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2018年11月22日 (木)

珍しく息子が一番下(二歳)の手を引いて、私が農作業している所へやってきた。
その小さいは可愛い盛りで、姿を見るだけて嬉しくなるが、「バーバ・・」とか言っている。

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息子が通訳して「バーバの家だ」って言っていると解説する。

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途端に面白くなくなったのだが、どうした訳かバーバの存在感は圧倒的で、ジージの存在を許さないのである。
それにしても、この二歳弱の子に「心」があるのかどうか、周りがバーバって言うからバーバなんじゃ無いか。

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幼児はともあれ、人は物心つけば自分の「心」ってものを身に着けるようになる。

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そして近世の小説の多くが、その心をテーマにして描かれてきた。
いやさ小説だけじゃ無く、映画や音楽、美術だって、その心を如何に表現するかがテーマだ。

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そう・・・心は人の核心というか、一番大事なものなのかも知れない。

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だから(痴呆など)何らかの障害で「心」が失われたなら、実質的にその個性は死なのだと思う。
そしてその心は、自分にも見えないかも知れないし、当然ながら他者からも見ることは出来ない。

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心の不思議は、全ての自分の行動をコントロールしていることで、心が指令すれば相当な困難まで克服してしまう。

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もっとも、心にも怠惰な心、慢心や退廃、投げ遣りや無鉄砲などと色々あって、心のままって訳じゃ無い。
ただしかし、その心を支配しているのは、一体何処の誰なんだろうか? 

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それはそれまでの経験や知識、人との関わりなどが「心」に働きかけているんだろう。

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そう言えば、私の毎日も、その自分の心との対話のような気がする。
何をして何をしないか、それを毎日、自分の心と相談しながら決めているんだ。

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コメント

自分の事を知る事は、世界中の全てを知るより難しいと言ってた人が居ました。
難しいと言う例えですが、どう生きる!どう思う!どう感じる!
無意識の自分や身体が訴える事もある。
全てが自分であり。身体の別だったりする。
ひっくるめて自分何だろうと思う。
兄貴、私の心は幼き頃の母の愛から目覚めた!
母の乳を吸ってる自分を知ってる。
45歳も離れた父と関わり合いを覚えたこは、小学生も高学年の頃かも知れない。
ひたすら怖い親父だった!
沢山では無いが、小学生の時に、たぐられた頬の痛みを覚えている。
それが中学生となり15も過ぎると関わり方も変わった。
父は、元服って歳を厳しく言ってました。
15歳の時に寝坊した私を、竹刀でコテンパンに殴りました。
あの時流石の母親も父を怒った。
でも私には、有り難い愛でした。
男親や祖父との関わりは、大人にならないと分からないモノかも知れません。
お孫さんにもいつか分かる愛を残せば良いかと…
私の母は、戦中に学徒動員で、半田の中島飛行機で働きました。
その頃のアルバムには、弟を思う言葉や友人への詩が綴られて居ます。
細い心で震える思いで、私を躾けた!
可愛らしく愛らしく今は思えます。
父も母も子供の為に成ろうと育ててくれたのだろうか?
社会の為になるようにと育てたのだろうか?
まっ!どっちでもいい!
かっこいい父、可愛い母が私には居ます。

先日、佳江さんの葬儀の時ですが、兄貴の弔辞の後の佳江さんの息子さんの挨拶の言葉が、心に残ります。
求め続けてると答えは後から必ず分かるものなんですよね。

投稿: | 2018年11月22日 (木) 20時11分

 パスカルでしたか「我思う、故に我あり」と言ったのは。彼の言うとおり、人間の本当の主体は、「心」なんだと思います。だから心が失われたら、人間は終わりってこと。自分の心とどう向き合って折り合いをつけていくかってことが、自分の人生なんでしょうね。
                山草人

投稿: 山草人 | 2018年11月23日 (金) 08時23分

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