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2018年11月30日 (金)

夢テラス

今日は、ふらっと日本平(318m)の山頂に出来た夢テラスに行ってきた。

どうせ唯の展望台だろうと思いつつ、変わった名前を付けたものだと思ったからである。

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日本平らは、草薙剣をふるって奮戦した日本武尊に因んで付けられた有度山の愛称である。

静岡・清水の市街地を挟んで、駿河湾から清水湊を眺望する絶好の位置にある。

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その昔、向かいの山長に久能寺があったのだが、戦略の地とみた武田勝頼が山裾に移転をさせ、そこに砦を築いた。

後に家康の時代になって、彼はこの明媚な山頂に社を築き自らの墓を建立させたのである。

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それが今日の久能山東照宮で、その東照宮をも見下ろすところに夢テラスは出来た。

かつて小学三年の頃、子供会の遠足でこの地を訪れたとき、人生で初めて「こんな美しい所が得るのか」と驚いたことを忘れない。

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今日のように美保も清水も宅地化が進んでおらず、絵の様な砂州の向こうに富士山が忽然と浮かび上がっていた。

あれから既に60年余が経過し、随分と人工的な景観になってはいるが、それでも天下の絶景に変わりは無い。

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これまで山頂には電波塔が建つばかりで、展望する施設すらなかった。

そこに今回、木材をふんだんに使った「テラス」と呼ばれる施設が登場して、ゆったりとくつろげるようになった。

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そう・・正にテラスで、清水や静岡、それに富士山を眺めながらゆっくりと散策できるようになっている。

二回には「カフェ」があって、幾つかのお茶を味わえるようになっていて、静岡ならではのカフェである。

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何、特別観光しようというのでは無く、年配の夫婦が連れ立って「行ってみよう」って訪れるところだ。

今日は温かな小春日和で、すこし湿度が高かったのか、富士の眺望は今一つだったが、それなりに楽しむことが出来た。

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日本平、それは如何にも静岡的なパノラマなんだ。

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2018年11月29日 (木)

歳月を覇す

 昔聞長老言 (昔 長老の言を聞くに)
 掩耳毎不喜 (耳を掩いて 毎に喜ばず)
 奈何五十年 (如何ぞ 五十年)
 忽已親此事 (たちまち既に此の事を親しくせんとは)

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 求我盛年歓 (我が盛年の歓びを求むること)
 一毫無復意 (一毫も復た意うなし)
 去去転欲速 (去りて去りて うたた速やかならんと欲す)
 此生豈再値 (此の生 豈に再び値わんや)

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 傾家時作楽 (家を傾けて 時に楽しみを作し)
 竟此歳月覇 (此の歳月のはするを覚えん)
 有子不留金 (子あるも 金を留めず)
 何用身後置 (何ぞ用いん 身後のはからい)

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これは陶淵明の「老年」と題する五言絶句である。
陶淵明は紀元400年頃の人だから、1600年以上前に生きた人が、私と同じ様な心境だったことになる。

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そう・・、若い頃の歓びをもう一度求めようとは、もはや少しも思わない。
しかしながら我が人生は二度と繰り返さないんだから、仮に家が傾いたとしても財を使い果たし、時には大いに楽しんで年月を過ごそう。

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どうやら私も、この1600年前の陶淵明を倣っているようで、やりたい(出来る)事に精を出している。
申し訳程度に働(農作業)いてはいるが、しかし意識の中心は「作楽」にある。

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自身の意識の中に「老年」などと言う物は存在しないが、人間70年も生きれば紛れもなくそれは老年なんだろう。

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老年を意識するとすれば、それはコツコツ(根気仕事)が苦にならなくなったことだ。
昔(若い頃)なら途中でおっぽり出した様なことも、今じゃコツコツとやり通してしまう。

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それに簡単にゃ怒らなくなって、まぁ~人生にゃ色々あるさって、おおようになっている。
いずれにしても、残された歳月をやり尽そう(覇する)って気持ちは変わらない。

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人間ってヤツは、1600年を経てもちっとも変わっちゃいないんだ。
 

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2018年11月28日 (水)

籤運

ランナー仲間が、京都や大阪、金沢や神戸などと、マラソン大会への参加資格を引き当てていそいそと出かけていくのを恨めしく眺めている。
私は子供の頃から籤運にはめっぼう弱く、阿弥陀籤だろうが福引きだろうが当たったことが無い。

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東京マラソンなどは、もう二十回近く応募しているのだが掠りもしないのである。
先日は熊本マラソンに5人で行こうという話があって、・・だが私だけが落選となったのである。

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それでも40代の頃までは、諦めきれずに定期的に宝くじを買ったりした。
しかしながら、末当の200円以上が当たる筈も無く、さすがに諦めて、この二十年は籤など買ったことも無い。

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そもそもこの資本主義の時代は、努力してこそ願いが叶うのであって、籤などと言う発想は時代に反しているのではないか。
抽選が公平だなんて誰が考えたんだろうか、私にとっては全くの不公平なのである。

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By the way(ところで)話は変わるが、来年のNHK大河ドラマは金栗四三さんがテーマだそうな。
金栗さんは、1912年のストックホルムオリンピックに日本人初のマラソンランナーとして出場した人だ。

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正に日本のマラソンの父とされる人が主人公だから、このマラソンブームに一層拍車が掛かるかも知れない。
籤運に見放された当方としては、嬉しさ半分は兎も角として、何とか対策を講じねばならないと思っている。

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高齢者参加枠を設ける運動とかね・・・、それとも既に齡70を越え、そろそろ貯まりにたまっていた運が開けてくるかも知れない。

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その今年のマラソン大会も、来月9日の袋井メロンマラソンを残すだけになった。
出来得れば、来年に向けての気持ちの良いランにしたい物である。

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2018年11月27日 (火)

本日も平穏なりて

Novenberも残り少なくなったが、もう何時の間にかブログを書く時間になっている。
隠居の身だから時間に追われることは無いが、それはそれなりに忙しく過ごしている。

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ホウレンソウの畝づくりに汗を流していると、どこか上の方から声がする。
何処だろうと辺りを見回すと、高圧線の鉄塔に5~6人が登って作業をしているのである。

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地上??mもの高所で作業だから命がけだが、素人なら登るだけでも至難の業だ。

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仕事にも色々とあって、仕事とあらば人それぞれ大変な苦労をしているのである。
先日(11月23日)勤労感謝の日があったばかりだが、大抵は唯の休日と思って過ごしている。

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実はこの日は、田畑の一年間の仕事を終えて、やれやれと農休みする日が起源だ。

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稲作も収穫を終え、野菜づくりも全て植え終えて、農具などを綺麗にして仕舞う日だった。
所によっては、ほご(俵)こかし(転がす)などと呼ぶらしいが、一年間の重労働から体を癒やす大切な日であった。

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しかし時代は変わって、勤労をどう感謝すべきかも分からない今日この頃ではある。

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ともあれ私は、昨日今日と足の方は休養日で、今日一日はもっぱら畑仕事である。

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昼近くなって、小学校の持久走があると言うんで、孫の応援に勇んで出かけたりもしたが、ホウレンソウの収穫や種まき、それに葡萄の剪定で一日が終わってしまった。

