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2018年10月31日 (水)

何気もない一日

相変わらず、午前中には山を走り、午後からは畑仕事というのが日課だ。
習慣という物は、さして意味を持っている訳ではないが、積もり積もって自分の人生の年輪になっていく。

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そしてその毎日は、まるごと自分の時間なのである。
かつて長いこと、日々の雑事(?)を追い・追われる歳月を過ごしたのだが、今はそれを懐かしいとも思わなくなっている。

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このところの毎日は、朝昼晩と少なくとも三回は畑を見て回る。
ハクサイやキャベツ、ブロッコリーは生長盛りで、ダイコンがそれを追いかけている。

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水菜や赤カブ・ニンジン、そしてパセリは、未だまだよちよち歩きである。
ニンニクに到っては、やっとほんの少し頭をのぞかせたばかりである。

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殊更暑かった夏が終わり、肌寒さを覚えるようになったこの頃、やっと彼らの季節なのである。

だが、朝昼晩見回ったったところで、彼らに何の変化が見つけられる訳でも無く、ただ只管それは自らの布石に対する自己満足なのである。

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それでも、早生の白菜などはもう既に結球を始めていて、来月末にはキムチや白菜漬けが楽しめそうである。

子供の頃は、白菜なんてって思っていたのだけれど、近頃では無性に美味しく感じている。

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つまり百年一日、何の代わり映えもしない毎日の繰り返し、そう言う何気も無い毎日なんである。

人生は飽きるほどに長く、その日々に意味を与えてくれるものは、そうした単調な繰り返しだ。

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さして意味の無い繰り返しだけど、それが私の現実の人生であり、そのことに不平を言ってはなるまいと思う。

そう、私が畑を見て回るのは、自身の人生をささやかにリセットしているのかも知れない。

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2018年10月30日 (火)

空と紅葉

天高く秋の空が広がり、日長も日一日と短くなっていく今日この頃である。
日々の暮らしはその空の時間に支配されつつも、何処かで抗いつつ生きている。

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だからなのかどうか、その青空に紅葉のハラハラと散るのを観ると、空ってクウだと思う。

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そして、私も何時かは、その虚空の空に溶け込むのだろうと思うことがある。
北遠の兵越峠辺りの山々は既に晩秋で、樹頂近くに残った朱や黄の葉を通して、木漏れ日が美しい。

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その折り敷かれた落ち葉を踏みしめながら、何故か命の輪廻を思うのである。
空はこの地球と私達生命を生み出した宇宙に連なり、何時もどこまでも永遠の空間なのだ。

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翻ってこの地上には、生き物の織りなす春夏秋冬があり、必ずや終わりがある。
その限られた時間を生きていることを思うと、どこか苛立たしく、何かもどかしくもある。

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とまれ限られた命なればこそ、私達はそれを慈しんで大切に生きんとするのだろう。

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今日の一日を大切に生きたかどうか、それはかなり難しい設問なのだが、秋の空がそれを問うている。
日々を夢中で、或いは惰性で生きている身に、秋の空と紅葉が「それで良いか」と問いかけてくる。

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古稀を過ぎて以来、ほどよく老いることの難しさを身にしみて感じている。

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 曾於太白峰前住 (かつて太白峰の前において住み)
 数到仙遊寺裏来 (しばしば仙遊寺の裏に至って来たる
 黒水澄時底出 (黒水 澄める時 潭底 出で)
 白雲破処洞門開 (白雲 破るる処 洞門 開く)
 林間暖酒焼紅葉 (林間 酒を暖めて 紅葉を焼き)
 石上題詩掃緑苔 (石上 詩を題して 緑苔を掃う)
 惆悵旧遊無復至 (惆悵す 旧遊 又到るなきを
 菊花時節羨君廻 (菊花の時節 君がるを羨む)
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白居易の「仙遊寺に寄題 す」の一節である。

この季節、林間に紅葉を焼きて酒を暖め、親しき仲間と語らうのも、それは殊に重畳。

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2018年10月29日 (月)

峠の綱引き合戦

青崩峠から兵越峠に険しい尾根道を下って来ると、突然左下幔幕を張り巡らせた陣営が見える。
そこは長野県(飯田市遠山郷)と静岡県(水窪)の境、昔の国境なのである。

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この国境というものは、何処でも大抵は辺境の地と決まっていて、この兵越から青崩も通の難所として知られている。

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遠州と信州を直結する道路計画も古くからあるのだが、中央構造線の真上とあって地盤が脆く、トンネル掘削もようやく着工に至ろうとしているところだ。

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昨日は、日頃人っ子一人居ないこの窪地に、大勢の人達がこもごもに陣取って合戦を待っていた。

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1987年から続く合戦(32回目)とあって、全国各地から見物に駆けつけているのだ。

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合戦は行司役の豊橋市副市長の采配のもと、両市長の檄と、それぞれの主将の口上から始まる。

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信州軍の主将は、勝って(鈴木)康友侯(市長)の首を戴かん、などと大気炎を上げていた。

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先ずは両軍のメンバーが一人ずつ紹介と共に登場するのだが、信州軍は「信州の歌」のメロディーが流れて大勢の人達が口ずさむ中で登場した。

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突然のことで、かくもの郷土愛かと感心させられ、信玄侯以来の南信州の風土を思わせた。

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それは兎も角、今年は四年ぶりの遠州軍の勝利となって、合戦は無事(?)に終わったのである。

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ともあれ、このような爽やかな綱引きは珍しく、世界の紛争地や政治の世界では依然として見憎い綱引きが行われている。

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政党間の我田引水(利益誘導)の争いなど、辟易とされるのは常のことだ。

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それに世界の潮流は、トランプ政権の登場などもあって、ドイツやイタリア、ブラジルやスイス、ロシアなどと、ミーイズムのエゴが闊歩しつつある。

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これは、かつての帝国主義時代の再来を想起させかねない流れでもある。

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つまり人間の考えること・やることにはさして進歩が無く、歴史は繰り返すのである。

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峠のつましい国盗り綱引きは、そんな現実の世界を笑い飛ばすイベントだ。

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2018年10月28日 (日)

秋・満喫の一日

昨夜から今日に掛けて、北遠の秋をたっぷりと楽しんだ。
国盗り綱引き合戦に合わせたマラニックで、昨夜は水窪の田楽の里に泊まった。

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小綺麗なロッジ風の集会施設で、立派な檜張りの風呂もあって、寝袋持参である。
先着の女性陣が早々にデイナーの準備をして下さって、何時もながらの懇親会である。

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今朝は五時起床、朝食を済ませて、飯田線水窪駅に戻って、7時にはそこから兵越峠に向かう。

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遠州軍と信州軍の国盗り合戦は、その兵越峠を舞台に11;30から繰り広げられるのだ。

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その時刻に間に合うべく、青崩峠から山の尾根伝いに兵越峠に向けて急峻な坂道を走る。

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長野側からは冷たい氷風が吹き付けていて、山はもう既に晩秋である。

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紅葉は台風24号の影響を強く受けていたが、それでも赤や黄が青空に映えて、北遠の秋を十分に味わうことが出来た。

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いや、それよりも国盗り綱引きが、今年も時代がかって面白く、仲間たちも飛び入り参加したりして、1時間余りも歓声をあげ続けたのである。

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第一戦は地の利を得た遠州軍が圧勝したのだが、陣地替えをしての第二戦は双方拮抗し、5分近く微動だにしなくなった。
そこに湧き上がった私達の声援、その支援があって、近年負け続けて、領土を侵食されていた遠州軍が勝利したのである。

