« 2018年10月 | トップページ

2018年11月18日 (日)

鎌倉いいとこへイザ

鎌倉は、1192年から足利尊氏が室町幕府を開くまで144年間の政治の中心地だった。
最初の武家政権で、何か事あれば「いざ鎌倉」と駆け付けるのが武家のならいだった。

Img_1176

元寇の役を始めとして武力衝突も多かったから、必然的に寺社が建立されて、今日の鎌倉のたたずまいが出来上がった。

Img_1177

昨日は、その鎌倉のいいとこ取りをしようというマラニックで、全国から46人がはせ参じた。

Img_1179

北鎌倉に集合した面々は、エイエイオーの気勢を発することも無く、アッと言う間に散会していった。

Img_1180

コースは円覚寺から始まって、東慶寺、浄智寺、明月院、半僧坊、瑞泉院、鎌倉宮、頼朝廟所、鶴岡八幡宮、銭洗弁天、鎌倉大仏、長谷寺、極楽寺、七里ヶ浜を経て江ノ島と続く。

Img_1182

この全てに拝観料を払っていると大変なので、気の向いた寺にだけ立ち寄ることにした。

Img_1184

鎌倉のイメージは由比ヶ浜に沿った狭いエリアと考えがちだが、一歩山間に入ると延々とトレッキング道が続くまである。

Img_1188

その多くが泥岩の露出した、一種鎌倉らしい風情を漂わせながら続いている。

Img_1189

昨日は事前の雨予報とは打って変わって絶好の日和になって、つるつると滑ることも無く快適に走ることが出来た。

Img_1195

私が立ち寄ったのは、明月院、七五三で賑わう鎌倉宮、頼朝廟、八幡宮に銭洗い弁天、そして極楽寺に立ち寄って、後は一路江ノ島を目指したのである。

Img_1196

江ノ島は、やはり大変な人混みで、その間を振ってひた走り、稚児ヶ淵から岩屋洞窟まで行ったのである。

Img_1201

流石に時間を超過し、帰りは江ノ電で集合場所の風呂屋に15:47に到着した。
風呂で汗を流して鎌倉駅近く飲み屋に移動し、例によって盛大な懇親会である。

Img_1205

ともあれ、仲間と共に30kほどを、あちらこちらと探検をしながら楽しんだ一日は、アッと言う間に終わってしまった。

Img_1211

しかしながら、走るのも良いが、鎌倉はその由緒を含めて、一カ所一カ所をもっと楽しむべきかも知れない。

Img_1223

やはり古都には古都の良さがあって、色々な楽しみ方もあるのである。
それにしても、初めて訪れた江ノ島は、物の本で幾分は知っていたとは言え、自然の造形の不思議だし、七里ヶ浜から望む富士山も絶景であった。

Img_1225

これはこれ、マラニックとしては大いに楽しめたのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年11月17日 (土)

スタイリッシュ・エイジング

カッコよく歳を取るってことは、思いの外難しいと最近では思うようになっている。
近所にもデイサービスに通いながら、リハビリの歩行訓練に精を出す人がいる

Img_0996

それ程歳が離れている訳でもないから、余計にその涙ぐましい努力に感じるものがある。
我らのNさんのように75才にしてアイアンマンレースで4位入賞する人もいるし、90才過ぎてなお矍鑠な人、かと思えば70才そこそこで車椅子の人もいて、老化も人それそれである。

Img_0998

生きとし生けるもの、ことごとく老化は避けられないもの、秦の始皇帝のように長寿を望んだが為に命を縮めた人さえもいる。
いずれにしても、わけもなく年老いて衰え、なすところなく苦しんで死ぬ、なんてのは御免被りたい。

Img_1000

望むらくは、幾ばくかは世の中の役に立って、そしてちょっぴり自分のために走り続けたい。
エンジン全開で興味のままに挑戦を続け、やがてある時誰にも迷惑を掛けずコロリでありたい。

Img_1002

そんな具合に、最後までも自力で前向きに老いることは出来ないものだろうか。
そう・・それには地道に自分なりの仕事をすることと、精一杯遊ぶ事だろうと思う。

Img_1004

昔からの馴れ合いで賞味期限の切れた付き合いは程ほどにして、新しい仲間をドンドン作る。
所詮僅かばかりの蓄財だが、全てきれいに使ってしまうのが世のためだろう。

Img_1005

人のことなど気にしないで、我が道をだだ直走って、そうして力尽きたところが終焉ならそれで良かろう。
後には美田も残さないし、借金も残さない。それに寝付いてまわりに迷惑を掛けないことだ。

Img_1008

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月16日 (金)