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それ程たいそうな仕事をした訳でも無いが、体は十分な疲労感(充実感?)を伴っている。
古来からの人々の営みとは、毎日特別なことが有る訳じゃ無く、今日の私の暮らしの様だったのでは無いか。

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何ほども前に進んでいないようだが、それでも僅かながらずつ我が人生も先に進んでいる。

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日々の平穏と時々の緩急、そんなリズムで私の日々は推移している。
世の中には様々な事件や事故があるが、そんなこととは別に平穏な暮らしが流れている。

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2018年11月26日 (月)

富士北麓に遊ぶ

・・・とは言っても、富士山一週マラニックやこの地域でのマラソン大会に数多く出ているから、あちこちに「あぁ、あの時・・」と言う思い出がある。
富士五湖100kウルトラでも、この辺りを随分と走り回ってきた。

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だから初めて見る感動というものは無いのだが、折角の機会とばかり歩き回ってみた。
先ず訪れたのは忍野八海で、先ずはその湧水と言うよりも、大変な人混みに驚かされた。

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三連休の中日だったこともあり、外国人を含め大変な人出であった。

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大山の裾野に泉が湧くのは必然だが、香港や上海、韓国にはそんな場所が無いらしい。
それに「泉の如く湧き出す知恵」を連想するだろうし、命の源でもある湧水はやはり魅力的である。

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私はこの地の古民家越しの富士山の写真を撮ろうと思って訪れたのだが、残念ながら雲に邪魔されてしまった。

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暫く待ったのだが、諦めて今度は入場料が無料となった富士急ハイランドを訪れた。
どの道(フジヤマなど)年齢制限があって乗るものなんて無かろうと無料をチョイスしたのだが、何のことは無い、入ってから五千円ほどは使ってしまった。

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さすがは遊園地で金を使わせるように、上手く出来ているのである。

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それにしても、あの絶叫マシーンの数々、確かにこの年齢では天国直行のスリルだろう。
それでも、それぞれの乗り場には長蛇の列なんだから、人間ってヤツはおよそ分からない。

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そんな奇妙な人達を眺めていたが、この時期の日長はさすがに短くなっていて、早々にホテルに引き上げて明日のマラソンに備えることにしたのである。

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河口湖畔は、紅葉はもう既に終盤の様子でだが、それでも暫しの秋の気配を残していた。

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次第に暗くなって対岸の燈火が浮かび上がり、やがて十六夜の月が昇ってきた。

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少しばかりお酒も頂いて、この北麓も中々の風情だと一人思っていた。
そう・・、多くの場合は仲間達と大勢でワイワイやるんだけど、今回は自分と向き合う旅なった。

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2018年11月25日 (日)

頑張ったんだけどなぁ~

今日は河口湖マラソンから通算すると、何と43回目になる「富士山マラソン」である。
7年前に富士山マラソンと名とコースを変えて、海外からの参加者が極めて多い大会として知られるようになった。

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確かに1/3は香港や台湾、韓国などのランナーと覚しき人達で、少し話しかけるのがためらわれる。

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コースは河口湖、それに西湖をぐるっと回るのだが、最大の難所は西湖に抜ける坂道で、ここでかなりのダメージを受けることになった。

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スタートの9時には摂氏二度とかなり温かな日よりになって、快調に走ったのだが21k地点で既に二時間10分を費やしていた。

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そこに西湖に渡る難所の坂道でかなりペースダウン、残り5k辺りからはかなりへばっていた。

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ニューカレドニアの記録(4時間9分)を何とか上回りたいと気張ったのだが、それが帰って悪かったようだ。

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結局、4時間40分程度でゴールとなった。
70歳代でおおよそ10位くらいだろうか?

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準備万端、万全の態勢で望んだのに、寄る年波なのか、コースの難しさの故か、中々思うようにならないものである。

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ともあれ、富士山は素晴らしかった。

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富士山の姿は河口湖と忍野村から望むのが最良だが、今日の河口湖からは素晴らしかった。

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2018年11月24日 (土)

いい気分で

英語圏の人間なら、別れの時には決まってHave a nice day.Goodbye.って会話になるだろう。
しかし私達日本人の「さようなら」には、何故か、お互いに「素晴らしい時間を過ごそう」って気分は無い(?)。

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人口が多いためかお互いにライバルで、それにそれ程の余裕が無かったのだと思う。
確かに現役時代、そんな甘いこと言ってちゃ仕事にならん・・・ってな日常が多かった。

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だけど今隠居の身になって、他人に気兼ねなどすること無く、いい気分で一日を過ごそうと思うようになっている。

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余命幾ばくかは分からないが、折角生きるんだから、気分良く生きなきゃつまらんでしょ。
だから常に気分良く過ごせるように、朝は早く起き、街頭に立って大きな声で「お早う」と叫ぶ。

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爽快に山の中を走り、帰ればホウレンソウの収穫を楽しむ。
畑には隙間無く丹精込めた野菜達が育ち、やがて訪れる収穫の時を待っている。

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昨日辺りから木枯らしが吹き始めて、その野菜達も寒さに備えて日々養分を蓄えている。

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私はと言えば西へ東へと足を伸ばし、走る仲間と共に気分良く過ごしている。
もちろん気分だけ良い訳じゃ無く、時には競争したり記録を目指したり、メリハリは常のこと。

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それで明日は、河口湖・西湖を走る「富士山マラソン」である。
10年ほど前は「河口湖マラソン」と呼ばれて、かつて何度も挑戦した大会で、3時間24分の自己ベストを記録したのもこの大会だ。

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ともあれ随分年月を経て、明日の大会では出来れば4時間20分を切りたいと思っている。

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さても我らが「うっちゃん」の様に、年を重ねてなお快調に走ることが出来るのかどうか。
まぁ記録はさておき、気分良く一日を楽しむことの方が肝心になっているのだが。

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そう・・・丁度見頃の姿になってきた富士山を日がな眺めながら、今日も気分良いぞって汗をかくんだ。

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2018年11月23日 (金)

老いぶり

「あなた、若々しいねぇ~」などと言われると、この私だってついニコニコッとしてしまう。
だけど70面して若いなんて褒められても、どうにも変だし第一若くは無いんだから・・・。

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考えてみると、近世のこの国では確かに若さにその価値があった。
明治以来は兵士や産業の担い手として、そして平成の今日はITの熟練度においてである。

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まぁITなどは慣れりゃ誰だって出来る訳だから、人生100年時代が標榜されるこの期に及んでもなお、若さが価値ってことは無かろうと思う。
そもそも中年には中年の、老年には老年なりの価値があって、それは若さじぁ~ない。

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先日の弥生さんのコメントに「山草人さんは、女性に人気ですよ。」って書き込みがあった。
私は「足が綺麗」などと言われることはあるが、人間として女性に関心を持たれるなら素晴らしいと思った。

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もっとも、それらしい実感はまったく無いのだが、男も女も共に生きていく仲間で、殊に異性に幾ばくかでも関心を持たれるとあらば、自ずと背筋がピンとする。
これからは無精髭など生やしていてはいけないなって、心を入れ替えたところである。

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ところで大リーガーの大谷翔平は、若くて実力があって、それに好感度抜群の青年だ。
とても二十代の男とは思えないほど落ち着きもあって、私も人間こうでなくっちゃと思う。