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感極まって、鈴木康友市長を胴上げする遠州軍を横目に、私達は遠山号に向けて山を下ったのである。

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この山下りが13km、下ってから飯田線の平田駅までが10k で、今日の走行距離は40k強であった。

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平田駅で風呂に浸かり、飯田線で水窪駅に帰って、今回のマラニックは全て終了となった。

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ともあれ、気の置けない仲間たちと共に、あれこれと語らいながら走ったこともあって、疲労の度合いはかなり少なかったようだ。

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それに、綱引きには私も一般の部に参加し、その片鱗に触れさせてもらった。

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武田信玄、そして勝頼はこの峠を越えて度々遠州に侵攻した訳だが、故事にちなんで綱引きで領土を荒らそうとは見上げた物である。

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国土交通省の所長もわざわざやってきて、今回ばかりは黙認する(?)と引き上げた。
あぁ、面白かった。

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2018年10月27日 (土)

70年という歳月

薄ぼんやりとかすんでしまった過去と、何となく頼りなげに透ける未来、その接点に自分はいる。
1945年が終戦で、1947年から70年余を生きてきた私は、正に戦後をずっと生きてきたのである。

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国中が貧乏で食べる物すら事欠いていた頃から、豊かさを謳歌した高度経済成長、バブル崩壊から失われた20年、そしてそこから蘇生しつつある現在までである。
この間に時代も変わったし、この自分だって心身共に確実に変わってきた。

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時折鏡の中の自分に向き合うと、目の下がたるんで皺ばんだ老け顔に出っくわす。
昔は丸々とした顔で、やがて親父の顔に似てきたこともあったが、それも過ぎ去ったようだ。

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70年を経て、「やれやれこれが俺の顔か!」と、内心でため息をついたりもする。
既に人生の大事の大抵のことはやり終えて、自分とも別れを告げる最後の大事業を残すだけなのかも知れない。

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そして過ぎ去った70年余は、この私の全てである筈だが、歳月人を待たずにして、これを回顧しても詮無いと思う。
過去のことは過去のことにして、俄然思いは未来に向かうのだが、それが遙として霞んでいる。

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その最後の大事業に至るまでの間のシナリオが、中々にして難しいのである。
もとより、何か成さねばならないって訳でもなく、「さぁ~、思いのままに自分を生きてみろ」って言われて戸惑っているのである。

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少なくとも過去の70年余には、その時々に人並みの人生におけるテーマがあった。
しかしこの期に及んで、「将来のための精進を・・」と考えても、何故か虚しくも感じられる。

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70年間付き合ってきたこの自分と日々向き合いつつ、新たなテーマを探している。

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2018年10月26日 (金)

無駄で結構

かつて学校の帰りも一目散に家に向かい、、家の手伝いに専心し、道草なんてしようとも思わなかった。
長じては一心不乱に働いて、世のため人の為、仕事をさぼろうなんて考えたことも無かった。

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家庭では奥様を奉り、親孝行をし、子供のために品行方正に努めてきた(???)。
それが、かつての私であったと思いたい。

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しかるに定年退職してからの私は、まるで別人であるかのように、無駄なことばかりしている。
走ったり、旅行に行ったり、つまらない本を読んだり、時にはうたた寝をしていたり、はたまた山に登ったりと、正に黄昏流星群の一個体である。

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とにかく畑仕事意外の生産的(目的的)な活動をしていない訳で、無駄を省けと言われたら、真っ先に消去されてしまう。

あの民主党政権時代の事業仕分けでもされたりしたら、多分生き残ることは無理だろう。

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いやさ我が家でだって安心できない訳で、無駄無駄と言われながら、何とかやっとのことで命脈を保っている次第だ。

だけど、何の役にも立たない鼠を捕らなくなったネコを始めとして、世の中にゃ無駄なものが五万とある。

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否、畑の雑草を始めとして、競馬・競輪・パチンコ、国会に政党などと無駄な物で満ちあふれているじゃないか。
人は一生懸命に勉強して、良い会社に入ってお金を貯めて、親孝行してと教えられてきた。

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それをみいぃ~んなやったとして、さてその先はどんな目的に向かって生きりゃ良いのかしら?
人は死ぬまで生きなきゃならない訳で、その生きるために様々な努力をしてきたのだが、その生存とは何のためだったのだろう。

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繁殖なのだとしたら、この近世の少子化は説明もできなくなってしまう。
つまり、生存にはそれ以上の目的があるって訳じゃないって事だ。

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而して我が我田引水、無駄なこと、それで結構ではないかとなるのだ。(分かってください、山の神様)



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2018年10月25日 (木)

白髪三千丈

古稀を迎えてから早一年、少年老易、もう既に71才にもなってしまった。
鬢の辺りには白髪が目立つし、それにトレーニング疲れか、朝起きしなに体中がギーギーと音を立てる。

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一昔前なら古来稀なほど生きた事になるのだから、多少の不具合はやむを得ないだろう。

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たった一度の人生なのに、もうやり直すことの出来ないほど生きてしまったのである。
とは言え、自分の中では「精一杯やって、それで自分がやっと見えてきた」って気持ちがある。

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やはり、最も自分を思いやるのは、他ならぬ誰でも無い、自分なのである。
この期に及んであれもこれもと、欲張って宿題を片付けている最中ではあるが、

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元より、最終コーナー的な未来しか残されていないのだろう。
そう・・・ここまで来たら、誰はばかること無く、思い(希望)のままにやるだけだろう。

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希望とは、何故か希な望みと書くが、私の場合は望みのままにと言った方が良かろう。
私は鏡など覗いたりしないのだが、何故か李白の「秋浦の歌」の一節を思い出す。

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 白髪三千丈 (白髪 三千丈)
 縁愁似箇長 (愁いによって かくの如く長し)
 不知明鏡裏 (知らず 明鏡の裏)
 何処得秋霜 (何れの処よりか 秋霜を得たる)

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そうして、自分なりに精一杯生きてきたつもりだけど、無駄なことばっかりやってきたなぁって思う。
目的に向かって一心不乱なんてんじゃなく、あっちでゴツン、こっちでゴツンってね。

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だけど人生そのものに決まった目的がある訳じゃなく、無駄の山だって良かろうと思う。
それにしても「何れの処よりか 秋霜を得たる」とは、確かに私の感慨でもある。

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そう言うことを考える「年頃」になったのである。

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2018年10月24日 (水)

維新から150年

慶応から明治に変わったのは1868年の10月23日だから、昨日で丁度150年になる。
大河ドラマ「せごどん」を観ても、大昔のことのような印象があるが、たった150年前である。

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その150年は、封建時代から国民国家へと移行した30年、政党が結成されて政党内閣制が確立した30年、戦争に突入し敗戦から復興の30年、高度経済成長の30年、そして直近のバブル崩壊と大災害の30年と区切ることが出来る。

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こう考えると、近世の歴史を何となく俯瞰しているようであり、平成の次の時代(来年)からは新たな30年が始まるのだろう。
そしてそれは多分、少子長寿化を背景にしたAI革命の時代になるんだろう。

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それにしても、70才の今日、この明治維新以来の150年の半分近くを生きたんだから、何だかその「歴史」が信じられないような気持ちだ。
先日のマラニックの後の懇親会で、Fさんが「私が走り始めたのは、あなたが河口湖マラソンに誘ってくれたからですよ。」と言った。

