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2018年12月31日 (月)

行く年

今年も残り数時間となって、単に一つの人為的区切りに過ぎないと分かってはいても、切ないような勿体ない様な、半ば突き放すような幾分不思議な気分だ。
この十数年、毎年この大晦日の夜は似たような事を書いているのかも知れないが、この遣り切れなさは歳と共に年々つのるようだ。

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今年も精一杯各地を走り、そして大いに遊んだが、所詮一年で出来ることは知れている。
残された動き回る事の出来る月日を考えると、幾ばくかの焦燥すら感じてしまうのだ。

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それは何故だろうかと考えると、確かにナビブ砂漠の257kを走りきったし、各地にも足を伸ばした。
思い出に残る事だって沢山あったし、それらはみんなこのブログにも書き残してきた。

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それでも何だか物足りないのは、この調子で残り9年、それで満足なのかとの疑問だ。
そう言えば、今年書き始めた小説は未だ完結に到っていないし、日々の暮らしもマンネリ化してはいなかっただろうか。
何か新しいことを始めたいと思いつつ、その何かを見つけることすら出来なかった。

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まぁ~元気で過ごせたのが何よりで、欲を言えば切りが無いのだが、老いの形を考えている。
歳と共に体力の衰えは致し方ないが、それに反比例した精神の充実というか、生活の充足のさせ方である。
干支に因むなら「亥固まる」と言うから、自分のこれからの生き様の形を模索し固めたい。

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そして来年の今日は、「おぉ、ようやったわい」と、そう総括できたら素晴らしいと思う。
そんな次第で、今夜は一人忘年ならぬ「望年」の時間を過ごしている。

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ともあれ、この一年ブログをご覧頂いた皆様に、「皆様のお陰で、書き続けることが出来ました」とお礼を申し上げます。
それに明くる年が、皆様にとって益々良い年となりますことをご祈念し申し上げ、今年の締めくくりとさせて頂きます。

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2018年12月30日 (日)

その程度の私

自分で自分が分かる年代に、ようやくなってきたらしい。
昔は、自分なら出来るはずだと叱咤したり、足掻いたり焦ったり、いつも背伸びをしながら生きてきた。

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それでここまで来たんだから、それはそれで良いんだが、今では出来ない自分をも許容するようになっている。
例えば私のマラソンの最速は、もう二十年前に記録した3時間24分/42.195kだが、これを更新するなんてもう逆立ちしたって出来やしない。

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同様に、記憶することや交友関係等だって、それは昔のように出来るはずが無い。
そもそも「自分は、出来るはずだ」って思っているから、出来ないと落ち込んだりするんだ。

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自分は元より全知全能でもなく、出来なくて当たり前と思っていれば、焦ることもなくなる。
それに、格別人より優れている訳でも無く、かと言って特に劣っているとも思ってはいない。

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つまり、私は私と思って(事実それでしかないが)生きれば良いのである。
そう、自分に過分な期待をしなくなった分、生き易くなっているような気がする。

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或いはそれが年寄りの我が侭なのかも知れないが、厭なことは無理してやらなくなった。
だから「どうもなぁ」って思う相手とは、敢えて付き合うことはすまいと考えるようになった。

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それでは自分の世界がドンドン狭くなるのかも知れないが、それで良いのである。
残された人生を燃やし尽くしたいと思っているが、それだって、到底やり尽すなんて事は出来ないだろう。

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でも出来るところまでやって、この辺までかなって思うことが出来れば、それで満足しようと思っている。
やり尽すことの出来ないのが、人生でもあるのだから。

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2018年12月29日 (土)

さばかりのこと

毎日を懸命に生きたいと思っているのだが、人間そうそう気を張って居られるものではない。
フッと気付けばまぁまぁそれでもと、惰性のままに気儘な時を費やしていたりする。

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そもそも犬や猫のように自然体で生きれば良いものを、人間には何かとこだわりがある。
喧嘩しただの、株が下がったとか、あいつが先に昇進したとか、嫉妬や後悔は尽きない。

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それで時には死にたいと思ったりして、一度もそんなことを考えずに一生を終える人は居ないんじゃ無かろうか。
人は多分に気分屋で、それでもなんだかんだ、まあまあ平穏無事で生きている。

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それでも、現役時代は宿題も多かったから、それは夢中で生きていて、余分なことを考える暇が無かった。
それが大方の仕事を終えて、毎日が楽隠居の遊び三昧となってみると、これで良いのやら悪いのやら。

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いやいや、天の与え賜うたこの月日を楽しまずして何としようと思う一方、お前は何のために生きているのかと問われると答えに窮するのだ。
安楽な人生を送ることの無かった石川啄木の歌に「『さばかりのことに死ぬるや』『さばかりのことに生くるや』よせよせ問答」というのがある。

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思えば、私など生まれてからこの方、ずう~っと「さばかりのこと」をして生きてきた。

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それでも自分が何よりも大事で、何時だって自分のすることを正しいと信じようとしてきた。
劣等感に苛まれ、「友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ」って思いは日常茶飯だった。

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それでもまぁ~平穏無事に生きてこられたんだから、まさに問答無用だろう。
来し方を振り返れば、あれもしたこれもやったと思いはすれども、所詮は「さばかりのこと」なのである。

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而して、大手を振って今を楽しむ時なのだと思う。

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2018年12月28日 (金)

時を創る

近年の私の口癖は「残された時間を大切にしなきゃ!」である。
この未だ元気な内に、思い残すこと無くできる限りのことをやっておきたい。

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そんな思いでこの数年を過ごしているのだが、待てよ・・・と思い始めた。
既に公職を殆ど退いた身だからサンディ・毎日かと思いきや、趣味の農業やランを含め、毎日やることが待っている。

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思いの外、かって気ままな時間は少ないのである。
それにもかかわらず、夜九時過ぎには布団に入ってしまう毎日だ。

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理由は寒いし暗いし、TVも詰まらんし、それなら寝るかって事が続いていた。
寝たからと言って熟睡できる訳じゃ無く、脈絡の無い夢を楽しむ(?)のがせいぜいである。

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それで気付いたのが、この夜更けの時間を活かすことである。
自分の限られた人生の時間を意味あるものにするには、この時間を使うしか無いじゃんってことだ。

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未知の領域の本を読む、もっとアクティブにノーベルを書く、或いは何もせずにぼんやりする。
そもそも、寝てしまっては今日という日が無くなってしまうのであって、夜更けの時を楽しめば良いのだ。

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その無垢の時間を、してもしなくても良いことに使うのは、実に楽しいことなのかも知れない。
殊に人生のあれこれを回顧したり、妄想を膨らませてみるのも面白いだろう。

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そんな妄想の中から、これは是非やらなくっちゃとか、或いはこれまでと異なった展開が出来るかも知れない。

・・・って訳で、この年末から生活習慣の一部(大部かも?)を変えることにした。

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少なくとも立春まで試行錯誤してみて、その間に何が出来るかと密かに楽しみにしている。


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2018年12月27日 (木)

冬の思いで

遙かに・・・そう既に70余年も生きてきたから、その数だけこの冬との出会いを過ごしてきた。
年末に正月、それに冬休みもあったんだから、さぞかし多くの思い出があるだろうと思ったが、意外に冬の思い出は少ない。

