚さ

今日は、地元の中学校の運動会に出かけた。
校庭の片隅に「啐啄」と題する彫像があって、「啐」は卵の中のひよこが殻から出たいと突く音、「」は親鳥の呼応した突きだ。

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正に阿吽の呼吸でヒヨコが生まれ出るのだが、教育もかくあれと建てられたものだろう。
ともあれ運動会は、学校の一大行事であって、私も60年近く前のその頃を思い出していた。

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そう・・・あの頃は、いつも精一杯の自分を生きていたと言う気がする。
無我夢中で内側から卵の殻を突くヒヨコの様に、ひたすら懸命に生きようとしていたと思う。

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だから徒競走だって必死で走ったけど、いつもビリッケツで、それでもめげずに走ってた。
「何クソ、いつか俺だって。」って、そう思いながら足掻いていた。

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私の周りには、ガキ大将も含め威張る子、威張りたい子が沢山いて、何時だって小さくなっていた。
勿論大人になってからだって、威張りたい大人、自慢話だけの人、虚勢の無頼人なんかが一杯いた。

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そんな海千山千の中で、やっぱり私はいつも小さくなって生きてきたような気がする。
遠慮がちにものを言い、欲しいものも半分に留め、決して人の前には出ないようにと努めてきた。

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宴会の席だっていつも端っこに座り、出来る限り控えめにするのが常である。
だけど人って、何故威張りたがるんだろうか?

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得々と自慢話をしたがるのは、何故なんだろうか?
「お前より、俺の方が上なんだよ」って、主張したがる心情は何処から生まれるんだろうか?

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吉田兼好の徒然草は枯淡な境地を綴った古典だが、その終わり近くになって「自賛の事七つ」が書かれていて、あの兼好でさえ些細もない自慢話を書き残している。

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人間誰しも、自慢せずにはいられないように、そう出来ているのかも知れない。
私も思いっきり自慢したいのかも知れないけど、幸か不幸か自慢できることが無くって、

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こればっかりは、生来のガキの頃と同じなのである。

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2018年9月18日 (火)

回天の地を走る

実は今回のマラニックは、いささか抜かったと幾分後悔している。
事前に何の下調べ(日程表やコースすら確認)もせずに、現地入りしたからだ。

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そして関門海峡を目の前にして初めて、ここが濃厚な回天の地であったことを思い出した。

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時は1185年3月、この海峡には両軍合わせて4,000艘もの軍船が浮かび、熾烈な闘いが繰り広げられたのだ。
やがて潮の流れが義経側に味方し、平家側は安徳天皇と共に滅亡する。

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つまり古代から中世へ、貴族の時代から武家の時代へと、ここで時代が動いたのである。

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そして、その武家の時代を終わらせたのもこの海峡で、それが馬関戦争であり、騎兵隊の蜂起だ。
馬関戦争はこの国最初の攘夷戦争で、正に壇ノ浦の古戦場に造られた砲台から英仏蘭などの船を砲撃することから始まった。

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一旦は退いた異国の軍艦がやがて大挙して押し寄せ、長州の砲台は全てフランス軍に占領されてしまう。

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連合国側の賠償請求を幕府に払わせる画策など、それがやがて第一次長州征伐となるのだ。
長州藩は幕府に屈し、三家老の切腹など、幕府に恭順する俗論派が権力を握っていた。

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その俗論派に対して、騎兵隊を組織して敢然と立ち上がったのが高杉晋作で、藩内戦争が始まるのだ。

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と言っても高杉の組織した騎兵隊は80人そこそこの素人部隊、だがその人数を引っつれて五卿の前に参じ「これより、長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す。」と宣言したのだ。
直ちに高杉らは近くの萩藩会所を襲撃して、やがて藩内俗論派を追い落とすのに成功する。
 
そのImg_0522旗揚げの地、功山寺は、私達の訪れた上杉邸の直ぐそばにあった。
そして第二次長州戦争の最中、上杉は若干27歳でこの世を去るのだが、その終焉の地もこの近くだ。
「動けば雷電のごとく、発すれば風雨の如し」正にその短い生涯が歴史を動かしたのだ。

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そして、明治維新を陰でさえ続けたあの白石正一邸も下関駅近くの海峡沿いにある。
海峡の物流を支える荷受け問屋として財を成し、その財の全てを勤王の志士たちのサポートに投じた男だ。

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その多くが志し半ばで倒れたにしても、明治維新の成就はこの人があったればこそと言っても過言ではない。
事実藩の存亡の最中、1863年6月騎兵隊はその白石邸で結成されたのである。

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白石正一の晩年は、一切の俗事から離れ、赤間神社の宮司として生涯を終えたようだ。
彼が維新を担った志士達を支えたのは、須くその幕末の勤王思想ではなかったか。

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高杉にしろ、白石正一の生涯にしても、その一生を差配したのはその「思い」ではなかったか。
今回のマラニックは、純粋に下関の歴史を訪ねる旅だけであっても、それはそれ面白かったのではないか。
功山寺、そして白石邸、高杉終焉の地も訪れてみたい所であった。