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さはさりながら、格好良いと思われたあのカルロス・ゴーンは、晩節を強欲で汚しちゃった。
こと私に関しては、もう既にさほどの欲もなく、その実力はマー君と比べるべくもない。

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てな訳で、私の目指しているのはすてきに歳を重ねることであって、若さでは決してない。

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誰とでも素直に人生を語らい、お互いに「あぁ~生きてて良かった」って思えるようなお付き合いが出来たら素晴らしいと思っている。
つまり、生々しさを通り越して枯淡の境地というか、人生を楽しむ姿勢こそ本願なのだ。

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2018年11月22日 (木)

珍しく息子が一番下(二歳)の手を引いて、私が農作業している所へやってきた。
その小さいは可愛い盛りで、姿を見るだけて嬉しくなるが、「バーバ・・」とか言っている。

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息子が通訳して「バーバの家だ」って言っていると解説する。

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途端に面白くなくなったのだが、どうした訳かバーバの存在感は圧倒的で、ジージの存在を許さないのである。
それにしても、この二歳弱の子に「心」があるのかどうか、周りがバーバって言うからバーバなんじゃ無いか。

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幼児はともあれ、人は物心つけば自分の「心」ってものを身に着けるようになる。

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そして近世の小説の多くが、その心をテーマにして描かれてきた。
いやさ小説だけじゃ無く、映画や音楽、美術だって、その心を如何に表現するかがテーマだ。

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そう・・・心は人の核心というか、一番大事なものなのかも知れない。

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だから(痴呆など)何らかの障害で「心」が失われたなら、実質的にその個性は死なのだと思う。
そしてその心は、自分にも見えないかも知れないし、当然ながら他者からも見ることは出来ない。

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心の不思議は、全ての自分の行動をコントロールしていることで、心が指令すれば相当な困難まで克服してしまう。

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もっとも、心にも怠惰な心、慢心や退廃、投げ遣りや無鉄砲などと色々あって、心のままって訳じゃ無い。
ただしかし、その心を支配しているのは、一体何処の誰なんだろうか? 

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それはそれまでの経験や知識、人との関わりなどが「心」に働きかけているんだろう。

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そう言えば、私の毎日も、その自分の心との対話のような気がする。
何をして何をしないか、それを毎日、自分の心と相談しながら決めているんだ。

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2018年11月21日 (水)

凡人は凡人なりに忙しく

Are you keeping busy.  Yes,I have to work overtime almost  every day.
英語のbusyは、businessから来た言葉だから、関西で言うところの「儲かりまっか?」程の意味だ。

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だから隠居の身が忙しいはずも無く、

基本的にはサンディー・毎日である。

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辺りを見回しても、70才を過ぎてなお忙しいのは極一部の特殊な人種であって、することがない人が大部分である。


中には隠居屋を建てて、陶芸や書画骨董の趣味に生きる人もいると聞くが、金も無ければ才能にも乏しい人間に、そんな豪勢な老後は望むべくもない。

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而して、金の掛からないマラニック、そして畑を耕すことでそれなりに忙しく過ごしている。

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マラニック参加者の思いは人それぞれだろうが、お互いに顔を合わせること自体がハッピーだ。


おまけにあちらこちらと走りながら交わす会話は、その走りの大変さを忘れるほどのものだ。

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時に思いがけない景色や風物に出会ったら、 ホント走っていて良かったと感激する。

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全身を使って汗をかき、人と出会って心をホットにするンだから、こんな幸せは無い。


今日は朝から一日農作業で、30mほどの畝にホウレンソウの種を蒔いた。

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昨日準備しておいた畝を平らにし、溝を切って一粒一粒小さな種を入れ込んでゆく。

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種は一週間で芽を出し、二ヶ月弱で収穫期を迎える。


蒔いては収穫し、収穫しては蒔く、正に9月からのエンドレスな農作業である。

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実は今年の暖冬とも相まって、ホウレンソウにムシを着けてしまって、穴だらけになっちまった。

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農薬を使わない(使うのはテデトールのみ)から、(ヨトウムシ)奴らとの知恵比べになる。


昼間は地中に潜んでいて、夜になると出てきて葉を蚕食するのだ。

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そいつを懐中電灯を照らしながら巡回して見つけるのだが、これが容易な業じゃ無い。

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それはともあれ、葡萄の選定作業も大仕事だし、凡人なりに年中大忙しなのである。

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2018年11月20日 (火)

動いてナンボ

世の中は須く、如何に楽な(体を使わない)ようにするかって、そう言う視点で動いてきた。

それはそれで私達は重労働から解放され、遠くへ旅することも出来るようになった。

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だけどその一方で、メタボや糖尿病、痛風などと動かない事による病に苦しむことになった。

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殊に長寿化と相まって認知症が心配になるが、これも動かないことから始まるようだ。

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本来人間は手足を使うことで知能を発達させて来たんだから、至極当然のことだろう。
この点、今日の人達は何処に行くにも車だし、エレベータにエスカレータと足を使わない。

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いやそれどころか、手を使うのは(鉛筆すら使わず)箸とパソコンくらいになってしまっている。

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仕事もデスクワークが増えたし、リタイアしたらもう動く理由が無くなっちゃう。

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而して、スポーツはプロ競技はさておき、本来人間を健康にする為にある。
私の場合は、月間400k余を走ることで、足・腹筋・背筋を鍛えている。

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足だけではまさしく片手落ちだから、午後の日課はたいてい手を使う農作業だ。

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主な畑仕事は耕運機を使うが、ホウレンソウや葡萄の手当は全て手作業だ。

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ホウレンソウを刈り取って、一株ずつ綺麗にして束にしていく、およそ手間の掛かる仕事だが、これを根気よく続けている。

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いやなに、1時間で千円分にしかならないが、これが呆け防止だとすれば値千金である。

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それも全て奥様の収入になるのだが、私には目に見えぬ収入があることになる訳だ。

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ともあれ、一日が終われば手足は十分に疲れ、早々の就寝とあって天下太平である。

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明日には明日の仕事が待っていて、この分では何時までも呆けている暇はなさそうである。

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人間にとって、何もしないで過ごすほど不健康なことは無いと思っている。

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2018年11月19日 (月)

箱根に遊ぶ

箱根は、そのおおよそが外輪山の内側にある。
外輪山が出来たのは20万年ほど前に遡り、その後の何度かの噴火で中央部に屏風山や大涌谷が誕生する。

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観光地となるのは近世だが、旧東海道の沿線でもあって、芦ノ湖や富士山の景色、塩化物泉や硫黄泉の豊かな温泉が保養地として絶大な人気を産み出した。

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それに北条早雲が関東を制する際の策源地であったし、秀吉の小田原攻めもこの地からで、箱根神社や関所など歴史の地でもある。
鎌倉マラニックを終えたその足で、お誘い頂いた仙石原の宿に向かったのである。

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鎌倉から大船経由小田原へ、小田原から登山バスに乗って、二時間ほどの距離であった。

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箱根の湯は皺が伸びるそうで、その少し熱めの湯にゆっくりと浸かって、やはりリゾートである。
翌朝は、外輪山とゴルフ場の縁を回って(徒歩で二時間ほど)、桃源台にたどり着いた。

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途中は紅葉の最中、ゴルフを楽しむ人達を横目に、やがて眼下に芦ノ湖と箱根を一望出来るところに到った訳だ。

