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2019年3月 6日 (水)

第十一節 8人の日本人

11節 8人の日本人

 翌日、夜はまだ続いていたが、外では焚き火がたかれ、その日を囲んでの談笑が始まっていた。国は違ってもそれぞれがランナーだから、話題に事欠くことは無い。だが、日本人は総じて英語が下手だ。韓国のランナー達は闊達に会話の輪の中にいるが、日本人は彼らの英語のスピードについて行けないのである。

 この第二ステージの40kは、干上がった塩の原、ゴツゴツと尖った石の平原、やがて柔らかな砂の山をうちえ北に向かって進んでいく。砂漠に幾分慣れたのか、この日はまだ明るい内にゴールとなった。

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 この日、夕食のテーブルを囲んだのは8人の日本人だった。話題は何故このレースに参加したかだったが、やがて人生論へと広がっていった。何もない砂漠の地平線がそうし向けたかのようである。

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 その輪の中に、プロランナーの若月がいた。彼は幾つもの過酷なレースを走っているにも関わらず未だに優勝がなく、前年のサハラレースでも三位に終わっている。この二日間もヨーロッパ勢の二人に先行され、やはり三位に甘んじていた。彼は、サラリーマンを止めて以来支援者を募り、その支援でレースを渡り歩いていた。その若月が、「彼らが、早すぎるんだ。」と語り始めていた。「僕は、このナビブに来ると、走っていてあのキソウテンガイを見つけると、とっても愛おしく思うんですよ。砂漠に深く根を下ろして、千年も生きるって言われる植物ですよ。花も咲かずに砂にへばり着いて、それでも辛抱強く生きている。私の場合、プロと言ったって、オリンピックの選手のように注目される訳じゃ無い。それで大学の同窓会に出たりすると、お前大丈夫かって言われたりする。彼らからすりゃ、俺なんてドロップアウトしたと思われているんだ。そりゃあ、将来に不安はあるけど、人生って、やりたいことをやって生きるのが肝心だと思っているんです。」若月は、結果を出してこそ評価されるプロの厳しい世界を生きているのだ。

 男は、自分の歩いてきたサラリーマン時代を振り返っていた。確かに、生活はそれなりに安定していた。だがあの四十年近くの自分は、組織のために働いていたし、それは退職した今となっては無縁のものでしかなくなっている。自分が何を残したのかと考えても、それが人並みだとしても何故か虚しくも思えるのだった。七十を過ぎてやり残したことを追い求めている自分と比べれば、若月には遙かに勇気があると言える。とどのつまり、人生は何を為し得たかで決まるのである。

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 その傍らにいた孫が「僕は、自分にしか出来ない生き方をしてみたいと思っている」と口を出した。「今回も日本と韓国のバッチを付けているし、自分の置かれた境遇を生かしながら、思いっきり自分を生きたいんだ。だからこのレースにも挑戦したし、人生って、結局何をやって何をやらなかったかが、その人の人生なんじゃないかって思うんだ。」孫は、六本木で働く仲間三人でチームを組んでこのレースに参加していた。

 もう一人が、日本人の中では28歳と最も若い田口だった。田口は、既に足の指を紫色に腫らしていたが、その痛みを表に出さずに走り続けていた。

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