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2018年9月17日 (月)

門司から小倉へ

昨夜は門司港のレトロな(大正五年建設)三井倶楽部のレストランでフルコースを頂いた。

Hさんのツアーでは極めてレアな企画で、フグのステーキなどもあって、暫し門司の歴史を味わったのである。

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明治22年に開港された門司は大陸航路の拠点として発展し、今日になおレトロな貿易ビルなどを数多く残している。

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大抵がレストランやギャラリーとして使われていて、今朝はその幾つかを訪ね歩くことから始まった。

ギャラリーを覗いたり、名物の焼カレーを食べたり、跳ね橋を楽しんだりしたのである。

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この三日間、海峡に向かい合う二つの街を訪れて、そのかなりの気風の違いも感じたし、歴史の重みもかなり違うのかもしれないと思った。

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それにこの狭い海峡を、大型船がひっきりなしに行き来する景色を眺めて育てば、その世界観だって随分違ったものになるに違いないとも思った。

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歴史が人を育てるのであり、この地から維新の新風が巻き起こったのもムベなるかななのである。

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さても今日のエクササイズは、この門司港から海峡を遡って小倉まで11k走ることである。

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途中は瀬戸内臨海工業地帯で、この11k余を一時間半余りで駆け抜けてしまった。

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対岸の下関側は、昨日まであちこちうろついたからこそ、その土地を懐かしく眺めることが出来た。

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ともあれゴール予定のサウナ風呂に到着してみると、そこは女人禁制の湯で、何故か土地柄を思ってしまった。

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何せここは無法松の一生で有名な小倉太鼓の地なのである。

それでも1kほど離れたところに銭湯を見つけ出して、皆さんと共に汗を流し、解散会となったのである。

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それぞれに全国各地に散っていく仲間を見送りながら、共にこの馬関を訪れた幸福を思った。

人それぞれに思いはあろうが、時を共有したその気分は共通のものだったろう。

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そして今、帰りの新幹線の中でこのブログを書いている。

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2018年9月16日 (日)

海峡をくぐって

泉邸を辞したのは7;00、唐戸近くのそのお宅からジョグで下関駅前のレンタカー店に。

今日は先ず、レンタカーで萩方向に向かって55k程北上、日本海に突き出すように浮かぶ角島に向かった。

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この角島が本州と架橋によって繋がったのは、18年前のことである。

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1,8k程の角島大橋で、当時日本一の橋として(現在は宮古島の大橋)有名になった。

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いや、橋によってその角島の存在が、一躍クローズアップされたのだ。

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エメラルドグリーンの海をまたいで渡るその景観は、2003年の土木デザイン賞にも輝いた。

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現在の人口は900人で,この橋を走ってわたり、島の隅々をぐるりと16kほど回るのである。

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先ずは牧崎風の岬を訪ね、静かな島の風情を楽しんだのち、最大の景勝地夢ケ崎に向かった。

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途中では島の運動会が開かれていたり、観光客もかなり入り込んでいる。

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私達はこの突先に建つ角島灯台に登り、明治以来日本海航路の安全を担った威容を堪能したのである。

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さて角島を楽しんだ後は、下関に取って返し、今度は壇ノ浦から関門海峡トンネルを渡る。

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・・のだが、その前に下関のシンボルタワーでもある海峡夢タワー(153m)に登って、この下関をじっくりと上空から眺めることにした。

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確かに巌流島をはじめ、海峡の動きと下関の地勢が眺め渡せるのである。

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高杉晋作の終焉の地でもあって、その足跡もこの下関にはあちこちに残っている。

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さて、タワーから3k余り走ると、関門大橋がかかっていて、その下には関門トンネルがある。

このトンネルは昭和33年(東京タワーに同じ)に開通したもので、今年で開通から60年になる。

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本州と九州がつながって、もう60年になるのかと時の流れの速さを実感しながら、エレベーターで地下60mに降り、そこから九州側の門司までは780mに過ぎない。

しっかりとした連絡道路が出来ていて、軽いジョグで10分余で渡り切ってしまった。

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ともあれこの海峡は、せいぜいスエズ運河くらいの広さであって、しかも天然の水道なのである。

この海峡でこそ、巌流島の決戦、源平の盛衰、維新戦争の勃発はやはり相応しいロケーションなのである。

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2018年9月15日 (土)

馬関

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その馬関(関門)海峡に面した下関に来ているのだが、馬関とは古称赤馬関に由来する。

この日本の歴史は、何度か馬関から始まっている。

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源平の壇ノ浦の合戦で鎌倉幕府が登場したし、この国初めての攘夷戦争もこの海峡だ。

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明治維新の策源地(高杉晋作の挙兵)でもあって、明治維新150年に訪れるにはもってこいの地である。

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磐田を6時の電車に乗って11時には下関に着くんだから、時代は当時とは様変わりした。