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日長が短い上に、進学や年度末に向かって急かされることが多かったからだろうか。
強いて思い出せば、子供の頃の氷遊びやら、火鉢の火で焼いた餅、炭の炬燵でのうたた寝くらいだろうか。

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青年期にはスキーやスケートの思い出もあるが、やはりミカンを山ほど食べたのを思い出す。
何故かその後の記憶がボコッと抜けているのは、現役時代には夏も冬もなかったのである。

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その季節感の復活した老境にあって、改めて冬の思い出を回顧しているのである。
かつて我が家では、年末には朝から大量の餅をついて、午後には叔父達がその餅を取りに来た。

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暗いうちから薪を焚いて餅米を蒸すのが私の当番で、臼で餅をつくのが親父の役割だった。
ある年親父が寝込んで、その全てが私に回ってきて、早朝から昼頃まで杵を振るい続けた。

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あまりの重労働に、翌日は腕の扁桃腺を腫らして学校に行けなかったのを覚えている。
当時の正月用の餅は、まさに親戚の絆だったのである。

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今では餅もスーパーで買い求める申し訳程度のものになって、冬の風物詩も遠くになった。
ともあれ今年の冬はどうやら歴史的な暖冬のようで、冬将軍もかなり遠慮がちである。

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お陰でタマネギ以外の野菜は軒並み安値で、それにアブラムシやヨトウムシが生きている。
私の育てているホウレンソウも、昨年と打って変わって幾分の安値のようである。

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やはり冬は思いっきり寒く、夏は暑い方がメリハリがあって良い。


私の冬の思い出は、既に幾重にも積み重なってきているが、昨今はその記憶よりもその季節の味わいの深さにある。

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折角迎えるこの冬を、如何に思い出深いものに出来るか・・・ってな感じかな。

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2018年12月26日 (水)

変わり目

景気や時代、或いは物事や人の生き様にも、変わり目というものがある。
高度経済成長時代、恐らく誰もがずっとこの調子が続くと思っていた。

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だが平成2年8月、突然株価が暴落し、あれよあれよという間にバブルは崩壊、失われた十年に突入する。
悲喜こもごも、私もその波間を漂って生きてきたのだが、その後のリーマンショックを含め色々と学ばせてもらった。

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昨今の株価暴落や貿易戦争は、単なるトランプ現象ではなく、これからの国と国の軋轢の時代を予兆させている。
軍事なのか経済なのか、それとも政治力なのか、その新たな覇権争いが始まっているのだ。

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そんな時代の変わり目を俯瞰しつつも、既に我が人生はそれらを超越しつつある。
幾つもの幾つもの節目を乗り越えてきたのだから、今更出張るなんてこともない。

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一つの時代が終わり、次の新しい時代が始まろうとしているのだろう。
ともあれ、天安門事件やベルリンの壁崩壊、湾岸戦争やソヴィエト連邦消滅、そしてIT時代へ変わってきた平成の30年は終わろうとしている。

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思えばこの三十年など指呼の間で、その刹那をあくせくしてきたことを思うと、幾ばくかの空しさが漂う。
それでも、走る仲間達との心温まる交流を思うと、無駄じゃなかったと心を新たにするのだ。

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人はその時代の構成員に違いないのだが、そこでどう生きるかは自身の選択でしか無い。

私もその幾つもの選択肢を経てここに辿り着いて、来し方の山並みを振り返っている。

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畢竟、人生はあくまでも経過であって、功なり名を挙げたから良しという訳でもない。
これが自分の人生だと思える生き様が出来たなら、他人の評論など無用の沙汰だ。

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私も、そう覚悟して生きようと思っている。

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2018年12月25日 (火)

まだまだこれから

私も何時の間にか、後期高齢者への仲間入りが数年後となっている。
今日の世の中には、人生100年時代と言いながらも、60才定年やら、高齢者扱いしたがる風潮がある。

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シルバーシートしかり、シルバー入場券やジパングなど、それは数え切れない。
年金生活者としては大変有り難いのだけれど、こんなのに慣らされていると何時の間にか年寄りになっちまいそうだ。

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そう・・・年齢なんて気の持ちようで、「未だ未だこれから」と思えば大抵のことは出来ちゃうし、逆に「もう歳だから」って思えば、ドンドン縮んでいくだけだ。
現に私なぞは、257kの砂漠レースを始めとして、毎週のようにどこぞのレースに出たり、山登りをしたりしている。

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かと言って日がな遊んでいる訳じゃ無く、それなりに自分の食べる野菜くらいは自分で育てている。
孔子先生が、還暦とか古稀等と言ったのは遙かに数千年前の話で、こうした呼称すら陳腐なのである。

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自分が古稀を過ぎて「余命幾ばくぞ」って思えば、それなりの行動しか出来なくなる道理だ。
走る仲間達からも(一目置くなら良いが)、彼も歳を取ってきたなと思われている節がある。

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それはランの記録では無く、風貌、特に頭髪の薄くなってきていることに要因がある。
髪の毛を始め、年寄りっぽい風貌がそうさせているのである。

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それで「カツラ」を買って、若々しく過ごそうかと思ったりしている。
やはり人を欺くには自分がその気になることが肝心で、自分は五十ウン才(?)と思わなきゃならない。

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考えてみれば70そこそこで年寄り扱いされる筋合いは無く、人生は「まだまだこれから」なのである。
それに、我々シニア層がこの国を創ってきたのだし、自信を持って生きれば良いのだ。

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2018年12月24日 (月)

満観峰から高草山へ

健康ランドの仮眠室では早くから目覚めていたんだけど、只管6時を待って動き出した。
先ずはTVルームに入って、自分だけの画面を見ながら天気予報とニュースが気になっていた。

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天気はどうも昨日と似たようなもので、お昼前後は雨らしいのである。
ともあれ一階に降りて朝食を終える頃、一日を共にする仲間達と合流した。

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興津から電車で用宗に、そこから先ずは満観峰(470m)を目指すのである。

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焼津側の花園の里から登るのと違って、用宗側からはアプローチが長く又急峻でもある。
途中には、かつての砦跡らしい朝鮮岩、更に行くと満観富士などのピークがある。

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雨に降られながらも11時過ぎには満観峰の頂上に到着したのだけど、残念ながら満観とは行かず、煙る雨に駿河湾に突き出した日本平を見渡すのがやっとだった。
それでもこの満観峰は、山頂の広がりもあって気分の良い所だ。

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普段なら中高年人達で賑わう場所(健康山)なんだが、今回は私達ともう一グループだけだった。

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そこで軽食を済ませると、この山を一端花園まで下り、再び高草山(503m)を目指すのである。

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実はこの山、かつて通勤の途上電車から毎日のように見上げていたのだが、登るのは今回が初めてであった。

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登ってみれば焼津アルプス(大崩れ)を見下ろし、勿論のこと焼津港と街の広がりが一望だ。

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何故か満観峰よりも少し気品高く感じて、気を良くしていたのだが、南側に真っ直ぐ下の下りはかなり長く、成る程の下り甲斐を感じていた。
年の瀬を間近にし、残る紅葉を惜しみながらの登山だったが、新たなコースで一日を楽しく燃焼させることが出来た。

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雨なら止めようかなどと考えもしたが、やはり登って良かったな。

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2018年12月23日 (日)

