« 2018年11月 | トップページ

2018年12月12日 (水)

東京ラプソディ(rhapsody)

昨日は六本木で、ナビブ砂漠2018に参加した仲間の会があって、久しぶりに東京に出かけた。
それで、夜の会合だけでは勿体ないと思って、昼過ぎに渋谷に着いた。

Img_1392

ハチ公口から道玄坂に掛けて、相変わらずお祭りのような人手だったが、その脇を抜けてBunkamuraに出かけたのである。
目指したのは、ロマンティックロシアの「忘れえぬ女」である。

Img_1394

あのキリッとした眉毛に、幾分冷たげに見下ろすロシア貴族娘の絵である。
19世紀後半から20世紀前半の激動期のロシアの画家達の絵は、何れも今にも動き出しそうに写実的である。

Img_1405

中でも彼の女は(30分ほど対面していたが)「あなた、未だ未だ子供ね」と語り掛けているかのようだった。
彼女の冷徹さに取り付くしまも無く、趣向を変えて映画を観ることにした。

Img_1395

映画は、20世紀後半に活躍したタンゴの革命児で、バンドネオン奏者「ピアソラ」の記録映画である。
映画と絵、何れも動乱の時代に生きた芸術家の作品だからこその、人の心を揺さぶる普遍的な何かがあった。

Img_1397

外に出ると暗くなり始めて雨が降り出していたが、恵比寿でMさんと待ち合わせ、六本木へ。
今夜は六本木ヒルズ住人達の主催で、ナビブ砂漠2018に参戦した日本人8人全員が集まった。

Img_1398

皆さんと会うのは砂漠以来と言うことで、私はフォトブックを作製して持参していた。
26才から71才まで、お互いの仕事も生活環境もまるで違っているのだが、それはそれ生死を共にした旧知の仲である。

Img_1399

その中にはセミプロランナーの仲岡拓也もいて、彼は先月末に南極のレースから帰ったばかりであった。

Img_1400

その南極やらアタカマ砂漠(チリ)の話で盛り上がり、やはり次は何処を目指すかと言うことになった。

Img_1401


平壌マラソンやらリバプールのロックンロールマラソン、私も何時の間にか若い人達と同世代のつもりで話をしていた。

Img_1404

二十世紀初頭の動乱の時代とは明らかに世界は変わったが、その時代に生きる人の心はそんなに変わっちゃいない。
私だって、それなりに必死に生きているんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月11日 (火)

楽しみ無尽蔵

私の仲間の内に、人生を正に謳歌して楽しんでいる(様に見える)人が何人かいる。
定年退職後に何度も海外遠征し、毎週のようにマラニックや登山に出かけている。

Img_1285_2

流石にご主人が幾分の苦情を言うようだが、本人は我が人生とばかりに気にもとめていない。
この私ですら、凄いなぁ~と思いつつ、羨ましく眺めている。

Img_1281

作家や歌人として八面六臂の活躍をした与謝野晶子が、「人の世を 楽しむことに 我が力 少し足らずと 嘆かるるかな」という歌を残している。
熱烈な恋愛もし、精力的に生きた当時の新しい女性にして、それでも自分には人生を楽しむ力が足りないというのである。

Img_1279

人の生き方に正解などはないと思うが、やりたいこともやらずに過ごしてしまうのは惜しい生き方だ。
そう言う意味で、出来る時に、やれる時にやりたいと思うことをドンドンやるに超したことは無い。

Img_1278

そう思うと、彼ら・彼女らの行動(お前も同類と思うかも知れないが)を積極的に肯定したくなる。
そもそも多くの勤め人は、その人生の大半を働いてきたのだし、遊んだと言っても居酒屋に行くくらいだった。

Img_1275

極論すれば、私など遊び方すら知らずに過ごしてしまったのである。
だけど世界は広いし、文化やスポーツ或いは娯楽だって実に奥は深い。

Img_1269

望むらくは、体が丈夫なうちに行ったり・やったりしなければ、必ず悔いを残すことになる。
近頃思うことは、何でも楽しみに変えることを含め、人生の楽しみは無尽蔵ってことだ。

