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2018年9月11日 (火)

農と老境

キケロがどんな人物だったのか詳しくないが、「老境について」の一説が気に入っている。

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それは「後半生における田園生活ほど望ましいものはない。田園生活は、如何なる老境によっても阻害せられることがなく、かつ賢人の生活に親しく近づいてゆくように、私には思えるのである。」と書き残している。

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キケロの言う賢者の生活とは、自然のリズムと共に生きると言うことであろうか。
この私を含め、今日の高齢化の最大の問題は「自由になった自分の時間を、如何に充実させるか」である。

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今、団塊の世代の多くの人達が定年後の子会社の勤めも終わって、もはや自宅以外の何処にも行かなくなっている。
彼らは職業を通じて社会とかみ合っていたのだが、その社会がもはや彼らを必要としていないのだ。

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当人にすれば、宿命とはいえ理不尽と思いこそすれ、この深刻な事態に身の置き所がないのだ。
確かに銀行に行かなくなった銀行員はただの人だし、警察官だって手帳があったればこそだ。

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役所から離れた官僚はもっと悲惨で、かつての権限を全て奪われて、羽のないバッタのようなものだ。
まぁ~ただ一個の人間でしかなくなった訳だが、その喪失感と共に廃人になっていく人が多いのが問題なのだ。

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それでも散歩や山歩きに精を出して、ボケや寝たきり老人になるまいと励むならまだ良し。
それすら出来ない怠け者は、早晩足腰が衰えて、週末期病院の客となるのである。

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ともあれ、男には幾つになっても熱中し、夢中になれる「もの」が必要なようである。
私の場合は仲間と走ったり、山に登ったりを楽しみにしているのだが、最大の熱中毎は実は農業である。

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今日の日本の農業は正に崩壊途上にあるが、「業」以前の園芸は花盛りである。
今日も畑を耕してダイコンとタマネギ、ハクサイの種を蒔き、ハクサイの植床を作った。

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同時に最終盤を迎えたブドウ収穫後の中心作業、ほうれん草栽培の準備にも取りかかっている。
勿論小規模な園芸に過ぎないが、ブドウやホウレンソウは立派な商品になる。

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それは、ほんの僅かなお小遣いにしかならないが、今更金なんかが目的じゃない。
もっぱら生き甲斐」という作物を育てているのである。

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そんな贅沢な農業が楽しめる環境を、つくづくと有り難いと感謝している。

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