興津健康ランドから

昨日は、年末恒例の浜石岳マラニックであった。
それが、この時期には珍しく、早朝からかなりの降雨で、急遽のコース変更になった。

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浜石岳は駿河湾を右手にすれば、富士山の雄姿はもとより、南アルプスをも見渡せる絶景の地だ。

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しかし何せ雨が降っては道は滑るし、最大の魅力である眺望の期待も出来ないとの選択だ。

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それで、興津の健康ランドから薩埵峠を経て、由比から新蒲原までの旧道を往復することになった。

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なべて30kほどになるのだが、その途中で旧東海道の町家などに立ち寄りながらである。

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この興津から蒲原までは、望嶽亭(山岡鉄舟由来)など、或いは街道筋で最も古くからの建物が残されている地域だ。

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雨宿りを兼ねて幾つかの歴史遺産を辿りながら由比の町へ、由比は桜エビの本拠だが今年の漁が中止となって、何だかシンと静まりかえっていた。

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例年なら、この由比ヶ浜で特産の桜エビのかき揚げ丼を食べるのだが、皆休業だった。

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新蒲原では、田中顕光も歯の治療に訪れたという五十嵐邸の豪勢さを味わい、引き返した。

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途中の魚屋では、イルカのスマシなるもの(ヒレのゼラチンの部分)を食べて、その珍味がすっかり気に入ってしまった。

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桜エビも含め、その土地にはその土地の風土が生み出した「食」があるのである。

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ともあれ走ること四時間半余で、健康ランドに戻ってきた。

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この健康ランドは、各種の風呂が有るだけでは無く、宴会場や仮眠、マッサージ、スポジムなどのリラクゼーションが全て揃っている。

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ゆっくりとその風呂で疲れを取ると、最上階での忘年会で、更にはカラオケと続いたのである。

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確かに雨の一日だったけど、いやぁ~すっかりと暮れの一日を楽しんでしまった。

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2018年12月22日 (土)

反転の日

今日は一年で一番昼の短い日、冬至である。
かつて夜の長さなど気にもならなかったのだが、近年は些か明るさが恋しくなる。

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宵の口もさることながら、朝五時に目覚めても寒さもあって何ともならず、只管日の出を待つことになる。
その朝は未だ未だ遅くなって、1月14日になってやっと反転するのである。

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夜長をどう過ごすかは中々の難題で、面白くもないTVなど観る気にもならず、かと言ってじっくりと読書する気にもならない。
早々に布団に入れば丑三つ時に目覚めてしまうし、私にとっては難儀な時間になる。

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若き日の深々とした眠りが懐かしいが、既に年齢の積み重ねが眠りの深さを遠くに押しやっている。
夜中に目が覚めて眠れぬ時はどうするか、それは眠らなければ良いのである。

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現役時代なら、翌日を心配して焦りもするだろうが、既にその心配は無い。
新聞配達のバイクの音が聞こえようが、奇想天外な夢を見ようが、どうと言うことも無い。

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そして無理に眠ろうと焦らない頭は、自ずと雑多なことを考え始めたりする。
始めは翌朝の日程などを反芻しているのだが、やがて思いはどこぞへと飛躍していく。

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だが翌日、それを思い出そうとしても一向にラチがあかないのである。
やはり眠れぬ夜の妄想であって、さして有意義とは言いがたい。

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ともあれ、昼間の時間は長いに越したことは無い。
仮に暖冬だとしても、夜はしんしんとして、新たな意欲を涌かすには暗すぎる。

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そして今年も、明日からは有り難いことに日一日と昼間が長くなるのである。

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2018年12月21日 (金)

下り坂を踏みしめ

今日は学校の終業式で、私の立哨も今年最後となった。
これまで殊更寒い日が無かったからか、暮れが押し詰まって冬休みって感じがしない。

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それでも子供達は、お正月の諸々の行事を前にして、どこかウキウキとしている。
子供達にとっては、正月や夏休み、進級、それに進学は一大行事なのである。

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そもそも入試や就職、結婚や育児、昇進や退職などと、人生の前半には幾つもの節目がある。
その一つ一つの節目を超えることが当面の目標で、ずっと頑張ってきたのだと思う。

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しかしどうだろうか、人生後半には、それに相当する明確な節目が無いのではないか。
還暦だとか古稀・喜寿などと言われたとしても、それは単なる通過点が言葉として残るのみである。

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そして、この後半の人生は、ひたすらだらだらとした下り坂が続いているだけのような気がする。
山登りも私の楽しみの一つだが、それがたとえ急登だとしても、一歩一歩踏みしめて登るのは登頂への期待を含め実に楽しいものである。

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ところが登山は必ず麓まで戻らなければならない訳で、この下りのダメージは登りの比では無い。
登山も、この下りを楽しむことが出来れば、最高の登山と記憶に残るのである。

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そう思って振り返ると、下山もコース次第で楽しめる。
何時か登った八ヶ岳では、岩場を下るとそこには湿原が広がっていて、何十種類もの苔の道を辿った。

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高いところに登るのもさることながら、下り坂を踏みしめて進むのも素晴らしいと思った。

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確かに一通りのことをやり終えた人生後半には、そんなに派手な営みは無いだろうし、地道に日々を消化していく地味な仕事が残されている。
そう・・・地味で結構、その地味な下り坂をとことん楽しむことを、毎日考えている。

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2018年12月20日 (木)

觔斗雲

孫悟空が乗って縦横無尽に移動する、あの雲のことである。
航空機は飛び交い、空飛ぶ車すら実現しようかという時代だから、それ程の仙術でも無くなったが、子供の頃あの雲が欲しいと思った。

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スーパーマンならずとも、人間が鳥のように空を飛ぶのは、遙かなる羨望だったろう。

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先日訪れた平等院鳳凰堂には、52躯もの觔斗雲に乗った雲中菩薩像が安置されていた。
その菩薩はそれぞれに楽器を持って、まるでオーケストラのように楽曲を奏でているのである。

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平安時代には、勿論のこと仏教(浄土教)の教える西方浄土(天国)が信じられていた訳で、平等院鳳凰堂はその浄土をこの世に表現しようと造られたものだ。

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時の関白(1052)藤原頼道は、仏教の経典に描かれた浄土の宮殿をこの世に再現させようとしたのだ。
元より今日の常識からすれば、現世にもあの世にも極楽浄土も地獄も無いのだが、当時とすれば死後の世界は重大事だった。

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それに死んで地獄に落ちないために、現世において功徳を積む教えは、今日にだって通じるものだろう。
さても鳳凰堂そのものは、平安時代を代表する世界遺産だが、どこか嘘っぽさが漂っている。

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何となく寂しさ(空虚)を感じさせるのだが、觔斗雲に乗った雲中菩薩像は生き生きとしている。

仏師定朝の作と伝わり、後々の仏像と比べても、完成度は極めて高いのではないか。

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ともあれ成熟した文明のお陰で、居ながらにして壮大なオーケストラを楽しみ、冷暖房の整った生活すら実現してしまった。

極楽こそ(信じられ)無くなったが、この現世こそが浄土なのだと思う。

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而して、生ある限り精一杯楽しむことが肝心だと考えている。

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2018年12月19日 (水)

竹藪と竹林

先日伏見を走った折、かなりの間竹林(筍畑)の間を通ることになった。
京都は筍生産が盛んで、竹林に客土したり肥料を施したりして、筍を育てる畑にしている。

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私達が走った傍らでは、もう既に筍掘りが始まっていて、10cm程の小さな筍を収穫していた。
さぞかし柔らかで刺身にでもするのだろうと思ったら、中身はかなり堅く、煮込んでおせち料理に使うんだとか。

