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2019年2月20日 (水)

飛梅

昨日の昼過ぎ、福岡に着く頃には雨がやみ、温かな「東風」が吹いていた。
向かったのは勿論天満宮の元締めとも言うべき社・太宰府天満宮で、菅原道真の墓の上に建てられている。
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天満宮の参道に入ると、もう一杯に梅の花の香りで満ちていて、飛梅の故事を思い出した。
道真は漢学者だが宇田天皇に重用されて、太政大臣にまで希に見る出世をした人だ。

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しかし藤原時平に疎まれて、太宰員外師として太宰府に左遷されてしまう。

いよいよ屋敷を出て太宰府に向かう際、屋敷の庭で愛でていた梅の木に向かって語りかけるように謡ったのが、あの有名な「東風吹くかば・・」だ。
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「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なくして 春な忘れそ」
菅原道真は太宰府に赴任して二年で亡くなってしまうのだが、あの都の梅は空を飛んで太宰府に降り立ち、花を咲かせたという。

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道真が亡くなると同時に、都では天変異が打ち続き、道真の祟りを鎮める天満信仰が始まることになる。

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その都から飛来したと伝わる梅を含め、満開の紅梅白梅を満喫して天満宮を後にした。

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そして、7世紀後半から奈良・平安時代を通じて、九州を治め併せて国の守りの拠点だった太宰府政庁跡を訪れた。

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その敷地は25万4000㎡と甲子園球場の6.4倍もあって、今はその礎石だけが残されている。

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かつて「遠の朝廷(とかしのみかど)と呼ばれ、やまと政権の一大拠点だったのである。
国中から徴用された防人(さきもり)達の拠点も太宰府だったろうし、近くには任那崩壊に伴う唐・新羅連合軍の襲来に備えた水城(みずき)の防塁が1.2kに渡って続いている。

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ともあれ、暫し巨大な政庁跡にたたずみ、往時の人々の行き来する様を想像していた。

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飛鳥や平安京がそうであるように、いにしえは常に偲ぶものになっていくのである。
だが今に生ける菅原道真公は、折からの受験期を控え、合格祈願者などで溢れ返っていた。

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今回も、良い旅をさせてもらった。

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