Img_1268

遊びせんとや生まれけん・・・、大分真面目に生き過ぎちゃったって、幾分反省するこの頃である。
だけど本気で遊ぶって事にゃ、人間的な力量っていうか、覚悟が必要だね。

Img_1267

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年12月10日 (月)

我が立つ杣

この三十年近く、小笠山の杣(そま)路をせっせと走り続けてきた。
小笠山の場合は、痩せ細った尾根に続く、ほんの狭い道を登り下りする訳だが、躓いて転んだりでもすれば深い谷に転げ落ちてしまう。

Img_1357


その道すがらには、ウバメガシが延々と育っていて、ちょっと異次元の風景を醸している。

こんなに長い間よくぞ通い詰めたものと、自分でも不思議なくらいである。

Img_1359

ところで杣(そま)とは、滑り落ちそうな山の斜面にあるほんの少しの平らな場所のことだ。
ほんの一時安心して居られる場所であって、その人の安住の地にも通じている。

Img_1327

因みに最澄が叡山に延暦寺を建立した折、次のような歌を残している。
「阿縟多羅三冥三菩提の仏たち 我が立つ杣に 冥加あらせ給え」(新古今和歌集)

Img_1328

考えてみれば、一生の中で自分の立ち得る場所は、そんなに多くは無いのである。
生涯の安住の場所と思い定めた職場だって、定年と共に何の縁も無い場所になったし、懸命に育てたはずのマイホームだって、子供達の巣立ちと共に殻の巣になった。

Img_1354

親交を重ねたはずの友だって、何時の間にか疎遠になっていたりもする。
この70年を考えたってそれこそ山あり谷ありで、これぞ我が安寧の地等と思ったことはない。

Img_1258

何一つ変わらないものが無い中で、その「我が立つ杣」を見いだすのは容易ではないのだ。
増して健康が、殊に呆けが心配になる人生の最晩年は、その杣道は一層細くなるのだ。

Img_1260

ともかく、ようやくにして平地を得たならば、それを大切にするが肝心だ。
そんな基本的なことが、最近になってやっと分かり始めている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 9日 (日)

これが今の実力?

やっと北風が吹き始めて、急に寒くなった今日は、袋井クラウンメロンマラソンである。
マスクメロンの産地としては後発のクラウン印(袋井)が、そのネームバリューを上げようとして始めた大会で、今年で第30回を迎えている。

Img_1378

今年も7500人ほどが、空っ風の吹きすさぶ袋井路を走ったのである。
私はと言えば、今回は丸一週間練習も控え、休養タップリで参戦したのである。

Img_1380

始めの5kは超スロースタートにし、それ以降を徐々に加速する作戦であった。
30k近くまではほぼ順調なペースだったけれど、やはりそれ以降で幾分へばってしまった。

Img_1382

結局2459/4000位(男子60才以上216/504)の、4時間51分のフィニッシュになってしまった。
コースが幾分キツい事もあるが、8月の4時間29分、先月の4時間40分と月を追う毎に記録が落ちていく。

Img_1383

どうしたらペースアップするのかと試行錯誤しているのだが、如何とも思うに任せない。
33k地点ではウバさくらさん達が私設エイドを設けてくださっていて、お汁粉で元気をもらったんだけど、根性が続かない。

Img_1384

ウルトラを散々走ってきた身からすれば。フルくらいどうって事ないって気持ちがあるが、いやどうしてフルを力一杯走るのは存外難しい。

Img_1385

これが今の実力なのかと落胆しているが、いやいや、来早春の菜の花マラソン(指宿)に掛けてみようと気持ちを切り替えつつある。

Img_1386

歳と共に総力か落ちるのは致し方ないが、今日のフル最高齢出場者は何と87才であった。

Img_1387

ゴールタイムは承知していないが、私もまだ15年走れる訳で、その方の根性に見習いたい。

Img_1388

ともあれ人はそれぞれだが、命ある限り、そして気力ある限り走り続けたいと思う。
いやなに、今日はKHさんを完走に導いたし、小笠の仲間とも顔を合わせたし、良いことも幾つもあったのである。

Img_1389

完封を突いて走る快感もこれしかり、私も元気に走れることだけで心地よいのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年12月 8日 (土)

