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2019年2月21日 (木)

成趣園

熊本を訪れた折、私はマラソンのスタートを見送った後、一路水前寺成趣園に向かった。
この庭園は、細川三代目忠利が住んだ屋敷「花畑公園に由来し、本格的には孫の綱利が造営したものだ。

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細川累代を祀る出水神社があるだけで、東海道五十三次を模したとされるが、何の変哲も無い穏やかな庭園である。

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豊かな阿蘇の湧水を湛え、梅の花が咲き、神社の近くには新婚の姿も見えた。

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この元々は加藤清正が築城に際して住んだ屋敷とされるが、加藤氏改易の1932年、三代忠利はやはりこの湧水の地に住んだらしい。

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細川三代は、正に戦国の波瀾万丈を生き抜いた・・その生き残りである。
初代細川藤孝(幽斎)は室町幕府に仕え、流浪に近い境遇だったし、その子の忠興の奇行は知られるところだ。

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そして、その妻ガラシャ(明智光秀の娘)は、関ヶ原前に前夜石田三成の人質を拒否して焼け死んでいる。

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その忠興とガラシャの子供が忠利で、加藤家改易の後の熊本城(54万石)に入り、今日の城を作り上げたのである。

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忠利は入城に際し、「殊の外広き国にて候。城も江戸のほかには、これほど広きを見ず候。」と言っている。

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熊本名物の辛子レンコンは、禅僧玄沢が忠利に滋養のために蓮根を薦めたのが起源とされる。

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ともあれ、何の変哲も無い穏やかな水前寺成趣園は、細川の三代が生き死にを渡り歩いていたことを考えると、むべなるかなの感がするのである。

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平穏無事こそ、お家の第一と言うことであろうか。

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出水神社の傍らに古今伝授の間と称される東屋が建っている。

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かつて後陽成天皇の弟君に、初代細川藤孝(和歌の名手)が古今和歌集の講義をした折りに使われた建物で、大正元年に京から移築されたものらしい。

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その古今伝授の間の傍らでお結びを頂きながら、細川三代の辿った年月を思い、そして後代の願いがこの静けさなんのだと納得していた。

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