談論風発

人は一人では生きられないし、仲間は必要だが腐れ縁はおよそ人生の糧にはならない。
その意味で、夫婦であろうが友人であろうが、自ずと賞味期限というものがあると思う。

Img_1014

普通の人間関係では、そんな雰囲気を察知して自ずと疎遠になるものだが、夫婦ばかりはそうも行かない。
そもそも人と人の交わりには個性の独立が必要で、ヤクザのような従属では進歩は無い。

Img_1020

お互いを尊重し、幾ばくかの緊張の中に、なにがしかの個性が光れば談論風発となる。
だがしかし我が身は隠居であって、しゃべっていて、鞍上に人なく、鞍下に馬なしの境地に達することなど望むべくもない。

Img_1034

それでも人の話を謙虚に聞き、時に自分の思いを語ることは、心身の健康に欠かせない。
時を忘れ我を忘れて語り合うような時間が得られれば、それは望外の人生と言える。

Img_1035

ところで私にも幾つかの、そんな語り合う場がある。
その一つが月に一度の(人生を学ぶ)勉強会で、もう三年ほどになるが、何時の間にか楽しみにするようになっている。

Img_1036

人が恋しかったら、三ヶ月に一度の「メダカの学校」に出かける。
これは勝手な話は出来ないが、様々な人種との出会いがあって、意外な話柄になったりもする。

Img_1040

最も気楽で楽しいのはランナー仲間の集いで、メンバーはその都度入れ替わるが、これは気の置けないお付き合いが出来る。
私のような堅物でも相手をしてくださるんだから、誠に有り難い限りと感謝している。

Img_1041

ともあれ人の個性も様々で、いつも愉快な話題で場を盛り上げる人もいれば、その人生経験にうぅ~んと感心させられる人もいる。
そうさなぁ~、得意分野の違った人が集まるのが、一番楽しいかも知れない。

Img_1045

ともあれ、望むらくは、そんな面白い世間を広げたいものだと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月15日 (木)

Good morning

私の朝は早く、って言うか五時頃には目が覚めてしまって、近頃のように夜が長くなってくると、何をして良いものやら些か閉口してしまう。
うかうかと再び眠ろうとすると、碌でもない夢なのか幻想なのか、そんな時間になってしまう。

Img_1094

この国では、古来早起きは三文の得とされてきて、だからこそ挨拶は「お早う、ございます」なんだ。
この「お早う、ございます」を、私は毎朝何十回も唱えている。

Img_1095

登校する子供達は元気に「お早うございます」って応えてくれるんだが、我が細君は「ん!」と言うっきりである。
よほど大様な育ち方をしたんだろうとは思うが、既に慣れっこで気にしなくなっている。

Img_1097

しかし大抵私の方が早く起きる訳だから、それに「お早う」と言われるのが皮肉に聞こえるのかも知れない。
この点、グッド・モーニングなら、そんな気遣いは無用である。

Img_1104

It is a good day today.What a beautiful morning!だから文句ない訳だ。
応える方だって、Hi Good morning.I’m fine.などと答えることになる。

Img_1106

それで今朝は、ハーイ、グッド・モーニングと言ったら、「ギョ」って顔をされてしまった。
いよいよボケが始まったらしいと、感じ取ったらしいのである。

Img_1108

それはともあれ、お互いに Have a nice day today.って気持ちは大事だよね。
それにしても若い頃はやたら眠かった。遅刻寸前まで目が開かなかったあの頃が懐かしい。

Img_1109

不思議なもんだねぇ~、やっと存分に寝られるようになったら、眠くないなんてね。
どうやら、七十は七十なりの、自分の生活のリズムが必要らしいのである。

Img_1118

ともあれ、今朝同級生に会ったんだけど、同じ七十でも随分差があるものである。
私は、彼よりも十歳は若いと思った。

Img_1121

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月14日 (水)

人生の深み

「艱難汝を玉にす」って言葉は、お袋から教えられたのだと思う。
それで、ちょっと苦しい時、そのお袋の教えが私を支えてくれた様な気がする。

Img_0967

しかし、本当を言うと「艱難」なんて苦労は、これまでしてこなかったんじゃ無いかと思うんだ。
仕事だって、思いの他の躍動が出来たし、最後は望みうる最高のポジションにもついた。

Img_0979

退職後も、望まれて幾つかの組織や学校の役員も務めさせて頂いた。
そりぁ~当然ながら幾ばくかの苦労はしたが、外目には流れるように波乱無く生きてきた。

Img_0981

総括としては、それはそれなりに(かなり甘いが)75%くらいの出来だったと思っている。
だけど、「俺は、人生を深く生きられたのかどうか」と考えた時、何とも忸怩たる思いが残る。