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それでも、この時期の筍は春の先駆けであって、おせち料理の貴重な素材になるのである。
ところで、この畑としての竹林には親竹は疎らで、その親竹が根を十分に伸ばして筍を産み出すらしい。

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その疎らにギュッと伸びた(背丈は抑えられている)竹林が、幾分詩的な風情を醸していた。
しかし私の馴染んできたのは竹藪で、かつては農業資材(ハザや垣根)として必要不可欠だったが、何時の間にかブッシュとして放置されていた。

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子供の頃、その竹藪に道を付け、中に一畳ほどのスペースを作って、自分の隠れ家にしていた。
自分だけが知っている入り口を入ると、そこには自分だけの心の空間があって、満ち足りた思いをしていた記憶がある。

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勿論少年期のことだが、あの頃は孤独では無い自分を知りながらも、あえて孤独を遊びとして楽しんでいたようだ。
自分だけの空間は、夢や憧れ、或いは冒険心とも繋がっていたようで、小さな孤独を遊びにしていたのである。

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その思い出の竹藪は、40才の頃二年ほど掛けて全て取り払ってしまい、今では庭の一部になっている。

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あれから60年余を経過し、京都伏見の竹林を美しく眺めている自分を不思議に思った。
あの子供の頃など随分昔のことなのであって、あぁ~遠くまで来たなぁ~って思いも入り交じっていた。

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2018年12月18日 (火)

連続すること

昨日は変化が大切だって書いたが、当然ながら生命の本質は継続にこそある。
その継続する毎日が突然切り替わるのが定年で、その変化に耐えられ無い人を見かける。

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特に日常生活(家事)の少ない男に顕著で、第一線を退く(日常を変える)のはかくも大変なのである。
私も十数年前に経験したことだが、暫くの間は山に行って走るのが日課だった。

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それで一日は終えることが出来たが、何とも心がエンプティで遣り切れなかった記憶がある。
それでも私の場合は、現役時代から続けていた4つのことがあって、それに救われた。

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それは走ることであり、書くこと・作ること・会うことで、今でもこの四つは続けている。
継続は力と言われるように、コツコツと物事を続けていると、何時の間にかそこに新境地を見つけることが出来る。

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例えば、ホウレンソウをもう十数年作り続けているが、半年間の重労働をしても売り上げは十万円そこそこで、自在や労賃を考えると現実には赤字だ。
それでも作り続けているのは、何千粒の種が生長していく姿(生命力)が嬉しいからだ。

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先日、ホウレンソウを作るのは嫌いだと言う人が来て、芽が出ないと愚痴っていった。
私も厭地対策やら虫害・疫病にも悩まされたが、それは経験の積み重ねで乗り越えてきた。

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走るのは40才の頃からだからもう30年にもなるが、走りを習慣として尚且つ楽しむためには、それをコツコツと続ける長い期間が必要だ。
とてものこと、還暦を過ぎて押っ取り刀で始めるには無理(故障など)がありそうだ。

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先日、このブログのある読者から「文章が上手くなった」と褒め(?)られたが、やはり書くことも慣れが必要なのである。

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多分、老年期の充実は、長年の限りも無い経験の堆積が、ようやくその老いの日々を満たしてくれるものなんだ。
いずれにせよ、人は現在しか生きられないのだから、目前の仕事をコツコツとこなしながら、日々を懸命に過ごすしかないのだ。

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2018年12月17日 (月)

昨日と今日

人は誰もが「今」を生きている訳だが、その今はさっきの今とは違っていなきゃならない。

毎日同じ事の繰り返しなら、そりぁ人間で無くとも、ロボットで十分事足りるからだ。

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昨日の私と今日の俺とでは確かに違うという実感が無ければ、生きている甲斐が無いと思うんだ。

もっとも、歳を重ねると共に、昨日よりも衰えたなんて事にもなりそうだが、それでも違った方がベターだ。

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京都から帰って来て今朝見ると、台風24号で壊されたハウスのガラスが綺麗に修復されていた。
私の居ない間に、ガラス屋が修理工事に入ったのである。

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早速今日は大枚を払う羽目になったが、この変化も嬉しい昨日との違いである。
それで今日は、残っていたホウレンソウの種を巻き終え、師走だからと障子紙を買った。

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とにかく、人は何かをしていないと生きていられない生き物なのである。
いやさ、何が生産的だとかバカバカしいとか、そんなことは問題ではないのである。

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それにこの歳になると、バカバカしいことは平気でやるが、面白くないことはやりたくはない。
つまり、次第に手前勝手な生き様になっていくような気がする。

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人生の24時間は、糸車(だてまき)の様に単純な繰り返しだが、その中身は同じじゃ無い。
刻一刻と心も体も入れ替わっているし、忘れることも含め考えることも変わっていく。

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人の成熟というものは、そうした変化を感知するところにあるのではないか。
最近では、夜ふけて布団に入りながら、昨日と今日の何処が変わったかを考えてみる癖がついた。

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何も変わらないのなら、変えて見せようホトトギス・・・ってな気持ちである。

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2018年12月16日 (日)

伏見へ

東海道完走(歩)の余韻の残る中、今日は伏見に向かった。
京都では観光開発の意図もあって、京都トレイルの整備をかなり以前から進めている。

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東西・北方面を山に囲まれ、南方に一部開かれた地形は、変形盆地そのものだが、その地形を活かして、トレイルコースの整備を進めているのである。

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その南東端が伏見のトレイルで、今回はそこを走ろうという試みである。
朝8時、伏見桃山駅に降りたって、秀吉の育てた門前市(現800mの商店街を背に)山に向かう。

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明治天皇陵の近くに香宮神社があって、秀吉・家康の縁深く、関ヶ原前夜には薩摩藩の伏見城攻めの拠点となった所だ。

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そう・・・伏見は秀吉の築いた伏見城の城下町で、豊臣・徳川の政権争奪の舞台だ。
伏見城跡など何も残っていないだろうと思っていたが、城跡には堀の遺構と城郭の再現城があった。

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安土桃山時代と称せられる時代の象徴でもあり、紅色に輝く城郭は往事を彷彿とさせるものだった。

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この伏見城がトレイルの入り口で、大岩山に登っていくのだが、宅地化の波はここにも押し寄せていて、トレイルは限られたところになっていた。
されど伏見稲荷に通じる道すがらでもあって、信仰にかかわる滝や仏閣を縫いながら進んでいく。

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途中には竹林が多く、何と早くもタケノコを収穫している方とも出くわして、この竹達はもう既に春を宿しているのである。

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走ること十数キロ、やっと伏見稲荷の中腹に到って、鳥居道を辿ったのだが、それが大変な人並み(およそ2/3が外国人)で、前に進むのも容易ではなかった。

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十年ほど前から、日本の異空間を求めて外国人観光客が急増しているのだとか。

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中国語の飛び交う稲荷も、この世相を反映したものだろうが、何だか宗教的には違和感を覚えた。

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ともあれ、やっとの思いで伏見山を下り、今度は宇治平等院へ向かったのであった。

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2018年12月15日 (土)

