心ゆくもの
言葉は歴史と共に創られてきた訳だが、「心ゆき」などの言葉は何とも清しく感じる。
清少納言の枕草子に「心ゆくもの」の段があって、牛車が気持ちよく走る様や川舟下りの勇ましさなどを例に上げている。
近世の私達は効率や便利を合い言葉に、只管「楽」を追求してきたのだが、つまりは「心ゆくもの」を減らし続けてきたのである。
例えは恋人と連絡を取るのだって、一昔前は電話するのさえ大変だっただろうし、「君の名は」なんて物語は今では有り得ない話だ。
つまり私達の日常だって、楽でそれ程の苦労の無いことは、実は余り面白くないのである。
文学だって、電子メディアが当たり前になって、本はさっぱり売れない時代だ。
静岡市美術館で開催されている「起点としての80年代」を覗いて、そんなことを考えていた。
しかし、敢えて困難にも果敢に挑戦する心意気こそ、人生の面白さに通じると思う。
繰り返すが、楽で間違いなくやれることに、あんまり面白いことはないのである。
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