Img_0984

余りにも順調な出来すぎた人生で、俺は本当の苦労をし損ねたんじゃ無いかってことだ。
そりぁさ、欲を言えば切りが無いが、倒産に巻き込まれた訳でもなく、人に欺された事も無い。

Img_0985

つまり流れるように生きて来ちゃった訳で、家族ぐるみで耐え忍んだって言う一体感さえ無い。
結局自分のエンジン(推進力)がその程度だったって事で、起伏のある生き方に挑戦できなかったって事だ。

Img_0988

「平凡こそ至福さ!」って声も聞こえるが、折角生きるのなら波瀾万丈の方が面白かったのでは無いか。
そんなこんな、この期に及んで何が出来るだろうか、って思案する毎日ではある。

Img_0989

それで今年4月のナビブ沙漠への挑戦も、流石に迷ったが、「迷った時は、挑戦すべし、今やらなかったら悔いが残る」と考えて踏ん切った。
その結果、未知の世界に一歩踏み出すことが出来た訳で、来年二月のニュージーランド250kへと夢を広げることが出来た。

Img_0995

ともあれ、これまで出来なかった苦労を、敢えて背負ってみようと心している。
人生は、兎に角やってみるに如かずで、やってみなきゃホントのところは分からんでしょ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月13日 (火)

振り返るまい

70年余も生きてきたんだから、過去を振り返るなんてするものかって思い定めている。
今更、後悔や反省をしてみたところで、何の足しにもならないからだ。

Img_1112

あのヒルティーだって「決して後ろを振り返らないで、常に前方を見ること。最後には、この生をも越えて、彼方を見ること。後ろを顧みることは、将来の材料にするのでない限り、何の役にも立たない。」って言っている。

Img_1110

だからマラソン大会は言うに及ばず、まだ何人後ろにいるなんて気持ちで後ろは見ないんだ。

Img_1107

それに「あの時、ああすれば・・・」なんて、無益な繰り言も言わないことにしている。
それでも不思議なもので、夢に出てくるシーンは全て昔のものと決まっていて、それも何時だって奇妙きてれつなストーリーなんである。

Img_1115

古いCPUだから致し方ないが、その容量は兎も角、かなり昔のことを覚えているのである。

Img_1117

だがそれは昔のことであって、最近じゃ先週何処を走ったかを思い出すのに苦労する始末。
あぁ~年寄りの呆けってのは、こんな具合なんかと合点してる始末だ。

Img_1127

By the way.近頃は寄る年波の故なのか、レースの疲れが幾分後を引くようになった。

Img_1135

そして、その疲れを癒やしてくれるのは、遠征先の美しい景色なのである。
勿論、美しい女性も景色と同じ(否、それ以上)なんだが、下手に手を出したら余計に疲れることになるらしい。

Img_1139

それにしても、つくづく思うのは、女性はみんな美しいと言うことである。

Img_1158

若い時もさることながら、歳をとってからでも、何時までも美しい。ただ、若い女性が美しすぎるのが難点ではあるが・・・。
些か話題が逸れたが、ウルマンの言うように「歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」のである。

Img_1169

女性を美しいと思う心も同じで、これを忘れてはいけないと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月12日 (月)

見た目

百聞は一見にしかずってなことを言うが、最近では人も物も見た目が大事らしい。
特に食べ物では「美味しそうに見える」って事が大切で、だから曲がったキュウリや虫食いのホウレンソウなんて売れやしない。

Img_1087

本当は少し傷のあった方が、植物がその傷をかばおうとする効果で美味しくなるんだけど、消費者は見向きもしない。

Img_1088

果物などが昼夜の寒暖差の大きい方が甘みを増すのだが、要は人間も植物も幾ばくかの苦労が、汝を玉にするのである。
実は私の育てているホウレンソウに虫がついて、かなりの部分を廃棄処分しなくちゃならなくなっている。

Img_1089

遊び歩いているのが一因でもあるが、実は、虫が好んで食べるほど美味なんだけどね。

Img_1090

一昨日のウルトラの折、「あなたは、同じペースで同じ姿勢で、そして淡々と走っている。それで何時の間にか追い抜かれてしまって、それが憎らしくさえ思える」って言われた。
実はこのところ走る姿勢を意識していて、腰を曲げずに前傾で走ることに努めている。

Img_1096

の努力を認めてもらったような指摘で、少し嬉しく受け止めていた。

Img_1098

人間の体は、体性神経と自律神経の二つのバランスでコントロールされている。
体性神経ってのはコントロール出来る神経で、手足を動かしたり、暑い痛いって感覚を伝える神経だ。