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しかし、この地が歴史の地であることに変わりなく、この海峡を伝って大陸の文化も、日本海航路も通じえたのである。

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一日に四度流れが変わるという、この海峡の海流の流れはすさまじい。

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源平の盛衰もこの海流に依拠(流れに乗った源氏の勝利)していたのである。

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私達は下関に降り立つて、先ずは唐戸市場に向かい、その雑踏の中で海鮮料理を楽しんだのだが、その鮮度には驚くばかりだった。

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唐戸から少し東に赤間神社があって、ここは壇ノ浦に沈んだ安徳天皇を祭る神社だ。

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その隣は日清興和記念館で、伊藤博文と李鴻章の興和の場が再現されている。

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少し東に進むと関門橋があって、その下は正に壇ノ浦の古戦場である。

また同時に、ここは長州藩が英仏欄に仕掛けた攘夷戦争の場でもある。

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さんざんに打ちのめされた長州は、攘夷を棚上げにして討幕へとひた走るのである。

次は7~8k走って長府城下へ、長府藩の本拠だが、高杉晋作らの維新への策源地でもある。

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そも毛利公の屋敷、更には乃木神社を訪れて、しばし閑静な庭を味わうことになった。

初めて訪れた下関だが、改めて歴史の地を認識することになった。

関門海峡に沿ってひとしきりマラニックを楽しんだ後は、銭湯で汗を流し泉邸を訪れた。

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泉邸と簡単に言ったが、それが大変な豪邸で、私たち15名は彼女のお宅に泊まったのである。

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泉さんは往年のランナーで、既に80歳を越えているのだが、いまだ現役ランナーだ。

今回のツアーは、彼女の存在があってこそ実現したのである。

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そうそう、第二次長州征伐の折、坂本竜馬が海援隊を指揮して、九州側の幕府軍を砲撃したのもこの海峡だった。

海峡の流れの速さを眺めながら、この国を動かし続けてきたのはこの流れではなかったかと思った。

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2018年9月14日 (金)

日暮れ、道遠し

随分息せき切って走り、そして歩いてきたのだが、この歳になってなお未だ道は遠いわいと思う。
車の発達した今日、路なお遠しなどと言う実感を持つことも少なくなったが、秋の100kマラソンではこの感懐を時折経験した。

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かつての八ヶ岳野辺山100kマラソンは9月末で、暗いうちにスタートして、真っ暗らなゴールを目指すのだ。
80k地点の馬越峠あたりでもう日が沈んで、新月とも重なるから、闇夜を走ることになる。

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正に路遠しで、時間に追われながら、その道を歯を食いしばって頑張ったのを思い出す。
それはともあれ、日暮れは70を過ぎた我が人生のことである。

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人生100年時代とは言え、日暮れに紛うことなく、トボトボとその薄暗くなり始めた路を歩いている。
やがて夜道となるのだろうが、はて何時まで続く夜道なのか知る由もない。

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歳をとって良いことは、世の中の多くの制約から外れて、何事も自由になることだ。
好きなように(女房殿からも)生き、老年の青春を謳歌できることだ。

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お互いに折角の人生だし、好きなことを好きなだけやれば良いのである。

徒然草に「日暮れ、路遠し。吾が生涯既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。」とある。

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この期に及んで、世のため人のためにこれだけのことが出来ると豪語できる訳でもなし、

しからば我が路を究めんとて、気ままなマラニック三昧、畑遊びの日々だとしても、それは十分許容されるのではないか。

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それにしても、人生の晩年を如何に生きるかということは、地図無き路を歩くごとく難しいもの。

そうして、地図がないからこそまた楽しいとも言えるのであって、確かに路遠しである。

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今の私は、その入り口付近に居るのだろうと思うが、先行きは神のみぞ知るのである。


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2018年9月13日 (木)

代わり得ないもの

私もこの国の高度経済成長の申し子だから、世の中が、私達の生活が如何に便利になったかと言うことは十分承知している。
ガキの頃は食うや食わずだったのに、今じゃ大名の生活をしていると老母が言うが、正にその通りである。

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私達の生活は、起きて食事して、仕事して炊事して、洗濯して掃除して、排泄して寝る。
基本的に昔から何も変わっちゃ居ないんだが、炊事の仕方やら洗濯機、ベットや便器、洋服やら乗り物が飛躍的に変化した。

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それは便利で快適になった訳だが、この三十年来変わらないものがある。
それがスーツと革靴、それにボールペンである。

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スーツは二十代後半に仕立てたもの、革靴は二十年ほど前に購入したものだ。
そしてボールペンは、その当時片思いだった女性からのプレゼントだ。

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勿論、仕事から遠ざかって暫くなるから、これらを着装する頻度は減っているが、この三点セットを身にまとうと、心地までがキリッとするのである。
二十代で仕立てたスーツを70になって着られるのは不思議かも知れないが、それは仕立ての良さと、私の体型が変わっていないことに寄る。