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「あの時(現役時代)は、Tさんと私と三人で河口湖畔に泊まって、初めてのフルマラソンに挑戦したんです」と続けた。
もう20年近く前のことで、私はすっかり忘れてしまったが、Fさんはしっかりと記憶している様子だった。

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あの頃は毎年、その河口湖マラソンを走っていて、私のベストレコード3時間26分も彼の地で達成したものだ。
河口湖マラソンは今日の「富士山マラソン」で、日本を代表する国際的なマラソンになっている。

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実は、今年は十数年ぶりにこの大会に挑戦することにしているのだ。
ともあれ、Fさんの二十年前の記憶、その二十年の間にだって随分色々なことがあった。

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40数年余勤務した仕事の集大成、退職やら再就職、・・・激しい変遷でもあった。
いやさ、それは薩摩や長州、土佐や佐賀の志士たちにとっては、命がけの凄惨な月日だった。

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数多くの偶然も重なって結果として維新は成就し、今日の近代日本なのである。
人は誰もが「時」を生きているのだが、その命の時を見つめるのは容易ではない。

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私も、この自分の生きてきた70年余をどう総括すれば良いのだろうか? 

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2018年10月23日 (火)

足もと

かつてのサラリーマン時代は、一足きりの(通勤ライナーとか言う)靴を履いて、それがすり切れて水漏れすると履き替えていた。
ワイシャツやネクタイ、それに背広は着替えても、靴は一足きりで、毎日酷使したんだからさぞかし疲れただろうと思う。

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生来の貧乏性に加えて、正直言って靴にまで気が回らなかったのである。
昔から脚下照顧なる言葉があって、くたびれた履き物を履いていると「足もとを見られる」と言われた。

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例えば旅先の旅館で、下足番のおじさんが、手に取った靴で客の評定をし、部屋だってそれなりの案内をするというのである。

ともあれ30年近く安物の靴で過ごしたが、しがないサラリーマンだったから、足もともへったくれもなかったのである。

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しかし歳と共に管理職になって、如何せんこの靴ではまずいと、大枚叩いて立派な靴を買った。

靴は立派だが、重くて暫くは閉口したが、そのうちにどっしりとしたその靴が誇らしく思えるようになった。

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いやさそれ程でも無いが、靴を見られても恥ずかしくなくなったのである。
それに、その重々しい靴のお陰て身が引き締まるというか、身のこなしまでに貫禄が出た。

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やがて定年退職し、忘れられたそのイカツイ靴には、可哀想にカビが生えている。
昨今の私の足もとは、もっぱらランニングシューズで、重い靴の出番がないのである。

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この期に及んで足もとを見られるなんてことも無く気ままなものだが、むしろ靴には金を掛けている。
月に450k近く走っているから、当然ながら靴の消耗も激しく、安物の靴では足腰へのダメージがある。

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それで、かなりの頻度で靴を新調することになる。
その新調した靴を履いて走るレースじゃ、「今度こそ・・」と意気込んで臨むのである。
私の足もとも随分軽くなったものだが、軽ければ軽いほど快くなっていくんだから嬉しい。

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2018年10月22日 (月)

手前味噌

我が家の朝食は、決まって目玉焼きに関東風の味噌汁である。
関東風(?)と大袈裟に言ったが、大根の千切りと里芋を放り込んだ簡単な物である。

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それが決して爽やかでも無いのだが、文句を言ったら後が怖いので忍んで飲み干している。
所詮これから成長する訳でも無く、食べ物など何でも良いと思うからである。

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時たまホテルなどに泊まって(回転寿司でも良いが)、赤味噌などの汁が「旨いなぁ~」と思ったりする。
粗食は粗食にしても、折角の味噌汁だから、出来れば美味しく頂きたい物である。

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子供の頃のお袋の味噌汁には、大根の薄い輪切りが入っていたが、あの味の浸みたヤツは絶えて食したことが無い。
それはそれ、人それぞれに流儀があっても良いのだが、工夫の無いのは如何ともし難い。

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いきなり愚痴になってしまったが、今日は味噌の思い出である。
昔の在所ではどの家でも味噌は自家製で、我が家でも五右衛門風呂で大豆を茹でて、別途むしろの上で育てた麹とを、臼でついて味噌にした。

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それを桶に詰めて薄暗いところに保存し、少しずつ出しては一年間食べたのである。
今日のように密封する資材が無かったから、空気に触れる部分は黒く変色し味も悪くなったが、何時も腹が減っていたから、味噌汁は有り難かった。

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それも時たま、豆腐と油揚げの入った(正月と来客時の)味噌汁などは何よりのご馳走だった。
ともあれ、味噌の味は塩加減や麹などの違いで、その家によって異なっていたのだ。

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時代は変わって、今では三河の赤味噌を始め味噌にも色々と手に入るのだが、我が家では依然として我が愛妻の手作りの味噌を食べている。

主婦の間で(暇つぶしの)味噌造りがはやっていて、その味噌を食べさせられるのである。

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プロの作る味噌と違って、素朴な味が取り柄だが、肝心なのは真心なんだよなぁ~。

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2018年10月21日 (日)

爽快マラニック

今日一日は満天の青空で、その空に一昨日雪化粧した富士山が聳えていた。
正に爽快な秋の一日で、三島・沼津いいとこマラニックを楽しむことが出来た。

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このマラニックは三島の源兵衛川の疎水・柿田川の湧水を辿り、沼津アルプスの4山に登り、

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最後は駿河湾沿いに沼津まで帰る、川・山・海の三態を楽しむマラニックである。

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私は今回で5回目の参加だが、何時も「ここは良いなぁ~」と思う。

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先ずは源兵衛川だが、この川は三島駅南側の小浜池の湧水から始まる川で、その中を飛び石を跨ぎながら走ることが出来るのである。

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水は透き通って、中には三島バイカモ(水草)が緑に輝いている。

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川は2kほど続いて温水池(農業用水とするため温める池)に達して、用水に変わる。

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次は柿田川で、国道1号線の南側に湧水地帯があって、全国各地に湧水は多かれど、ここの湧水量は東洋一だそうで、沼津市一帯の上水の源になっている。

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この心の透き通るような湧水地帯を離れると、今度は険しい沼津アルブスの縦走である。

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香貫山などそれぞれの山は、さして標高は高くないのに急峻で、息を切らせて登り下りしなければならない。

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それでも時折眼下に広がる駿河湾は眩しいほど美しく、勿論富士山の勇姿は私達を見守っている。

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その山頂の一角で富士山を眺めながら昼食を済ませ、山を下って御用邸公園に。

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そこからは駿河湾沿いに堤防を辿って、狩野川河口から遡って沼津ランニングステーションがゴールだ。

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いやいや、ゴール後の席もあって、今日は駅前の寿司屋での語らいの一時となった。

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ともあれ、いつもは結構負荷が多くて大変なんだが、今日は全体を気持ち良く走ることが出来た。

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天気、それに体調とも相まって、すっかり秋の一日を堪能させて頂いた。

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2018年10月20日 (土)

生命の波紋

私の75歳の知人中田さんが、先週ハワイ島で開催されたアイアンマンレースで年代別4位に入賞した。
14時間予の激走の後、世界第4位では満足できないらしく、五年後80才以上の部に再チャレンジするそうである。

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4kのスイム、180kのバイク、そして42,195kのランだから、若者だって中々に難しい挑戦だ。