Img_1099

自律神経はコントロールが難しくって、交感神経と副交感神経からなり、一種のブレーキとアクセルだ。

Img_1100

私の走法は、そのコントロール出来る体性神経を鍛える発想から始まっている。
つまり、フォーム(見た目)重視で、必ずしも早く走れる訳じゃ無い。

Img_1101

これが意外に疲れないし、好結果を産んでいる。

Img_1103

それから自慢にも何にもならないが、今回のレース中4人のランナーから「足が綺麗」と声を掛けられた。

Img_1113

70過ぎた爺さんがそんなことを言われても詮無いが、それでもランナーとしては嬉しい。

Img_1114

どのみち年老いていく訳だが、如何に格好良く老いるかって事もこれから大事だよな。
それは派手な服装てんじゃ無く、内面の格好をキチッと整える事だと思う。

Img_1134

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年11月11日 (日)

レースの後に

ウルトラマラソンと言えども一場の劇場に相違なく、レースが終われば達成感と疲労感、それに幾ばくかの寂しさがやってくる。
そして、その寂寥感を癒やしてくれるのが、走る楽しい仲間達の存在なのである。

Img_1133

今回も同じ宿に集った仲間と共に、伊勢エビの活き作りなど、疲れた体にはとても食べきれないご馳走が並び、私謎は談笑こそがご馳走とばかり、箸は必ずしも進まなかった。

Img_1137

ともあれ今回は、Tさんのリタイアを除き、全員が頑張って完走と好成績を残した。
だから話題が盛り上がらない訳は無く、一日の疲れも忘れて、夜半まで楽しい一時を過ごしたのでした。

Img_1140

一夜が明けてランナーの朝は早く、6時には宿の玄関前に集合し、揃って弓ヶ浜へ。

Img_1143

夜明けの弓ヶ浜は、その弧を描く砂浜に浪が静かに打ち寄せていて、あくまでも静かだ。
昨日のレースでは、この辺りは15k地点で、この先を心配しつつ大汗をかいていたところだ。

Img_1148

その弓ヶ浜に立ち、今年も元気に78kを走り切れたことと、自らの来し方を重ねていた。

Img_1154

来年、否再来年は果たして走りきれるだろうかという思いである。
仲間達は、短パン姿の私の方が断然若々しく見えて、今朝は唯の爺さんだという。

Img_1155

実は、今朝の私の方が本当の姿なんだが、それでも「こいつらにゃ、負けるもんか」って思いがある。

Img_1157

ともあれ、一行は例年の如く干物屋に行って、これまた叔母さん達と冗談を言いながら食べ、そして土産を買う。

Img_1161

その後が問題で、今回は下田の了仙寺(ペリーとの日米通商友好条約を交わした寺)に行った。

Img_1165

ペリー道路を一回りして、当然開国記念館に立ち寄るものと思ったら、皆さんは「もう、良い」と言う。

Img_1167

下田に来て、この国の維新前後を学ばないって手は無いのだが、我が愛すべき仲間達にはその関心が少し足りないようであった。
それよりも足腰の重さや、レースを終えてこれからの帰途の方が心配らしく、無理強いは止めにした。

Img_1174

それで皆と別れた私達5人は、修善寺に立ち寄って美味しい蕎麦を頂いたのである。
ともあれ、そんなこんなのわいわいが、昨日のレースの疲れを癒やしてくれるのであった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年11月10日 (土)

エイド満喫の南伊豆

南伊豆の景勝地を巡って走る「みちくさウルトラマラソン78k」の日である。

Img_1091

このウルトラマラソンは、その名の通り20か所もの嗜好を凝らしたエイドが名物である。

Img_1103

景勝地とご馳走、それが道草の所以である。

Img_1105

早朝の3時には起床し会場に向かい、会場の暗い中で腹ごしらえ、5時のスタートである。

Img_1111

10k過ぎには夜が白み始め、弓ヶ浜から石廊崎、奥石廊、太平洋の荒波に削られた岩礁、そのいずれも今日の澄み切った青空のもと、紺碧に輝いていた。

Img_1116

その間のエイドで頂いたものを思い出してみると、かぼちゃのポタージュ、ロールサンド、アジの竜田揚げ、アロエヨーグルト、磯海苔うどん、野菜カレースープ、甘酒、マンゴーゼリー、

Img_1119

獅子汁、野菜スープ、玄米がゆ、みかん餅、梅ゼリー、ミネストローネ、トン汁、おでん、ゼリー、しょうがジュース、しそ梅ジュース、お汁粉、カボチャのスープ、レモンのはちみつ漬け、

