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2019年1月22日 (火)

生年百に満たず

昨日は隣家(私と8才年上)の葬儀で、標記を思いながら一日を過ごした。

かつての日本人は、謡曲「敦盛」に「人生僅か五十年」と謡うように、そう考えてきた。

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だけど中国の詩人は、古代から「生年、百に満たず」とするのが定型だ。

一昨日、日本最長老だった116才の男性が亡くなったらしいが、百才だって夢じゃ無い。

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何も長生きすりゃ良いって訳じゃ無いが、その可能性はあった方が良いに決まっている。

だが寿命が長くなれば、やはりそれなりに心を煩わす事も多くなる。

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古代の哲学者荘子は「人は憂いと共に生きる」と言ったが、人は大抵そうやって生きている。

「何故生きるか」とか、孫子や連れ添いのこと、世の中の不公平など、生きれば生きるほど憂いは尽きない。

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その憂を消してくれるのは唯一快楽で、愛しい人との一時や心躍る活躍の時なんである。

私はそれをマラニックやマラソン大会、はたまた心温まる出会いに求めてきた。

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人生なんてさして大業なものじゃなく、日々の出会いや感激の結果(集積)でしかない。

ならばこそ、出会ったその「時」を大切にしたいし、それにだって「時期」と言う物がある。

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既に古稀を過ぎ、物事を先延ばしにするなど笑止千万、今をこそ楽しまんとぞ思う。

それを笑わば笑え、人生は有限なのであって、機を逃す訳にはいかないのである。

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 生年不満百 (生年 百に満たざるに)

 常懐千歳憂 (常に千歳の憂いを懐く)

 昼短苦夜長 (昼は短く 夜の長きに苦しむ)

 何不乗燭遊 (何ぞ 燭をとりて遊ばざる)

 為楽当及時 (楽しみを為すは 正に時に及ぶべし)

 何能待来慈 (何ぞ能く来たる 慈を待たんや)

 愚者愛惜費 (愚者は 費えを愛惜するも)

 但為後生嗤 (但だ後生の嗤いとなるのみ)

 仙人王子喬 (仙人 王子喬)

 難可与等期 (与に期を等しくすべきは 難し)

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その昔、周の王子・喬は崇山に登って仙術を学び長命をたもったという。

しかし凡人の我々がそれを期しても無駄なこと、やはり有限の人生を楽しむことに尽きるのだ。

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それにしても、人生100年をどう生きる?




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コメント

きんさん、ぎんさんの双子姉妹が、ひゃくしゃい!ひゃくしゃい!と言って話題になった事がありましたね。
あの当時は、元気な百歳の二人に珍しいやら驚いたりしてました。
あれから29年経った今は、私の周りにも百歳でも元気なおばあちゃんがいるんですよ。
自分も長生きしたいなぁーと思ってはいるんですが、果たして嫌われたりしないような可愛いおばちゃんでいたいものです(笑)

投稿: さくら | 2019年1月23日 (水) 15時48分

元気で長寿は素晴らしいことです。お互いに遠慮せずに、100才を目指しましょう。ただそれには条件があって、その長寿の間に何が出来るのかって事。
 そんな訳で、元気な内に思いっきり楽しもうと思っています。さくらさん、お互いに100才になったら、ハグしようね。
                山草人

投稿: 山草人 | 2019年1月23日 (水) 17時37分

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