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2019年1月10日 (木)

衣食足りて求めるもの

ご馳走と言う言葉は茶事から生まれたようで、亭主があちこち奔走して集めた食材で客をもてなすことを言う。
かつてはこの日本にも、客をもてなす文化(欧米のホームパーティ)があったのである。

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その茶事には、これまで数回招かれたことがあるだけだが、その度に扇子を新調したりした。
待合席では緊張していたし、招く方も招かれる方もそれなりに真剣だったのである。

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確かに茶席に於けるご馳走は絶品だが、飽食の今日、ホントのご馳走は無くなってしまった。
それに食は毎日のことで、齢を重ねるに従って、美食よりもちょつとした粗食が良くなった。

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宴会などで出される油ものは辟易だし、一匹10万円の蟹も、5千円のと何も変わらなかった。
それよりも新鮮なホウレンソウや大根煮が、殊更美味しく味わえたりする。

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ブランドだの特選だのと特別(馳走)強調するが、実は中身は同じなんである。
そして今では、ご馳走の中身よりも、誰と食べるのかが肝心になっている。

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私の昼ご飯は、93才のお袋と二人だけのことが多いが、大抵はラーメンかサバ缶である。
さして不満は無いが、これに孫が加わると突然色合いを帯び、食材も輝いて見える。

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元より胃の腑には限度があるのだから、毎日の食だって、そのシチュエーションが大事って事になる。
それで思うのは、心通い合える仲間との会食をこそ楽しむべきで、そんな場面をできるだけ創ることが大切だって事。

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私はお酒はあまり飲めないけれど、そんな心温まる人々の集まりは大好きだ。

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人が生きる場面には色々あって、懸命に一人で努力したり、和気藹々の協力関係を築いたり、共に歓喜したり、失意に沈んだり・・・・そんな色々な体験もしてきた。

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その食べるって事も、学生時代の下宿での鍋やキャンプ場の食、徘徊したおでん屋、緊張の偉いさんとの会食、・・・そう人生にゃ色々な食があるんだ。
でもさぁ~齡七十余才、望むらくは親しい人との心安らぐ一時だな。

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