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桃源台は大涌谷に登るロープウエイ、そして芦ノ湖の海賊船の発着地である。
駅は外国人観光客も含めて大変な混雑で、ロープウエイに乗るのに40分近くを要してしまった。

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とは言え、次々と一分刻みで発着する機能的なロープウエイと仲間のお陰で、退屈すること無く過ごすことが出来た。

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そしてこのロープウエイのスビードとロケーションが圧巻で、やはり箱根はこれに乗らなきゃならない。
幾筋もの蒸気を吹き上げる大涌谷の上を飛んで、早雲山駅まで行って再び引き返して大涌谷に降りた。

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勿論ここではあの黒たまごを頂いて、硫黄の匂いを存分に吸い込んだのであった。

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再び桃源台に戻って、今度は芦ノ湖遊覧の海賊船に乗った。
紅葉は既にかなり落葉したのか今ひとつで、秋の箱根は冬に備える姿だった。

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元箱根で船を下りて、今度は慶応年間の資料を基に復元されたと言う関所見物だ。

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この関所では入鉄砲よりも出女を厳しく取り締まったらしいが、確かにこの要害の地を越えるにはここを通る他なく、「関」としては絶好の地である。
関はともあれ、この関所の上に登ると遙かな絶景で、もう十二分に箱根を楽しんだ気分になったのである。

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そう・・箱根には何度も来ているが、こんなにゆっくの遊んだのは初めてである。

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2018年11月18日 (日)

鎌倉いいとこへイザ

鎌倉は、1192年から足利尊氏が室町幕府を開くまで144年間の政治の中心地だった。
最初の武家政権で、何か事あれば「いざ鎌倉」と駆け付けるのが武家のならいだった。

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元寇の役を始めとして武力衝突も多かったから、必然的に寺社が建立されて、今日の鎌倉のたたずまいが出来上がった。

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昨日は、その鎌倉のいいとこ取りをしようというマラニックで、全国から46人がはせ参じた。

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北鎌倉に集合した面々は、エイエイオーの気勢を発することも無く、アッと言う間に散会していった。

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コースは円覚寺から始まって、東慶寺、浄智寺、明月院、半僧坊、瑞泉院、鎌倉宮、頼朝廟所、鶴岡八幡宮、銭洗弁天、鎌倉大仏、長谷寺、極楽寺、七里ヶ浜を経て江ノ島と続く。

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この全てに拝観料を払っていると大変なので、気の向いた寺にだけ立ち寄ることにした。

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鎌倉のイメージは由比ヶ浜に沿った狭いエリアと考えがちだが、一歩山間に入ると延々とトレッキング道が続くまである。

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その多くが泥岩の露出した、一種鎌倉らしい風情を漂わせながら続いている。

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昨日は事前の雨予報とは打って変わって絶好の日和になって、つるつると滑ることも無く快適に走ることが出来た。

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私が立ち寄ったのは、明月院、七五三で賑わう鎌倉宮、頼朝廟、八幡宮に銭洗い弁天、そして極楽寺に立ち寄って、後は一路江ノ島を目指したのである。

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江ノ島は、やはり大変な人混みで、その間を振ってひた走り、稚児ヶ淵から岩屋洞窟まで行ったのである。

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流石に時間を超過し、帰りは江ノ電で集合場所の風呂屋に15:47に到着した。
風呂で汗を流して鎌倉駅近く飲み屋に移動し、例によって盛大な懇親会である。

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ともあれ、仲間と共に30kほどを、あちらこちらと探検をしながら楽しんだ一日は、アッと言う間に終わってしまった。

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しかしながら、走るのも良いが、鎌倉はその由緒を含めて、一カ所一カ所をもっと楽しむべきかも知れない。

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やはり古都には古都の良さがあって、色々な楽しみ方もあるのである。
それにしても、初めて訪れた江ノ島は、物の本で幾分は知っていたとは言え、自然の造形の不思議だし、七里ヶ浜から望む富士山も絶景であった。

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これはこれ、マラニックとしては大いに楽しめたのである。

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2018年11月17日 (土)

スタイリッシュ・エイジング

カッコよく歳を取るってことは、思いの外難しいと最近では思うようになっている。
近所にもデイサービスに通いながら、リハビリの歩行訓練に精を出す人がいる

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それ程歳が離れている訳でもないから、余計にその涙ぐましい努力に感じるものがある。
我らのNさんのように75才にしてアイアンマンレースで4位入賞する人もいるし、90才過ぎてなお矍鑠な人、かと思えば70才そこそこで車椅子の人もいて、老化も人それそれである。

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生きとし生けるもの、ことごとく老化は避けられないもの、秦の始皇帝のように長寿を望んだが為に命を縮めた人さえもいる。
いずれにしても、わけもなく年老いて衰え、なすところなく苦しんで死ぬ、なんてのは御免被りたい。

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望むらくは、幾ばくかは世の中の役に立って、そしてちょっぴり自分のために走り続けたい。
エンジン全開で興味のままに挑戦を続け、やがてある時誰にも迷惑を掛けずコロリでありたい。

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そんな具合に、最後までも自力で前向きに老いることは出来ないものだろうか。
そう・・それには地道に自分なりの仕事をすることと、精一杯遊ぶ事だろうと思う。

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昔からの馴れ合いで賞味期限の切れた付き合いは程ほどにして、新しい仲間をドンドン作る。
所詮僅かばかりの蓄財だが、全てきれいに使ってしまうのが世のためだろう。

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人のことなど気にしないで、我が道をだだ直走って、そうして力尽きたところが終焉ならそれで良かろう。
後には美田も残さないし、借金も残さない。それに寝付いてまわりに迷惑を掛けないことだ。

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2018年11月16日 (金)

談論風発

人は一人では生きられないし、仲間は必要だが腐れ縁はおよそ人生の糧にはならない。
その意味で、夫婦であろうが友人であろうが、自ずと賞味期限というものがあると思う。

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普通の人間関係では、そんな雰囲気を察知して自ずと疎遠になるものだが、夫婦ばかりはそうも行かない。
そもそも人と人の交わりには個性の独立が必要で、ヤクザのような従属では進歩は無い。

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お互いを尊重し、幾ばくかの緊張の中に、なにがしかの個性が光れば談論風発となる。
だがしかし我が身は隠居であって、しゃべっていて、鞍上に人なく、鞍下に馬なしの境地に達することなど望むべくもない。

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それでも人の話を謙虚に聞き、時に自分の思いを語ることは、心身の健康に欠かせない。
時を忘れ我を忘れて語り合うような時間が得られれば、それは望外の人生と言える。

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ところで私にも幾つかの、そんな語り合う場がある。
その一つが月に一度の(人生を学ぶ)勉強会で、もう三年ほどになるが、何時の間にか楽しみにするようになっている。

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人が恋しかったら、三ヶ月に一度の「メダカの学校」に出かける。
これは勝手な話は出来ないが、様々な人種との出会いがあって、意外な話柄になったりもする。

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最も気楽で楽しいのはランナー仲間の集いで、メンバーはその都度入れ替わるが、これは気の置けないお付き合いが出来る。
私のような堅物でも相手をしてくださるんだから、誠に有り難い限りと感謝している。

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ともあれ人の個性も様々で、いつも愉快な話題で場を盛り上げる人もいれば、その人生経験にうぅ~んと感心させられる人もいる。
そうさなぁ~、得意分野の違った人が集まるのが、一番楽しいかも知れない。

