天気晴朗ならずして波高し
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昨夜は門司港のレトロな(大正五年建設)三井倶楽部のレストランでフルコースを頂いた。
Hさんのツアーでは極めてレアな企画で、フグのステーキなどもあって、暫し門司の歴史を味わったのである。
明治22年に開港された門司は大陸航路の拠点として発展し、今日になおレトロな貿易ビルなどを数多く残している。
大抵がレストランやギャラリーとして使われていて、今朝はその幾つかを訪ね歩くことから始まった。
ギャラリーを覗いたり、名物の焼カレーを食べたり、跳ね橋を楽しんだりしたのである。
この三日間、海峡に向かい合う二つの街を訪れて、そのかなりの気風の違いも感じたし、歴史の重みもかなり違うのかもしれないと思った。
それにこの狭い海峡を、大型船がひっきりなしに行き来する景色を眺めて育てば、その世界観だって随分違ったものになるに違いないとも思った。
歴史が人を育てるのであり、この地から維新の新風が巻き起こったのもムベなるかななのである。
さても今日のエクササイズは、この門司港から海峡を遡って小倉まで11k走ることである。
途中は瀬戸内臨海工業地帯で、この11k余を一時間半余りで駆け抜けてしまった。
対岸の下関側は、昨日まであちこちうろついたからこそ、その土地を懐かしく眺めることが出来た。
ともあれゴール予定のサウナ風呂に到着してみると、そこは女人禁制の湯で、何故か土地柄を思ってしまった。
何せここは無法松の一生で有名な小倉太鼓の地なのである。
それでも1kほど離れたところに銭湯を見つけ出して、皆さんと共に汗を流し、解散会となったのである。
それぞれに全国各地に散っていく仲間を見送りながら、共にこの馬関を訪れた幸福を思った。
人それぞれに思いはあろうが、時を共有したその気分は共通のものだったろう。
そして今、帰りの新幹線の中でこのブログを書いている。
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泉邸を辞したのは7;00、唐戸近くのそのお宅からジョグで下関駅前のレンタカー店に。
今日は先ず、レンタカーで萩方向に向かって55k程北上、日本海に突き出すように浮かぶ角島に向かった。
この角島が本州と架橋によって繋がったのは、18年前のことである。
1,8k程の角島大橋で、当時日本一の橋として(現在は宮古島の大橋)有名になった。
いや、橋によってその角島の存在が、一躍クローズアップされたのだ。
エメラルドグリーンの海をまたいで渡るその景観は、2003年の土木デザイン賞にも輝いた。
現在の人口は900人で,この橋を走ってわたり、島の隅々をぐるりと16kほど回るのである。
先ずは牧崎風の岬を訪ね、静かな島の風情を楽しんだのち、最大の景勝地夢ケ崎に向かった。
途中では島の運動会が開かれていたり、観光客もかなり入り込んでいる。
私達はこの突先に建つ角島灯台に登り、明治以来日本海航路の安全を担った威容を堪能したのである。
さて角島を楽しんだ後は、下関に取って返し、今度は壇ノ浦から関門海峡トンネルを渡る。
・・のだが、その前に下関のシンボルタワーでもある海峡夢タワー(153m)に登って、この下関をじっくりと上空から眺めることにした。
確かに巌流島をはじめ、海峡の動きと下関の地勢が眺め渡せるのである。
高杉晋作の終焉の地でもあって、その足跡もこの下関にはあちこちに残っている。
さて、タワーから3k余り走ると、関門大橋がかかっていて、その下には関門トンネルがある。
このトンネルは昭和33年(東京タワーに同じ)に開通したもので、今年で開通から60年になる。
本州と九州がつながって、もう60年になるのかと時の流れの速さを実感しながら、エレベーターで地下60mに降り、そこから九州側の門司までは780mに過ぎない。
しっかりとした連絡道路が出来ていて、軽いジョグで10分余で渡り切ってしまった。
ともあれこの海峡は、せいぜいスエズ運河くらいの広さであって、しかも天然の水道なのである。
この海峡でこそ、巌流島の決戦、源平の盛衰、維新戦争の勃発はやはり相応しいロケーションなのである。
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その馬関(関門)海峡に面した下関に来ているのだが、馬関とは古称赤馬関に由来する。
この日本の歴史は、何度か馬関から始まっている。
源平の壇ノ浦の合戦で鎌倉幕府が登場したし、この国初めての攘夷戦争もこの海峡だ。
明治維新の策源地(高杉晋作の挙兵)でもあって、明治維新150年に訪れるにはもってこいの地である。
磐田を6時の電車に乗って11時には下関に着くんだから、時代は当時とは様変わりした。
しかし、この地が歴史の地であることに変わりなく、この海峡を伝って大陸の文化も、日本海航路も通じえたのである。
一日に四度流れが変わるという、この海峡の海流の流れはすさまじい。
源平の盛衰もこの海流に依拠(流れに乗った源氏の勝利)していたのである。
私達は下関に降り立つて、先ずは唐戸市場に向かい、その雑踏の中で海鮮料理を楽しんだのだが、その鮮度には驚くばかりだった。
唐戸から少し東に赤間神社があって、ここは壇ノ浦に沈んだ安徳天皇を祭る神社だ。
その隣は日清興和記念館で、伊藤博文と李鴻章の興和の場が再現されている。
少し東に進むと関門橋があって、その下は正に壇ノ浦の古戦場である。
また同時に、ここは長州藩が英仏欄に仕掛けた攘夷戦争の場でもある。
さんざんに打ちのめされた長州は、攘夷を棚上げにして討幕へとひた走るのである。
次は7~8k走って長府城下へ、長府藩の本拠だが、高杉晋作らの維新への策源地でもある。
そも毛利公の屋敷、更には乃木神社を訪れて、しばし閑静な庭を味わうことになった。
初めて訪れた下関だが、改めて歴史の地を認識することになった。
関門海峡に沿ってひとしきりマラニックを楽しんだ後は、銭湯で汗を流し泉邸を訪れた。
泉邸と簡単に言ったが、それが大変な豪邸で、私たち15名は彼女のお宅に泊まったのである。
泉さんは往年のランナーで、既に80歳を越えているのだが、いまだ現役ランナーだ。
今回のツアーは、彼女の存在があってこそ実現したのである。
そうそう、第二次長州征伐の折、坂本竜馬が海援隊を指揮して、九州側の幕府軍を砲撃したのもこの海峡だった。
海峡の流れの速さを眺めながら、この国を動かし続けてきたのはこの流れではなかったかと思った。
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学校の25年と同様にメダカ生も少しずつ歳をとってきているから、共感してくださる方も多かったように思うのだが・・。どうだったかなぁ~?
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そんな簡単なことに今頃になって気付くなんて晩生も良いところだが、だけど縁もゆかりもなくっても「あの人はいい人だなぁ~」て人がいるでしょ。
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