Img_1120

とろろ飯、サザエ飯のおにぎり、牛貝の味噌汁、獅子肉のバーベキュー、卵焼き、温ソーメンといった具合である。

Img_1123

一体全体、走っているのか食べ歩いているのかってぐあいだが、それにしても78kもある。

Img_1124

ともあれ11時間41分、年代別2位でのゴールとなった。

Img_1125

この晩秋の一日、それにしてはかなり暑かったが、たっぷりと体も腹も疲れて、美しい景色も堪能したのである。

Img_1130

みなさん・・・いかがです?、こんな一日の過ごし方。

Img_1132

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年11月 9日 (金)

慈しむ心

この人生で一番大切なものは、地位でも金でも無く、それは「愛」なんだと思う。
愛とは言っても、男女の愛に限られたわけで無く、何を愛するかってそれは色々とある。

Img_1074

究極は自分を愛する気持ちだが、空や雲、そんな自分を取り巻く自然だったり、育てている作物だったりする。
それはそうだが、この歳になっても異性への愛は忘れがたく、残念ながら片思いばかりを繰り返している。

Img_1075

男女の愛はやっかいなものだが、それでも大切な人の存在は生きる糧でもある。
孫子への愛、これは動物としての天然のものだろうし、やはり究極のものかも知れない。

Img_1076

定年退職してから既に10年余、随分沢山の人と会ったし、けっこう多事多端だったと思う。
いや当人にとっては、毎日変わり映えのしない朝昼晩の繰り返しだった様にも思える。

Img_1077

その中で何が楽しかったって、それはやはり人との出会いだ。
そうして、出会った人のその素晴らしさを見いだして、丸ごと愛したいと思うようになっている。

Img_1079

それは誰だって、人には欠点があるのだけれど、それよりも愛すべきところを愛したい。
それにこれは肝心なことだけど、自ら相手を好きだと思わない限り、相手は振り向いてもくれないのである。

Img_1080

だからと言う訳では無いが、出会った人には基本的に慈しむ気持ちで接したいと思っている。

Img_1081

残された時間はどれ程か分からないが、友達100人出来たら良いなって思っている。

Img_1083

それに、もっともっと人を愛したいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年11月 8日 (木)

温かな一日に

既に立冬を過ぎたと言うのに、幾分暑いというか、正に小春日和の陽気である。
お陰で台風で痛めつけられた畑も、例年通りの復活を見せている。

Img_1086

ハクサイにキャベツ、水菜にパセリ、小松菜にニンジン、それにレタスやニンニク、温室のホウレンソウなどが競って大きくなっている。
そんな元気な畑を巡視するのは、それはそれ、毎日のこととは言え、私の元気の源である。

Img_1085

今日も山を走ったのだが、途中で76才のNさんにお会いすると、先日の佳江さんの葬儀の話になった。
そして、Nさんに届く最近の便りは、訃報ばかりだと幾分放心気味におっしゃっていた。

Img_1084

人間80年近くを生きれば、何時か死ななければならないのは自明のこと。
かつて観た「風と共に去りぬ」などの映画や、ロシア文学など、それも今になって時の流れの蕩々たるを知るのである。

Img_0935

随分と(自分ではアッと言う間だが)生きてきて、その自分の軌跡を考えてみる。
しかしそこでは極普通の男が右往左往したに過ぎず、映画に描かれる要素の片鱗すら無い。

Img_0950

それは官吏として無難な勤めをし、後半生を一農夫として送っている凡夫の姿である。
人というものは一つの物語を生きるらしいが、どうも私の物語には脈絡らしきものが無い。

Img_0953

弁解するならば、その時その時を懸命に生きてきたと言いたいが、とまれ而して今日なのである。
米中貿易摩擦やらイラン制裁、北朝鮮との融和、トランプの中間選挙などと世は移ろうが、それも歴史になれば一時のこと。

Img_0954

下世話な話題に右往左往する私達が、何だかそれが滑稽に思われるのは何故だろうか。
いやさそれだけじゃ無い、人を愛し、人を育て、睦み合って来たじゃないか。

Img_0956

人それぞれに、心温まるホットな瞬間をタップリと生きてきたじゃ無いか。
それに老いたりと言えども、今からだって恋多き人でありたいと思っている。

Img_0965

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 7日 (水)

時代の醸し出す淋しさ

映画「寅さん」は、4~5本しか観たことが無いのだが、寅さんの背中には哀愁が漂いこそすれ、彼は決して孤独じゃ無かった。
柴又に帰れば大家族が待っていたし、旅の先々でも人情味溢れる出会いがあった。

Img_0934

時代は変わって平成も極まった今日、多くの人々の心に寂しさが宿っているのでは無いかと思う。
毎朝顔を合わす子供達、散歩や出勤ですれ違う人達、街頭に立つ私と目も合わさずに走り去るドライバー、その皆に共通しているのが孤独さの陰だ。

Img_0935

大家族は古来からの日本の生活様式だったが、それは消え失せ、核家族って言葉さえ希薄化している。
結婚を忌避してきた人達が4~5十代になっているし、独居老人世帯も増え続けている。

Img_0938

会社だって疑似家族ですら無くなっているし、地域コミュニティも名ばかりのものになっている。
せめてもの救いはメールやSNSだが、果たしてそれぞれが本当に帰属できるんだろうか?