自己表現の妙

自意識過剰で内気な男だから、この自分で自分を表現するのが私の一番苦手な分野だ。
自己紹介をしたり、突然のスピーチを求められたりする場面が、大の苦手さ。

Img_1370

話の内容に窮するし、少しでも上手く話したいと思うから、余計にドキマギしてしまう。
こんな時、自分の体験や経験を話すのが、最も収まりが良いのだが、そのウイットが肝心だ。

Img_1371

ところで昨夜は、第102回のめだかの学校に出席した。
今回のテーマは「明日に向かって、"ひと"っておもしろ~い」だったが、そのテーマよりも教壇に立った三者三様の対応が面白かった。

Img_1372

このメダカの学校は、その名の通り「誰が生徒か先生か・・」で、会のある半月ほど前に突然、今度はあなたがこんな題で先生だよ・・・って通知がある。
この指名を特別な理由の無い限り拒否した場合、退学処分になることになっている。

Img_1373

ともあれ今回は、SMさん、TSさん、TKさんが教壇に立って20分ずつお話をされた。
最初に登壇したSMさんは最も若手で、どんな話をするのかと思ったら平成の30年を語った。

Img_1374

平成元年生まれの彼女が果たして平成を語れるのかと思って聞いていると、彼女はおもむろにスマホを出して、平成元年からのサラリーマン川柳を題材に、見事に三十年間を分析して見せたのである。
しかも美人が笑顔でジョークも交えていたから、聞く方は実に楽しかっただろう。

Img_1375

次は77才のTSさんで、彼は生まれてからこの方の遍歴を教訓交じりに語っていた。
その言葉の中には、本人の通ってきた道の端々での教訓が織り交ぜられていた。

Img_1376

最後に教壇に登ったTKさんは保育士を長年されてきた方だから、話術も表情も見事だった。
簡単な指体操から始まって、育児に悩む母親達の相談に乗る毎日の中から、その人々の人生を深く理解していた。

Img_1377

そう・・・母親から母親へと受け継がれる愛情こそ、未来への道では無いかと思わせた。
三者三様の講義は瞬く間に終わってしまったが、ハテ私が指名されたとしたら如何な話が出来るだろうかと考えた。
どんなテーマを与えられるのかにもよるが、人生を語るのはそんなに簡単じゃ無い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 7日 (金)

おだまき

今日は葡萄の冬支度(剪定)をしながら、「おだまき」って事を考えていた。
かつて俗言に「おだを巻く(繰り言を言う)」ってなことを言ったが、その「オダ」である。

Img_1369

実は、先日登った山梨県の大蔵高丸の頂上付近に、「オダマキ」の群生地があった。
春の花だから、勿論既に枯れ草に過ぎなかったが、唯みんなとオダマキについて話したのである。

Img_1172

オダマキはキンポウゲ科の植物で、花の形が機織りの糸玉(苧環)に似ていることからその名がある。
つまり、糸がぐるぐる巻いてあって織機に糸を供給するのが、本来の「おだまき」だ。

Img_1173

おだまきで思い出されるのが、義経の恋人だった静御前だろう。
静は、源頼朝に追われる身となった義経一行と、吉野の山中で生き別れてしまう。

Img_1210

義経の子を身籠もっていた静は捕らえられ、鎌倉の鶴岡八幡宮で舞を披露することになる。
京随一の舞手とされた静の舞を見てみたいと、北条政子が頼朝に懇願したのである。

Img_1212

その満座の中で歌い踊ったのが「しずやしず  しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」であった。
そして「おだまきの糸は元に戻らないが、昔を今にしてみたい」と歌うその舞に、元流人であった頼朝が激怒したのである。

Img_1246

その頼朝を、政子は平然と「女の気持ちとは、そういうものです。」とたしなめたと言う。

それはともあれ、平成も終わらんとする今日、織機(苧環)など中々見ることは出来ないが、あのカラカラと巻き取られていく糸のイメージはしっかりとある。

Img_1252


静御前は自分の運命をおだまきに見立てた訳だが、誰だって昔を今にすることなんて出来やしない。

巻き取られた糸はもう元に戻らないのであって、而して殊更にその糸が愛おしく思われる。

Img_1254


と言って何が出来る訳でも無いが、人生の糸車は止まることなく回り続けている。

やがて糸が無くなれば車は止まるのだろうが、残りの糸はどれ程か推し量ることも出来ない。

Img_1256


一本一本と葡萄の蔓を切り落としながら、そんな他愛のないことを思っていたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 6日 (木)

あなたに夢中

人は何か、夢中になるものが無いと生きていけないのではないか。
夢中とは、夢の中と同じような無意識の物語なんだろうか?