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ともあれ、望むらくは、そんな面白い世間を広げたいものだと思っている。

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2018年11月15日 (木)

Good morning

私の朝は早く、って言うか五時頃には目が覚めてしまって、近頃のように夜が長くなってくると、何をして良いものやら些か閉口してしまう。
うかうかと再び眠ろうとすると、碌でもない夢なのか幻想なのか、そんな時間になってしまう。

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この国では、古来早起きは三文の得とされてきて、だからこそ挨拶は「お早う、ございます」なんだ。
この「お早う、ございます」を、私は毎朝何十回も唱えている。

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登校する子供達は元気に「お早うございます」って応えてくれるんだが、我が細君は「ん!」と言うっきりである。
よほど大様な育ち方をしたんだろうとは思うが、既に慣れっこで気にしなくなっている。

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しかし大抵私の方が早く起きる訳だから、それに「お早う」と言われるのが皮肉に聞こえるのかも知れない。
この点、グッド・モーニングなら、そんな気遣いは無用である。

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It is a good day today.What a beautiful morning!だから文句ない訳だ。
応える方だって、Hi Good morning.I’m fine.などと答えることになる。

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それで今朝は、ハーイ、グッド・モーニングと言ったら、「ギョ」って顔をされてしまった。
いよいよボケが始まったらしいと、感じ取ったらしいのである。

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それはともあれ、お互いに Have a nice day today.って気持ちは大事だよね。
それにしても若い頃はやたら眠かった。遅刻寸前まで目が開かなかったあの頃が懐かしい。

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不思議なもんだねぇ~、やっと存分に寝られるようになったら、眠くないなんてね。
どうやら、七十は七十なりの、自分の生活のリズムが必要らしいのである。

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ともあれ、今朝同級生に会ったんだけど、同じ七十でも随分差があるものである。
私は、彼よりも十歳は若いと思った。

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2018年11月14日 (水)

人生の深み

「艱難汝を玉にす」って言葉は、お袋から教えられたのだと思う。
それで、ちょっと苦しい時、そのお袋の教えが私を支えてくれた様な気がする。

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しかし、本当を言うと「艱難」なんて苦労は、これまでしてこなかったんじゃ無いかと思うんだ。
仕事だって、思いの他の躍動が出来たし、最後は望みうる最高のポジションにもついた。

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退職後も、望まれて幾つかの組織や学校の役員も務めさせて頂いた。
そりぁ~当然ながら幾ばくかの苦労はしたが、外目には流れるように波乱無く生きてきた。

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総括としては、それはそれなりに(かなり甘いが)75%くらいの出来だったと思っている。
だけど、「俺は、人生を深く生きられたのかどうか」と考えた時、何とも忸怩たる思いが残る。

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余りにも順調な出来すぎた人生で、俺は本当の苦労をし損ねたんじゃ無いかってことだ。
そりぁさ、欲を言えば切りが無いが、倒産に巻き込まれた訳でもなく、人に欺された事も無い。

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つまり流れるように生きて来ちゃった訳で、家族ぐるみで耐え忍んだって言う一体感さえ無い。
結局自分のエンジン(推進力)がその程度だったって事で、起伏のある生き方に挑戦できなかったって事だ。

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「平凡こそ至福さ!」って声も聞こえるが、折角生きるのなら波瀾万丈の方が面白かったのでは無いか。
そんなこんな、この期に及んで何が出来るだろうか、って思案する毎日ではある。

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それで今年4月のナビブ沙漠への挑戦も、流石に迷ったが、「迷った時は、挑戦すべし、今やらなかったら悔いが残る」と考えて踏ん切った。
その結果、未知の世界に一歩踏み出すことが出来た訳で、来年二月のニュージーランド250kへと夢を広げることが出来た。

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ともあれ、これまで出来なかった苦労を、敢えて背負ってみようと心している。
人生は、兎に角やってみるに如かずで、やってみなきゃホントのところは分からんでしょ。

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2018年11月13日 (火)

振り返るまい

70年余も生きてきたんだから、過去を振り返るなんてするものかって思い定めている。
今更、後悔や反省をしてみたところで、何の足しにもならないからだ。

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あのヒルティーだって「決して後ろを振り返らないで、常に前方を見ること。最後には、この生をも越えて、彼方を見ること。後ろを顧みることは、将来の材料にするのでない限り、何の役にも立たない。」って言っている。

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だからマラソン大会は言うに及ばず、まだ何人後ろにいるなんて気持ちで後ろは見ないんだ。

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それに「あの時、ああすれば・・・」なんて、無益な繰り言も言わないことにしている。
それでも不思議なもので、夢に出てくるシーンは全て昔のものと決まっていて、それも何時だって奇妙きてれつなストーリーなんである。

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古いCPUだから致し方ないが、その容量は兎も角、かなり昔のことを覚えているのである。

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だがそれは昔のことであって、最近じゃ先週何処を走ったかを思い出すのに苦労する始末。
あぁ~年寄りの呆けってのは、こんな具合なんかと合点してる始末だ。

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By the way.近頃は寄る年波の故なのか、レースの疲れが幾分後を引くようになった。

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そして、その疲れを癒やしてくれるのは、遠征先の美しい景色なのである。
勿論、美しい女性も景色と同じ(否、それ以上)なんだが、下手に手を出したら余計に疲れることになるらしい。

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それにしても、つくづく思うのは、女性はみんな美しいと言うことである。

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若い時もさることながら、歳をとってからでも、何時までも美しい。ただ、若い女性が美しすぎるのが難点ではあるが・・・。
些か話題が逸れたが、ウルマンの言うように「歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」のである。

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女性を美しいと思う心も同じで、これを忘れてはいけないと思っている。

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2018年11月12日 (月)

見た目

百聞は一見にしかずってなことを言うが、最近では人も物も見た目が大事らしい。
特に食べ物では「美味しそうに見える」って事が大切で、だから曲がったキュウリや虫食いのホウレンソウなんて売れやしない。

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本当は少し傷のあった方が、植物がその傷をかばおうとする効果で美味しくなるんだけど、消費者は見向きもしない。

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果物などが昼夜の寒暖差の大きい方が甘みを増すのだが、要は人間も植物も幾ばくかの苦労が、汝を玉にするのである。
実は私の育てているホウレンソウに虫がついて、かなりの部分を廃棄処分しなくちゃならなくなっている。

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遊び歩いているのが一因でもあるが、実は、虫が好んで食べるほど美味なんだけどね。

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一昨日のウルトラの折、「あなたは、同じペースで同じ姿勢で、そして淡々と走っている。それで何時の間にか追い抜かれてしまって、それが憎らしくさえ思える」って言われた。
実はこのところ走る姿勢を意識していて、腰を曲げずに前傾で走ることに努めている。

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の努力を認めてもらったような指摘で、少し嬉しく受け止めていた。

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人間の体は、体性神経と自律神経の二つのバランスでコントロールされている。
体性神経ってのはコントロール出来る神経で、手足を動かしたり、暑い痛いって感覚を伝える神経だ。

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自律神経はコントロールが難しくって、交感神経と副交感神経からなり、一種のブレーキとアクセルだ。