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そしてアイアンマンに出場するには、事前に世界規模の予選に勝ち抜かなければならない。
私も爪の垢でも分けて頂きたいところだが、老いて(?)なお意気軒昂とはこのことであろう。

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ところで今日は、恒例の勉強会があって、「人の生きる最終目標(理想)」について話し合った。

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例えばそれが教師なら、眼前の子供に教科を教えるに止まるのでは無く、子供達の二十年・三十年先の開花を考えながら教えろ・・・と森先生は言っている。
それは大変な理想で、並な教師にそれが出来るのだろうかとも思うが、確かに教育とは教科書じゃ無い。

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翻って自分たちの人生の目標とは、一体何だろうと考えてみる。

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子供の頃は末は博士にと思ったにしても、それは果たせぬ夢に終わり、社会に出てからは世のため人の為、精一杯役立つことをしようと努めてきたが、
しかし、それはせいぜい会社での出世競争に終始してしまった。

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夫婦円満・理想の家庭を築いてとマイホームを夢見たが、それとて厳しい現実に直面することになった。

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そして気が付いてみれば、社会にかかわるミッションは粗方終わっていて、望むらくは安楽死を言う年齢が刻々と近づいている。
さて、人生の最終目標は、死ぬまで生きることだとしても、何が本当の理想だったのだろうか。

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それは思うに、誰か(家族でも地域社会でも、或いは仕事でも)の心の中に、自分の生きた証を残すことかも知れない。

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それが仮に教師なら、子供達の心に種を蒔き、何時かそれが開花していくような生き方だ。

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はて、これまでは兎も角、これからそんな何かが私に出来るだろうかと考えている。

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2018年10月19日 (金)

秋の味?

秋刀魚に稔りの秋の果物、牡蠣や栗などと、秋を演出する食べ物は数多い。
生き物は須く厳しい冬に備えて、体内に栄養を蓄えようとする、その食欲の秋なのである。

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しかしながら今年の秋は、台風24号の影響もあって、この秋に収穫するものがない。
我が家に限っては葡萄は既に収穫を終え、柿は潮風で実のみとなって見る影も無い。

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それに畑は、台風の去った後蒔いたり植えた作物が、やっと成長を始めている。
例年なら園芸店に、わんさと苗物が並ぶのだが、今年はさっぱり(苗の塩害で)出てこない。

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仕方がないから、今日はホウレンソウ、タマネギ、小松菜の種を蒔いた。
白菜やキャベツ等は、ハウスで育てていた苗のお陰ですくすくと成長している。

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とは言え、この秋に収穫する物がほとんどなく、大根や白菜・ニンジンなど、味覚はいずれも11月下旬以降に持ち越しなのである。
ところで、このところの嗜好の変化は顕著で、野菜ならいくらでも食べられるが、油物はさっぱり食べられなくなった。

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この秋は、レタスやキャベツ、白菜、タクアンなどが、殊の外美味しく感じられるのである。
特に白菜の漬け物何ぞは、「旨い!!」っと声を上げるほどである。

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それで畑の白菜を眺めながら、白菜漬けやらキムチなどへの加工をイメージし、それに水炊きだって旨かろうし・・・。

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ともあれ実りの秋は肩すかしに終わったが、この冬への仕込みは十二分に出来ている。
今年のホウレンソウも、10日ほど後には収穫を始められそうである。

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毎朝、彼らの成長を見て回るのだが、目に見えて大きくなる姿が頼もしい限りである。

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2018年10月18日 (木)

裏腹

「面従腹背」などと題して出版した元文科省事務次官がいるが、殊更意図的な臭いがして、あまり好きにはなれない。
正義を貫くなら、何故徹底的に貫き通さなかったのか(後で言うのは卑怯)と思うからである。

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そもそも官僚にとって、組織の決定は絶対的なもので、これが乱れたら組織(国)なんてメチャクチャになっちまう。
ともあれ世の中(人の世)は、思うようにはゆかないもので、結果は意外な展開を見せる。

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例えば卑近な例だが、我が愛妻は家政科を卒業した料理の専門家である。
さぞかし、毎日ヘルシーで美味な食事にありつけるのだろうと、三顧の礼で結婚した。

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ところがその笑窪が痘痕であることに気づくのに、なんと三日と要しなかった。
塩と砂糖を間違えるのは日常茶飯事で、弁当箱を開けるのもおっかなびっくりだった。

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あれから40年、すっかり粗食に馴染む生活をしてきたのだが、意外やこれが良かった。
美食は早死にの元らしく、満腹を繰り返すと大抵は若死にするらいしのだ。

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つまり、妻をめとらば料理下手に限るのであって、まずければ腹八分目で箸を置くだろう。
而して私も粗食にならされて、骨と皮ばかりに細っては居るが、いたって健康である。

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親もかくのごとしで、あんまり親孝行をしすぎると、呆けたり死んでしまったりする。
私の母親は93歳になるが、この不肖の息子が見ていられないらしく、屋敷の草を探し回っている。

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息子が草一本取らないで遊び回っているとこぼしているが、なぁ~に喜んでいるのである。
自分が頑張らなければこの家は草まるけになっちまうと思えばこそ、元気はつらつなのである。

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かくの如くこの世は上手く出来ているのであって、最近では料理下手の細君を見直してすらいる。
それにしても、掃除も片付けもしないのは困ったもんだが、これは俺にヤレってことかなぁ。

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2018年10月17日 (水)

笑福

今日は、タップリと腐葉土を混ぜた畝に、満を持し(適期を選んで)てニンニク(根茎)を植えた。

植え終えて30分ほど後、何故かカラスがその畝の上を闊歩していた。

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何だろうと思って近づくと、彼は私の顔を見てプイっと飛び立っていった。

その後をよく見ると、先ほど私の埋めた球根が全て掘り出されているではないか。

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全く腹の立つカラスだが、恐らく隣の家の屋根辺りから私の作業を見ていたと見える。

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私が立ち去ったのを見極めて「あの野郎、何を埋めやがったか? 豆なら好物だが・・・」と掘り返したのである。
それが皆ニンニクと分かって「ふん、こんな物埋めやがって! 」と、プイと立ち去ったのである。

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ところで笑福だが、岐阜県の田舎辺りに行くと、どのお宅の玄関先にも「笑福」の木札が掛けてある。
「笑う門には福来たる」と福の到来を祈念しているのだが、笑いってのはなかなか難しい。

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私なぞは良く言えば謹厳実直、その実は単なる朴念仁で、笑うことも笑わせることも苦手である。

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そのくせ、何か楽しいことは無いか、面白いことはないかと何時も探し求めている。
中でも、気のおけない人と楽しい話をしながら旨いものを食べるのは、人生の喜びの最たるものだろう。

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それにもかかわらず私の話ときたら、クソ真面目な話ばっかりで、相手は胃薬持参で付き合ってくれるようだ。
そもそも男は(昔の親父が典型的)、やたら笑ってはいけないと躾けられてきた。

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増して老人世帯になった今日、笑いの材料すら見当たらない訳で、・・と言って毎日苦虫をかみつぶしたような顔をしているって訳にもいかない。

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それで時たま下手な冗談を言うと、決まって神さんからシカトされてしまうのである。
笑えば体内のインターフェロンが増えて、免疫力も増えて、老化防止にだってなるらしい。

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ともかく笑いは心身の妙薬にして、是非とも友達になりたいものである。

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2018年10月16日 (火)

