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2018年9月 6日 (木)

生を愛す

誰だって、死ぬまでは間違いなく生きている訳だし、殊更それを愛せよとはどういうことか?
かつて徒然草を読んだ時、そんな言葉の含蓄など感じもせずに通り過ぎていた。

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しかし今頃になって、「生を愛す」とは如何なることか、兼好は何を思ったのかと考えている。
そう・・確かに徒然草には「されば人、死を憎まば生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」とある。

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生を愛すってことは、精一杯生きていることをしてそれを楽しむことだって、そこには書いている。
昨今、団塊の世代が雪崩の様に70の坂を越えつつあるが、実はその多くが、近所付き合いもせず、趣味すら無くて家に閉じこもっているのだ。

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いやさ、何をして日暮らしているのかさえうかがい知れないが、少なくとも生を愛しているとは思えない。
残念ながら、その多くは引きこもり、TVの前の産業廃棄物と化しているのである。 

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「外に出ないか」と誘っても、「金がないから・・」などと言い訳ばかりで、まさに「身死して財残ることは、智者のせざる処なり」(徒然草)のとおりだ。
そもそも隠居とは、引きこもることではなく、その与えられた自由を楽しむことなのだ。

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人が生きているこの瞬間を楽しまないのは、それは「死」を知らないからなんじゃないか。
男が70歳を過ぎたら、それは何時死んだって不思議ではない訳で、決してじっとしてれば100まで生きるってことじゃない。

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だ゜けど私も含めて、みい~んな自分だけは死なないと思って暮らしている。
それはそれ極楽トンボで結構なことだが、さぁ~て「今を生きて」いるのかどうかが問題さ。

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私は殊更死を憎む訳ではないが、それよりも倍増して生を愛そうと思っている。
今、この瞬間に何が出来るだろうか・・・何をすれば「生を愛する」ことになるかって考える。

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否もっと簡単に言うなら、今自分に出来ることはなんだろうって・・・そう思うようにしている。
おはようって言う時、物を食べる時、耕す時、人を愛する時、そうして走る時、いつもだ。

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当たり前だが、このブログを書いている時だって、あなたに何か愛を伝えたいと思っている。

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北海道の地震に驚かされたが、私達の所だって他人事じゃないんだ。

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