草津宿から三条大橋へ

私は初めての参加だが、うり坊会の皆さんは東海道五十三次の最終章である。

草津駅に降りると、何と予想外にも冷たい雨が降っていたが、8人のメンバーは元気に宿場町へと走り出す。

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そう、今日は草津から唐瀬、大津から逢坂の関を経て三条大橋まで、28kほどを走るのだ。

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と言ってもあちらこちらに寄りながらだから、距離も時間も延びていく。

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先ずは草津宿本陣へ、この本陣は規模も大きいが幕末のたたずまいをそのまま残している。

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次いで街道交流館に立ち寄って、浮世絵づくりや道中姿になってみたり、寒さを忘れて楽しんでいる。

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この1kほどを進むのに一時間余りを要していて、流石にj間に合わないと瀬田の唐橋に向けて足を急がせる。

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無事に、急げば回れの唐橋を渡った頃にはお昼になっていて、うどん屋に入って昼食。

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琵琶湖を右に見ながら北上し、途中では義仲寺や蝉丸などをたどる。

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坂を上ってやれやれと思う頃、そこには逢坂の関跡があって、ここからは京都の町に下っていく。

平安時代前まで、京の都を守る重要な関だったし、都から旅立つ人々の惜別の地だ。

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三条通りに入っても、そこから三条大橋までは5k程もあって、遂にゴールとなったのは16時だった。

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ともあれ女7人に男2たり、姦しいのは女三人までで、とてものこと嘴を挟む隙はない。

今回は小さくなって付従っていたが、三年前走った時とはイメージも随分違って、それはそれなりに楽しい走り旅になった。

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これで東海道を終え、来年からは中山道に移る。

中山道は山の中で、かなり大変な走り旅になりそうだが、何とか私も全てを走り切りたいものだと思った。

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2018年12月14日 (金)

生命力の根源

歳を重ねたからそう思うのかどうか、植物の生命力は凄いなぁ~と思う。
今年二順目のホウレンソウを全て蒔き終えたところで、その順番に成長を始めている。

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播種して一週間で一斉に芽が出てくるのだが、その競って生きようとする力に感心する。
それぞれの小さな種の中に、太陽に向かって生きようとする強い意志が隠されているのだ。
畑に目を転じると、白菜やキャベツ、レタスや大根などが元気に育っている。

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やっと冬らしい気候になってホッとしている様でもあり、暖冬故のアブラムシや青虫から生き延びてきた自信すら感じさせる。
ところで今日は、この半月ほど進めてきた葡萄の剪定をやっと終えることが出来た。
葡萄の成長力も旺盛で、この春から夏にかけてハウス一杯に枝を伸ばしている。

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ともすれば葡萄栽培は、その枝(タキギ)づくりであるかのように、膨大な剪定枝葉が出る。
これをこの数ヶ月掛けて始末しなければならない。
一昔前なら風呂の薪などに重宝しただろうが、今日では大変な厄介者なのである。

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ともあれ結果母枝だけの葡萄の樹は裸のようだが、実はこの中に来春のエネルギーを蓄えているのである。

次々と生えてくる雑草は言うに及ばずだが、ところで彼らの生命力の根源は子孫繁栄だろう
ところがこの人生100年時代、人間は一応の仕事を成し終えた後も生きなければならない。

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いやいや結婚すらしないで生きる人も多いんだから、その生きる根源は別にあるはずだ。
それに重病で「もう、死んでも良い」なんて言う人だって、実は「生きたい」と強く思っているのだ。
生命保持本能とも言うべきもので、これに日々の生きる喜びが加われば尚更である。
だからして、芸術やスポーツが盛んなのもしかり、人は楽しく遊ぶことが肝心なのである。
逆に言えば、遊ぶ能力こそ生命力の根源なのかも知れない。

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2018年12月13日 (木)

嗅覚一万倍

日産のゴーン元会長の年俸が20億だったとしても、一般人の2~3百倍だから、能力がそれ程違うのかどうかは別にして、たかが三百倍である。
今日は所轄署の協議会があって、犯罪被害者支援活動などについて協議の後、警察犬の訓練に立ち会うことが出来た。

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警察犬では高知県で銅像が出来たあの不屈の犬を思い出すが、実は警察犬の任期は一年で毎年試験に合格しないと駄目なんだ。
その中で何年も合格している三頭の犬の凄さを、実見出来たのである。

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警察犬の臭覚は、人間の三千倍から一万倍とされていて、警察犬の場合魔法のような力を発揮する。
私が二分ほど持っていた縫いぐるみから香りを移した布を、30m先に別の四つと共に置くと、彼らは瞬時にそれを嗅ぎ分けてしまった。

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私は特別に体臭が強い訳じゃ無いのだが、犬にとっては人間を鼻で識別することは朝飯前らしい。
人間にも得手不得手があるが、それにしてもその差は雲泥の差という訳では無い。

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更には足跡の匂いから犯人を追跡することや、犯人の持ち物を特定することなど、彼らの活躍の場面は中々多いのだ。
科学捜査万能の今日、かなりアナログと思われがちだが、どうして中々の実力であった。

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更には、犬と人間の会話は困難なはずだが、訓練院の号令の通り彼らは行動するし、○×さんの所へと言うと、ちゃんとその人の所へ行ったりもする。
こんな忠実な警察犬なら、私も飼いたいものだと思わせる従順さだった。

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ともあれ、人間にも、人間以外の動物にも、思わぬ能力が隠されているのである。
さても時は年末、寒くもなってきて、何かとせわしさを感じさせられる時候だ。

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事件や事故を一件でも減らすために、この愛すべき警察犬にも頑張ってもらおう。

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2018年12月12日 (水)

東京ラプソディ(rhapsody)

昨日は六本木で、ナビブ砂漠2018に参加した仲間の会があって、久しぶりに東京に出かけた。
それで、夜の会合だけでは勿体ないと思って、昼過ぎに渋谷に着いた。

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ハチ公口から道玄坂に掛けて、相変わらずお祭りのような人手だったが、その脇を抜けてBunkamuraに出かけたのである。
目指したのは、ロマンティックロシアの「忘れえぬ女」である。

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あのキリッとした眉毛に、幾分冷たげに見下ろすロシア貴族娘の絵である。
19世紀後半から20世紀前半の激動期のロシアの画家達の絵は、何れも今にも動き出しそうに写実的である。

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中でも彼の女は(30分ほど対面していたが)「あなた、未だ未だ子供ね」と語り掛けているかのようだった。
彼女の冷徹さに取り付くしまも無く、趣向を変えて映画を観ることにした。

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映画は、20世紀後半に活躍したタンゴの革命児で、バンドネオン奏者「ピアソラ」の記録映画である。
映画と絵、何れも動乱の時代に生きた芸術家の作品だからこその、人の心を揺さぶる普遍的な何かがあった。

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外に出ると暗くなり始めて雨が降り出していたが、恵比寿でMさんと待ち合わせ、六本木へ。
今夜は六本木ヒルズ住人達の主催で、ナビブ砂漠2018に参戦した日本人8人全員が集まった。

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皆さんと会うのは砂漠以来と言うことで、私はフォトブックを作製して持参していた。
26才から71才まで、お互いの仕事も生活環境もまるで違っているのだが、それはそれ生死を共にした旧知の仲である。

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その中にはセミプロランナーの仲岡拓也もいて、彼は先月末に南極のレースから帰ったばかりであった。

