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2019年3月 8日 (金)

第十四節 共にゴールへ

第十四節 共にゴールへ

 6日間の砂との戦いのレースは、やがて終わりを迎えようとしていた。この日はウイニングランとでも言うべきコースで、大西洋に沿った10kを走ってゴールを迎えるのである。何時果てるとも知れなかった250kなのに、そのレースも終わりだ。ただ一人、海岸沿いを走っていると、朝日に照らされて鈍く光るものを見つけた。それは白っぽい小指の先ほどの石であった。男は、それをダイヤモンドの原石だと直感したのである。石をポケットに入れ、時恵への土産にしようと思った。

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 250kの砂漠レース、そのゴールは目の前にあった。重かった荷物は既に軽く、この6日間に気ままに伸びた髭に加えて、全身砂まみれでむさくるしかったが、心も体も軽快だった。砂の上にぽつんと建てられたそのゴールゲートはあっけないほどに小さかった。午前10時、そのゴールに飛び込んでWe were done. Everyone.と大きく叫び、隣を併走していた澄江を強く抱きしめた。このレースを共にしてきた澄江は、ボロボロと涙を流して歓喜していた。いや、殊更澄江を抱きしめた訳ではなく、周りのみんなと抱き合っていたのだ。

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 砂漠からスワッコップムントのホテルに帰ると、直ぐにレース終了のセレモニーが始まった。優勝はフランス人、そして若月は三位だった。続いて、男の名がコールされた。70歳代の優勝者として紹介されたのである。ステージに登ったその無精ひげの男は、トロフィーを高く掲げて絶叫して いた。

We were challenging and enjoyed being on the sand road. And, We were done, everyone. I’m going on my seventy. But I don’t never get old.  Thank you.I’m old runner and almost ・・・

 

第十節 別れ 

 セレモニーを終えて部屋に戻り、幾分のアルコールのためか大きなため息をついた。「終わったんだ」そう言い聞かせながら、スマホの電源を入れていた。幾つかの着信音が鳴って、その中に時恵からのメールがあった。時恵のメールは、「砂漠レースお疲れ様。ブログとユーチューブで観ていました。あなたのことだから、必ず完走すると思っていました。おめでとう。」と書き出してあった。だが続いて「それでこの際だから、思い切って長いメールを書きます。」とあって「あれから色々と考えたの。あなたとのこと、それから私のこれからのこと。あなたといると、父の様に感じることがあって、だから何時も甘えちゃっている。やっぱり貴方のおっしゃる通り、歳を取ればそれなりに自立しないとね。それで、これまでのあなたとのことを私の宝物の思い出にしたいの。実は、何時か話した短編小説のこと。あれが同人誌に掲載されたら、思いがけず好評でね。私、同人誌を手伝うことにしました。それでかなり忙しくなって、・・」と続いていた。どうやら鬱病は克服しつつあるらしい。事故の後遺症もかなり回復しているようだ。

要するに、二人の関係を清算したいというのであった。男はそのメールに、薄ぼんやりと誰か他の男の影を感じた。しかしもう、そんなことはどうでも良いと思った。それよりも、時恵にはこれから20年近い豊かな時間があるだろう。だが自分にはこの先一体何年の猶予があるだろうか。どう頑張ったって、時恵と対等に付き合えるのはせいぜい5年か、或はどう虚勢を張っても10年だろう。時恵の後を追うのは、それは未練と言うもので、彼女の未来を縛ることなんて俺にはできやしないだろう。男は、時恵の心身が快方に向かいつつあること、そして新たな生き甲斐を見いだしていることで満足しようと思った。

 「お早うございます。」「行ってらっしゃい。」男の大きな声が響いて、それに続いて「行ってきます。」と子供達の声が唱和する。男が街頭に立っ旗を振るようになってから、もう既に13年になる。この間に、小学校に入学した子供が高校生になる訳だから、それは実に大きな時間の流れである。男の平均寿命は80歳を越えたとされている。しかしそれは必ずしも健康寿命ではない。生きるとは、あくまでも自立して生きる事であって、やはり人の生きられる時間には限りがある。そして、生きている限り何時かは死ななければならない訳だから、生きている内に、悔いの無いように生きることが肝心だ。それで自分の物語を十分に生きられたのなら、何の悔いが残ろうか。所詮人間は、一人で産れ出て一人で死んでゆく。それまでの間を懸命に生きられれば、人生はそれで十分だろう。

砂漠は、男の残りの命に新たな生命を与えたようである。男は次の挑戦に向けて準備を始めていた。それはニュージーランドのクック山の険しい裾野、250kを走るグレイトレースであった。

仏教では、長遠な時間の単位を「劫」という言葉で表す。この遙かなる時間と距離の概念からすれば、人間の一生など瞬時のものでしかない。その瞬きの間に、その人間に何が出来るのかが問われている。男は、時恵との別れの代償に、その時のしるしを悟ったのである。

 


 

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