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2018年12月17日 (月)

昨日と今日

人は誰もが「今」を生きている訳だが、その今はさっきの今とは違っていなきゃならない。

毎日同じ事の繰り返しなら、そりぁ人間で無くとも、ロボットで十分事足りるからだ。

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昨日の私と今日の俺とでは確かに違うという実感が無ければ、生きている甲斐が無いと思うんだ。

もっとも、歳を重ねると共に、昨日よりも衰えたなんて事にもなりそうだが、それでも違った方がベターだ。

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京都から帰って来て今朝見ると、台風24号で壊されたハウスのガラスが綺麗に修復されていた。
私の居ない間に、ガラス屋が修理工事に入ったのである。

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早速今日は大枚を払う羽目になったが、この変化も嬉しい昨日との違いである。
それで今日は、残っていたホウレンソウの種を巻き終え、師走だからと障子紙を買った。

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とにかく、人は何かをしていないと生きていられない生き物なのである。
いやさ、何が生産的だとかバカバカしいとか、そんなことは問題ではないのである。

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それにこの歳になると、バカバカしいことは平気でやるが、面白くないことはやりたくはない。
つまり、次第に手前勝手な生き様になっていくような気がする。

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人生の24時間は、糸車(だてまき)の様に単純な繰り返しだが、その中身は同じじゃ無い。
刻一刻と心も体も入れ替わっているし、忘れることも含め考えることも変わっていく。

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人の成熟というものは、そうした変化を感知するところにあるのではないか。
最近では、夜ふけて布団に入りながら、昨日と今日の何処が変わったかを考えてみる癖がついた。

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何も変わらないのなら、変えて見せようホトトギス・・・ってな気持ちである。

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