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その南極やらアタカマ砂漠(チリ)の話で盛り上がり、やはり次は何処を目指すかと言うことになった。

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平壌マラソンやらリバプールのロックンロールマラソン、私も何時の間にか若い人達と同世代のつもりで話をしていた。

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二十世紀初頭の動乱の時代とは明らかに世界は変わったが、その時代に生きる人の心はそんなに変わっちゃいない。
私だって、それなりに必死に生きているんだ。

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2018年12月11日 (火)

楽しみ無尽蔵

私の仲間の内に、人生を正に謳歌して楽しんでいる(様に見える)人が何人かいる。
定年退職後に何度も海外遠征し、毎週のようにマラニックや登山に出かけている。

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流石にご主人が幾分の苦情を言うようだが、本人は我が人生とばかりに気にもとめていない。
この私ですら、凄いなぁ~と思いつつ、羨ましく眺めている。

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作家や歌人として八面六臂の活躍をした与謝野晶子が、「人の世を 楽しむことに 我が力 少し足らずと 嘆かるるかな」という歌を残している。
熱烈な恋愛もし、精力的に生きた当時の新しい女性にして、それでも自分には人生を楽しむ力が足りないというのである。

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人の生き方に正解などはないと思うが、やりたいこともやらずに過ごしてしまうのは惜しい生き方だ。
そう言う意味で、出来る時に、やれる時にやりたいと思うことをドンドンやるに超したことは無い。

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そう思うと、彼ら・彼女らの行動(お前も同類と思うかも知れないが)を積極的に肯定したくなる。
そもそも多くの勤め人は、その人生の大半を働いてきたのだし、遊んだと言っても居酒屋に行くくらいだった。

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極論すれば、私など遊び方すら知らずに過ごしてしまったのである。
だけど世界は広いし、文化やスポーツ或いは娯楽だって実に奥は深い。

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望むらくは、体が丈夫なうちに行ったり・やったりしなければ、必ず悔いを残すことになる。
近頃思うことは、何でも楽しみに変えることを含め、人生の楽しみは無尽蔵ってことだ。

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遊びせんとや生まれけん・・・、大分真面目に生き過ぎちゃったって、幾分反省するこの頃である。
だけど本気で遊ぶって事にゃ、人間的な力量っていうか、覚悟が必要だね。

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2018年12月10日 (月)

我が立つ杣

この三十年近く、小笠山の杣(そま)路をせっせと走り続けてきた。
小笠山の場合は、痩せ細った尾根に続く、ほんの狭い道を登り下りする訳だが、躓いて転んだりでもすれば深い谷に転げ落ちてしまう。

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その道すがらには、ウバメガシが延々と育っていて、ちょっと異次元の風景を醸している。

こんなに長い間よくぞ通い詰めたものと、自分でも不思議なくらいである。

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ところで杣(そま)とは、滑り落ちそうな山の斜面にあるほんの少しの平らな場所のことだ。
ほんの一時安心して居られる場所であって、その人の安住の地にも通じている。

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因みに最澄が叡山に延暦寺を建立した折、次のような歌を残している。
「阿縟多羅三冥三菩提の仏たち 我が立つ杣に 冥加あらせ給え」(新古今和歌集)

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考えてみれば、一生の中で自分の立ち得る場所は、そんなに多くは無いのである。
生涯の安住の場所と思い定めた職場だって、定年と共に何の縁も無い場所になったし、懸命に育てたはずのマイホームだって、子供達の巣立ちと共に殻の巣になった。

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親交を重ねたはずの友だって、何時の間にか疎遠になっていたりもする。
この70年を考えたってそれこそ山あり谷ありで、これぞ我が安寧の地等と思ったことはない。

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何一つ変わらないものが無い中で、その「我が立つ杣」を見いだすのは容易ではないのだ。
増して健康が、殊に呆けが心配になる人生の最晩年は、その杣道は一層細くなるのだ。

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ともかく、ようやくにして平地を得たならば、それを大切にするが肝心だ。
そんな基本的なことが、最近になってやっと分かり始めている。

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2018年12月 9日 (日)

これが今の実力?

やっと北風が吹き始めて、急に寒くなった今日は、袋井クラウンメロンマラソンである。
マスクメロンの産地としては後発のクラウン印(袋井)が、そのネームバリューを上げようとして始めた大会で、今年で第30回を迎えている。

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今年も7500人ほどが、空っ風の吹きすさぶ袋井路を走ったのである。
私はと言えば、今回は丸一週間練習も控え、休養タップリで参戦したのである。

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始めの5kは超スロースタートにし、それ以降を徐々に加速する作戦であった。
30k近くまではほぼ順調なペースだったけれど、やはりそれ以降で幾分へばってしまった。

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結局2459/4000位(男子60才以上216/504)の、4時間51分のフィニッシュになってしまった。
コースが幾分キツい事もあるが、8月の4時間29分、先月の4時間40分と月を追う毎に記録が落ちていく。

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どうしたらペースアップするのかと試行錯誤しているのだが、如何とも思うに任せない。
33k地点ではウバさくらさん達が私設エイドを設けてくださっていて、お汁粉で元気をもらったんだけど、根性が続かない。

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ウルトラを散々走ってきた身からすれば。フルくらいどうって事ないって気持ちがあるが、いやどうしてフルを力一杯走るのは存外難しい。

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これが今の実力なのかと落胆しているが、いやいや、来早春の菜の花マラソン(指宿)に掛けてみようと気持ちを切り替えつつある。

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歳と共に総力か落ちるのは致し方ないが、今日のフル最高齢出場者は何と87才であった。

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ゴールタイムは承知していないが、私もまだ15年走れる訳で、その方の根性に見習いたい。

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ともあれ人はそれぞれだが、命ある限り、そして気力ある限り走り続けたいと思う。
いやなに、今日はKHさんを完走に導いたし、小笠の仲間とも顔を合わせたし、良いことも幾つもあったのである。

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完封を突いて走る快感もこれしかり、私も元気に走れることだけで心地よいのである。

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2018年12月 8日 (土)

自己表現の妙

自意識過剰で内気な男だから、この自分で自分を表現するのが私の一番苦手な分野だ。
自己紹介をしたり、突然のスピーチを求められたりする場面が、大の苦手さ。

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話の内容に窮するし、少しでも上手く話したいと思うから、余計にドキマギしてしまう。
こんな時、自分の体験や経験を話すのが、最も収まりが良いのだが、そのウイットが肝心だ。

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ところで昨夜は、第102回のめだかの学校に出席した。
今回のテーマは「明日に向かって、"ひと"っておもしろ~い」だったが、そのテーマよりも教壇に立った三者三様の対応が面白かった。

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このメダカの学校は、その名の通り「誰が生徒か先生か・・」で、会のある半月ほど前に突然、今度はあなたがこんな題で先生だよ・・・って通知がある。
この指名を特別な理由の無い限り拒否した場合、退学処分になることになっている。

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ともあれ今回は、SMさん、TSさん、TKさんが教壇に立って20分ずつお話をされた。
最初に登壇したSMさんは最も若手で、どんな話をするのかと思ったら平成の30年を語った。

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平成元年生まれの彼女が果たして平成を語れるのかと思って聞いていると、彼女はおもむろにスマホを出して、平成元年からのサラリーマン川柳を題材に、見事に三十年間を分析して見せたのである。
しかも美人が笑顔でジョークも交えていたから、聞く方は実に楽しかっただろう。