山は絵の様に

先日の登った浅間山のことである。
日本十名山に入るかも知れないと書いたので、その感動の程を表現したいのである。

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私の世代にとっての浅間山は、1972年2月だったか、あの連合赤軍が立て籠もった浅間山荘事件の印象だろうか、何だか殺伐としたイメージがある。

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機動隊が浅間山荘を取り囲んだのは、未だ雪の深い2月の末だった。

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立て籠もった赤軍派は機動隊に向け銃を発射し、対する機動隊はクレーン車にぶら下げた鉄球で山荘を破壊しつつ、彼らに放水を続けていた。

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山の中だから勿論氷水で、さぞかし彼ら(赤軍)は凍てついただろうが、3人の死者を出してなお降伏しなかった。

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その攻防の一部始終が全国にTV中継され、浅間山の印象はそれが全てだった。

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しかし今回訪れてみて、そんな印象は跡形も無く消し飛んだ。

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秋の浅間山、その姿は自然がたくまずして見せてくれる何枚もの名画なのである。

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先ずは黄葉したカラマツの織りなす異次元の世界だ。

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二千メートルを超えた位置にあるカラマツだからいずれも背は低いが、あたり一面金色の世界を作っている。

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そのカラマツの林の中に、ナナカマドの朱色の実が鮮やかに輝いていて、その下を歩く仲間の姿は詩的ですらある。

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外側の外輪山を登り詰めてトーミの頭に至ると、正面には巨大に盛り上がった前掛山が聳えている。

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いや圧巻なのは、その前掛山とトーミの頭の間にカール状にがるカルデラである。

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黄葉したカラマツとモミの木の緑が織りなす景色は、この日本とはとても思えない異次元の世界だ。

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やがて冬の訪れと共に、この辺り一帯は樹氷へと姿を変え、白銀の世界になっていく。
カルデラに降りる険しい崖地といい、前掛山頂に至る火山岩の無機質な景色だって、その自然の厳しい営みを映し出している。

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四季折々変化に富んだ顔を見せる多彩な山、それが今なお噴煙を上げる浅間山だった。

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2018年10月15日 (月)

遙か彼方の

私達の祖先は、遙か昔にアフリカを旅立って、この地球の隅々に75億5千万人にまで広がった。
未だ見ぬ地、未だ知らぬもの、未知の人との出会い、そんな遙か彼方に夢を持ち続けてきた結果だ。

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実は植物にも同じような性質があって、大抵の植物(ナス科等で顕著)には厭地性がある。
同じ土壌で育つことを嫌って、新天地に移してやるとすくすくと育つのである。

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そして古稀を過ぎた私も、遙か遠くへ、近くだとしても知らない所へ行ってみたいと、今も希求している。
山に登りたいとか、遠隔地でのマラソン大会への挑戦なども、そんな希求心の結果なのである。

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昨日の浅間山でも、幾つもの驚きや感動があったし、「遙か彼方」は私の永遠のテーマだ。
その一方で、(人間にも厭地性と土着性があって)どうしても近回りがおろそかになる。

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西洋に「従僕にとって、英雄はない」の諺があるらしいが、余りに身近すぎてしまうのだ。
所詮人間だから、一長一短、時には痘痕も靨だろうし、全能の人間なんていない。

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そもそも、私達には身近な人を敬ったりしないと言う性癖があるのではないか。
夫婦もべったりで暮らしていると緊張感が無くなって、相手の良い所が見えなくなっちゃう。

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教師だって教壇に立つ時と日常生活では、別人格でなければ指導力を損なうことになる。
毎日見ている近回りの景色は陳腐でしか無いが、初めて触れる荒野には感動してしまう。

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ことほど左様に、親子や夫婦、友人関係にしても、余りに近づき過ぎると幻滅が多くなる。
兎も角人間関係には、程ほどの距離感(親しき仲にも礼儀あり)が必要なのである。

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話題が幾分拡散したが、これからの私のテーマは、やはり未知の世界を彷徨うことである。
山にも、走りにも、本の世界にしても、未だ見ぬ世界を旅してみたいと思っている。

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2018年10月14日 (日)

浅間山の秋

昨夜は夜中の23時頃、小諸市の南城公園に着いて、テントを張って仮眠をとった。
午前二時頃から雨になるとの予報で、冷たい風が吹いていたが運を天に任せることにした。

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うつらうつら眠ったりして、午前4時半には起き出すと意外や星空である。

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テントの中で食事を済ませ、5時半には登山口の車坂峠(標高2000m)に出発。

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夜の明け始めた6時には、いよいよその浅間山に向けて登り始めていた。

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昨夜の想定では、上下のカッパを着て、霧雨の中を登るものと覚悟していたのだが、意外や雲の合間に青空すらが見え始めていた。

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遠くから望む浅間山は、観音様の寝姿のような穏やかな形に見える。

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しかし登り始めて暫くは紅葉の盛期を迎えたカラマツの林だが、流石に活火山だけあって、やがて急な崖地に踏み込んで行く。

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先ずは外側の外輪山である黒斑山(2404m)に上り詰めると、その向こう側に巨大なカール状のカルデラが広がり、

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その先には、絶大な存在感を保って前掛山(内側の外輪山)が巨立していた。

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そして圧倒されたのは、金色に輝いて谷一面に広がるカラマツの紅葉であった。

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まるでニュージーランドかどこかの山間に入り込んだような、異次元の世界の広がりであった。

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ともあれ、この景色を見ただけで十分な気持ちになったが、私達は50度はあろうかと思われる傾斜の「草すべり」を降りて、かもしか平らを渡って、前掛け山に登らねばならない。

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草すべりとは草もすべる程の絶壁とでも表すべきか、とにかくカルデラの谷底まで降りなければ浅間山に登ることが出来ないのである。

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山容はにわかに霧状の雲で覆われたり、くっきりと浮かび上がったりを繰り返している。

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この浅間山は度々噴火を繰り返していて、この8月末に噴火警戒レベル1に引き下げられたばかりである。

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その噴火口を囲むように巨立している前掛山は、私達が立ち入ることの出来る最前線である。

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避難シェルターを横目に、硫黄の匂いを感じながら、10時過ぎにその頂上(2524m)に達した。

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しかし冷たく強い風に震え上がり、慌てて下山しようとしていると、にわかに天掻き曇り雪になった。
それも雨具を着けて下山する途中には、再び晴れ上がって今度は汗びっしょりになっていた。

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ともあれ、浅間山(2568m)には規制で立ち入れなかったが、噴煙などからその噴火の巨大さを実感しつつの下山となった。  
浅間山はもっと単純な山かと思っていたのだが、とっても複雑で手応え登り答えする山だった。

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日本100名だが、ひょつとしたら10名山の1山に入るかも知れないと思った。
正に秋の一日を過ごすには願ってもない山で、心身共に幸せな一日になった。

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2018年10月13日 (土)

何処をか目指さん?

午前中の時間たっぶりかけて、30m程の植床にホウレンソウを蒔いた。
折しも祭礼の時期で、通りの向こうから笛太鼓も賑やかに、祭り屋台が牽かれている。

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大勢の子供や若者が付き従って、「ソレ、ヤレ」などと囃し立ててもいる。
これ(祭り)はこれで微笑ましくもあり、それなりに楽しめれば結構なことである。

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だけど、重たい屋台を皆で引き回したからって、何かが産み出される訳でもないのである。

ホウレンソウの種を蒔きながら、そんなことを思っていたのだが、待てよ「目的を追いかけるだけが全てじゃ無いよな!」って思い直した。

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確かにかつては、大学に入って就職して、結婚して子供を育て、出世してあれも買ってって・・・一つ一つ目的を追いかけてきた。

だけど、それらをみんな実現した先に何があるんだろうか?

