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2018年9月 8日 (土)

真に生きる・・・

今日は、毎月恒例の人生の勉強会で、テーマは「37講-死生の問題」である。
これは人生の永遠のテーマとも言える難題だが、森信三先生の講義録に学びながら、みんなで考えてみた。

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佐賀藩の葉隠に「武士道とは、死ぬことと見つけたり」とあるように、私達も「死に対する心の腰」が決まって初めて、その人の真の人生が始まるのだと言う。

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人間は所詮はかない存在でしかないが、そいつが分かったればこそ、自分の力を存分に生かし切ることが出来るのだと、先生は説いているようだ。
老い先短いと思えば、あれもこれもと私などは考えるのだから、確かにそれはそうだと思う。

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だけど世の中に、「真に生きる」人達が増えているかというと、必ずしもそうでもなさそうだ。

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現実に今何百万という団塊の世代が、70の坂を越えていよいよデッドゾーンに雪崩を打って殺到し始めている。
而して、近未来の成長産業は葬儀屋に介護施設と言うことになるが、当人達にその意識は希薄だ。

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平均寿命は82歳だとしても、健康寿命は4~5年を残すだけになりつつあるのにである。

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当然ながらその多くの人達が、自分の死を意識し、新たな人生の行き先を考えても良さそうだが、そりぁ~みんな他人事で済ませている。
だからこそ、世の中は平穏無事なんだろうとは思うが、一面で歯痒い感じもする。

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果たして私達団塊の世代は、真に生き切る(心残り無く死ぬ)ことが出来るのだろうか?

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そもそも人生に棚ぼたなどはなく、自分の人生には自分の投じた「もの」しか帰ってこないのである。

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とは言え、死生の悟りなどを待っていても詮無く、この生ある間を懸命に生きる他無いのだろうと思う。

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そうして一日一日を快く疲れ、何ら思い残すことなく眠りにつく心境こそ肝心なのだと気付く。

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死生の道之なりと、つらつら思った一日であった。

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