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車は次々と変わって今は何台目だろうか、家だって立て替えて三軒目に住んでいる。
ボールペンなど、機能だけを考えれば100円ショップで十分かも知れないが、この愛用のペンを持つと構えが変わってくるから不思議だ。

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世代は次第にせり上がって、私達の世代は今にも追い落とされそうだが、人も変わりその中身も次第に移り変わっていく。
そして、その古びた愛用のスーツを身にまとう度に、「今、この時が勝負」って身をキリリとさせる。

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そう言う回顧をする様になったってことは、一種の老いの自覚なのかも知れない。
それも良かろうって、この生涯に愛してきた物や人があるってことだけで、それは幸せでは無かろうか。

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2018年9月12日 (水)

生の充実

我ながら既に70年余も生きてきたとは信じられないが、現実にかなりのジジイである。
確かに五十数年を全力で生きてきて、今や世の中の様々な繋縛から解き放たれ、なすがままの自由を手にしている。

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やがてどこかに断崖絶壁があるのだろうが、それが忌まわしいと言うよりも、だからこそ今の自分を大切にしようと思う。
そう・・・、老年の時間は全てが自分の為にあるのだからして、何をしても良いのだ。

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いやさ、何もしないで、何物にも煩わされることなく、閑かにしているのも一つの生き方だ。
徒然草にも「老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる。」とある。

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しかし私は、自由な老年なればこそ、好き放題のことをして生きてみたいと思っている。
もっとも同輩諸氏の話を聞いていると、何をして良いのか分からないってのが現実らしい。

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俯いてトボトボ歩くそんな同年配者を見ると、私はああはなりたくないと思うのだ。
幸か不幸か、私には次から次へとやりたいことが現れるのだし、そしてまだまだ十分に挑戦できる体力が有るのだから、それはそれ幸せなことである。

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否或いは、次から次へと自分の課題を探しているのかも知れないが、生の充実を求めているんだから、いざ先にこそ進まんである。
その生の充実だが、そもそも何をもって充実と納得できるのだろうか?

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仕事に邁進していた頃は、或いは巣作りに夢中だった頃は、それは疑う余地もなかった。
だが空っぽになった巣は古ぼけて、邁進すべき仕事とて無い今、何を糧に生を充実させようか。

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生を満たすもの、やっぱり、それは道楽ではないのか。
何だって良いし、そいつを好きになって、夢中になって取り組みゃぁ良いのだと思う。

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人間はさぁ~、そういう意味じゃ限りなく贅沢な生き物だね。

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2018年9月11日 (火)

農と老境

キケロがどんな人物だったのか詳しくないが、「老境について」の一説が気に入っている。

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それは「後半生における田園生活ほど望ましいものはない。田園生活は、如何なる老境によっても阻害せられることがなく、かつ賢人の生活に親しく近づいてゆくように、私には思えるのである。」と書き残している。

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キケロの言う賢者の生活とは、自然のリズムと共に生きると言うことであろうか。
この私を含め、今日の高齢化の最大の問題は「自由になった自分の時間を、如何に充実させるか」である。

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今、団塊の世代の多くの人達が定年後の子会社の勤めも終わって、もはや自宅以外の何処にも行かなくなっている。
彼らは職業を通じて社会とかみ合っていたのだが、その社会がもはや彼らを必要としていないのだ。

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当人にすれば、宿命とはいえ理不尽と思いこそすれ、この深刻な事態に身の置き所がないのだ。
確かに銀行に行かなくなった銀行員はただの人だし、警察官だって手帳があったればこそだ。

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役所から離れた官僚はもっと悲惨で、かつての権限を全て奪われて、羽のないバッタのようなものだ。
まぁ~ただ一個の人間でしかなくなった訳だが、その喪失感と共に廃人になっていく人が多いのが問題なのだ。

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それでも散歩や山歩きに精を出して、ボケや寝たきり老人になるまいと励むならまだ良し。
それすら出来ない怠け者は、早晩足腰が衰えて、週末期病院の客となるのである。

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ともあれ、男には幾つになっても熱中し、夢中になれる「もの」が必要なようである。
私の場合は仲間と走ったり、山に登ったりを楽しみにしているのだが、最大の熱中毎は実は農業である。

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今日の日本の農業は正に崩壊途上にあるが、「業」以前の園芸は花盛りである。
今日も畑を耕してダイコンとタマネギ、ハクサイの種を蒔き、ハクサイの植床を作った。

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同時に最終盤を迎えたブドウ収穫後の中心作業、ほうれん草栽培の準備にも取りかかっている。
勿論小規模な園芸に過ぎないが、ブドウやホウレンソウは立派な商品になる。

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それは、ほんの僅かなお小遣いにしかならないが、今更金なんかが目的じゃない。
もっぱら生き甲斐」という作物を育てているのである。

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そんな贅沢な農業が楽しめる環境を、つくづくと有り難いと感謝している。

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2018年9月10日 (月)