Img_1358

考えてみれば、人は誰だって「何でこんなこと・・」ってことを熱心にやっていたりする。
詰まらないものを集めてみたり、芸能人を追っかけたり、冒険に精を出したりだ。

Img_1360

さしずめ私の場合には走ることだが、走ったからって特別な価値が生まれる訳じゃ無い。
いやさ私だって、現役時代は仕事に夢中だったし、今だって農作業にその片鱗を残している。

Img_1368_3

ともかく何か夢中になるものが無いと、人は何だか頼りない。
スポーツや文学、絵画や音楽、それに宗教、みんなそいつに夢中になることで救われてる。

Img_1361

どのチームが残留するとか、誰がフリーエイジェントだとか、そんなことは実はどうでも良いことなのかも知れない。
でも、人にとってはそれが大事なんだよな。

Img_1367

まして好きな人がいれば、その人の一挙手一投足、ちょっとした表情の変化だって大事だ。
人ってのは不思議な生き物で、他愛ないことに夢中になるが、それが人の面白さだね。

Img_1363

昨夜は、ハワイのアイアンマンレースで年代別4位になったNさんを囲んでの忘年会だった。
Nさんは五年後の80才で、アイアンマンの感想および世界優勝を目指している。

Img_1366

何事も夢中になることから、エネルギーが湧き起こってくるんだ。
外には年末の煌びやかなイルミネーションが輝き、内では仲間達と共に温かな一時を過ごすことが出来た。

Img_1364

これも夢中になっているからこその一時で、そこには生き生きとした仲間の顔がある。
何であれ、よりすがる訳では無いが、夢中になることによって人は救われる。

Img_1365

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 5日 (水)

時間というもの

先日「命は時間」と書いたばかりだが、相変わらず時間というものを思っている。
実は今夜は豊橋でランナー仲間の忘年会があって、昨年の会を思い出したからだ。

Img_0026

昨年の今頃はナビブ沙漠2018を控えていて、あれこれと心配もしつつ準備していた。
体力の増強は元より、メンタル面での紆余曲折もあって、「死」さえも覚悟していたのである。

Img_0027

それで昨年のこの忘年会では、何故砂漠に挑戦するのか等を語った記憶がある。
あれから満々一年が経過し、来年のニュージ250kを控えているのだが、その緊張感は無い。

Img_0029

ともあれ、沙漠への挑戦は「時のしるし」だと考えていた。
若い頃は誰だって、生きるのに夢中で自分が死ぬなんて、そんなことは思いもしないことだ。

Img_0030

それが古稀を過ぎた辺りから、急に知人の訃報などに接する事が多くなったし、それに認知の恐怖さえも意識するようになる。
それでも人は死ぬまで生きなければならない訳で、当然ながら残された時間を考える。

Img_0044

「今なら、まだ出来ること」それが沙漠マラソンーの挑戦だった。
砂漠(不毛の地)と一口に言っても、岩のゴツゴツ突き出した原野、砂の平原、塩ノ原、海沿いの砂浜などと色々とある。

Img_0052

257kの間には、その景色の移り変わる砂漠を走ったのだが、一日だけ全く景色の変わらない日があった。
見渡す限り360度が真っ平らな砂の原で、1時間進んでも半日進んでも、景色は同じ。

Img_0055

ただ進んだ分、地平線が向こうに遠ざかっていくだけなのである。
私達のコースには小さな旗が転々と繋がっていて、進むべき方向を見失うことが無かったが、仮にぽつんと老いて行かれたら、恐らく気の狂うような空間だったろう。

Img_0056

地平線は、それは永遠(未来永劫)だと思われたが、それだって何処かに地の果てがあって、何時かは終わりを告げることになる。
夜が来てやがて朝が来る、その私達の毎日の繰り返しだって同じ事で、何時か朝の来ない日がやってくる。

Img_0063

そういう有限の、時々刻々と過ぎてゆく時間を、私達は生きているだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 4日 (火)

