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2018年10月15日 (月)

遙か彼方の

私達の祖先は、遙か昔にアフリカを旅立って、この地球の隅々に75億5千万人にまで広がった。
未だ見ぬ地、未だ知らぬもの、未知の人との出会い、そんな遙か彼方に夢を持ち続けてきた結果だ。

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実は植物にも同じような性質があって、大抵の植物(ナス科等で顕著)には厭地性がある。
同じ土壌で育つことを嫌って、新天地に移してやるとすくすくと育つのである。

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そして古稀を過ぎた私も、遙か遠くへ、近くだとしても知らない所へ行ってみたいと、今も希求している。
山に登りたいとか、遠隔地でのマラソン大会への挑戦なども、そんな希求心の結果なのである。

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昨日の浅間山でも、幾つもの驚きや感動があったし、「遙か彼方」は私の永遠のテーマだ。
その一方で、(人間にも厭地性と土着性があって)どうしても近回りがおろそかになる。

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西洋に「従僕にとって、英雄はない」の諺があるらしいが、余りに身近すぎてしまうのだ。
所詮人間だから、一長一短、時には痘痕も靨だろうし、全能の人間なんていない。

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そもそも、私達には身近な人を敬ったりしないと言う性癖があるのではないか。
夫婦もべったりで暮らしていると緊張感が無くなって、相手の良い所が見えなくなっちゃう。

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教師だって教壇に立つ時と日常生活では、別人格でなければ指導力を損なうことになる。
毎日見ている近回りの景色は陳腐でしか無いが、初めて触れる荒野には感動してしまう。

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ことほど左様に、親子や夫婦、友人関係にしても、余りに近づき過ぎると幻滅が多くなる。
兎も角人間関係には、程ほどの距離感(親しき仲にも礼儀あり)が必要なのである。

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話題が幾分拡散したが、これからの私のテーマは、やはり未知の世界を彷徨うことである。
山にも、走りにも、本の世界にしても、未だ見ぬ世界を旅してみたいと思っている。

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2018年10月14日 (日)

浅間山の秋

昨夜は夜中の23時頃、小諸市の南城公園に着いて、テントを張って仮眠をとった。
午前二時頃から雨になるとの予報で、冷たい風が吹いていたが運を天に任せることにした。

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うつらうつら眠ったりして、午前4時半には起き出すと意外や星空である。

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テントの中で食事を済ませ、5時半には登山口の車坂峠(標高2000m)に出発。

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夜の明け始めた6時には、いよいよその浅間山に向けて登り始めていた。

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昨夜の想定では、上下のカッパを着て、霧雨の中を登るものと覚悟していたのだが、意外や雲の合間に青空すらが見え始めていた。

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遠くから望む浅間山は、観音様の寝姿のような穏やかな形に見える。

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しかし登り始めて暫くは紅葉の盛期を迎えたカラマツの林だが、流石に活火山だけあって、やがて急な崖地に踏み込んで行く。

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先ずは外側の外輪山である黒斑山(2404m)に上り詰めると、その向こう側に巨大なカール状のカルデラが広がり、

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その先には、絶大な存在感を保って前掛山(内側の外輪山)が巨立していた。

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そして圧倒されたのは、金色に輝いて谷一面に広がるカラマツの紅葉であった。

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まるでニュージーランドかどこかの山間に入り込んだような、異次元の世界の広がりであった。

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ともあれ、この景色を見ただけで十分な気持ちになったが、私達は50度はあろうかと思われる傾斜の「草すべり」を降りて、かもしか平らを渡って、前掛け山に登らねばならない。

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草すべりとは草もすべる程の絶壁とでも表すべきか、とにかくカルデラの谷底まで降りなければ浅間山に登ることが出来ないのである。

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山容はにわかに霧状の雲で覆われたり、くっきりと浮かび上がったりを繰り返している。

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この浅間山は度々噴火を繰り返していて、この8月末に噴火警戒レベル1に引き下げられたばかりである。

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その噴火口を囲むように巨立している前掛山は、私達が立ち入ることの出来る最前線である。