父の思い出

私は父が復員して生まれた長男で、まさに団塊の世代の申し子のようなものである。
父は復員と同時に、弟たちの面倒を見ながら、一家の大黒柱として働いていた。

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と言っても、僅かな田畑から得られる収入は限られたもので、その苦境から逃れようと、借金をして温室を建て、キュウリやトマトの栽培を始めた。
子供の頃の私の仕事は、冬はボイラー室の石炭を準備することだったし、学校から帰るとキューリを大きさ順に仕分けることだった。

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そして両親の夜なべ仕事は、私の積み上げたキューリを一本ずつオブラート紙に巻いて木箱に詰めることだった。
当時の農家の長男なんてものは、金槌で出荷箱を作ったり、スガイをなったり、炊事をしたりが当たり前で、その分両親の苦労を知りながら育ったものだ。

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私もそんな具合で、親父の背中をヒヤヒヤしながら(親父が倒れりゃ、俺しかいない)育った。

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親父は病気がちだったし、村の土木作業で大きな怪我もして、その時は一人小学生の私が付き添っていた。
そんな親父が、晩年は議員となって町の議長まで務め、幾ばくかの足跡を残して去った。

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町の老人会長をしていたが、幾ばくかの認知が出て程なく、13年前にみよの国に旅立ったのだ。
親父の強さや柔さ、更にはその生き様を第三者(子供)の目で見ていたのが、私だと思っている。

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後代に何を伝え得るかは人生最大の難題だが、父は私にそれを余すところなく伝え残したのだと思う。

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思えば父の時代は波瀾万丈で、戦中前後の混乱の中で父母を早くに亡くして、必死で生きることがその人生だった。
親孝行など為ずじまいに父は逝ってしまったが、私はそれなりに精一杯時代を生きた父を尊敬している。

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その父にして我ありと思うところもあって、その私も父の亡くなった年齢に刻一刻と近づいている。
人間の一生などさしたることも無いのだが、それでも自分の足跡を父との対比で見るようになっている。

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そう・・・、私は父ほどの影響力を、我が子供達に残し得ていないのである。

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2018年9月 9日 (日)

大江戸マラニック

今日は、第7回目となる東京スカイツリーいいとこエンジョイマラニックである。
8;30、品川駅を港南口には38名が集まって、お互いに懐かしい顔を確かめ合っている。

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8:50、一斉にスタートの筈なのだが、私は一昨年から裏コースぶらりマラニックにはまっている。

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S司さんが先導で、本来のコースとは一味異なった江戸を辿るのである。
それで今年は、忠臣蔵の義士達の辿った道筋を遡ったのである。

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品川駅からほど近い所に泉岳寺があって、先ずは内蔵助や力など義士達の墓に詣でた。

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次は途中にある増上寺、東京タワーに立ち寄って、階段を走って登ることにしていた。
だが階段のオープンは11時からと言うことで、やむなくエレベーターで展望台へ。

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展望台からは増上寺が東京湾からほど近い位置にあること、往事の広大だったことを知る。

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江戸の昔を、上空から想像してみることが出来たのである。
さても次は愛宕神社で、あの出世階段とされる急階段を一気に登って、縁結びの神様に詣でる。

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折しも社殿では結婚式の真っ最中で、その霊験にあやかるべくお参りしたのである。

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次は銀座方向に向かうのだが、途中でミッドタウン何とかのシンゴジラを眺め、銀座の寿司屋での昼食となった。
東京はムシムシと暑い一日だったが、昼食の後は両国本所の吉良邸跡に向かった。

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松の廊下事件の後、吉良氏は隠居となって、その屋敷も63分の一の広さにされて、本所に移ってきていたのである。

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その小さな屋敷だったからこそ、赤穂浪士達が討ち入ることも出来たのであって、吉良上野介は討たれるべくして討たれたのである。

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ともあれ、赤穂浪士達は私達が辿ってきた15k程を、雪を踏みしめながら3時間程かけて泉岳寺まで歩いたのである。

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さても私達のマラニックは、水天宮に立ち寄って、更に両国国技館の傍らを抜けて、いよいよゴールのスカイツリーへと辿る。

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実は、途中の横綱公園で防災フェアーのサンマを頂いたりしたのだが、ともかくも15時近くにはゴールとなったのである。

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而して今年も、江戸のマラニック出来たのである。

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2018年9月 8日 (土)

真に生きる・・・

今日は、毎月恒例の人生の勉強会で、テーマは「37講-死生の問題」である。
これは人生の永遠のテーマとも言える難題だが、森信三先生の講義録に学びながら、みんなで考えてみた。

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佐賀藩の葉隠に「武士道とは、死ぬことと見つけたり」とあるように、私達も「死に対する心の腰」が決まって初めて、その人の真の人生が始まるのだと言う。

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人間は所詮はかない存在でしかないが、そいつが分かったればこそ、自分の力を存分に生かし切ることが出来るのだと、先生は説いているようだ。
老い先短いと思えば、あれもこれもと私などは考えるのだから、確かにそれはそうだと思う。

