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2019年2月10日 (日)

人生の密度

人生には、その人によって、そして又その時によって、間違いなく大きな密度の差がある。
時代に助けられて平々凡々と生きてしまった私などが、70を過ぎても未だ未だ人生を達観できないのは、密度薄く生きてしまったからじゃないかと思っている。

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それに幕末の志士たちが若死にしたからって、或いは人生50年時代の人達が短命だったからって、密度濃い生き方をしていれば、それは本望だったろうと思う。

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「人生の長さ=生きた時間×その密度」と始めから分かっていれば、もっとコンクな生き方をしたんじゃなかろうか。
だけど若い頃は、とかく自分の人生は永遠に続くと思っているものである。

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私もそんな手合いで、事に臨んで多くの場面で惰性に任せてきてしまったような気がする。

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「もし、あの時」などと考えても、一回性の人生なんだから詮無い話である。
過ぎ去ってしまった密度の薄さを、何とか挽回しようと努めている昨今だが、既に肝心のがたいが中古だ。

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今、その老骨に鞭打って、シンガポール250kレースへの準備(装備など)を進めている。

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今月末にクイーンズタウンに渡航し、3月3日がレース初日だ。
ナビブ砂漠に続くグレイトレースで、南極にほど近い山岳部を走破するコースである。

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年齢から言って、そろそろ限界に近づいているようで、或いは是が最後の挑戦かとも思っている。

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今回は砂漠の)脱水症で死ぬってことよりも、寒さ雨との闘いになりそうだが、精悍なレースになるようイメージしている。
密度から言えば実にコンクだが、7日間のレースも過ぎてしまえばアッと言う間でしか無い。

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自分と闘い、そして自分を鼓舞し、あのfull of natureを満喫してきたいと思っている。

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ともあれ密度を濃くしたいのは山々だが、日々の生活はあくまでも平坦であり、急いて飯を食うにも限度がある。
向後の残りの人生を密度濃くしたいのだが、生きるリズムは次第に緩慢になりそうだ。

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