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私の走法は、そのコントロール出来る体性神経を鍛える発想から始まっている。
つまり、フォーム(見た目)重視で、必ずしも早く走れる訳じゃ無い。

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これが意外に疲れないし、好結果を産んでいる。

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それから自慢にも何にもならないが、今回のレース中4人のランナーから「足が綺麗」と声を掛けられた。

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70過ぎた爺さんがそんなことを言われても詮無いが、それでもランナーとしては嬉しい。

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どのみち年老いていく訳だが、如何に格好良く老いるかって事もこれから大事だよな。
それは派手な服装てんじゃ無く、内面の格好をキチッと整える事だと思う。

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2018年11月11日 (日)

レースの後に

ウルトラマラソンと言えども一場の劇場に相違なく、レースが終われば達成感と疲労感、それに幾ばくかの寂しさがやってくる。
そして、その寂寥感を癒やしてくれるのが、走る楽しい仲間達の存在なのである。

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今回も同じ宿に集った仲間と共に、伊勢エビの活き作りなど、疲れた体にはとても食べきれないご馳走が並び、私謎は談笑こそがご馳走とばかり、箸は必ずしも進まなかった。

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ともあれ今回は、Tさんのリタイアを除き、全員が頑張って完走と好成績を残した。
だから話題が盛り上がらない訳は無く、一日の疲れも忘れて、夜半まで楽しい一時を過ごしたのでした。

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一夜が明けてランナーの朝は早く、6時には宿の玄関前に集合し、揃って弓ヶ浜へ。

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夜明けの弓ヶ浜は、その弧を描く砂浜に浪が静かに打ち寄せていて、あくまでも静かだ。
昨日のレースでは、この辺りは15k地点で、この先を心配しつつ大汗をかいていたところだ。

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その弓ヶ浜に立ち、今年も元気に78kを走り切れたことと、自らの来し方を重ねていた。

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来年、否再来年は果たして走りきれるだろうかという思いである。
仲間達は、短パン姿の私の方が断然若々しく見えて、今朝は唯の爺さんだという。

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実は、今朝の私の方が本当の姿なんだが、それでも「こいつらにゃ、負けるもんか」って思いがある。

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ともあれ、一行は例年の如く干物屋に行って、これまた叔母さん達と冗談を言いながら食べ、そして土産を買う。

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その後が問題で、今回は下田の了仙寺(ペリーとの日米通商友好条約を交わした寺)に行った。

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ペリー道路を一回りして、当然開国記念館に立ち寄るものと思ったら、皆さんは「もう、良い」と言う。

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下田に来て、この国の維新前後を学ばないって手は無いのだが、我が愛すべき仲間達にはその関心が少し足りないようであった。
それよりも足腰の重さや、レースを終えてこれからの帰途の方が心配らしく、無理強いは止めにした。

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それで皆と別れた私達5人は、修善寺に立ち寄って美味しい蕎麦を頂いたのである。
ともあれ、そんなこんなのわいわいが、昨日のレースの疲れを癒やしてくれるのであった。

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2018年11月10日 (土)

エイド満喫の南伊豆

南伊豆の景勝地を巡って走る「みちくさウルトラマラソン78k」の日である。

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このウルトラマラソンは、その名の通り20か所もの嗜好を凝らしたエイドが名物である。

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景勝地とご馳走、それが道草の所以である。

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早朝の3時には起床し会場に向かい、会場の暗い中で腹ごしらえ、5時のスタートである。

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10k過ぎには夜が白み始め、弓ヶ浜から石廊崎、奥石廊、太平洋の荒波に削られた岩礁、そのいずれも今日の澄み切った青空のもと、紺碧に輝いていた。

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その間のエイドで頂いたものを思い出してみると、かぼちゃのポタージュ、ロールサンド、アジの竜田揚げ、アロエヨーグルト、磯海苔うどん、野菜カレースープ、甘酒、マンゴーゼリー、

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獅子汁、野菜スープ、玄米がゆ、みかん餅、梅ゼリー、ミネストローネ、トン汁、おでん、ゼリー、しょうがジュース、しそ梅ジュース、お汁粉、カボチャのスープ、レモンのはちみつ漬け、

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とろろ飯、サザエ飯のおにぎり、牛貝の味噌汁、獅子肉のバーベキュー、卵焼き、温ソーメンといった具合である。

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一体全体、走っているのか食べ歩いているのかってぐあいだが、それにしても78kもある。

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ともあれ11時間41分、年代別2位でのゴールとなった。

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この晩秋の一日、それにしてはかなり暑かったが、たっぷりと体も腹も疲れて、美しい景色も堪能したのである。

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みなさん・・・いかがです?、こんな一日の過ごし方。

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2018年11月 9日 (金)

慈しむ心

この人生で一番大切なものは、地位でも金でも無く、それは「愛」なんだと思う。
愛とは言っても、男女の愛に限られたわけで無く、何を愛するかってそれは色々とある。

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究極は自分を愛する気持ちだが、空や雲、そんな自分を取り巻く自然だったり、育てている作物だったりする。
それはそうだが、この歳になっても異性への愛は忘れがたく、残念ながら片思いばかりを繰り返している。

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男女の愛はやっかいなものだが、それでも大切な人の存在は生きる糧でもある。
孫子への愛、これは動物としての天然のものだろうし、やはり究極のものかも知れない。

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定年退職してから既に10年余、随分沢山の人と会ったし、けっこう多事多端だったと思う。
いや当人にとっては、毎日変わり映えのしない朝昼晩の繰り返しだった様にも思える。

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その中で何が楽しかったって、それはやはり人との出会いだ。
そうして、出会った人のその素晴らしさを見いだして、丸ごと愛したいと思うようになっている。

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それは誰だって、人には欠点があるのだけれど、それよりも愛すべきところを愛したい。
それにこれは肝心なことだけど、自ら相手を好きだと思わない限り、相手は振り向いてもくれないのである。

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だからと言う訳では無いが、出会った人には基本的に慈しむ気持ちで接したいと思っている。

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残された時間はどれ程か分からないが、友達100人出来たら良いなって思っている。

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それに、もっともっと人を愛したいと思う。

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2018年11月 8日 (木)

温かな一日に

既に立冬を過ぎたと言うのに、幾分暑いというか、正に小春日和の陽気である。
お陰で台風で痛めつけられた畑も、例年通りの復活を見せている。

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ハクサイにキャベツ、水菜にパセリ、小松菜にニンジン、それにレタスやニンニク、温室のホウレンソウなどが競って大きくなっている。
そんな元気な畑を巡視するのは、それはそれ、毎日のこととは言え、私の元気の源である。

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今日も山を走ったのだが、途中で76才のNさんにお会いすると、先日の佳江さんの葬儀の話になった。
そして、Nさんに届く最近の便りは、訃報ばかりだと幾分放心気味におっしゃっていた。

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人間80年近くを生きれば、何時か死ななければならないのは自明のこと。
かつて観た「風と共に去りぬ」などの映画や、ロシア文学など、それも今になって時の流れの蕩々たるを知るのである。

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随分と(自分ではアッと言う間だが)生きてきて、その自分の軌跡を考えてみる。
しかしそこでは極普通の男が右往左往したに過ぎず、映画に描かれる要素の片鱗すら無い。

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それは官吏として無難な勤めをし、後半生を一農夫として送っている凡夫の姿である。
人というものは一つの物語を生きるらしいが、どうも私の物語には脈絡らしきものが無い。