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次は77才のTSさんで、彼は生まれてからこの方の遍歴を教訓交じりに語っていた。
その言葉の中には、本人の通ってきた道の端々での教訓が織り交ぜられていた。

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最後に教壇に登ったTKさんは保育士を長年されてきた方だから、話術も表情も見事だった。
簡単な指体操から始まって、育児に悩む母親達の相談に乗る毎日の中から、その人々の人生を深く理解していた。

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そう・・・母親から母親へと受け継がれる愛情こそ、未来への道では無いかと思わせた。
三者三様の講義は瞬く間に終わってしまったが、ハテ私が指名されたとしたら如何な話が出来るだろうかと考えた。
どんなテーマを与えられるのかにもよるが、人生を語るのはそんなに簡単じゃ無い。

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2018年12月 7日 (金)

おだまき

今日は葡萄の冬支度(剪定)をしながら、「おだまき」って事を考えていた。
かつて俗言に「おだを巻く(繰り言を言う)」ってなことを言ったが、その「オダ」である。

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実は、先日登った山梨県の大蔵高丸の頂上付近に、「オダマキ」の群生地があった。
春の花だから、勿論既に枯れ草に過ぎなかったが、唯みんなとオダマキについて話したのである。

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オダマキはキンポウゲ科の植物で、花の形が機織りの糸玉(苧環)に似ていることからその名がある。
つまり、糸がぐるぐる巻いてあって織機に糸を供給するのが、本来の「おだまき」だ。

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おだまきで思い出されるのが、義経の恋人だった静御前だろう。
静は、源頼朝に追われる身となった義経一行と、吉野の山中で生き別れてしまう。

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義経の子を身籠もっていた静は捕らえられ、鎌倉の鶴岡八幡宮で舞を披露することになる。
京随一の舞手とされた静の舞を見てみたいと、北条政子が頼朝に懇願したのである。

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その満座の中で歌い踊ったのが「しずやしず  しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」であった。
そして「おだまきの糸は元に戻らないが、昔を今にしてみたい」と歌うその舞に、元流人であった頼朝が激怒したのである。

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その頼朝を、政子は平然と「女の気持ちとは、そういうものです。」とたしなめたと言う。

それはともあれ、平成も終わらんとする今日、織機(苧環)など中々見ることは出来ないが、あのカラカラと巻き取られていく糸のイメージはしっかりとある。

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静御前は自分の運命をおだまきに見立てた訳だが、誰だって昔を今にすることなんて出来やしない。

巻き取られた糸はもう元に戻らないのであって、而して殊更にその糸が愛おしく思われる。

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と言って何が出来る訳でも無いが、人生の糸車は止まることなく回り続けている。

やがて糸が無くなれば車は止まるのだろうが、残りの糸はどれ程か推し量ることも出来ない。

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一本一本と葡萄の蔓を切り落としながら、そんな他愛のないことを思っていたのである。

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2018年12月 6日 (木)

あなたに夢中

人は何か、夢中になるものが無いと生きていけないのではないか。
夢中とは、夢の中と同じような無意識の物語なんだろうか?

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考えてみれば、人は誰だって「何でこんなこと・・」ってことを熱心にやっていたりする。
詰まらないものを集めてみたり、芸能人を追っかけたり、冒険に精を出したりだ。

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さしずめ私の場合には走ることだが、走ったからって特別な価値が生まれる訳じゃ無い。
いやさ私だって、現役時代は仕事に夢中だったし、今だって農作業にその片鱗を残している。

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ともかく何か夢中になるものが無いと、人は何だか頼りない。
スポーツや文学、絵画や音楽、それに宗教、みんなそいつに夢中になることで救われてる。

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どのチームが残留するとか、誰がフリーエイジェントだとか、そんなことは実はどうでも良いことなのかも知れない。
でも、人にとってはそれが大事なんだよな。

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まして好きな人がいれば、その人の一挙手一投足、ちょっとした表情の変化だって大事だ。
人ってのは不思議な生き物で、他愛ないことに夢中になるが、それが人の面白さだね。

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昨夜は、ハワイのアイアンマンレースで年代別4位になったNさんを囲んでの忘年会だった。
Nさんは五年後の80才で、アイアンマンの感想および世界優勝を目指している。

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何事も夢中になることから、エネルギーが湧き起こってくるんだ。
外には年末の煌びやかなイルミネーションが輝き、内では仲間達と共に温かな一時を過ごすことが出来た。

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これも夢中になっているからこその一時で、そこには生き生きとした仲間の顔がある。
何であれ、よりすがる訳では無いが、夢中になることによって人は救われる。

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2018年12月 5日 (水)

時間というもの

先日「命は時間」と書いたばかりだが、相変わらず時間というものを思っている。
実は今夜は豊橋でランナー仲間の忘年会があって、昨年の会を思い出したからだ。

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昨年の今頃はナビブ沙漠2018を控えていて、あれこれと心配もしつつ準備していた。
体力の増強は元より、メンタル面での紆余曲折もあって、「死」さえも覚悟していたのである。

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それで昨年のこの忘年会では、何故砂漠に挑戦するのか等を語った記憶がある。
あれから満々一年が経過し、来年のニュージ250kを控えているのだが、その緊張感は無い。

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ともあれ、沙漠への挑戦は「時のしるし」だと考えていた。
若い頃は誰だって、生きるのに夢中で自分が死ぬなんて、そんなことは思いもしないことだ。

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それが古稀を過ぎた辺りから、急に知人の訃報などに接する事が多くなったし、それに認知の恐怖さえも意識するようになる。
それでも人は死ぬまで生きなければならない訳で、当然ながら残された時間を考える。

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「今なら、まだ出来ること」それが沙漠マラソンーの挑戦だった。
砂漠(不毛の地)と一口に言っても、岩のゴツゴツ突き出した原野、砂の平原、塩ノ原、海沿いの砂浜などと色々とある。

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257kの間には、その景色の移り変わる砂漠を走ったのだが、一日だけ全く景色の変わらない日があった。
見渡す限り360度が真っ平らな砂の原で、1時間進んでも半日進んでも、景色は同じ。

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ただ進んだ分、地平線が向こうに遠ざかっていくだけなのである。
私達のコースには小さな旗が転々と繋がっていて、進むべき方向を見失うことが無かったが、仮にぽつんと老いて行かれたら、恐らく気の狂うような空間だったろう。

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地平線は、それは永遠(未来永劫)だと思われたが、それだって何処かに地の果てがあって、何時かは終わりを告げることになる。
夜が来てやがて朝が来る、その私達の毎日の繰り返しだって同じ事で、何時か朝の来ない日がやってくる。

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そういう有限の、時々刻々と過ぎてゆく時間を、私達は生きているだと思う。

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2018年12月 4日 (火)

万事ほどほど

師走というのに、小春日和どころか春の盛りを思わせる陽気に驚いている。
ハウスの中で作業することの多い私は、この時期としては珍しく下着一枚で過ごしている。

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それは兎も角、70才を過ぎてなお血気盛んな自分のことを考えている。
孔子先生は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし、中庸の徳たるや、それ至れるかな」と言う。

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何を言っているかというと、人は食べ過ぎても少なすぎるのもいけない。
飲み過ぎるのは言語道断だが、かと言って我慢してるのも、生きている甲斐が無い。