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いやさこの国だって、右肩上がりの高度経済成長の階段を、大汗かいて登り詰めてきた。
それがバブル崩壊以降、突然に目標を見失って随分ウロウロとしてきた。

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同様に歳をとってから、目標が無くなって何もしないでいると、ボケちゃうと脅かされている。
現実に周りにいる多くの団塊の世代の人々が、その危機に直面しているようだ。

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どうも私達の世代は「無駄なもの」「余計なもの」「意味ないこと」が苦手なのである。
何かはっきりしたニンジン(目的)が明示されないと、その腰が重いのである。

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だけど人間以外の動物は、食べることと、子孫を残すことしかしないし、勿論目標なんて感じたことすら無いだろう。

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而して、私達も楽しむことが出来るのなら、何のためなどと考えない方が良いんだろう。
だから私などは「老いて、走る。また、よろしからずや。」と趣味にうつつをぬかしている訳だ。

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それで明日は、ヘルメットを被って浅間山(噴火警戒レベル1)に登ることにしている。

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2018年10月12日 (金)

爺さんの気骨

台風24号で吹き飛ばされた消防小屋の壁で、我が農場は散々な被害にあった。
割れたガラスや棟の修復に50万円程度は掛かるし、年間のホウレンソウの売り上げは10万円にも満たない。

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市役所に損害賠償を申し立てても、それこそ時間の無駄と言うべきだ。
だからして、それを敢えて修復するのかどうかと迷いに迷っていた。

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散々な被害を受けたハウスを撤去しようかとも考えたが、それでは冬場の私の仕事が無くなってしまう。
春から夏は葡萄栽培、冬はホウレンソウ、それが私の生活パターンになっているのだ。

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それに百姓の子として生まれ、親父の作ったこの温室の恵みで、私も育ったのである。
それがたかが台風の為に放棄して良いものかどうか・・・・?

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百姓は畑を耕して、何時までも耕して、そう・・百姓として死ぬことが出来ればそれが本望さ。
サラリーマン時代の仕事は、それはドラマチックで面白かったさ。

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だけど今、あの時代の俺の汗は何処に行ったのだろうと回顧したりしている。
それはそれ、命がけで取り組んできた仕事だったが、それ自体が直接何を産みだしたって訳でもなかった。

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そう言う意味じゃ、葡萄を育て、様々な野菜を言祝ぎ、そしてホウレンソウに愛情を注ぐ今の暮らしは、それはそれなりに心豊かなものがある。 
それに「爺さん」と言ってはみたものの、70歳は果たして爺さんなのかどうか?

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生き物は生きていれば必ず老いるのだが、敢えて老い急ぐ必要は無く、自分の気骨で生きれば良いのである。
行く先はどうせあの世なんだから、急ぎ足よりも、ゆっくりと農のリズムで生きりゃよい。

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而して、一農夫として気骨ある生き様をすべしと決意している。

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2018年10月11日 (木)

淋しい人

台風の季節もやっと過ぎ去って、空には鰯雲が寂しげに浮かんでいる。
その鰯雲を見上げながら、「今日会ったのは、老母と老妻だけだな!」とフッと思った。

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いやさ厳密には、立哨で100人近くの子供達の顔は見ているのだが、実感としての話だ。
だから寂しいってんじゃなく、そもそも人は誰も淋しいのだと思っている。

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寂しいからこそあくせくと立ち回るし、独りぼっちにならないために涙ぐましい努力だってするんだ。
漱石の「こころ」の先生は、「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか」と語りかけるが、それがじわりと心にしみてくる。

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その漱石自身孤独な人で「我一人 行く野の末や 秋の空」なんて句も残している。
それに吾猫にだって「呑気と見える人々にも、心の底を叩いてみると、どこかで悲しい音がする。」って言ってるしね。

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況んやこのシガナイ古稀の男が「やっぱ、一人なんだなぁ~」と思ったとしても不思議ではあるまい。
「空に一片 秋の雲行く 見る一人」(漱石)・・・何だか、人生の秋が思われてならない。

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かと言って、この秋を癒やす術とて無く、人は誰だってジッと耐えて行くのである。
こんな時、昔は郭という所があって、その帯を解いて男の孤独を癒やしたのだろう。

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ついでに下世話な話だが、花柳界には様々な隠語があって、昆布巻きは黒の江戸褄に金地の帯でいたすこと。

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お座敷着のまま帯を解かずに、サッと裾を広げるのが孔雀とか。
身ぐるみ脱いでいたすときは「夏みかん」・・・むきながら唾が出てくるからだそうな。

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柄にも無く脱線したが、世の中には孤独を癒やすための装置がいっぱいあったのである。
而して今日、人々の淋しさを癒やすのは、あの退屈なワイドショーなのである。

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2018年10月10日 (水)

悪口三昧

高村光太郎と言えば、あの智恵子抄のイメージで崇高な詩人だと思っていた。
その光太郎の「値付けの国」に辛辣な日本人批評がある。

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「頬骨が出て、唇が厚くて、目が三角で、名人三五郎の彫った値付けのような顔をして、
魂を抜かれた様にぽかんとして、自分を知らない、こせこせした、命のやすい、見栄坊な、

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小さく固まって、納まり返った、猿の様な、狐の様な、ももんがの様な、だぼはぜの様な、

メダカの様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人」と書かれている。

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何だか私のことを言われているようで、書き写しながら小恥ずかしい思いをしている次第だ。

ともあれ、近頃では誰もが紳士淑女になって、噂話は兎も角として、景気の良い悪口は言わなくなった。

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いやさ子供達の喧嘩だって、「バカヤロー、死んじまえ」程度で、悪口の言葉すら知らない。

それでも私の子供の頃は、「あんぽんたん」に「おたんちん」、「どじ」「唐変木」「抜け作」

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「表六玉」それに加えて「阿呆ったれ」や「すっとこどっとい」なんて啖呵を切っていた。

それで図星しの悪口を言われると、とっても悔しい思いをしたものである。

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しかしネット社会の今日、フェイクニュースを始めとして、悪口の質が陰湿になっている。
もちろん党派の政略も多いのだろうが、何が面白いのかブログへの悪意のコメントなんてのもある。

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それにしても「茶碗のかけら」とはよく言ったもので、役にゃ立たないってことだろう。

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私もその類いかも知れないが、それでも70年も生きてくりゃあ、埋蔵文化財とは言わないまでも、少しは照りが出ていはしないだろうか? 