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弁解するならば、その時その時を懸命に生きてきたと言いたいが、とまれ而して今日なのである。
米中貿易摩擦やらイラン制裁、北朝鮮との融和、トランプの中間選挙などと世は移ろうが、それも歴史になれば一時のこと。

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下世話な話題に右往左往する私達が、何だかそれが滑稽に思われるのは何故だろうか。
いやさそれだけじゃ無い、人を愛し、人を育て、睦み合って来たじゃないか。

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人それぞれに、心温まるホットな瞬間をタップリと生きてきたじゃ無いか。
それに老いたりと言えども、今からだって恋多き人でありたいと思っている。

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2018年11月 7日 (水)

時代の醸し出す淋しさ

映画「寅さん」は、4~5本しか観たことが無いのだが、寅さんの背中には哀愁が漂いこそすれ、彼は決して孤独じゃ無かった。
柴又に帰れば大家族が待っていたし、旅の先々でも人情味溢れる出会いがあった。

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時代は変わって平成も極まった今日、多くの人々の心に寂しさが宿っているのでは無いかと思う。
毎朝顔を合わす子供達、散歩や出勤ですれ違う人達、街頭に立つ私と目も合わさずに走り去るドライバー、その皆に共通しているのが孤独さの陰だ。

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大家族は古来からの日本の生活様式だったが、それは消え失せ、核家族って言葉さえ希薄化している。
結婚を忌避してきた人達が4~5十代になっているし、独居老人世帯も増え続けている。

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会社だって疑似家族ですら無くなっているし、地域コミュニティも名ばかりのものになっている。
せめてもの救いはメールやSNSだが、果たしてそれぞれが本当に帰属できるんだろうか?

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時代はAIなどとドンドン便利(?)になって、その一方で私達の心がエンプティになっていく。
柴又の寅さんよりもっと寂しいのは、地域であれ家族であれ、絆の根本が違ってきている。

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昔は、家族は生死の運命共同体だったけど、今じゃ年金や福祉やらで、勝手に生き死に出来るようになった。
要するに、勝手に生きて勝手に死ぬ事が出来る時代になったんだけど、それが「幸福」なのかどうか。

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毎月「人生を学ぶ勉強会」に参加していて、最初の頃は少し抵抗すら感じていた。

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しかし、毎月顔を合わせる仲間が、何時の間にか家族のように思える自分を感じるようになった。

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考えるまでも無く、集まってくるのはこの時代を共に生きる仲間なのである。
先日亡くなった佳江さんもその一人で、そんな意味もあってその喪失感には殊更なものがあった。

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この時代、共に汗をかき、共に学び、共に喜び合う、そんな仲間こそ宝だと思う。

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2018年11月 6日 (火)

返景深林に入る

私の毎日(半日)は、大抵山(標高264mの小笠山)の中を走って過ごしている。
小笠山は大きな(1万ha程)里山だが、その中に入り込むと深山幽谷の趣がある。

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植林地も多いが、かなりの部分がウバメガシなどの雑木で覆われ、一種奇観すら覚える。
その林に日の光が差し込んで、私の歩む一本の杣道を照らしている。

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花は少ないが、それでも春先にはササユリや日陰ツツジ、ミヤマツツジなどが私を癒やしてくれる。

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その山が、先の台風24号で倒木や崩落でかなり荒れてしまった。
だが、それも自然の摂理の一部で、そんなこんなを含め、丸ごとの自然は人を癒やす力を持っているようだ。

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だからこそ人々は、山頂に社殿を築き、山そのものを神として大切にしてきたのである。

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その小笠山は、かつては松茸の山であり、里の人々に薪炭を供給し、山裾に泉を湧かす源だった。
時は移り変わって、この山は何もしないでそこにある山になったが、山はそれ自体に価値がある。

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一昨日はその山の中を歩き回ったのだが、隧道やため池など、そこには人と自然の間合いをあちこちで感じ取ることが出来た。

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しかしそれでも、時の流れは何時の間にか自然を自然に帰していく。
自然との関わりの中で生きるのは何時の時代でも同じで、唐の詩人王維に「鹿柴」がある。

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 空山不見人 (空山 人を見ず)
 但聞人語響 (但だ聞く 人語の響くを)
 返景人深林 (返景 深林に入り)
 復照青苔上 (また青苔の上を照らす)

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山の中に人影は無いけれど、何処から人の声らしい響きが聞こえてくる。

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日の光が林の中に差し込んで、青い苔を鮮やかに照らし出す。

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そう・・・・そんな気分を、秋の一日タップリと味わったのである。

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2018年11月 5日 (月)

年たけて

イノシシ生まれの皆さん中心の走る会、「うりうり会」の仲間に加えて頂いた。
と言っても私は一回り古手のイノシシで、毛並みもかなり薄くなっているのだが、無理にお願いしたのである。

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今日はその中の何人かで、金谷宿から袋井宿までの25kを走ろうと言うことになった。
それで、秋の日の一日を昔の街道を辿りながら、その風情を楽しむべく参加したのである。

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9時に金谷駅に集合し、石畳を登って諏訪原へ、そして菊川宿から小夜の中山へと登っていく。

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もそも東海道が開かれたのは、鎌倉時代になってからのことで、それ以前のは東国には街道らしいものは無かった。
小夜の中山も中々の険路だった筈で、その峠の久遠寺の近くに、西行の句碑が建っている。

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そこには「年たけて また越ゆべしと 思いきや いのちなりけり 小夜の中山」とある。

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西行最晩年69才の時の詩で、二度目の奥州へ向かう途中、この峠で詠んだ歌だ。
彼の奥州への旅は、東大寺の大仏建立のための砂金勧進で、途中鎌倉に立ち寄って、頼朝と流鏑馬などの話をしている。

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ともあれ、69才の西行にとって、再びこの峠を越えて東国に向かうなどとは、考えても居なかったのである。

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その句碑の裏側には「風なびく 富士のむぶりの 空に消え 行く手も知らぬ わが思いかな」とあって、富士山が噴煙を上げていたのである。

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とまれ月曜日であり、この昔の街道に人影すら無く、やがて私達は日坂の宿にさしかかる。

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その日坂を出たところに、室町から続くとされる事任神社がある。

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先日の台風24号でここの名物杉(夫婦杉)が倒れ、既にその杉の根が祭られていた。

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やがて掛川の宿場に入り、七曲がりを辿って掛川城へ、そこでの昼食である。

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その先袋井宿までの10kは、松並木を辿ったりしながら淡々と走った。
そして15時近く、袋井の東海道どまんなか茶屋にゴールしたのである。

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ほんの一時雨にも降られたが、和気藹々の街道走り旅は心豊かに終えることが出来た。
皆さん、仲間に入れて頂いて感謝です。有り難う。

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2018年11月 4日 (日)

小笠山の秋

本来の予定なら昨日から今日に掛けて、越後から信州への塩の道を辿る事になっていた。
それが佳江さんの突然の逝去で中止になって、今日は彼女の追悼を兼ねての小笠山ウオークになった。

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呼びかけに集まった6人で掛川駅をスタートし、二時間半で山頂(標高264m)に到着した。