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避難シェルターを横目に、硫黄の匂いを感じながら、10時過ぎにその頂上(2524m)に達した。

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しかし冷たく強い風に震え上がり、慌てて下山しようとしていると、にわかに天掻き曇り雪になった。
それも雨具を着けて下山する途中には、再び晴れ上がって今度は汗びっしょりになっていた。

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ともあれ、浅間山(2568m)には規制で立ち入れなかったが、噴煙などからその噴火の巨大さを実感しつつの下山となった。  
浅間山はもっと単純な山かと思っていたのだが、とっても複雑で手応え登り答えする山だった。

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日本100名だが、ひょつとしたら10名山の1山に入るかも知れないと思った。
正に秋の一日を過ごすには願ってもない山で、心身共に幸せな一日になった。

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2018年10月13日 (土)

何処をか目指さん?

午前中の時間たっぶりかけて、30m程の植床にホウレンソウを蒔いた。
折しも祭礼の時期で、通りの向こうから笛太鼓も賑やかに、祭り屋台が牽かれている。

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大勢の子供や若者が付き従って、「ソレ、ヤレ」などと囃し立ててもいる。
これ(祭り)はこれで微笑ましくもあり、それなりに楽しめれば結構なことである。

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だけど、重たい屋台を皆で引き回したからって、何かが産み出される訳でもないのである。

ホウレンソウの種を蒔きながら、そんなことを思っていたのだが、待てよ「目的を追いかけるだけが全てじゃ無いよな!」って思い直した。

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確かにかつては、大学に入って就職して、結婚して子供を育て、出世してあれも買ってって・・・一つ一つ目的を追いかけてきた。

だけど、それらをみんな実現した先に何があるんだろうか?

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いやさこの国だって、右肩上がりの高度経済成長の階段を、大汗かいて登り詰めてきた。
それがバブル崩壊以降、突然に目標を見失って随分ウロウロとしてきた。

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同様に歳をとってから、目標が無くなって何もしないでいると、ボケちゃうと脅かされている。
現実に周りにいる多くの団塊の世代の人々が、その危機に直面しているようだ。

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どうも私達の世代は「無駄なもの」「余計なもの」「意味ないこと」が苦手なのである。
何かはっきりしたニンジン(目的)が明示されないと、その腰が重いのである。

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だけど人間以外の動物は、食べることと、子孫を残すことしかしないし、勿論目標なんて感じたことすら無いだろう。

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而して、私達も楽しむことが出来るのなら、何のためなどと考えない方が良いんだろう。
だから私などは「老いて、走る。また、よろしからずや。」と趣味にうつつをぬかしている訳だ。

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それで明日は、ヘルメットを被って浅間山(噴火警戒レベル1)に登ることにしている。

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2018年10月12日 (金)

爺さんの気骨

台風24号で吹き飛ばされた消防小屋の壁で、我が農場は散々な被害にあった。
割れたガラスや棟の修復に50万円程度は掛かるし、年間のホウレンソウの売り上げは10万円にも満たない。

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市役所に損害賠償を申し立てても、それこそ時間の無駄と言うべきだ。
だからして、それを敢えて修復するのかどうかと迷いに迷っていた。

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散々な被害を受けたハウスを撤去しようかとも考えたが、それでは冬場の私の仕事が無くなってしまう。
春から夏は葡萄栽培、冬はホウレンソウ、それが私の生活パターンになっているのだ。

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それに百姓の子として生まれ、親父の作ったこの温室の恵みで、私も育ったのである。
それがたかが台風の為に放棄して良いものかどうか・・・・?

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百姓は畑を耕して、何時までも耕して、そう・・百姓として死ぬことが出来ればそれが本望さ。
サラリーマン時代の仕事は、それはドラマチックで面白かったさ。

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だけど今、あの時代の俺の汗は何処に行ったのだろうと回顧したりしている。
それはそれ、命がけで取り組んできた仕事だったが、それ自体が直接何を産みだしたって訳でもなかった。

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そう言う意味じゃ、葡萄を育て、様々な野菜を言祝ぎ、そしてホウレンソウに愛情を注ぐ今の暮らしは、それはそれなりに心豊かなものがある。 
それに「爺さん」と言ってはみたものの、70歳は果たして爺さんなのかどうか?