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だけど世の中に、「真に生きる」人達が増えているかというと、必ずしもそうでもなさそうだ。

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現実に今何百万という団塊の世代が、70の坂を越えていよいよデッドゾーンに雪崩を打って殺到し始めている。
而して、近未来の成長産業は葬儀屋に介護施設と言うことになるが、当人達にその意識は希薄だ。

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平均寿命は82歳だとしても、健康寿命は4~5年を残すだけになりつつあるのにである。

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当然ながらその多くの人達が、自分の死を意識し、新たな人生の行き先を考えても良さそうだが、そりぁ~みんな他人事で済ませている。
だからこそ、世の中は平穏無事なんだろうとは思うが、一面で歯痒い感じもする。

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果たして私達団塊の世代は、真に生き切る(心残り無く死ぬ)ことが出来るのだろうか?

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そもそも人生に棚ぼたなどはなく、自分の人生には自分の投じた「もの」しか帰ってこないのである。

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とは言え、死生の悟りなどを待っていても詮無く、この生ある間を懸命に生きる他無いのだろうと思う。

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そうして一日一日を快く疲れ、何ら思い残すことなく眠りにつく心境こそ肝心なのだと気付く。

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死生の道之なりと、つらつら思った一日であった。

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2018年9月 7日 (金)

メダカの学校に招かれて

今夜のメダカの学校は、第101回目なのだそうである。
年に4回ずつ開催しているから、かれこれ建学から25年を経過したことになる。

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実は近年はこの学校から足が遠退いていたのだが、前回100回記念大会があって、
特別にOBも集まれってんで、私も出席して五分間だけ近況を話す機会があった。

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ナビブレースのことを話したのだが、何せ五分間だから何が何だか分からなかったのか、
改めて時間を割くから、ちゃんと話せという召喚状が届いたのである。

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と言う訳で、押っ取り刀をひっさげて(孫の一人も連れて)出かけたという次第である。
 
そもそもメダカの学校は面白人立で、当時も今もかなり変わった人4人の発案で発足した。

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その学校に近在の(近県も含め)の変わり者が集まって、誰が生徒か先生かと学んでいるのである。
実は私もその変わり者の一人で、二十年来の生徒の一人だったのである。

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学校は校歌斉唱(めだかぁ~の学校は♪)から始まって、校長訓話、今日の先生のお話と続くのだが、その一コマに私の体験談が入るのである。
蛇足だが、効果の「お遊戯」は「有意義しているよ」だし、「そうっと覗いて・・」は好奇心と遊び心を意味する。
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勿論、給食の時間もあって、給食当番の準備したご馳走を、メダカ同士で食べるのである。

大人の遊びと言ってしまえばそれっきりだが、25年も続いているんだから、それは大したも

んだろう。Img_0395

ともあれ私の講話は約一時間、47枚のパワーポイントを使いながら、人生のお話をした(つもり)。

学校の25年と同様にメダカ生も少しずつ歳をとってきているから、共感してくださる方も多かったように思うのだが・・。どうだったかなぁ~?

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2018年9月 6日 (木)

生を愛す

誰だって、死ぬまでは間違いなく生きている訳だし、殊更それを愛せよとはどういうことか?
かつて徒然草を読んだ時、そんな言葉の含蓄など感じもせずに通り過ぎていた。

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しかし今頃になって、「生を愛す」とは如何なることか、兼好は何を思ったのかと考えている。
そう・・確かに徒然草には「されば人、死を憎まば生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」とある。

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生を愛すってことは、精一杯生きていることをしてそれを楽しむことだって、そこには書いている。
昨今、団塊の世代が雪崩の様に70の坂を越えつつあるが、実はその多くが、近所付き合いもせず、趣味すら無くて家に閉じこもっているのだ。

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いやさ、何をして日暮らしているのかさえうかがい知れないが、少なくとも生を愛しているとは思えない。
残念ながら、その多くは引きこもり、TVの前の産業廃棄物と化しているのである。 

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「外に出ないか」と誘っても、「金がないから・・」などと言い訳ばかりで、まさに「身死して財残ることは、智者のせざる処なり」(徒然草)のとおりだ。
そもそも隠居とは、引きこもることではなく、その与えられた自由を楽しむことなのだ。

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人が生きているこの瞬間を楽しまないのは、それは「死」を知らないからなんじゃないか。
男が70歳を過ぎたら、それは何時死んだって不思議ではない訳で、決してじっとしてれば100まで生きるってことじゃない。

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だ゜けど私も含めて、みい~んな自分だけは死なないと思って暮らしている。
それはそれ極楽トンボで結構なことだが、さぁ~て「今を生きて」いるのかどうかが問題さ。

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私は殊更死を憎む訳ではないが、それよりも倍増して生を愛そうと思っている。
今、この瞬間に何が出来るだろうか・・・何をすれば「生を愛する」ことになるかって考える。

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否もっと簡単に言うなら、今自分に出来ることはなんだろうって・・・そう思うようにしている。
おはようって言う時、物を食べる時、耕す時、人を愛する時、そうして走る時、いつもだ。

