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2019年1月15日 (火)

鹿児島雑感

開聞岳から北を見下ろすと、そこには大きな池田湖が広がり、その少し東側に真ん丸な鰻池が見える。
九州最大の池田湖と同様にマグマの水蒸気爆発で出来た火口で、直径1.3kほどある。

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実はこの鰻池周辺は、晩年の西郷どん縁の地であって、明治7年下野した西郷が過ごしたところだ。
昼間は開聞岳周辺で狩りをし、鰻池の福村市座衛門宅で好物のウナギを食すのが常だったとか。

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佐賀の乱に破れた江藤新平が、敗走の途上助けを求めて立ち寄ったのもこの地だ。

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西郷は江藤の言い分を聞き入れず、江藤はやむなく四国に逃亡するのだが、西郷はその江藤を指宿湊まで見送っている。
いずれにしろその三年後、西郷は私学校生徒らを中心にして西南戦争を起こし敗北する。

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やがて追い詰められた西郷は、鹿児島城下の城山で自害したことになっているのだが・・・。

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大河ドラマの西郷どんでは、彼は最後まで戦う設定になっていた。
司馬遼太郎の「翔ぶがごとく」では、西郷は桐野利明らに担ぎ上げられて、やむなく挙兵した事になっている。

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しかし男に「やむなく」何てことがあるはずも無く、西郷は立つべくして立ったのだと思う。

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だが戦後、政府側の大久保利通にしてみれば、維新三傑(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝充)とされた大功労者を犯罪人にする訳にはいかなかったのだと思う。
ともあれ指宿のこの一帯は、西郷隆盛の最後の決断の地であることは確かだ。

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西南戦争が終わるまで、薩摩は治外法権の独立国の様相を呈していた。

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それを懐柔するために、島津久光を政府顧問にしたりしていたが、実態は西郷の国だったのではないか。
現実にこの国の基礎を創ったのは大久保利通に違いないし、セゴドンの人気はともかく、歴史は大久保をもっと評価すべきだと思う。

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さても、西郷が晩年の多くを過ごしたその地を走った訳だが、辺りはスナックエンドウや空豆、そして菜の花の畑が果てしなく続く。

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鹿児島は日本一の早出し野菜の産地なのであって、焼酎とお茶の名産地だ。
かてて加えて、サツマイモはこの薩摩から全国に広まって、戦前戦後の食糧難を救った。

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日本列島南端の鹿児島が、今日の近世日本を作り上げたことを思うと、やはり薩摩は神秘の地だ。
因みに、大会で頂いた焼き芋をカットしたら、忽然と「大」の字が現れた。
これって、多分大吉の吉兆なんだと、食べられずにいる。

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