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2018年12月 5日 (水)

時間というもの

先日「命は時間」と書いたばかりだが、相変わらず時間というものを思っている。
実は今夜は豊橋でランナー仲間の忘年会があって、昨年の会を思い出したからだ。

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昨年の今頃はナビブ沙漠2018を控えていて、あれこれと心配もしつつ準備していた。
体力の増強は元より、メンタル面での紆余曲折もあって、「死」さえも覚悟していたのである。

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それで昨年のこの忘年会では、何故砂漠に挑戦するのか等を語った記憶がある。
あれから満々一年が経過し、来年のニュージ250kを控えているのだが、その緊張感は無い。

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ともあれ、沙漠への挑戦は「時のしるし」だと考えていた。
若い頃は誰だって、生きるのに夢中で自分が死ぬなんて、そんなことは思いもしないことだ。

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それが古稀を過ぎた辺りから、急に知人の訃報などに接する事が多くなったし、それに認知の恐怖さえも意識するようになる。
それでも人は死ぬまで生きなければならない訳で、当然ながら残された時間を考える。

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「今なら、まだ出来ること」それが沙漠マラソンーの挑戦だった。
砂漠(不毛の地)と一口に言っても、岩のゴツゴツ突き出した原野、砂の平原、塩ノ原、海沿いの砂浜などと色々とある。

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257kの間には、その景色の移り変わる砂漠を走ったのだが、一日だけ全く景色の変わらない日があった。
見渡す限り360度が真っ平らな砂の原で、1時間進んでも半日進んでも、景色は同じ。

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ただ進んだ分、地平線が向こうに遠ざかっていくだけなのである。
私達のコースには小さな旗が転々と繋がっていて、進むべき方向を見失うことが無かったが、仮にぽつんと老いて行かれたら、恐らく気の狂うような空間だったろう。

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地平線は、それは永遠(未来永劫)だと思われたが、それだって何処かに地の果てがあって、何時かは終わりを告げることになる。
夜が来てやがて朝が来る、その私達の毎日の繰り返しだって同じ事で、何時か朝の来ない日がやってくる。

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そういう有限の、時々刻々と過ぎてゆく時間を、私達は生きているだと思う。

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