Img_0939

 
時代はAIなどとドンドン便利(?)になって、その一方で私達の心がエンプティになっていく。
柴又の寅さんよりもっと寂しいのは、地域であれ家族であれ、絆の根本が違ってきている。

Img_0940

昔は、家族は生死の運命共同体だったけど、今じゃ年金や福祉やらで、勝手に生き死に出来るようになった。
要するに、勝手に生きて勝手に死ぬ事が出来る時代になったんだけど、それが「幸福」なのかどうか。

Img_0941

毎月「人生を学ぶ勉強会」に参加していて、最初の頃は少し抵抗すら感じていた。

Img_0944

しかし、毎月顔を合わせる仲間が、何時の間にか家族のように思える自分を感じるようになった。

Img_0946

考えるまでも無く、集まってくるのはこの時代を共に生きる仲間なのである。
先日亡くなった佳江さんもその一人で、そんな意味もあってその喪失感には殊更なものがあった。

Img_0947

この時代、共に汗をかき、共に学び、共に喜び合う、そんな仲間こそ宝だと思う。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2018年11月 6日 (火)

返景深林に入る

私の毎日(半日)は、大抵山(標高264mの小笠山)の中を走って過ごしている。
小笠山は大きな(1万ha程)里山だが、その中に入り込むと深山幽谷の趣がある。

Img_0999

植林地も多いが、かなりの部分がウバメガシなどの雑木で覆われ、一種奇観すら覚える。
その林に日の光が差し込んで、私の歩む一本の杣道を照らしている。

Img_1001

花は少ないが、それでも春先にはササユリや日陰ツツジ、ミヤマツツジなどが私を癒やしてくれる。

Img_1003

その山が、先の台風24号で倒木や崩落でかなり荒れてしまった。
だが、それも自然の摂理の一部で、そんなこんなを含め、丸ごとの自然は人を癒やす力を持っているようだ。

Img_1007

だからこそ人々は、山頂に社殿を築き、山そのものを神として大切にしてきたのである。

Img_1009

その小笠山は、かつては松茸の山であり、里の人々に薪炭を供給し、山裾に泉を湧かす源だった。
時は移り変わって、この山は何もしないでそこにある山になったが、山はそれ自体に価値がある。

Img_1010

一昨日はその山の中を歩き回ったのだが、隧道やため池など、そこには人と自然の間合いをあちこちで感じ取ることが出来た。

Img_1013

しかしそれでも、時の流れは何時の間にか自然を自然に帰していく。
自然との関わりの中で生きるのは何時の時代でも同じで、唐の詩人王維に「鹿柴」がある。

Img_1016

 空山不見人 (空山 人を見ず)
 但聞人語響 (但だ聞く 人語の響くを)
 返景人深林 (返景 深林に入り)
 復照青苔上 (また青苔の上を照らす)

Img_1037

山の中に人影は無いけれど、何処から人の声らしい響きが聞こえてくる。

Img_1038

日の光が林の中に差し込んで、青い苔を鮮やかに照らし出す。

Img_1043

そう・・・・そんな気分を、秋の一日タップリと味わったのである。

Img_1044

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 5日 (月)

年たけて

イノシシ生まれの皆さん中心の走る会、「うりうり会」の仲間に加えて頂いた。
と言っても私は一回り古手のイノシシで、毛並みもかなり薄くなっているのだが、無理にお願いしたのである。

Img_1049

今日はその中の何人かで、金谷宿から袋井宿までの25kを走ろうと言うことになった。
それで、秋の日の一日を昔の街道を辿りながら、その風情を楽しむべく参加したのである。

Img_1052

9時に金谷駅に集合し、石畳を登って諏訪原へ、そして菊川宿から小夜の中山へと登っていく。

Img_1054

もそも東海道が開かれたのは、鎌倉時代になってからのことで、それ以前のは東国には街道らしいものは無かった。
小夜の中山も中々の険路だった筈で、その峠の久遠寺の近くに、西行の句碑が建っている。

Img_1055

そこには「年たけて また越ゆべしと 思いきや いのちなりけり 小夜の中山」とある。

Img_1056

西行最晩年69才の時の詩で、二度目の奥州へ向かう途中、この峠で詠んだ歌だ。
彼の奥州への旅は、東大寺の大仏建立のための砂金勧進で、途中鎌倉に立ち寄って、頼朝と流鏑馬などの話をしている。