万事ほどほど

師走というのに、小春日和どころか春の盛りを思わせる陽気に驚いている。
ハウスの中で作業することの多い私は、この時期としては珍しく下着一枚で過ごしている。

Img_1171_3

それは兎も角、70才を過ぎてなお血気盛んな自分のことを考えている。
孔子先生は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし、中庸の徳たるや、それ至れるかな」と言う。

Img_1147

何を言っているかというと、人は食べ過ぎても少なすぎるのもいけない。
飲み過ぎるのは言語道断だが、かと言って我慢してるのも、生きている甲斐が無い。

Img_1152

何にもせずにゴロゴロしてりゃ良いってもんでも無いが、働き過ぎるのは良くない。ってこと。
そりゃあそうだろうとは思うが、その加減たるやさっぱり分からないのである。

Img_1153

働くとなれば足腰がギーギー言うまで働くし、走るとなれば100kを越えて走ろうとする。
100才近い三浦雄一郎さんが南米の6000mを目指すそうだが、人には限りが無いのだ。

Img_1156_2

そもそも、人の心と体には人それぞれの領域があって、その領域は実は自分で決めるのだ。

足が痛い腰が痛い、体がだるいなどと、歳を取れば自ずと様々な障害が訪れるのだが、問題はそれを乗り越える意思力が有るのかないのかである。

Img_1160


厭だなぁ~、もう止めようって意識が何処かにあれば、それはその人の持病になっていく。

私達人間も動物で、動くからこそ動物であって、生涯動くことを止めちゃいけないんだな。

Img_1162


歳を取れば自ずと出来ること・出来ないことの境目が見えてくるだろう。

だけどその境目は、実は自分の生命力というか、ものの考え方次第なんだと思う。

Img_1166


「万事ほどほど」と書いてはみたものの、人の一生は万事ほどほどに違うのでもある。

私は命ある限り、万事出来ることはほどほどにやり尽し、その途上に倒れたいと思う。

Img_1168

そんな自分を、自分を離れた高いところから俯瞰している自分がいる。

そいつが「せいぜい、生きてみろやい!」って言ってる。

Img_1170

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 3日 (月)

干支セトラ

言うまでも無く来年の干支は亥で、私は6回目の亥年を迎えるのである。
干支は単に中国の古い歴に因むに過ぎないのだが、多くの人がその自分の干支を意識するとも無く意識してきたのではないか。

Img_1329

この私も、何時とはなしに猪突猛進的な生き方をしてきたし、それで良かったとも思っている。

Img_1330

ただ現実のイノシシが好きかというと、あんまり知的なイメージがなく、とても好きになれそうも無い。
いつも走っている小笠山に、彼らのバスタブが二カ所あって、彼らは年中そこで体中に泥を塗りつけて、皮膚に着くムシをはぎおとしている。

Img_1331

それに私達の走路を激しく掘り返すのも彼らで、野生のイノシシはいささかやっかいなんだ。

Img_1336

何度か彼らと鉢合わせすることもあって、とてものこと同類と思う訳には行かないのである。
しかしイノシシ年生まれの女性達とは馬(?)が合って、一回り下の女性達の「うり坊会」に加えて頂いたばかりだ。

Img_1338

イノシシ生まれをコジツケに、精一杯お互いの人生を楽しもうと思っている。

Img_1341

ところで世界の経済も政治も、個性的な大統領(トランプ)に振り回されている感があるが、果たして亥年の来年もこの調子で突き進むのかどうか。
些か経済政治共に不安を孕みつつ新年を迎えることになりそうだが、下世話な事どもはさりながら、自分としては「真っ直ぐに進む良い年」にしたいと思っている。

Img_1344

ニュージーランド250kを始めとして、タイを走るなど決めたことは躊躇なくやり遂げる年にしたい。

Img_1345

全力で疾走しつつ、自分の来し方を含めて、この人生を吟味しつつ生きることだ。

Img_1351

仮に腐っても、生きているのか死んでいるのか分からない様なむ生き方は、イノシシにゃ出来まい。

Img_1352

恐らくは、次(7回目)のイノシシ年を迎えることはあるまいから、心して生きることだ。

Img_1353

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 2日 (日)