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生き物は生きていれば必ず老いるのだが、敢えて老い急ぐ必要は無く、自分の気骨で生きれば良いのである。
行く先はどうせあの世なんだから、急ぎ足よりも、ゆっくりと農のリズムで生きりゃよい。

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而して、一農夫として気骨ある生き様をすべしと決意している。

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2018年10月11日 (木)

淋しい人

台風の季節もやっと過ぎ去って、空には鰯雲が寂しげに浮かんでいる。
その鰯雲を見上げながら、「今日会ったのは、老母と老妻だけだな!」とフッと思った。

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いやさ厳密には、立哨で100人近くの子供達の顔は見ているのだが、実感としての話だ。
だから寂しいってんじゃなく、そもそも人は誰も淋しいのだと思っている。

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寂しいからこそあくせくと立ち回るし、独りぼっちにならないために涙ぐましい努力だってするんだ。
漱石の「こころ」の先生は、「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか」と語りかけるが、それがじわりと心にしみてくる。

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その漱石自身孤独な人で「我一人 行く野の末や 秋の空」なんて句も残している。
それに吾猫にだって「呑気と見える人々にも、心の底を叩いてみると、どこかで悲しい音がする。」って言ってるしね。

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況んやこのシガナイ古稀の男が「やっぱ、一人なんだなぁ~」と思ったとしても不思議ではあるまい。
「空に一片 秋の雲行く 見る一人」(漱石)・・・何だか、人生の秋が思われてならない。

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かと言って、この秋を癒やす術とて無く、人は誰だってジッと耐えて行くのである。
こんな時、昔は郭という所があって、その帯を解いて男の孤独を癒やしたのだろう。

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ついでに下世話な話だが、花柳界には様々な隠語があって、昆布巻きは黒の江戸褄に金地の帯でいたすこと。

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お座敷着のまま帯を解かずに、サッと裾を広げるのが孔雀とか。
身ぐるみ脱いでいたすときは「夏みかん」・・・むきながら唾が出てくるからだそうな。

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柄にも無く脱線したが、世の中には孤独を癒やすための装置がいっぱいあったのである。
而して今日、人々の淋しさを癒やすのは、あの退屈なワイドショーなのである。

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2018年10月10日 (水)

悪口三昧

高村光太郎と言えば、あの智恵子抄のイメージで崇高な詩人だと思っていた。
その光太郎の「値付けの国」に辛辣な日本人批評がある。

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「頬骨が出て、唇が厚くて、目が三角で、名人三五郎の彫った値付けのような顔をして、
魂を抜かれた様にぽかんとして、自分を知らない、こせこせした、命のやすい、見栄坊な、

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小さく固まって、納まり返った、猿の様な、狐の様な、ももんがの様な、だぼはぜの様な、

メダカの様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人」と書かれている。

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何だか私のことを言われているようで、書き写しながら小恥ずかしい思いをしている次第だ。

ともあれ、近頃では誰もが紳士淑女になって、噂話は兎も角として、景気の良い悪口は言わなくなった。

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いやさ子供達の喧嘩だって、「バカヤロー、死んじまえ」程度で、悪口の言葉すら知らない。

それでも私の子供の頃は、「あんぽんたん」に「おたんちん」、「どじ」「唐変木」「抜け作」

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「表六玉」それに加えて「阿呆ったれ」や「すっとこどっとい」なんて啖呵を切っていた。

それで図星しの悪口を言われると、とっても悔しい思いをしたものである。

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しかしネット社会の今日、フェイクニュースを始めとして、悪口の質が陰湿になっている。
もちろん党派の政略も多いのだろうが、何が面白いのかブログへの悪意のコメントなんてのもある。

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それにしても「茶碗のかけら」とはよく言ったもので、役にゃ立たないってことだろう。

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私もその類いかも知れないが、それでも70年も生きてくりゃあ、埋蔵文化財とは言わないまでも、少しは照りが出ていはしないだろうか? 