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当たり前だが、このブログを書いている時だって、あなたに何か愛を伝えたいと思っている。

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北海道の地震に驚かされたが、私達の所だって他人事じゃないんだ。

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2018年9月 5日 (水)

子供達とブドウ

今日は、こども園から年長さん全員(70人余)が我が家にやってきた。
目的はブドウ狩りってことだが、既に今年のブドウの収穫はあらかた終わっていて、彼らのために残しておいたブドウだけだ。

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今年は、春先に私が留守(ナビブ砂漠マラソン)をして、一部調子ぱずれがでたが、それでも今年の早くからの猛暑で、思ったほどの減収にはならなかった。

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収穫はデラウエアが六月中旬から始まって、八月末まで毎日、毎朝の作業が続いた。

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今は一部(スイホー、安芸クイーン、ピオーネ)を残すだけになった。
100日近く同じ作業を繰り返していて、その作業がなくなると、もの凄く寂しく感じる。

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今年もその時期がやってきた訳で、次の準備(ホンレンソウ、白菜などの播種)を進めている。

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ともあれ、こども園にしても保育園も、私のぶどう園の最盛期は夏休みになって、一番良いときに来ることが出来ない。
まぁそれでも、今日は残しておいた6種類のブドウを、あらかた平らげて「満腹ぅ~」などと帰って行った。

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中には「ブドウが好きになったぁ~」と世辞を言っていく子供もいて、憎めないなぁ~。

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これで来年も準備しなくっちゃなるまいしね。
ところで私のぶどう園はあと数日で収穫を終え、御礼肥を少しと二ヶ月ぶりの潅水をする。

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養生をしながら落葉期を待つのだが、このハラハラと葉を落とす時期ももうすぐやってくる。

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今日は台風の後の南風で幾分蒸していたが、既に一頃の暑さは通り過ぎたようだ。
秋が・・、ホントに秋が待ち遠しく感じる夏だったが、季節はやはり正直である。

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ブドウと一緒に過ごした夏、その夏が終わるとなれば、それはそれ人生の一ページもまた終わるのである。

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よしゃ、来年こそは、もっと美味しいブドウを育てるぞぉ~。

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2018年9月 4日 (火)

いい人なの?

ずうぅっと幼い頃から、自分は良い子でいたい、いい人でありたいと思って生きてきた。
今だって、毎朝街頭に立って「おはよう」と、いい人を演じ続けている。

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何も選挙に出るって訳でもないのに、本性かも知れない「憎まれ爺さん」になったって良かろうとおもうことが無いことはない。

しかし、やっぱり「いい人」でありたいと思っている。

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だけど、そもそも「いい人」って、何だろうか?
人にはそれぞれ利害得失があるから、人によっていい人が違ってくるかも知れないし、当の本人だって自分を殺し続けて「いい人」になれるはずがない。 

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現実に今年の盆供養に回った遺影の数々を思い出しても、この人はいい人だったなんてのは一人もいなかった。
多分、俺が死んだって、同じようなものだと思った方が良いだろう。

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それでも、おそらく誰もがいい人でありたいと思って生きているのが、この世だろう。
陰でアクドク稼いでいたとしても、権謀術策を駆使して出世街道を歩いていても、それでもいい人でありたいと思っているはずである。

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結局のところ、「いい人」ってのは、自分にとって為になる人なのかどうかってことに尽きるのである。

自分を愛してくれる人、自分の存在を認めてくれる人、自分を受け入れてくれる人、それをいい人って言うのだろう。

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そんな簡単なことに今頃になって気付くなんて晩生も良いところだが、だけど縁もゆかりもなくっても「あの人はいい人だなぁ~」て人がいるでしょ。

例えば俳優の中の何人か・・・・実像は別にしても、その姿からいい人が滲み出ている。

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人間なんて無くて七癖だろうけど、それでも今の私はそんな「いい人」に憧れている。

それはひょっとすると、あの世が近いのかなぁ~。

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台風21号が無事通り過ぎれば、明日はこども園の子供達80名が、我が農園にやってくる。

せいぜい、好々爺を演じようと思っている。

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2018年9月 3日 (月)

老後の青春

老後のために蓄えをすると言ったのは、100歳のギンさん・キンさんだったが・・・・。
老後とは、一体何時からが老後なんだろうか・・・・と思っていた。

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老後があれば当然ながら老前がある訳で、老いの自覚のない私は「今は老前」と決めている。  
本を読んでいたら、鈴木健二さんが「老前・老後」と言うことを書いていて、老後は75歳と決めていた。

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何が違うかというと、幾ばくかでも働くか働かないかである。
私は70歳を境に公職を退いたが、趣味の農業は続けていて、これは体が動く限りは続けることにしている。

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とすると、私にはひょっとして老後なんてのは無くて、女房に扱き使われて一生を終わるのかも知れない。
まぁ~それはそれで本望でもあるが、青春というのは老後にこそ花開くのではないかと思う。