Img_1058

ともあれ、69才の西行にとって、再びこの峠を越えて東国に向かうなどとは、考えても居なかったのである。

Img_1062

その句碑の裏側には「風なびく 富士のむぶりの 空に消え 行く手も知らぬ わが思いかな」とあって、富士山が噴煙を上げていたのである。

Img_1063

とまれ月曜日であり、この昔の街道に人影すら無く、やがて私達は日坂の宿にさしかかる。

Img_1071

その日坂を出たところに、室町から続くとされる事任神社がある。

Img_1072

先日の台風24号でここの名物杉(夫婦杉)が倒れ、既にその杉の根が祭られていた。

Img_1073

やがて掛川の宿場に入り、七曲がりを辿って掛川城へ、そこでの昼食である。

Img_1078

その先袋井宿までの10kは、松並木を辿ったりしながら淡々と走った。
そして15時近く、袋井の東海道どまんなか茶屋にゴールしたのである。

Img_1082

ほんの一時雨にも降られたが、和気藹々の街道走り旅は心豊かに終えることが出来た。
皆さん、仲間に入れて頂いて感謝です。有り難う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年11月 4日 (日)

小笠山の秋

本来の予定なら昨日から今日に掛けて、越後から信州への塩の道を辿る事になっていた。
それが佳江さんの突然の逝去で中止になって、今日は彼女の追悼を兼ねての小笠山ウオークになった。

Img_0997

呼びかけに集まった6人で掛川駅をスタートし、二時間半で山頂(標高264m)に到着した。

Img_1006

すると丁度多聞神社の祭礼の行列がやってくるところで、暫しこの地区の神事を拝見。
その下の段では流鏑馬が行われていて、私達もその矢を射させて頂くことになった。

Img_1011

的は100mほど先で、軽く引いてと指導されても、どうしても力が入ってしまう。

Img_1012

たかが弓矢なんだろうと、那須与一の心境で遙か先の的を射たのだが、矢は思いも掛けない方向に飛んでしまった。

Img_1015

ともあれ、今日は小笠山神社の祭礼の日で、神社前で地域の人達と共に昼食である。

Img_1019

おでんや御神酒まで戴いてしまって、すこし足元が心許なかったが、小笠池の周りをぐるりと一周することになって、

Img_1030

湖畔の自然、例えばイワタバコの群落などを楽しんだのだが、途中は台風の影響が激しく、一周するのに40分近く要してしまった。
再び山頂にとって返し、今度は「6枚屏風」に立ち入ったのである。

Img_1032

この6枚屏風は、小笠山の中でも最も奇観と言うべきところで、自然の力とこの山の組成を象徴している。

Img_1033

切り立った礫岩が年月を掛けて削られ、屏風を二枚重ねたように連なっている。
小笠山はちょっとした里山だが、シダ類やカンアオイ、イワタバコを始めとして独特の植生があり、その逐いちを観察しながら、秋の小笠山を堪能したのである。

Img_1039

小雨が降り始めて、慌てて急ぎ足で掛川駅(掛川城大手門)近くの万屋に着いたのは16時だった。

Img_1042

ここのおでんを頂きながら、話はやはり往年の佳江さんの話題になって、中々にして彼女の面影は失せないのだろうと思う。

Img_1046

この晩秋の一日、人々の営みは何も変わること無く営々と続いている。

Img_1047

ハイカーがいて、祭りがあって、村の衆の営みも、その中に些か傷心の私達が紛れ込んだ訳だが、そうやってやがて彼女も思い出の人になるのだろう。

Img_1048

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年11月 3日 (土)

送別の涙

親しいラン仲間であったヨッピーさんが、31日の夜、横断歩道で跳ねられて即死してしまった。
初めは嘘かと思ったが、やがて突然頭突きを食らったような衝撃に襲われた。

Img_0991

つい先日まで一緒だったその人がいないと思った瞬間、猛烈な空虚感に支配されたのだ。
何かしなければと思いつつ、私に出来ることは弔辞を書くことくらいしか無いと思い至った。
そして今日の葬儀を迎え、日頃のランナー仲間が25人ほども駆けつけてくださった。
人は何時か死ななければならないのだが、だがそれにしてもヨッピーさんの死は早すぎた。

Img_0992

気休めを思うなら、これまで精一杯生きてきて、全力疾走の最中に旅立ったのだと、悔しいけれどそう思いたい。
ヨッピーさんは全国のランナーから「ウルトラの母」とも慕われた人で、何時もニコニコと明るく、正に女性ウルトラランナーの先駆けだった。
一昨年一月の宮古島ウルトラには、やっと念願叶って一緒に参加したのだが、彼女は「これが、最後のウルトラ」って言ってニコッと笑った。
その14時間後、もう辺りは暗くなって居たけれど、その闇の向こうから体が45度も傾いて、今にも倒れそうになりながらゴールに向かってくる人がいた。