・・・などとかってに思っているのだが、最近では歳を積み重ねることが、少し面白くなっている。

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2018年10月 9日 (火)

老耄

唐の時代の王烈の詩に「紅顔 歳々 金微(匈奴の山)に老い 沙蹟 年々 鉄衣に臥す・・・」とあった。
長年国境の地玉門関に遠征し、何時の間にかこれ程歳をとってしまったというのである。

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いささか書き出しが大袈裟になったが、私にもかれこれ30年近くあちこちを走ってきて、王烈と同じような思いがある。
先日の浜名湖一周マラニックで、ある人に「あなた、何故今年は60kなの?」と問われた。

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100kのウルトラを毎年6~7大会も走ってきたのに、今回は何故60kなのかと言うのだ。

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そして口からこぼれたのが「もう、ロートルだから」って言葉だった。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と言いたかったのである。

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心身の健康を養わんとして40歳から始めたランニングが、何時の間にか生涯の楽しみになっている。

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友と競い・語らい・飲み、そして笑い励まし合うこのスポーツは、私には不可欠なものだ。
とは言え、激しく体力を消耗するウルトラは少しずつ減らし、身の丈に合ったレースへと変えねば長続きしないだろう。

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定年退職してから、既に10年をとっくに超えている。いまや老耄!!
これをオイボレと読むのかも知れないが、当の本人にはとんとその実感が無い。

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今日も昼までに何時もの山を3時間走ったし、それもフォームを気丈にすべく努めていた。
午後は何時もの農作業をこなし、ハクサイやらキャベツ、大根の畑がよみがえった。

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確かに「いまや老耄」かも知れないが、その老いに少しずつ惚れることが大事なんだろう。

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惚れるとは平常心を失って、ぼんやりとした放心状態を言う。
青春時代も今も異性にぞっこんなのは変わりないが、その老耄とやらに少しは惚れてみようと思っている。

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それにしても、一年一年歳をとるってことは、それはそれ味わい深いものであります。

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2018年10月 8日 (月)

古来征戦

ヨーロッパ、中国、この島国の日本を問わず、人間の歴史は戦争と征服の歴史だ。
大量破壊兵器が登場して、流石に簡単には戦争ができなくなったが、人間の性根のどこかに闘争本能が眠っている。

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戦争など良いことが何一つ無いのに、それでも争いの絶えないのは、その性根に因がある。
大河ドラマや映画だって、最も盛り上がるのが何故か戦争場面で、そこに深い感情すらが生まれる。

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唐詩には辺塞の歌が多いが、それ程に人々の心を深く捉えていたのだろう。
「葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲して 琵琶 馬上に催す

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 酔うて沙場に臥すとも 君 笑うことなかれ 古来征戦 幾人か回る 」(王翰)
匈奴を相手にした凄惨な戦火の続いた時代の、出征兵士の悲哀の歌である。

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もとより戦陣の経験は無いが、かつて私も企業戦士として働いていた。
そしてあの頃の気持ちは、或いは出征兵士の心情とさして違わなかったのでは無いかと思っている。

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かてて加えて、最近までのウルトラマラソンに出かけるときの気持ちは、相当な決意で臨んでいた。

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古稀を越えた今日、流石にもっと楽しんだ方が良かろうって気持ちに移りつつあるが、やはり何処かに古来征戦の気持ちが残る。
幕末の勤王の志士たちがそうであったように、長寿よりも何を成し得るかに価値を置きたいのだ。

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かくして人間というヤツは、平穏無事では満足できないやっかいな生き物であるらしい。
人にはいつも、何らかのドラマが必要なのだ。

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2018年10月 7日 (日)

輝く湖畔に遊ぶ

台風25号の進路如何では、大変なことになるな~と心配した今日のマラニック。
少々暑かったけど、台風一過の澄み渡った青空になって、心ゆくまで湖畔を楽しんできた。

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空気が澄み渡って、湖面は輝き、湖畔は24号の塩害にもかかわらず、鮮烈な色彩に見えた。