大蔵高丸・ハマイバ丸へ

大蔵高丸(1781m)は、秀麗霊峰12景の三景、山梨100名山の一峰である。
早朝五時にMさんと共に出発し、甲斐大和駅で東京からの仲間を拾って大和道の駅へ。

Img_1332

そこで6名が合流して、タクシーで40分近く走り、大蔵高丸近くの湯ノ沢峠に向かう。

Img_1333

かなりの高さまで登っていって、タクシーを降りて30分ほどで大蔵高丸の山頂に到る。

Img_1334

今朝は一面晴れ渡っていたのだが、道の駅に着く頃には雲が重なってきて、富士が見えなくなった。

Img_1335

山は冬枯れの林で、足場は霜柱が溶けてかなり泥濘んでいたが、つるりと転ばないように注意深く下っていく。

Img_1337

そう、今日の登山は、その殆どが下り道なのである。

Img_1339

空一面が霞んで12景の一望も駄目かと思い始めた瞬間、忽然と霊峰富士が浮かび上がった。

Img_1340

前面に織りなす山々を睥睨するごとく、悠然とその姿を現したのである。

Img_1342

その前面の山々とのバランスが素晴らしく、流石は霊峰12景と息を飲む美しさであった。

Img_1346

その大蔵高丸から下ってハマイバ丸へ、破魔射場に由来するらしく、かつて神事が行われたのかどうか? 
更に下って大鹿山の頂上で昼食となったのだが、MさんとNさんの配慮で望外の宴会となった。

Img_1348

1200mほどの山頂でキムチ鍋を中心に、デザートやアイスまで、山行とは思えぬご馳走に腹一杯になったのである。

Img_1349

この山頂の宴会に1時間半近くを費やして、今度はそこから3時間近く下らないと道の駅には戻れない。
それもずるずると滑る急な下りに閉口しつつ、一杯になったお腹を抱えて下ったのである。

Img_1350

落ち葉が厚く敷き詰められていて、その落ち葉を踏みしめる音が話し声をかき消す程だった。
ともあれ里に下りるとそこは景徳院で、武田勝頼の終焉の地である。

Img_1355

長篠の闘いで信長に大敗した勝頼は、以降国内防備に全力を尽くしたのだが、配下の武将(永山梅雪)の離反などもあって、ついにこの地で果てるのである。

Img_1356

道の駅に戻り着いたのは16時で、今日の一日もアッと言う間に終わってしまったのだが、
富士の絶景に武田滅亡の地を訪れたことで十分満足であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 1日 (土)

命は時

人生を学ぶ勉強会は2015年6月から始まっていて、今日はその34回目の集いである。
その中に前回まで毎度顔を出していた佳江さんの姿は無く、Hさんの描いた遺影であった。

Img_1315

花を飾り羊羹を供えて、いつも通りの(どうしても佳江さんを偲ぶ)勉強会になった。
それもテーマは、折しも森先生の修身講義録の最終回「わかれの言葉」であった。

Img_1317

先生が40回の講義を終えるに当たって、生徒達に語った「人生の道は深くして、その味わいは実に極まりない。」だから、これまでの講義も糧として、自らの道を切り開けと語っている。

Img_1318

それにしても、この最終講もさることながら、既に今年も師走である。
今年を振り返って、何か新たなことに挑戦できただろうかと考えてみる。

Img_1319

確かに沙漠の257kを走りはしたが、果たしてメンタルや私の人生にとって、どれ程の意味があっただろうか。
ひとはそれぞれ何かに挑戦し、それを達成する過程で何某かの「あかし」を求めて生きている。

Img_1321

だから褒められたり認められたり、納得してもらったりは、実はとても大切なことだ。
それに須く、物事は形になって初めて、事なせりなのである。

Img_1322

それで遅ればせながら、ナビブ沙漠257kを「時の印としてアルバムに印刷製本した。

Img_1324

ところで今年も残すところ30日、それなりの新たな心構えが無くては、漫然と新年を過ごしてしまう。
要は時を大切にすることに尽きるのだが、その時を如何にして大切にするかが大問題だ。

Img_1325

齡71才にして、余命幾ばくとも知れぬ年頃であって、漫然と日々を費やすいとまは無い。
正に自分の中に幾つもの証を、残していかねばなるまいと心している。

Img_1326

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2018年11月 | トップページ