Img_0993

それがヨッピーさんで、ゴールの係員が数人駆けつけていく中を、それを振り切ってゴールにたどり着いた。
最後と思い詰めた100k走、彼女は何としても完走を果たしたかったのである。
「人が生きるとは、一生懸命であれかし」彼女はその思いを伝え続けていたんだと思う。
花に囲まれて静かに眠るヨッピーは、全てをやり終えて微笑んでいるようでもあり、そう・・「我が人生に悔い無し、あなたもね」そう言っているようにも見えた。

Img_0994

滅多に涙することの無い私だが、ヨッピーとの別れは殊の外辛かった。
無念としか、言い様もない。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2018年11月 2日 (金)

平成の30年

この平成という元号も、残すところ5ヶ月を切ってしまった。
昭和に生まれ育った私にとっての平成は、何だかタイムマシーンで突然平成に現れたような、少し違和感を感じながらの時代だった。

Img_0909

それと言うのも、平成二年八月のあのバブル崩壊が大きく関係している。
あの時から時代の雰囲気は一変し、やがて失われた二十年と呼ばれる世の中に突入する。

Img_0913

大量の不良債権を抱えた銀行、地価の留めも無い下落、価格破壊が流行語になり、一気にデフレ経済へと入っていった。
その時代の変わり目に、働き盛りの40才で遭遇し、当然ながら私の身のこなしも変わった。

Img_0925

それまでの仕事一辺倒の猛烈から、自然に自分の生き様に目を向けるようになっていた。
自分の人生を変えようと思ったのもあの頃で、走ること、書くこと、会うこと、作ることを始めた。

Img_0926

その四つの事は今日まで継続していて、今日の私を構成する重要なエレメントになっている。
(そんな事は有り得ないが)バブル崩壊がしなかったら、有頂天で生きていたかも知れない。

Img_0929

バブルは弾けるべくしてはじけたのだが、この30年間は時代の成熟と言うことを教えてくれた。
消費性向でアレ、個々人の生活スタイルであれ、しっかりと堅実になったのである。
この間の30年間が、私にとって実はとっても大切な時期だったなぁ~って、思い返している。

Img_0930

仕事の面でも(ドラマのような日々だった)さることながら、リタイアしてからも次々と新たな世界に身を置いた。
そう・・・最も変化に富んだ、振り返ってみれば面白い30年だったのである。

Img_0932

そうして私も70の峠を越え、最後の新時代を迎えようとしている。
昭和・平成・???を生きることになりそうだが、ハテ私にとって如何なる時代が待っているのか楽しみである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年11月 1日 (木)

欲望プランシート

私達は幸か不幸か、自分の欲望をかなり実現できる時代に生きている。
衣食住は元より、ヘンテコな仮装をして騒いだり、月にだって行けるかも知れないのである。

Img_0916

だから目標は大事・・目的が無いと充実した人生を送れない、幸福にゃなれないって思ってた。
そりゃ~ぁそうだよね、目的地が分からなかったら、どっちへ言って良いかすら分からないもの。

Img_0918

でもそれは「生きるのに」一生懸命な頃の話で、衣食足りてなおこの期に及んで何を求めよと言うのだろう。
そもそも一生を通じて求め続ける不変の欲求なんて、性欲や食欲くらいのもので、その他は時と共にくるくる変わっていく。

Img_0919

それで、一体全体自分は何を欲しているのだろうと、気になってしょうがない。
事実この私だって、この先何を実現すべきかと、時に悩ましく思ったりしている。

Img_0920

それで人生100の欲望プランをシートに書き出すことを教えられた。
それで、旨いラーメンを食べたいとか、恋人10人ほしい、超ウルトラマラソンを走る、世界旅行、その前に英会話の完成、90まで生きるなどと書き始めたのだが、到底100を書き出すのは無理だと悟った。

Img_0922

それに書き出したところで、それを実現すべきかどうかさえ疑問になってきた。
90まで生きるにゃラーメンやウルトラは逆モーションかも知れないし、第一人生に哲学が無くなっちまう。

Img_0923

アレもコレも欲しい、コレもやってアレもって、欲望には際限が無いが、ハテその先に何があるのだろうか。
そもそも個々の感情や欲望は制御すべきものであって、欲望に支配されている限り人は幸せになれないんじゃ無いか。

Img_0924

・・ってな訳で、私の人生100のプランは27で頓挫したのであります。
だって、欲望のままに人生を突き進むなんて、それは理性の無い人間のやることだもの。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2018年10月 | トップページ