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もう何十回と走っているコースなのに、今日が一番美しい浜名湖では無いかと思った。

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そう、今日はぐるっと浜名湖一週エンジョイ・マラニックである。

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100kの部は午前零時、80kは3時、60kは6時のスタートで、今年の私はその60kを走ったのである。
とは言ってもNさんと楽しい話をしながらの走り旅になって、その半分が走り歩きだったのだ。

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今日は特に美しいロケーションになったが、浜名湖はもっと活用されてしかるべきだといつも思う。

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一番多いのが釣り人で、次いでロードレーサー、ウィンドサーファー、ヨットetcだが、浜名湖を縁取るように回れば100kも有るのであって、活用されているのはほんの一部だ。

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私達はその浜名湖の自転車道を中心に走ったのだが、やはり24号の爪痕があちこちで見られた。
湖内なのにあの強風と高波で湖畔の道が崩れたりしていて、早急な復旧途上と言ったところだった。

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マラニックは走ったりピクニックしたりが大切で、途中のエイドにも感謝しなければならないが、今日はマリンボート拠点に立ち寄ってかき氷を頂いた。

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乾いた体に染み渡るように氷が溶けていき、店のオーナーと浜名湖を語りながらの貴重な一瞬になった。

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ともあれ、60kを10時間37分で走り歩きし、今日の湖畔を存分に味わい尽くしたのである。

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弁天島のゴールに到着すると、何時もの愉快な仲間達が出迎えてくれて、そう・・・一日を遊び尽くしたぞって、そんな充実感が広がった。

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2018年10月 6日 (土)

ある物語

人生は、私の場合も含めて、筋書きの無い一つの物語なんだろうと思う。
私達の知る物語なら、一般的に様々な伏線を用意された筋書きがあって、起承転結だってはっきりしている。

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ところが人生の物語には、筋書きが有るようで無いから、何時だって何が起こるか分からない。
時に災害だったり事故だったり、失恋や倒産、死別や病気、そしてそれらが脈絡として繋がっている訳じゃない。

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仮に小説だとしたら、とても読むに堪えない無駄なことだって多い・・・否、現実の人生は無駄で満ち満ちている。
まぁ~誰の物語もいずれ「死」と言う形で終わるのだが、いずれも演者は自分であっても戯作者は必ずしも自分ではないのだ。

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この私だって、70年間の必然と偶然が折り重なって、その上に今があるのだろう。
そしてこの物語は長編ではあるが、余りに平板でとてものこと面白い小説にはならない。

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自分では山谷を乗り越えてきたつもりだが、そんなものは誰にだってあることなんだと思う。
さてこれまで月並な物語を生きてきた訳だが、問題はこの先の展開である。

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やがて顕著な老人顔になって、喜怒哀楽すら緩慢な老いを迎えてしまうのだろうか?
それとも、これまでの平凡さを覆すべく、果たして何に挑戦できるかが問われている。

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増して人生100年なんてことになると、それはそれは大変なことになりそうである。
 
而して毎日一ページずつ繰りながら、この物語はこのままで良いのかなぁ~って考えている。

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そうやってドンドン残された年月を費消するのだろうが、どうも納得がいかないのである。
どなたか、面白い歳の取り方を教えていただけませんでしょうか?
 
 

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2018年10月 5日 (金)

今日のこの日を

心配していた台風25号は幾分北に反れて、幾分の晴れ間すら見られた一日だった。
このところ日記的なブログが多くなっているが、今日はその最たる物になりそうだ。

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と言うのも、今日は一日中動き回って、それなりに完全燃焼したと思うからだ。
毎朝の街頭立哨から帰って先ずしたことは、先日播種したダイコンやゴボウ、人参、それにタマネギに潅水したことだ。

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大根はもう芽を出しているが、人参は小まめに潅水を続けないと、発芽は覚束ないのだ。
次はホウレンソウの潅水に続いて、今日播種する植床づくりで、これに二時間余りを要した。

