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2018年9月19日 (水)

人と謙虚さ

今日は、地元の中学校の運動会に出かけた。
校庭の片隅に「啐啄」と題する彫像があって、「啐」は卵の中のひよこが殻から出たいと突く音、「」は親鳥の呼応した突きだ。

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正に阿吽の呼吸でヒヨコが生まれ出るのだが、教育もかくあれと建てられたものだろう。
ともあれ運動会は、学校の一大行事であって、私も60年近く前のその頃を思い出していた。

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そう・・・あの頃は、いつも精一杯の自分を生きていたと言う気がする。
無我夢中で内側から卵の殻を突くヒヨコの様に、ひたすら懸命に生きようとしていたと思う。

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だから徒競走だって必死で走ったけど、いつもビリッケツで、それでもめげずに走ってた。
「何クソ、いつか俺だって。」って、そう思いながら足掻いていた。

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私の周りには、ガキ大将も含め威張る子、威張りたい子が沢山いて、何時だって小さくなっていた。
勿論大人になってからだって、威張りたい大人、自慢話だけの人、虚勢の無頼人なんかが一杯いた。

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そんな海千山千の中で、やっぱり私はいつも小さくなって生きてきたような気がする。
遠慮がちにものを言い、欲しいものも半分に留め、決して人の前には出ないようにと努めてきた。

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宴会の席だっていつも端っこに座り、出来る限り控えめにするのが常である。
だけど人って、何故威張りたがるんだろうか?

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得々と自慢話をしたがるのは、何故なんだろうか?
「お前より、俺の方が上なんだよ」って、主張したがる心情は何処から生まれるんだろうか?

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吉田兼好の徒然草は枯淡な境地を綴った古典だが、その終わり近くになって「自賛の事七つ」が書かれていて、あの兼好でさえ些細もない自慢話を書き残している。

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人間誰しも、自慢せずにはいられないように、そう出来ているのかも知れない。
私も思いっきり自慢したいのかも知れないけど、幸か不幸か自慢できることが無くって、

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こればっかりは、生来のガキの頃と同じなのである。

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