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2018年9月14日 (金)

日暮れ、道遠し

随分息せき切って走り、そして歩いてきたのだが、この歳になってなお未だ道は遠いわいと思う。
車の発達した今日、路なお遠しなどと言う実感を持つことも少なくなったが、秋の100kマラソンではこの感懐を時折経験した。

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かつての八ヶ岳野辺山100kマラソンは9月末で、暗いうちにスタートして、真っ暗らなゴールを目指すのだ。
80k地点の馬越峠あたりでもう日が沈んで、新月とも重なるから、闇夜を走ることになる。

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正に路遠しで、時間に追われながら、その道を歯を食いしばって頑張ったのを思い出す。
それはともあれ、日暮れは70を過ぎた我が人生のことである。

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人生100年時代とは言え、日暮れに紛うことなく、トボトボとその薄暗くなり始めた路を歩いている。
やがて夜道となるのだろうが、はて何時まで続く夜道なのか知る由もない。

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歳をとって良いことは、世の中の多くの制約から外れて、何事も自由になることだ。
好きなように(女房殿からも)生き、老年の青春を謳歌できることだ。

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お互いに折角の人生だし、好きなことを好きなだけやれば良いのである。

徒然草に「日暮れ、路遠し。吾が生涯既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。」とある。

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この期に及んで、世のため人のためにこれだけのことが出来ると豪語できる訳でもなし、

しからば我が路を究めんとて、気ままなマラニック三昧、畑遊びの日々だとしても、それは十分許容されるのではないか。

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それにしても、人生の晩年を如何に生きるかということは、地図無き路を歩くごとく難しいもの。

そうして、地図がないからこそまた楽しいとも言えるのであって、確かに路遠しである。

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今の私は、その入り口付近に居るのだろうと思うが、先行きは神のみぞ知るのである。


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