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午後は思い描いている調理のための食材調達に行き、帰ってから3時間みっちりと播種の時間だ。
ホウレンソウはかつてはバラマキしていたが、今では一本一本植溝を切り、一粒ずつ蒔いていく。

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誠に根気のいる作業で、それでも16時には全て(約30m)蒔き終えたのである。
直ちに台所に向かい、丁寧に手を洗ってから、晩ご飯の惣菜作りに取りかかった。

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食材はカボチャに人参、セロリー、ピーマン、それに牛肉と唐辛子である。
肉と唐辛子以外は全て千切りにし、油で炒めた牛肉の中にだし汁を入れて少し煮込むのである。

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だし汁は、日本酒に醤油と砂糖、それにみりんを少し加えたもので、ぱっちりと思い描いた惣菜が完成した。
この調理も即興的に楽しいが、精神衛生に更に良いのが、蒔いた種が順次発芽することさ。

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毎週播種しているホウレンソウは、順次緑の濃さを増しているし、台風で壊滅した畑だって、私の期待にそれぞれ応え始めている。
蒔かない種は生えないのであって、自分の行動が時間差を伴って、ブーメランのように広がっていくのを見るのは、それは嬉しいことなのだ。

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子供達以外には、誰とも会わなかった一日だが、とっても充実した一日だったと思っている。

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2018年10月 4日 (木)

ホメオパシー

今日は、育児支援センター(幼児保育)の親子が、芋掘りにやってきた。
三歳未満の子供が芋掘りして何が分かるって訳で泣く、親子の共同体験の場づくりである。

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ともあれ、親の方が楽しんでいった様だが、親子ってのは子供の成長と共に難しくなる。
親子は最も近い人間関係の筈だが、暗に反して不肖の子が育つことが多い。
不肖ってのは親に似ない駄目な子ってことだが、親そっくりに育つ筈も無く、不肖が普通と考えた方が良い。

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子供は物心つくようになると、(野生がそうであるように)自ずと親から離れようとする。
だから我が子可愛さの余り、 型にはめて育てようとすると多くの場合に悲劇が起こる。
その典型は両親が教師のケースで、最も恵まれた環境の筈なのに、しばしば出来損ないの悲劇が起こる。

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余りに教育的であるが故に、子供は真逆に勉強を忌避したり、道を外すことになるのだ。
実は立場上、身につまされるような悲劇を幾つかこの目で見てきているのである。
教育界でも屈指の教え上手な先生の子供が、引き籠もりの暴力青年になって、とうとう教師をも辞めざるを得なくなったケースも見てきた。

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本来は人一倍立派に育って当たり前なのに、何故か奇妙に出来損なって、変なのが出るのだ。
幸か不幸か我が家は、夫婦そろって気ままな人生をやってきたから、子供もそれぞれ勝手気ままに育ってしまった。
今更何を言っても無駄だが、それはそれ夫婦共に優秀でなくて良かったと思っている。
今の学校には、モンスターPやマスコミが怖いのか、羽目を外す先生が絶滅してしまっている。

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立派で型にはまった先生ばかりだから、子供達(特に問題児)は息抜きが出来なくなっている。
子供達にとっては、時に反面教師から学ぶことが多いのである。

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ホメオパシーとは、免疫療法と言うか、毒をもって毒を制すってな意味合い??かな。
いやいや隠し味の大切さにも通じて、物事真面目にやれば良いってものでもないって事。
つまり、物事には遊びが大事って事かな。

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2018年10月 3日 (水)

愚かを愛す

稔りを直前にしたインゲンなどが全滅した台風24号の残渣を全て始末し、新たに大根や人参、タマネギの播種を済ませ、白菜・キャベツの植え床も整えた。
数ヶ月も丹精込めて育てたのに、一瞬にして無に帰すんだから、農夫は哀れな者である。

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哀れが分かっていても繰り返すのが愚人で、思えば私は愚かなことばかりを繰り返している。
100kレースや砂漠、それに毎週のマラニックと、金と体を使って苦しんでいる。