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考えてみれば、受験戦争から学園紛争、企業戦士から一斉リタイアへと続いた我が世代の、どこに青春があったのか?
前のめりに生きるのが、それが青春よと言うならば、それは少しく寂しくはないかい。

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確かに老い先短いかも知れないが、今はもう自分なりにイキがって生きている。
誰の人生だって、所詮、過ぎてしまえば夢にしかすぎない。

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夢ならばこそ、出来れば青春だって、人生の後半に来た方が良くはないか。
ずうっとずうっと下積みやってきて、やっと今自由を謳歌し、世の中の女性を美しく眺めている。

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行こうと思えば何処にだって行けるし、思うことだって率直に話すことも出来る。
やろうと決意すれば何だって出来るし、これが青春でなくて何としよう。

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来年の三月は、ニュージーランドのフィヨルド250kを走るアドベンチャーレースにエントリーした。
再び、世界各国の仲間と、心踊るような7日間を過ごそうと思っている。

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2018年9月 2日 (日)

老いの足跡

一日一日年齢を重ねているのに、不思議なもので、自分ではそれを自覚しかねている。
同級生などに会うと「あぁ、こいつ歳をとったなぁ~」と思うくせに、自分のことは棚上げしてある。

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その私が古稀を過ぎて終活計画を考えた時、「十年先って・・・お前」と暫し立ちすくんでしまった。
残りの年数の限られていることを悟った訳で、昔のような長期計画は無理だわいと思った。

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考えてみれば、これまで如何に慌ただしく、かなり前のめりになって走ってきたものかと驚きもする。
そんなこんなを後悔しても始まらない訳で、一方で少壮年期の積み重ねは一定の熟度を帯びて、いささか人生というものも見えてくる。

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この先幾ばくも無いとすれば、今日のこの日が愛おしく、何としても足跡を残さずばと思ったりするのだが・・。
そうは言っても出来ることは限られていて、ともすれば時間つぶしに終わってしまいさえする。

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そう・・・それなりの足跡を残しながら老いるのは、存外難しいのかも知れない。
仏教では人生に四苦八苦ありて、その四苦とは生老病死だと教えている。

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つまり、生も老も「苦」であって、どうして生が苦なのかと考えてしまう。
老だって同じようなもので、それが苦しい苦しいと言って過ごす必要もなさそうだ。

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ともあれ私も、四年と少しで後期高齢者とやらの部類に入れられてしまう。
言うならば、火葬場に主賓として向かう者の候補者になる訳だ。

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それはそれ、これまで精一杯生きてきたと思いはすれ、まだまだ足跡が足りないぜと思う。
何が足りないかって、あの世に行って自慢てきること、その足跡をくっきりと残さなきぁ~。

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そこのあなた!!、あの世での十分間スピーチは、何を話すつもり?

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2018年9月 1日 (土)

何不自由なく

長いこと(近頃じゃ長くもないか?)生きていると、色々なことを思うものらしい。
殊に自分の来し方と現在をどう総括し、如何なるものだったとして纏め上げるのかである。

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人生をやり直せるのなら別だが、今更過去のあれこれを弄っても何の益もないのは承知だ。

自分のこれまでを振り返ってみると、人生の肝心なところに必ず女神がいたような気がする。

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いやさそれは幸運の女神で、必ずと言って良い程、彼女は私をラッキーな方向に導いてくれた。
元来が決して豊かではない百姓の小倅として生まれ、あのオシンとかなり似た育ち方をした。

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終戦直後のことだから、日本全国何処でも似たようなものだったが、長男の私は小学校を卒業するまでは我が家の貴重な労働力だった。
そいつが物心付いて大学に行き、ヒトカドの人生を歩んでこられたのは、一重に時代のお陰である。

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この国の経済が高度に成長してそれに歩調を合わせて生きることが出来たと言うことだ。
激烈な競争社会に身を置いたことは確かだが、何れもそれを乗り切って、細やかだがそれなりの出世も出来た。

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第二の人生(地域貢献や第二の職場)も何とかこなして、70を境に一切を退いての現在だ。
何も悔やむことはないし、それはそれ、精一杯やったと自負してもいる。

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ただしかし、お前はこの人生で何をし得たのかと問われると、暫したたずんでしまう。
自分に甘いかも知れないが、あれもこれもやったじゃないかと思う一方で、何一つ決定的なことが無いとも考えてしまう。

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著名人の伝記ではないが、何事かを成し遂げる人というものは、心のどこかに強烈な欠乏感を宿しているという
政治家や経営者を含め、幼い頃の苦労が、やがて大きな仕事に結びつくのだ。

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つまり、それなりにぬくぬくと幸せに育った人は、特段の執念を持ちにくいと言うのである。
この私も両親の愛を十分に受けて育ったし、不自由は一杯有ったけど、それでも恵まれていた。

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この程度の人生か・・・と考えもするが、この程度で良かったのかも知れない。

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