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すると丁度多聞神社の祭礼の行列がやってくるところで、暫しこの地区の神事を拝見。
その下の段では流鏑馬が行われていて、私達もその矢を射させて頂くことになった。

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的は100mほど先で、軽く引いてと指導されても、どうしても力が入ってしまう。

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たかが弓矢なんだろうと、那須与一の心境で遙か先の的を射たのだが、矢は思いも掛けない方向に飛んでしまった。

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ともあれ、今日は小笠山神社の祭礼の日で、神社前で地域の人達と共に昼食である。

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おでんや御神酒まで戴いてしまって、すこし足元が心許なかったが、小笠池の周りをぐるりと一周することになって、

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湖畔の自然、例えばイワタバコの群落などを楽しんだのだが、途中は台風の影響が激しく、一周するのに40分近く要してしまった。
再び山頂にとって返し、今度は「6枚屏風」に立ち入ったのである。

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この6枚屏風は、小笠山の中でも最も奇観と言うべきところで、自然の力とこの山の組成を象徴している。

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切り立った礫岩が年月を掛けて削られ、屏風を二枚重ねたように連なっている。
小笠山はちょっとした里山だが、シダ類やカンアオイ、イワタバコを始めとして独特の植生があり、その逐いちを観察しながら、秋の小笠山を堪能したのである。

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小雨が降り始めて、慌てて急ぎ足で掛川駅(掛川城大手門)近くの万屋に着いたのは16時だった。

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ここのおでんを頂きながら、話はやはり往年の佳江さんの話題になって、中々にして彼女の面影は失せないのだろうと思う。

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この晩秋の一日、人々の営みは何も変わること無く営々と続いている。

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ハイカーがいて、祭りがあって、村の衆の営みも、その中に些か傷心の私達が紛れ込んだ訳だが、そうやってやがて彼女も思い出の人になるのだろう。

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2018年11月 3日 (土)

送別の涙

親しいラン仲間であったヨッピーさんが、31日の夜、横断歩道で跳ねられて即死してしまった。
初めは嘘かと思ったが、やがて突然頭突きを食らったような衝撃に襲われた。

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つい先日まで一緒だったその人がいないと思った瞬間、猛烈な空虚感に支配されたのだ。
何かしなければと思いつつ、私に出来ることは弔辞を書くことくらいしか無いと思い至った。
そして今日の葬儀を迎え、日頃のランナー仲間が25人ほども駆けつけてくださった。
人は何時か死ななければならないのだが、だがそれにしてもヨッピーさんの死は早すぎた。

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気休めを思うなら、これまで精一杯生きてきて、全力疾走の最中に旅立ったのだと、悔しいけれどそう思いたい。
ヨッピーさんは全国のランナーから「ウルトラの母」とも慕われた人で、何時もニコニコと明るく、正に女性ウルトラランナーの先駆けだった。
一昨年一月の宮古島ウルトラには、やっと念願叶って一緒に参加したのだが、彼女は「これが、最後のウルトラ」って言ってニコッと笑った。
その14時間後、もう辺りは暗くなって居たけれど、その闇の向こうから体が45度も傾いて、今にも倒れそうになりながらゴールに向かってくる人がいた。

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それがヨッピーさんで、ゴールの係員が数人駆けつけていく中を、それを振り切ってゴールにたどり着いた。
最後と思い詰めた100k走、彼女は何としても完走を果たしたかったのである。
「人が生きるとは、一生懸命であれかし」彼女はその思いを伝え続けていたんだと思う。
花に囲まれて静かに眠るヨッピーは、全てをやり終えて微笑んでいるようでもあり、そう・・「我が人生に悔い無し、あなたもね」そう言っているようにも見えた。

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滅多に涙することの無い私だが、ヨッピーとの別れは殊の外辛かった。
無念としか、言い様もない。

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2018年11月 2日 (金)

平成の30年

この平成という元号も、残すところ5ヶ月を切ってしまった。
昭和に生まれ育った私にとっての平成は、何だかタイムマシーンで突然平成に現れたような、少し違和感を感じながらの時代だった。

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それと言うのも、平成二年八月のあのバブル崩壊が大きく関係している。
あの時から時代の雰囲気は一変し、やがて失われた二十年と呼ばれる世の中に突入する。

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大量の不良債権を抱えた銀行、地価の留めも無い下落、価格破壊が流行語になり、一気にデフレ経済へと入っていった。
その時代の変わり目に、働き盛りの40才で遭遇し、当然ながら私の身のこなしも変わった。

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それまでの仕事一辺倒の猛烈から、自然に自分の生き様に目を向けるようになっていた。
自分の人生を変えようと思ったのもあの頃で、走ること、書くこと、会うこと、作ることを始めた。

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その四つの事は今日まで継続していて、今日の私を構成する重要なエレメントになっている。
(そんな事は有り得ないが)バブル崩壊がしなかったら、有頂天で生きていたかも知れない。

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バブルは弾けるべくしてはじけたのだが、この30年間は時代の成熟と言うことを教えてくれた。
消費性向でアレ、個々人の生活スタイルであれ、しっかりと堅実になったのである。
この間の30年間が、私にとって実はとっても大切な時期だったなぁ~って、思い返している。

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仕事の面でも(ドラマのような日々だった)さることながら、リタイアしてからも次々と新たな世界に身を置いた。
そう・・・最も変化に富んだ、振り返ってみれば面白い30年だったのである。

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そうして私も70の峠を越え、最後の新時代を迎えようとしている。
昭和・平成・???を生きることになりそうだが、ハテ私にとって如何なる時代が待っているのか楽しみである。

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2018年11月 1日 (木)

欲望プランシート

私達は幸か不幸か、自分の欲望をかなり実現できる時代に生きている。
衣食住は元より、ヘンテコな仮装をして騒いだり、月にだって行けるかも知れないのである。

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だから目標は大事・・目的が無いと充実した人生を送れない、幸福にゃなれないって思ってた。
そりゃ~ぁそうだよね、目的地が分からなかったら、どっちへ言って良いかすら分からないもの。

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でもそれは「生きるのに」一生懸命な頃の話で、衣食足りてなおこの期に及んで何を求めよと言うのだろう。
そもそも一生を通じて求め続ける不変の欲求なんて、性欲や食欲くらいのもので、その他は時と共にくるくる変わっていく。

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それで、一体全体自分は何を欲しているのだろうと、気になってしょうがない。
事実この私だって、この先何を実現すべきかと、時に悩ましく思ったりしている。

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それで人生100の欲望プランをシートに書き出すことを教えられた。
それで、旨いラーメンを食べたいとか、恋人10人ほしい、超ウルトラマラソンを走る、世界旅行、その前に英会話の完成、90まで生きるなどと書き始めたのだが、到底100を書き出すのは無理だと悟った。

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それに書き出したところで、それを実現すべきかどうかさえ疑問になってきた。
90まで生きるにゃラーメンやウルトラは逆モーションかも知れないし、第一人生に哲学が無くなっちまう。

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アレもコレも欲しい、コレもやってアレもって、欲望には際限が無いが、ハテその先に何があるのだろうか。
そもそも個々の感情や欲望は制御すべきものであって、欲望に支配されている限り人は幸せになれないんじゃ無いか。

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・・ってな訳で、私の人生100のプランは27で頓挫したのであります。
だって、欲望のままに人生を突き進むなんて、それは理性の無い人間のやることだもの。

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