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愚妻のワガママにも心で泣きつつも顔で笑って、平和こそ宝と信じて過ごしている。
消防小屋の崩壊で温室がメチャクチャになっても、良い子になって我慢しようとしている。

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それこそ賢人ならば「バカバカしい、もっと小利口に生きたらどうだい」と言うに違いない。
英国の作家チャールズ・ラムが「われ愚人を愛す」と言ったが、愚かな生き方こそ大切なのでは無いか。

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この世の中、小賢しいヤツばっかりだったら、人は心安まるいとまとて無いだろう。
思うに、賢人を愛するのはかなり難しいが、愚人ならば安んじて親しむことが出来る。

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私などは劣等感の塊だから、愚人を愛せば少しばかり優越感を味わえるのかも知れない。
そう思いつつハタと気がついたのだが、我が細君を娶ったのは愚妻だからなのであった。

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ノーベル賞を受賞した本庶さんの奥さんは良妻賢母と見受けられるが、内助の功で出世したのは山内一豊くらいのもんだろう。
夏目漱石は悪妻の故に、あの独特の小説を書き続けられたとされている。

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ともあれ、人間は多少愚かな方が平和で良いのである。
然るにやたらと学歴ばかりを重ねて、義務も成さずに権利ばかりを主張する世相である。

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世の中はバカを愛すればこそ、人の心は満たされるんだから、少しの賢人とバカがいれば良い。
而して、精一杯バカを演じ続けて、そうしてバカとして生涯を終えたいと思う。

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2018年10月 2日 (火)

台風一過だけど・・

先ほど、やっと停電が解消したのだが、wifiも中継ポイントの電源も失われたのか、ずっと圏外だった。
それにしても、24号の襲来は、この地域としては久方ぶりの大きな被害に見舞われた。

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昭和34年の伊勢湾台風の事を、今でも鮮烈に覚えている。
あの時は我がボロ屋の瓦が飛んで、今にも家が壊れそうになった。
父と12歳の私は、板を打ち付けた大戸(玄関戸)を必死で飛ばされないように押さえていた。

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それでも強い南風の度にその戸が大きく撓って、やがて父(25歳)は「逃げよう」と言った。
それで風下の裏口から脱出し、槇の木株の間にシートを被って数時間、家族五人で抱き合って過ごした。

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ガラガラと音を立てて飛ぶ瓦と無常な風の音、それが忘れられない少年の日の出来ごとだった。
あれから58年、あの時と同じような台風の襲来である。
「今の家は、大丈夫」とそう思いながら、うつらうつらしていると、「バリバリーガシャァン」と大きな音で覚醒した。

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瓦が飛んだのかと思ったが、音はそれっきりで次第に風が静まっていった。
夜明け近くなって、恐る恐る外に出て、辺りを見回すと、家・その他全て無事であった。
だが外の農場に出ると、その風景は昨日と一変していて、全ての作物が無くなっていた。

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キュウリやインゲンなど葉一枚も残すことなく飛び散っていたし、芽の出たばかりのタマネギや大根なども無くなっていた。
強風と潮風が、全てを奪い去ったのである。
更なる被害は、ホウレンソウを栽培しているガラスハウスであった。

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南側にある消防小屋のスレートが飛び散って、ハウスのガラスを打ち砕き、北側の枠組みすらル吹き飛んでいた。
当然ながら辺り一面はガラスの破片が一杯で、栽培放棄を思わせるほどであった。

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昨夜のあの音の元は分かったが、やがてやってきた消防局の職員がそのガラスを片付けながら、「申し訳ありません。天災ですから補償は出来かねます。」と頭を下げるのだが・・・・。
さて修復には数十万円の経費が必要だが、営農放棄をすべきかどうか・・迷っている。

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ハウスはともあれ、昨日今日と片づけど新たな作付けに精を出したのだが、ハクサイを植え付けようとしてハタと中止した。
この週末の台風25号は更に強烈で、しかも同じようなゴーを辿っているではないか・・・。

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