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何にもせずにゴロゴロしてりゃ良いってもんでも無いが、働き過ぎるのは良くない。ってこと。
そりゃあそうだろうとは思うが、その加減たるやさっぱり分からないのである。

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働くとなれば足腰がギーギー言うまで働くし、走るとなれば100kを越えて走ろうとする。
100才近い三浦雄一郎さんが南米の6000mを目指すそうだが、人には限りが無いのだ。

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そもそも、人の心と体には人それぞれの領域があって、その領域は実は自分で決めるのだ。

足が痛い腰が痛い、体がだるいなどと、歳を取れば自ずと様々な障害が訪れるのだが、問題はそれを乗り越える意思力が有るのかないのかである。

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厭だなぁ~、もう止めようって意識が何処かにあれば、それはその人の持病になっていく。

私達人間も動物で、動くからこそ動物であって、生涯動くことを止めちゃいけないんだな。

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歳を取れば自ずと出来ること・出来ないことの境目が見えてくるだろう。

だけどその境目は、実は自分の生命力というか、ものの考え方次第なんだと思う。

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「万事ほどほど」と書いてはみたものの、人の一生は万事ほどほどに違うのでもある。

私は命ある限り、万事出来ることはほどほどにやり尽し、その途上に倒れたいと思う。

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そんな自分を、自分を離れた高いところから俯瞰している自分がいる。

そいつが「せいぜい、生きてみろやい!」って言ってる。

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2018年12月 3日 (月)

干支セトラ

言うまでも無く来年の干支は亥で、私は6回目の亥年を迎えるのである。
干支は単に中国の古い歴に因むに過ぎないのだが、多くの人がその自分の干支を意識するとも無く意識してきたのではないか。

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この私も、何時とはなしに猪突猛進的な生き方をしてきたし、それで良かったとも思っている。

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ただ現実のイノシシが好きかというと、あんまり知的なイメージがなく、とても好きになれそうも無い。
いつも走っている小笠山に、彼らのバスタブが二カ所あって、彼らは年中そこで体中に泥を塗りつけて、皮膚に着くムシをはぎおとしている。

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それに私達の走路を激しく掘り返すのも彼らで、野生のイノシシはいささかやっかいなんだ。

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何度か彼らと鉢合わせすることもあって、とてものこと同類と思う訳には行かないのである。
しかしイノシシ年生まれの女性達とは馬(?)が合って、一回り下の女性達の「うり坊会」に加えて頂いたばかりだ。

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イノシシ生まれをコジツケに、精一杯お互いの人生を楽しもうと思っている。

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ところで世界の経済も政治も、個性的な大統領(トランプ)に振り回されている感があるが、果たして亥年の来年もこの調子で突き進むのかどうか。
些か経済政治共に不安を孕みつつ新年を迎えることになりそうだが、下世話な事どもはさりながら、自分としては「真っ直ぐに進む良い年」にしたいと思っている。

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ニュージーランド250kを始めとして、タイを走るなど決めたことは躊躇なくやり遂げる年にしたい。

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全力で疾走しつつ、自分の来し方を含めて、この人生を吟味しつつ生きることだ。

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仮に腐っても、生きているのか死んでいるのか分からない様なむ生き方は、イノシシにゃ出来まい。

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恐らくは、次(7回目)のイノシシ年を迎えることはあるまいから、心して生きることだ。

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2018年12月 2日 (日)

大蔵高丸・ハマイバ丸へ

大蔵高丸(1781m)は、秀麗霊峰12景の三景、山梨100名山の一峰である。
早朝五時にMさんと共に出発し、甲斐大和駅で東京からの仲間を拾って大和道の駅へ。

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そこで6名が合流して、タクシーで40分近く走り、大蔵高丸近くの湯ノ沢峠に向かう。

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かなりの高さまで登っていって、タクシーを降りて30分ほどで大蔵高丸の山頂に到る。

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今朝は一面晴れ渡っていたのだが、道の駅に着く頃には雲が重なってきて、富士が見えなくなった。

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山は冬枯れの林で、足場は霜柱が溶けてかなり泥濘んでいたが、つるりと転ばないように注意深く下っていく。

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そう、今日の登山は、その殆どが下り道なのである。

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空一面が霞んで12景の一望も駄目かと思い始めた瞬間、忽然と霊峰富士が浮かび上がった。

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前面に織りなす山々を睥睨するごとく、悠然とその姿を現したのである。

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その前面の山々とのバランスが素晴らしく、流石は霊峰12景と息を飲む美しさであった。

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その大蔵高丸から下ってハマイバ丸へ、破魔射場に由来するらしく、かつて神事が行われたのかどうか? 
更に下って大鹿山の頂上で昼食となったのだが、MさんとNさんの配慮で望外の宴会となった。

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1200mほどの山頂でキムチ鍋を中心に、デザートやアイスまで、山行とは思えぬご馳走に腹一杯になったのである。

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この山頂の宴会に1時間半近くを費やして、今度はそこから3時間近く下らないと道の駅には戻れない。
それもずるずると滑る急な下りに閉口しつつ、一杯になったお腹を抱えて下ったのである。

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落ち葉が厚く敷き詰められていて、その落ち葉を踏みしめる音が話し声をかき消す程だった。
ともあれ里に下りるとそこは景徳院で、武田勝頼の終焉の地である。

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長篠の闘いで信長に大敗した勝頼は、以降国内防備に全力を尽くしたのだが、配下の武将(永山梅雪)の離反などもあって、ついにこの地で果てるのである。

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道の駅に戻り着いたのは16時で、今日の一日もアッと言う間に終わってしまったのだが、
富士の絶景に武田滅亡の地を訪れたことで十分満足であった。

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2018年12月 1日 (土)

命は時

人生を学ぶ勉強会は2015年6月から始まっていて、今日はその34回目の集いである。
その中に前回まで毎度顔を出していた佳江さんの姿は無く、Hさんの描いた遺影であった。

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花を飾り羊羹を供えて、いつも通りの(どうしても佳江さんを偲ぶ)勉強会になった。
それもテーマは、折しも森先生の修身講義録の最終回「わかれの言葉」であった。

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先生が40回の講義を終えるに当たって、生徒達に語った「人生の道は深くして、その味わいは実に極まりない。」だから、これまでの講義も糧として、自らの道を切り開けと語っている。

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それにしても、この最終講もさることながら、既に今年も師走である。
今年を振り返って、何か新たなことに挑戦できただろうかと考えてみる。

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確かに沙漠の257kを走りはしたが、果たしてメンタルや私の人生にとって、どれ程の意味があっただろうか。
ひとはそれぞれ何かに挑戦し、それを達成する過程で何某かの「あかし」を求めて生きている。

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だから褒められたり認められたり、納得してもらったりは、実はとても大切なことだ。
それに須く、物事は形になって初めて、事なせりなのである。

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それで遅ればせながら、ナビブ沙漠257kを「時の印としてアルバムに印刷製本した。

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ところで今年も残すところ30日、それなりの新たな心構えが無くては、漫然と新年を過ごしてしまう。
要は時を大切にすることに尽きるのだが、その時を如何にして大切にするかが大問題だ。

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齡71才にして、余命幾ばくとも知れぬ年頃であって、漫然と日々を費やすいとまは無い。
正に自分の中に幾つもの証を、残していかねばなるまいと心している。

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