・・・などとかってに思っているのだが、最近では歳を積み重ねることが、少し面白くなっている。

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2018年10月 9日 (火)

老耄

唐の時代の王烈の詩に「紅顔 歳々 金微(匈奴の山)に老い 沙蹟 年々 鉄衣に臥す・・・」とあった。
長年国境の地玉門関に遠征し、何時の間にかこれ程歳をとってしまったというのである。

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いささか書き出しが大袈裟になったが、私にもかれこれ30年近くあちこちを走ってきて、王烈と同じような思いがある。
先日の浜名湖一周マラニックで、ある人に「あなた、何故今年は60kなの?」と問われた。

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100kのウルトラを毎年6~7大会も走ってきたのに、今回は何故60kなのかと言うのだ。

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そして口からこぼれたのが「もう、ロートルだから」って言葉だった。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と言いたかったのである。

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心身の健康を養わんとして40歳から始めたランニングが、何時の間にか生涯の楽しみになっている。

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友と競い・語らい・飲み、そして笑い励まし合うこのスポーツは、私には不可欠なものだ。
とは言え、激しく体力を消耗するウルトラは少しずつ減らし、身の丈に合ったレースへと変えねば長続きしないだろう。

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定年退職してから、既に10年をとっくに超えている。いまや老耄!!
これをオイボレと読むのかも知れないが、当の本人にはとんとその実感が無い。

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今日も昼までに何時もの山を3時間走ったし、それもフォームを気丈にすべく努めていた。
午後は何時もの農作業をこなし、ハクサイやらキャベツ、大根の畑がよみがえった。

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確かに「いまや老耄」かも知れないが、その老いに少しずつ惚れることが大事なんだろう。

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惚れるとは平常心を失って、ぼんやりとした放心状態を言う。
青春時代も今も異性にぞっこんなのは変わりないが、その老耄とやらに少しは惚れてみようと思っている。

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それにしても、一年一年歳をとるってことは、それはそれ味わい深いものであります。

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2018年10月 8日 (月)

古来征戦

ヨーロッパ、中国、この島国の日本を問わず、人間の歴史は戦争と征服の歴史だ。
大量破壊兵器が登場して、流石に簡単には戦争ができなくなったが、人間の性根のどこかに闘争本能が眠っている。

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戦争など良いことが何一つ無いのに、それでも争いの絶えないのは、その性根に因がある。
大河ドラマや映画だって、最も盛り上がるのが何故か戦争場面で、そこに深い感情すらが生まれる。

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唐詩には辺塞の歌が多いが、それ程に人々の心を深く捉えていたのだろう。
「葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲して 琵琶 馬上に催す

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 酔うて沙場に臥すとも 君 笑うことなかれ 古来征戦 幾人か回る 」(王翰)
匈奴を相手にした凄惨な戦火の続いた時代の、出征兵士の悲哀の歌である。

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もとより戦陣の経験は無いが、かつて私も企業戦士として働いていた。
そしてあの頃の気持ちは、或いは出征兵士の心情とさして違わなかったのでは無いかと思っている。

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かてて加えて、最近までのウルトラマラソンに出かけるときの気持ちは、相当な決意で臨んでいた。

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古稀を越えた今日、流石にもっと楽しんだ方が良かろうって気持ちに移りつつあるが、やはり何処かに古来征戦の気持ちが残る。
幕末の勤王の志士たちがそうであったように、長寿よりも何を成し得るかに価値を置きたいのだ。

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かくして人間というヤツは、平穏無事では満足できないやっかいな生き物であるらしい。
人にはいつも、何らかのドラマが必要なのだ。

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2018年10月 7日 (日)

輝く湖畔に遊ぶ

台風25号の進路如何では、大変なことになるな~と心配した今日のマラニック。
少々暑かったけど、台風一過の澄み渡った青空になって、心ゆくまで湖畔を楽しんできた。

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空気が澄み渡って、湖面は輝き、湖畔は24号の塩害にもかかわらず、鮮烈な色彩に見えた。

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もう何十回と走っているコースなのに、今日が一番美しい浜名湖では無いかと思った。

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そう、今日はぐるっと浜名湖一週エンジョイ・マラニックである。

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100kの部は午前零時、80kは3時、60kは6時のスタートで、今年の私はその60kを走ったのである。
とは言ってもNさんと楽しい話をしながらの走り旅になって、その半分が走り歩きだったのだ。

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今日は特に美しいロケーションになったが、浜名湖はもっと活用されてしかるべきだといつも思う。

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一番多いのが釣り人で、次いでロードレーサー、ウィンドサーファー、ヨットetcだが、浜名湖を縁取るように回れば100kも有るのであって、活用されているのはほんの一部だ。

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私達はその浜名湖の自転車道を中心に走ったのだが、やはり24号の爪痕があちこちで見られた。
湖内なのにあの強風と高波で湖畔の道が崩れたりしていて、早急な復旧途上と言ったところだった。

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マラニックは走ったりピクニックしたりが大切で、途中のエイドにも感謝しなければならないが、今日はマリンボート拠点に立ち寄ってかき氷を頂いた。

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乾いた体に染み渡るように氷が溶けていき、店のオーナーと浜名湖を語りながらの貴重な一瞬になった。

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ともあれ、60kを10時間37分で走り歩きし、今日の湖畔を存分に味わい尽くしたのである。

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弁天島のゴールに到着すると、何時もの愉快な仲間達が出迎えてくれて、そう・・・一日を遊び尽くしたぞって、そんな充実感が広がった。

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2018年10月 6日 (土)

ある物語

人生は、私の場合も含めて、筋書きの無い一つの物語なんだろうと思う。
私達の知る物語なら、一般的に様々な伏線を用意された筋書きがあって、起承転結だってはっきりしている。

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ところが人生の物語には、筋書きが有るようで無いから、何時だって何が起こるか分からない。
時に災害だったり事故だったり、失恋や倒産、死別や病気、そしてそれらが脈絡として繋がっている訳じゃない。

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仮に小説だとしたら、とても読むに堪えない無駄なことだって多い・・・否、現実の人生は無駄で満ち満ちている。
まぁ~誰の物語もいずれ「死」と言う形で終わるのだが、いずれも演者は自分であっても戯作者は必ずしも自分ではないのだ。

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この私だって、70年間の必然と偶然が折り重なって、その上に今があるのだろう。
そしてこの物語は長編ではあるが、余りに平板でとてものこと面白い小説にはならない。

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自分では山谷を乗り越えてきたつもりだが、そんなものは誰にだってあることなんだと思う。
さてこれまで月並な物語を生きてきた訳だが、問題はこの先の展開である。

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やがて顕著な老人顔になって、喜怒哀楽すら緩慢な老いを迎えてしまうのだろうか?
それとも、これまでの平凡さを覆すべく、果たして何に挑戦できるかが問われている。

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増して人生100年なんてことになると、それはそれは大変なことになりそうである。
 
而して毎日一ページずつ繰りながら、この物語はこのままで良いのかなぁ~って考えている。

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そうやってドンドン残された年月を費消するのだろうが、どうも納得がいかないのである。
どなたか、面白い歳の取り方を教えていただけませんでしょうか?
 
 

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2018年10月 5日 (金)

今日のこの日を

心配していた台風25号は幾分北に反れて、幾分の晴れ間すら見られた一日だった。
このところ日記的なブログが多くなっているが、今日はその最たる物になりそうだ。

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と言うのも、今日は一日中動き回って、それなりに完全燃焼したと思うからだ。
毎朝の街頭立哨から帰って先ずしたことは、先日播種したダイコンやゴボウ、人参、それにタマネギに潅水したことだ。

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大根はもう芽を出しているが、人参は小まめに潅水を続けないと、発芽は覚束ないのだ。
次はホウレンソウの潅水に続いて、今日播種する植床づくりで、これに二時間余りを要した。

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午後は思い描いている調理のための食材調達に行き、帰ってから3時間みっちりと播種の時間だ。
ホウレンソウはかつてはバラマキしていたが、今では一本一本植溝を切り、一粒ずつ蒔いていく。

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誠に根気のいる作業で、それでも16時には全て(約30m)蒔き終えたのである。
直ちに台所に向かい、丁寧に手を洗ってから、晩ご飯の惣菜作りに取りかかった。

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食材はカボチャに人参、セロリー、ピーマン、それに牛肉と唐辛子である。
肉と唐辛子以外は全て千切りにし、油で炒めた牛肉の中にだし汁を入れて少し煮込むのである。

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だし汁は、日本酒に醤油と砂糖、それにみりんを少し加えたもので、ぱっちりと思い描いた惣菜が完成した。
この調理も即興的に楽しいが、精神衛生に更に良いのが、蒔いた種が順次発芽することさ。

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毎週播種しているホウレンソウは、順次緑の濃さを増しているし、台風で壊滅した畑だって、私の期待にそれぞれ応え始めている。
蒔かない種は生えないのであって、自分の行動が時間差を伴って、ブーメランのように広がっていくのを見るのは、それは嬉しいことなのだ。

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子供達以外には、誰とも会わなかった一日だが、とっても充実した一日だったと思っている。

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2018年10月 4日 (木)

ホメオパシー

今日は、育児支援センター(幼児保育)の親子が、芋掘りにやってきた。
三歳未満の子供が芋掘りして何が分かるって訳で泣く、親子の共同体験の場づくりである。

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ともあれ、親の方が楽しんでいった様だが、親子ってのは子供の成長と共に難しくなる。
親子は最も近い人間関係の筈だが、暗に反して不肖の子が育つことが多い。
不肖ってのは親に似ない駄目な子ってことだが、親そっくりに育つ筈も無く、不肖が普通と考えた方が良い。

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子供は物心つくようになると、(野生がそうであるように)自ずと親から離れようとする。
だから我が子可愛さの余り、 型にはめて育てようとすると多くの場合に悲劇が起こる。
その典型は両親が教師のケースで、最も恵まれた環境の筈なのに、しばしば出来損ないの悲劇が起こる。

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余りに教育的であるが故に、子供は真逆に勉強を忌避したり、道を外すことになるのだ。
実は立場上、身につまされるような悲劇を幾つかこの目で見てきているのである。
教育界でも屈指の教え上手な先生の子供が、引き籠もりの暴力青年になって、とうとう教師をも辞めざるを得なくなったケースも見てきた。

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本来は人一倍立派に育って当たり前なのに、何故か奇妙に出来損なって、変なのが出るのだ。
幸か不幸か我が家は、夫婦そろって気ままな人生をやってきたから、子供もそれぞれ勝手気ままに育ってしまった。
今更何を言っても無駄だが、それはそれ夫婦共に優秀でなくて良かったと思っている。
今の学校には、モンスターPやマスコミが怖いのか、羽目を外す先生が絶滅してしまっている。

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立派で型にはまった先生ばかりだから、子供達(特に問題児)は息抜きが出来なくなっている。
子供達にとっては、時に反面教師から学ぶことが多いのである。

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ホメオパシーとは、免疫療法と言うか、毒をもって毒を制すってな意味合い??かな。
いやいや隠し味の大切さにも通じて、物事真面目にやれば良いってものでもないって事。
つまり、物事には遊びが大事って事かな。

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2018年10月 3日 (水)

愚かを愛す

稔りを直前にしたインゲンなどが全滅した台風24号の残渣を全て始末し、新たに大根や人参、タマネギの播種を済ませ、白菜・キャベツの植え床も整えた。
数ヶ月も丹精込めて育てたのに、一瞬にして無に帰すんだから、農夫は哀れな者である。

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哀れが分かっていても繰り返すのが愚人で、思えば私は愚かなことばかりを繰り返している。
100kレースや砂漠、それに毎週のマラニックと、金と体を使って苦しんでいる。

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愚妻のワガママにも心で泣きつつも顔で笑って、平和こそ宝と信じて過ごしている。
消防小屋の崩壊で温室がメチャクチャになっても、良い子になって我慢しようとしている。

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それこそ賢人ならば「バカバカしい、もっと小利口に生きたらどうだい」と言うに違いない。
英国の作家チャールズ・ラムが「われ愚人を愛す」と言ったが、愚かな生き方こそ大切なのでは無いか。

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この世の中、小賢しいヤツばっかりだったら、人は心安まるいとまとて無いだろう。
思うに、賢人を愛するのはかなり難しいが、愚人ならば安んじて親しむことが出来る。

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私などは劣等感の塊だから、愚人を愛せば少しばかり優越感を味わえるのかも知れない。
そう思いつつハタと気がついたのだが、我が細君を娶ったのは愚妻だからなのであった。

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ノーベル賞を受賞した本庶さんの奥さんは良妻賢母と見受けられるが、内助の功で出世したのは山内一豊くらいのもんだろう。
夏目漱石は悪妻の故に、あの独特の小説を書き続けられたとされている。

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ともあれ、人間は多少愚かな方が平和で良いのである。
然るにやたらと学歴ばかりを重ねて、義務も成さずに権利ばかりを主張する世相である。

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世の中はバカを愛すればこそ、人の心は満たされるんだから、少しの賢人とバカがいれば良い。
而して、精一杯バカを演じ続けて、そうしてバカとして生涯を終えたいと思う。

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2018年10月 2日 (火)

台風一過だけど・・

先ほど、やっと停電が解消したのだが、wifiも中継ポイントの電源も失われたのか、ずっと圏外だった。
それにしても、24号の襲来は、この地域としては久方ぶりの大きな被害に見舞われた。

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昭和34年の伊勢湾台風の事を、今でも鮮烈に覚えている。
あの時は我がボロ屋の瓦が飛んで、今にも家が壊れそうになった。
父と12歳の私は、板を打ち付けた大戸(玄関戸)を必死で飛ばされないように押さえていた。

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それでも強い南風の度にその戸が大きく撓って、やがて父(25歳)は「逃げよう」と言った。
それで風下の裏口から脱出し、槇の木株の間にシートを被って数時間、家族五人で抱き合って過ごした。

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ガラガラと音を立てて飛ぶ瓦と無常な風の音、それが忘れられない少年の日の出来ごとだった。
あれから58年、あの時と同じような台風の襲来である。
「今の家は、大丈夫」とそう思いながら、うつらうつらしていると、「バリバリーガシャァン」と大きな音で覚醒した。

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瓦が飛んだのかと思ったが、音はそれっきりで次第に風が静まっていった。
夜明け近くなって、恐る恐る外に出て、辺りを見回すと、家・その他全て無事であった。
だが外の農場に出ると、その風景は昨日と一変していて、全ての作物が無くなっていた。

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キュウリやインゲンなど葉一枚も残すことなく飛び散っていたし、芽の出たばかりのタマネギや大根なども無くなっていた。
強風と潮風が、全てを奪い去ったのである。
更なる被害は、ホウレンソウを栽培しているガラスハウスであった。

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南側にある消防小屋のスレートが飛び散って、ハウスのガラスを打ち砕き、北側の枠組みすらル吹き飛んでいた。
当然ながら辺り一面はガラスの破片が一杯で、栽培放棄を思わせるほどであった。

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昨夜のあの音の元は分かったが、やがてやってきた消防局の職員がそのガラスを片付けながら、「申し訳ありません。天災ですから補償は出来かねます。」と頭を下げるのだが・・・・。
さて修復には数十万円の経費が必要だが、営農放棄をすべきかどうか・・迷っている。

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ハウスはともあれ、昨日今日と片づけど新たな作付けに精を出したのだが、ハクサイを植え付けようとしてハタと中止した。
この週末の台風25号は更に強烈で、しかも同じようなゴーを辿っているではないか・・・。

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